教授の回想
初めから“そう”意図“していたわけでは、ない。
頭を悩ます問題は色々あれど、ことプライベートにおいてはここ数年来一、二を争う事柄は決まっている。
友人であるコンラッド・シュタインの生存確認がそれだ。
研究莫迦で日常生活の最低スキルもないくせに辺鄙で不便で、おまけに立ち入るのさえ七面倒な許可が居る場所に住みついてしまった。
それが、奴一人だけならいい年の大人であるから、飲まず食わずでふらふらしようが、ギリギリのところで何とかするだろう……すると思いたい。希望形なのが切ないが、よくよく思い返せば睡眠不足とカロリー不足で倒れている友人の第一発見者になったのは片手では足りない数だったからだ。
専門分野での研究はトップレベルのくせに、こと、常識的な日常生活において、友人はまったくあてにならない。自分の面倒さえ見られないのだ。頭の中を日常生活以外の事で一杯にしているからか、ロクに興味もないのだろう。
それでも、それが友人一人の事ならば、まだしも。
友人には娘がいた。ユーリという名の、まだ大人の手が必要な年の子どもだ。
友人が面倒くさい場所……保護区に指定されている地域に住むと言いだしたとき、勿論止めた。
街のように便利なサービスやモノがない場所で、生活無能力者のお前が暮らしていけるはずがない、自殺行為だと断言した。
お前一人なら野垂れ死にしようが自業自得だが、ユーリまで巻き込むなと。
そのうえで、それを理解したうえでも行くと言うなら、ユーリは置いてゆけと言ったのだ。
幸いにして就学年齢には達している。寮がある学校にいれてやればいい。その間の面倒は自分が見てやる。
生まれた時から構いつけているからか、ユーリも自分になついてくれているし、自分からしても感覚は親戚の小父さんのようなものがある。保護者代理くらい引き受けてやる。
そう、こちらとしては最大限の譲歩をしたつもりであったのに。
やはり、全てを理解したうえで……いや、それだからこそ納得したくないのか、友人はこちらからの提案をことごとく却下してくれた。言葉を尽くして説得しあるいは泣き落としをし、半ば脅迫までしたというのに、友人の返す言葉は決まって同じだった。
あそこに住む許可は取り付けた、ユーリも連れてゆく。
不機嫌そうに、ぶっきらぼうに要点だけを告げた友人に、呆れればいいのか怒鳴りつければいいのか、判断がつかなくなるのはこんな時だ。
どんなに心配しても無駄だと言われているようで腹も立つ。
が、悲しいかな付き合いが長い分、友人がこと対人スキルについても最低レベルしか持っていないのをよくわかっていた。
誰かが自分を心配している。気にかけている。そして自分が他の誰かを気にかける。
そんなごく自然の事を理解することは、友人にとっては難しい事だった。
それでも、ほんの少し前までは違った。友人の妻が居た頃は。
付き合いの長い自分が見た事もないほど、表情豊かに笑っていた友人の姿が脳裏に浮かぶ。
その横で光が弾けるように笑っていた友人の妻。腕には生まれたばかりのユーリを抱いていて。
その光景がいつまでも続くと思っていたのに。光はある日突然失われた。
母から受け継いだ紅茶色の髪の毛と、父から受け継いだ緑の瞳の、ユーリ。
顔立ちは幸か不幸か、母には似なかった。はっきりいえば父である友人の方に似ている。
零れるのはため息ばかりだ。友人の妻はいなくなり、残されたのはユーリだけ。
あれだけ妻に執着していた友人が、ユーリを手放すはずがなかった。
妻の色と自分の色を受け継いだ娘。このうえなく、彼女が確かに居たことを示す存在を。
本当に頭が痛い事だと唸りながらも、友人のためだけでなく幼いユーリのために、出来る限りの事をしてやろうと決心したのだった。
友人が何故わざわざ保護区に住もうと思ったのか、その理由を知っている。
友人の妻はこの世界の人間ではなかった。ある日突然友人の前に現れた彼女は、友人と恋に落ち、子どもを産み、そして再び突然消えた。
目の前で空気に溶けるように消えた。
そう、一度だけ友人は呟いていた。その時の感情の全てが欠落したような友人の顔は二度と見たくはない。
異なる世界の人間だから、此処に存在し続ける事が出来ずに元の世界に戻ったのか。
また別の世界に移動したのか。
もしくは……もうどこにも存在していないのか。
どれが正しい答えなのかわからない。知る術はない。
ただ明らかなのは彼女の不在とそれがもたらしたもの……友人の絶望だった。
友人が誰かと恋に落ちる。その様子を間近で見ていてもなかなか信じられなかった。
他人を必要とせず興味もない友人の事を密かに心配していたからだ。
