アフターケア
意識が現実に戻ると、看護師のお姉さんが裕太の頭からヘッドギアをちょうど外しているところだった。
梨花と久美もヘッドギアを外され、ゆっくりとベッドから起き上がる。
異空間では全力で動き回っても疲れを感じなかったのに、身体がとてもだるくて重い。
それなのに、手足が浮いているような妙な感覚がする。
そんな奇妙な感覚に、裕太は自分の身体をペタペタと触って、本当に自分が存在しているのかを、つい確かめてしまった。
「あたしもそれよくやったのです。結構怖いですよね。自分がどこにいるのか、自分が何なのか一瞬分からなくなる感覚」
「う、うん……。あっ、それよりもみんなは?」
メンタルイーターの本体を倒せば、みんなが元通りになる。そんなうたい文句でソウルメディックになったのだから、これで誰も救えていないと言われたら、無駄足も良い所だ。
裕太達の顔がよっぽど心配しているように見えたのか、院長は大げさに手を叩きながら笑顔を見せた。
「おめでとう。各部屋で患者が目を覚ましている。オペは大成功だ」
その言葉に遅れて、看護師のお姉さん達も拍手を始めた。
壁のモニターには病室が映し出されていて、倒れていた人が目を覚まして起き上がっている様子が見える。
それが見えて、裕太はホッと息を吐いた。
だが、浩太とは違って酷く慌てた様子で梨花が立ち上がり、ガチャンとベッドが揺れる音がした。
「伊賀ちゃん――伊賀明美さんの容態は!?」
「第一感染者だね。大丈夫。目を覚ましたよ」
「あぁ……良かった……」
「報告は後で良いから、友人に会いにいくかい?」
「……そうですね。お見舞いに行きます」
梨花は少し迷いを見せると、頷いて部屋を出て行こうとした。
だが、出口で足を突然止めると、裕太の方に振り返り、消え入りそうな声を出した。
「裕太……もついてきてくれないかな……」
「あぁ、うん。俺も気になるし」
「……ありがと」
ぷいっと首を振りながら、梨花が感謝の言葉を呟いた。
その言葉に裕太は思わず「え?」と言いかけるほど驚いた。
お礼を言われたこと自体にも驚いたし、梨花がお礼を言うほど弱っていることにも驚いたのだ。
そもそもお願いから妙だったのだ。伊賀は梨花の親友で、会いに行くのに戸惑う必要など無いし、裕太を連れて行く必要もない。それに、梨花は裕太が伊賀と他愛ない話をしていると拗ねる。
それなのについてきて、と言うからには、何かよっぽど思うところがあるのだろう。
裕太は長い廊下で一言も声をかけてこない梨花と並びながら、そんなことを考えていた。
そのまま病室の前についてしまって、ドアに手をかけた梨花が口を開けた。
「……何も聞かないんだね?」
「伊賀さんのことで何を悩んでいるかは分からないけど、梨花なら大丈夫だって思ってるから」
「なによそれ」
「人のことになると、自分より一生懸命なのは知ってるからさ」
「……そっか。よしっ」
梨花がドアを開けると、伊賀さんがベッドに腰掛けていた。
42℃という高熱が出たせいか、若干疲れて見えるが、裕太と梨花を見つけた瞬間に笑顔を見せるくらいの元気は残っていたようだった。
「イッちゃん身体の方は大丈夫?」
「うん、何か知らない間に倒れちゃったみたいで……。心配かけたかな?」
「うん。かなり心配したよ……」
「そっか。ありがと。リッちゃん」
裕太も梨花の後に続いて軽くお見舞いの挨拶を済ますと、外に出ようとしたが、梨花に袖を捕まえられた。
まだいて欲しいという無言のお願いに裕太は受け入れ、梨花の隣に袖を掴まれたまま立つことにした。
しわになりそうなほど強く握るのは、不安の裏返しなのか、次に聞こえた梨花の声は少し震えていた。
「イッちゃん、最近辛い目にあってない? 学校行きたくなくなるぐらいの……」
「え? どうしたの急に?」
「最近、ちょっと疲れていそうだったから」
「……ううん、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないでしょ? 大丈夫じゃなかったから、今日倒れたんだから。私はそんなんで騙されるようなバカじゃないよ」
「……まいったなぁ。実はね、怪我も治ったのに部活でレギュラー落ちしちゃってさ。どれだけ頑張ってもレギュラーに戻れなくて……。今までの努力ってなんだったのかなってさ。怪我一つで吹っ飛んじゃうものなのか、それとも今の私が昔より努力しなくなったのか分からなくて……」
陸上部に所属している伊賀さんは最近成績が伸び悩んでいたそうだ。
怪我でレギュラーから落ちた後、怪我を治して復帰したところまでは良かった。でもそこから、上には戻れなかった。そのせいで、自分の今までが何だったか分からなくなって、学校に行きたくなくなっていたらしい。
それが今回のSPISを発症させてしまった。
