噂の暗殺者
「また来たのか」
壮年に差し掛かった男がそう言った。場所は、サイロニア王都バダムの商店街にある雑貨屋だ。さして大きい店ではないが、通りに面していてるからか割と賑わっていることが、訪れる客の多さから伺える。壮年の男はそこの店主。名をダンと言った。今は店番を自身の娘に任せて、店の裏手でとある青年と対峙していた。
「何度も言いますが、あの話は本当です。貴方は『ダガァ』に狙われている」
王都だけではなく、周辺諸国でもその話で持ち切りだという噂の暗殺者『ダガァ』。そんな存在が自分を狙っているという。
数日前、ダンと話がしたいと青年が訪ねて来て、開口一番に告げた事。それが、今度の『ダガァ』の標的が、ダンであるという事だった。最初こそ、情報屋を名乗るその青年の話を馬鹿にして聞く耳も持たなかったダンだったが、それから連日訪れては、この青年が無愛想な中にも必死さを滲ませて繰り返すので、一度ちゃんと聞いてみようという気になった。
「凄腕の暗殺者、か。どうして俺が、そんな奴に狙われなきゃならん」
「それは、さる貴族に関係があります」
何故自分が、という問いに対して青年の口から出てきた言葉は、それだった。
「……何の話か分からんな」
当然、ダンは身に覚えがある。しかし、何故青年がそのことを知っているのか、また、唐突に自分の秘密を知っていると暗に告げられたことで起こった僅かな動揺が、ダンに直ぐ様の反応をさせなかった。内心舌打ちを打つ。
「まあ、こんなところでは認めにくいでしょうが。出来るだけ早く身を隠されたほうが良い。ご家族共々、ね」
「店を放り出して逃げ出せと?」
「命よりも大事なものは無いと思いますが?」
王都でも珍しい黒髪に、黒曜の瞳。一瞬、深い闇を思わせるその瞳に引き込まれそうになって、ダンは慌てて視線を彼から外した。
「私で良かったら、裏に手を回しておきますが?」
「……ふん! そういうことか。さてはお前、ビラン商会の回し者だな?」
ビラン商会は、ダンが所属するキャスラ商会とは犬猿の仲だ。それこそ、裏社会の勢力を使って抗争を繰り広げているくらいには。キャスラ商会に属するダンの店を表向き潰してしまえば、現在は拮抗している状況が崩れるかも知れない。
ダンは、そちらの可能性に縋った。しかし。
「言っておきますが、これに関しては報酬は関係ありません。私はただ、貴方たち家族を助けたい」
ダンの言葉は聞き流して青年はそう続けた。彼の眼には、嘘はないように見える。
「……もう帰れ。そして二度とうちの店に近づくな」
だが、ダンはそう告げると踵を返して店へ戻り始めた。
「そうですか。残念です。もう、王都の空は拝めないでしょう」
青年の言葉を最後まで聞かず、店主は店へと戻っていった。扉が閉まる頃には、裏の通りから青年の姿は消えていた事に、ダンは気が付かなかった。
店内に戻り、娘のリルに声をかけてダンは店番を代わった。
「また情報屋さん?」
「ああ……」
「どうしたの?」
リルは、出て行く前と今の父親の雰囲気が違う事が気になった。
「……いや、なんでもない」
「そう……?」
なんでもない事はない、とリルは理解する。が、こういう時の父親は何を言っても無駄であることもリルは知っていた。なので話題を変えることにした。
「あ、もう情報屋さんは帰っちゃった?」
「ああ、そうだろうな……」
何故、そんなことを娘は気にしているのか。その理由に思い当たったダンは、父親として聞かずにはいられない質問をする。
「お前、あいつに気があるのか?」
「ま! まっさかぁー!」
結果、顔を真赤にしてリルは二階へと上がっていってしまう。ダンはそんな娘の反応に今は助けられた。強張っていた体から力が抜ける。
しかし、父親として言うことは言っておかないと、と二階へ上がっていく背中に声を張る。
「あいつは駄目だぞ!」
「そんなのあたしの勝手でしょっ! っていうか違うからぁ!」
ドスドスと音を立てながら上がっていく娘の後ろ姿。
「……色気づきやがって」
ダンは娘の成長に寂しさを感じながら、そのお陰で先程の青年との話はすっかり忘れてしまった。
その日の夜、王都もすっかり寝静まった頃。ダンは階下の物音で目を覚ました。不安が胸を過る。先日来、再三忠告されていた『ダガァ』の事が思い出された。しかし、相手が唯の泥棒であったなら、被害の少ない内に追い出さなくてはならない。
念のため妻と娘を起こしておき、階下の店舗へと向かった。
ダンには遺跡の発掘調査に従事していた経験がある。調査中は、盗賊団の一つや二つと渡り合うのもザラではなく、彼も幾度となく戦闘にも駆り出されたりしていたため、腕にはそれなりの自信があった。
防犯のために仕舞ってあった木剣を携えて階下にやって来たダンは、暗い店内を見回す。
そして、彼を見つけた。
「こんばんは」
「なんだ、お前か……」
それは、昼間も店に訪れていた、あの黒髪の青年だった。
「……お前、こんな時間にウチの店で何をしている?」
一瞬安堵しそうになった店主だったが、状況の特異性に突き当たる。ここ数日間、毎日顔を合わせていたからか感覚が鈍っていたが、この青年とはそこまで親しくはない。ましてや、夜中勝手に店に上がることを許せる間柄でもなかった。
「昼間申し上げたとおりです。残念ながら、時間切れです」
「何の……」
言いかけて、店主は思い出した。青年が、何のためにここ数日間、自分に会いに来ていたのか。
「ま、まさか――」
「さようなら。サイロニアのダンさん」
その日の夜を堺に、雑貨屋のダン家族は王都から姿を消す。
翌朝通りかかった近くの住人が、早朝にも関わらず開け放たれていた店の正面の扉を不審に思い、中を覗くと店内は血の海だったという。
辺り一帯は一時騒然となった。憲兵が現場の調査に訪れたが、血の量が物語るここで起こった争いの壮絶さに顔を顰めた。激しく争った形跡と血痕以外、これと言って証拠を見つけることは出来なかった。家人の姿、その一部も見つからなかったが、ただ一つ、『ダガァ』の犯行であることだけは確かだった。『ダガァ』が仕事を行った際に必ず残していくとされる印が、店に入ってすぐ目に付く、正面の壁にでかでかと刻まれていたからだ。




