鳥籠の外
仕事が終わった後。これからの事を相談しようと、にっこり笑顔で有無を言わさず連れてこられた先は、アンリ・ラザフォードが滞在しているホテルだった。
ホテルと言っても、長期滞在向けのものであるらしく、部屋は広めで簡易キッチンもあるタイプのものだ。
きみの部屋に行きたい気はあるんだけどね、それはまたの機会のお楽しみだねと教授は言った。
教授が泊まっている部屋に通される。
窓際にソファとローテーブルがあり、リーフェイと教授はそこに腰を下ろした。
「コーヒーでも飲むかい?」
「あ……はい、いただきます」
教授はインスタントだけどねと言いながら、小さなキッチンでコーヒーをいれてきた。
「ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。ねえ、帰りたいって顔に書いてあるね」
にやりと笑いながら言われた言葉に、リーフェイは首を竦める。
その通り。時間が経つにつれ、戸惑う気持ちの方が強くなっていた。それは教授にはお見通しだったらしい。
「そんなことは……少し、ありますけどっ」
「はは、 正直だね。僕としても、きみを怖がらせないようにしたかったけどね、まあ流石にこれ以上待つのは色々限界だったってことで」
「はあ……?」
何の事かいまいちわからなかったリーフェイに、教授は気にしないでと手を振った。
「それで、きみは今後、どうしたい?ここで働きたいのならそれでもいいし。ただ近いうちにきみのご両親にはご挨拶に行きたいんだけどね」
「仕事については、契約期間がまだ残っているので、それが終わるまでは続けます。で、うちの両親に本当に会うつもりですか?」
「そりゃあ勿論。娘さんを下さいって言わなきゃ!お父さんには“娘はお前にはやらん!”とか言われるかな?うん、きみ、ちっとも見た目が変わらないから、まるで僕が人浚いみたいだねえ」
「あの~教授、わたしの年、ご存知ですよね?」
「……」
「あの、教授?」
「名前」
「は」
「名前で呼んで?ご両親の前でも、教授って呼ぶつもりなの?」
「……っ」
にこにこと笑いながらプレッシャーをかけられて、リーフェイは言葉に詰まった。
絶対、この人楽しんでるっと頭の中では盛大に文句を言いつつ、でも何故か勝手に顔が赤くなってしまうのだ。
名前を呼ぶだけの事、それがなんでこんなに恥ずかしいのか。
さあ呼んで?
無邪気を装った邪気だらけの笑顔で、教授が見つめてくる。
「……ア、アンリ」
「はい、何?」
敗北感に浸りながら、リーフェイは尋ねた。
「わたしの年は知ってますよね?そろそろとうが立つ頃なんですけど」
「勿論知ってるよ。でも見た目学生って言っても通るじゃない。僕も若くみられるけど、きみ変わらなさすぎ。そうでなくても、年が離れているっていうのにさ」
「何を言うかと思えば、もう」
リーフェイは子どものように唇を尖らしている教授……アンリを見た。
リーフェイとは全く違うところで、彼は気にしている所があったらしい。
何だか、もう色んな事を気にするのが莫迦らしい気にさえなってきた。急な事に戸惑いはあるけれど、それでも、差しのべられた手を取ろうと思ったのだから。
一緒に歩いて行きたいと思えたのだから。
「うちの両親は、そんな事は気にしませんよ。多分、賛成してくれるはずです。でも、一つだけいいですか?」
「何かな」
「リン一族は、元の世界に帰りたがっている。うちの両親のような例外を除いて、それは事実であります。この世界へ来て以来の望みでありましたが、帰る力は失われてゆきました。それをなんとか留めようと一族が何を行ってきたか、は知っていますか?」
「ああ。知っているよ」
リン一族の事を少しでも調べれば、この事に気付くのは容易だろう。
「失われてゆく力を留めるために、一族は血族内での婚姻を繰り返しました。それにより、より濃い血脈を築こうとしたのでしょうね。でも、そうまでしても帰るだけの力は既にないんです。今でこそこの世界の人と結婚し、一族から離れる人もいますが、以前は一族内の閉じられた世界でだけ婚姻を結んでいました。もしわたしが一族に居たままなら、わたしは従兄と結婚していたでしょうね」
「きみのご両親は、ともにリン一族の人なのかい?」
「ええ。ただなんの偶然か、互いに血は遠かったようで。血が近い者同士で婚姻を繰り返したせいで一族は子が生まれにくくなっています。けれどわたしはそうでない。だから丁度いい……そう、両親以外の一族の者は考えたらしいんです」
教授は眉間にしわを寄せて聞いていた。一族以外の普通の者がきけば、胸が悪くなるような話だ。
リーフェイだって好き好んで話したくなど、ない。けれど、どうしても言っておかなければならなかった。
「子が生まれにくい他に、もう一つ弊害がありました。それは、生まれる子どもの男女比です。子どもが生まれても、それはほとんどが男児ばかり。女児は五人に一人くらいの割合でしか生まれません。このままでは一族の人数は減るばかり。それで、一族はあるおぞましい事を決めたんですよ」
教授は組んだ手の上に顎をのせて、リーフェイの話を聞いていた。これを話せば、彼は離れて行ってしまうかもしれないと思った。それほどに忌まわしい。それでも……黙っていることは出来なかった。
「誰と結婚していようが、受胎可能な年齢であれば、孕ませてしまえばいい。母も何度か危ない目に遭い……父は母を連れて一族を離れたそうです。今も一族とは距離を置いていますよ。だけど」
リーフェイは教授の顔を見られずに、俯いたまま言葉を続けた。
「わたしが結婚しても、一族は完全には諦めないでしょう。無理矢理攫おうとしたりするかもしれない。そうなったら教授にもご迷惑がかかるし、何よりこんな面倒な事情のある女は嫌になるでしょう?だから」
「リーフェイ」
低い声で言葉を遮った教授は、怖い顔をしてリーフェイを見ていた。
思わず体が竦む。それに気がついてか、教授はすこし表情を緩めた。
「きみもなかなか信用してくれないね。それとも僕の執着を甘く見ているのかい?撤回なんかしてあげないよ。もしきみに何かしようとしてきたら、二度と手出しなんかする気になれないくらい、徹底的に潰してあげるから」
疑り深いきみが納得するまで、信じさせてあげるからねと言われて、リーフェイも泣き笑いの顔でゆるゆると頷いた。
今まで向かいに座っていた教授が、リーフェイの隣に移動する。
頬を撫でられ、抱き寄せられる。温かな腕の中はとても落ち着かなかったが、おなじくらい安心もした。
腕の中に閉じ込めるように、教授はリーフェイをきつく抱きしめて、低く囁いた。
「でもね、きみ、ひとつペナルティ。さっき教授って呼んだよね」
その声に、背筋がぞくぞくする。嫌な予感がよぎり、なんとか抜けだそうともがくが、腕はびくともしない。
「えっと、あの」
「僕も理性のある間は優しくするから。安心して身を任せてよ」
「全然安心できませんっ、ひゃあっ」
不意に抱きあげられ、そのままベッドまで運ばれ、とさりと落とされる。
身を起こすより前に、教授に阻まれ、真上から覗きこまれる。
明るい緑の目が、今は底光りするように光っていた。
でもそれを、怖いなんてリーフェイは思わなかったから。
自分から腕を伸ばして、教授……アンリに抱きついた。そしてそのまま口づける。
「あんまり煽らないで欲しいんだけどね。優しく出来なくなりそうで困る」
心底困ったような顔に、リーフェイはアンリがしびれをきらすまで、くすくすと笑い続けてしまったのだった。
END