そんな些細なことでそこまで落ち込むことなんて無いのに。なんて言葉を梨花は口にしなかった。もっと厳しい物だった。
「怪我して練習が止まったら、筋力は落ちるし、身体の重量とかも変わるから感覚も変わるし、当然の結果だよ。努力が減ったんじゃなくて、努力が下手になっただけ。変わったことを認めず、以前と同じやり方の努力しかしていないなら、今までの努力がなんだったんだろう? じゃなくて、今している努力が間違っていただけ」
梨花は同情の欠片も感じさせない現実という冷たい一撃を放った。
案の定、その一撃がクリティカルヒットしたようで、伊賀さんは黙って俯いてしまった。
それなのに、梨花は言葉を止めなかった。
「レギュラーって結果は手に入らなかった。それは結果の一つ。でも、努力を払う経験と実績も手に入った。努力は間違うこともあるって分かった。そう思えないのはイッちゃんが疲れて弱ってるから。イッちゃんに必要なのは休憩と弱った自分を許してあげること。私はそう思う」
「相変わらずリッちゃんはきついなぁ……。どうしてそう思うの?」
「私が目指す医者は患者さん全員に良い結果を約束出来ないからだよ。どれだけ頑張っても失敗して死んじゃう人や後遺症が残る人が出る。でも、一人一人のために努力は出来る。全員が助けられないからって、その努力が出来ない人に、私は自分の命を預けたくないから。もちろん結果は出さないといけないから、難しいのは分かってるけど」
「強いね。リッちゃんは」
「ううん、そんなことない。本当はこのこと聞くのが怖かった。私がイッちゃんに何か酷いこと言ったんじゃないかって、それで学校に行きたくなくなったんじゃないかって……」
真相が分かった途端、梨花は堤防が崩れたように言葉を吐き出した。
梨花は口が悪い。それはもうそのせいで虐めに遭うぐらいに口が悪かった。
実際、さっきの一言目も落ち込んでいる子にかける言葉じゃない。
しかし、困った事に悪意は全くない。
大体後々になって人を傷つけたことを知って、慌てて裕太に相談をしてくるくらいだ。
だから、今回も異界が崩壊するときの声で、自分が何かをしてしまったのかと思ってしまったのだろう。
でも、それは杞憂だった。伊賀は全く怒っている様子もなく、穏やかに微笑んでいる。
「大丈夫だよ。確かにリッちゃんは口が悪いし、デリカシーないし、空気読めないけど」
杞憂だったのだろうか? 言葉のナイフでも刺さっているのか、梨花が伊賀の言葉にあわせてピクピクと震えていた。
「友達でしょ? リッちゃんが私のことを思ってくれて言ってくれているっての分かっているから」
「そっか」
「友達じゃなかったらビンタの一発や二発したかも知れないけどねー」
「友達だからビンタされてないってこと?」
「そーいうこと。退院したらクレープ食べに行こうよ」
伊賀は楽しそうな笑顔を見せると、ようやく梨花が裕太の袖から手を離した。
それでも、裕太はそのまま部屋に残り、看護師が伊賀を別の部屋に運ぶまでずっと待っていた。
そして、伊賀を見送って集中治療室に裕太と梨花が取り残されると、梨花は裕太に背を向けるように立った。
「何だ。裕太まだこんな所にいたんだ? 暇なの? 他にすることなかったの?」
「梨花がここにいるからな」
「っ!? 勇気をくれて……あ、ありが……」
梨花がビクッと震えて、小声でたどたどしくお礼を伝えようとしていたが、裕太の言葉はまだ続いていた。
「俺だけ院長と麻井さんから話を聞いても二度手間だろうし」
「……あっそ」
裕太の言葉を聞いた途端、梨花は出口に向かって早足で歩き出した。
声の調子は明らかに不機嫌だが、裕太は何故彼女が怒っているのか全く分からないようで、慌てて後ろを追う。
「あれ? 何か怒ってる?」
「怒ってない。待たせて悪かったわね」
「別に悪くないよ。梨花が元気になったのなら、待った甲斐があった。こっちに戻ってきてから、元気無さそうだったから心配してたんだ。良かったな。伊賀さんとちゃんと全部話せて」
「っ! そうね。借りにしておくのも嫌だし、お礼に今度何かおごってあげるわ」
「え? 別に良いって。俺はただ突っ立ってただけだし」
裕太は素直にそう思っていた。
貸した物と言えば、梨花に掴まれた袖口くらいだ。
だが、梨花はそんなこと知らないと言わんばかりに勢いよく振り向き、裕太の鼻の前に人差し指をさしてきた。
「今週末の日曜日、お昼前の十一時に駅前で待ち合わせ。良い?」
「日曜か。予定どうだったかな?」
「良い!?」
「分かった分かった。良いよ。日曜日の十一時ね」
「ん。よろしい♪」
先ほどの不機嫌さが嘘のように、梨花は楽しそうな声で頷いた。
伊賀と話をしていた時よりも嬉しそうな梨花の様子に、裕太は呆れて笑うしかなかった。