それが彼女に出会って面白いように変わった。彼女に喜んでもらおうと美味しいと評判の菓子を買ってきてはお茶に誘ってみたり。少しでも会話を続けようとあれこれ話かけてみたり。
その様子を初めて見た時は、衝撃に硬直してしまった。あれは友人の顔をした別人だと思ってしまった。
それくらい、今までの自分が知る友人とは変わっていたのだ。
勿論、自分に対しての態度はこれまでと変わらない傍若無人なもので、逆に安心したのだけれど。
友人が彼女と結婚した後、彼女に結婚の決め手は何かと尋ねたことがある。
いわく「すごく口下手だけど、優しい人だと思ったから」とのこと。
友人の幸せな結婚生活のために懸命に口を閉ざしたものだ。
あれは口下手じゃなくて、口を開くのも面倒くさいと思っているだけですよ、本来他人の事を口をきく何かとしか思っていないような奴ですよ、優しくするのもかいがいしく世話を焼こうとするのも、あなたに対してだけですよ、と……喉元まで出かかった言葉は飲みこんでおいた。
彼女は明るく、また強かった。
突然異なる世界に放り出された時も、元の世界に戻る術がないとわかった時にも、蒼褪めた顔で状況を受け入れようと耐えていた。
たぶん、この世界に馴染んでしまえば、彼女は友人以外の他の誰かの手を取る事もできただろう。
事実、彼女に言い寄って来た男も少なからず居た。
差し出された手の中で、彼女が友人の手を取ってくれたことを、とても嬉しく思っていたのだ。
友人の為に。
けれど。今彼女は……友人の妻だった人は居ない。
彼女を探すために友人は強引に許可を取り付け、本来住めないはずの保護区へ住居を移したのだ。
保護区の磁場が研究のヒントになるらしかった。
そうまでしても、彼女を探せるのか……探したいのかと問うことは出来なかった。
友人から欠落している日常生活のあれこれについて口を出すことしか出来なかった。
異世界からの客人。
それを自分がすんなり信じたのにはわけがある。
まず一つ目は、友人がそんな冗談や洒落を言う人間ではなかったこと。
そして二つ目は。自分が“異世界からの客人”の存在を以前から知っていたからだ。
正確に言えば、異世界からの客人の子孫が居ることを。
おとぎ話のような不思議な話だと初めて聞かされた時は思ったものだ。もう何代も世代が変わるほどの昔。
度重なる災害で己の界に住むことが出来なくなった彼らは、異世界へと旅立ち、そしてこの世界へ辿りついたのだという。彼らは、いつか自分たちが元の世界に帰る日まで、ここで暮らす事を許してほしいと言った。
その願いは聞き届けられ、異世界からの客人たちはこの世界の片隅でひっそり代を重ねている……と。
そして彼らの子孫の動向については、密かに把握されていた。
初めに願い出たとおり、この世界の人間として暮らしてくれていればいい。
けれど妙な考えを周りに吹き込んでもらっては困るのだと、とある筋から聞かされた。
あくまでこの世界の一員として扱われたいのなら、監視の目も受け入れろと言うことなのだろう。
彼らがどのようにしてこの世界にやってきて、そしてどのようにして帰ろうと言うのか、その方法についてはわからないままらしい。
彼らがそれについては明かさなかったのか、もしくはこちらでは理解できない概念だったのか。
わかっているのは。彼らの子孫で純血を保っているのはほんの数家族のみだという。
何家族もあったはずの彼らは代を重ねるごとにその数を減らしていった。
この世界の人間と婚姻し一族を離れるものが多く居たことと、一族内での婚姻を重ねた結果、子どもが生まれにくくなったことが原因だった。
こちらで代を重ね、元居た世界の事を直接知る者はいない。
それでもなお、帰りたいと思うのか……それが疑問だった。
それはもはや望郷などではなく、妄執とでも呼べるものではないだろうか。
その疑問に対する答えは、返ることがないと思っていた。
とても驚いたことに、異世界からの客人の子孫……それも純血の娘が自分の勤める大学に通っているという。彼ら一族の妄執とでも呼べる婚姻については聞いていたから、純血の娘が一族を離れて暮らしていることにも驚いたのだ。純血の子を残す事に異様に執着しているあの一族が若い娘を自由にさせているなどあり得なかった。
けれど、リン・リーフェイという名の娘の様子を見ていてわかったことだが、彼女はどうやら一族から逃れようとしているらしかった。
ごく普通の学生として暮らしている様子からは、他の世界へ行きたいと望んでいるようには少しも見えなかった。
代を重ねるにつれ、時間が経つにつれ。
直接故郷を知っている者もいない今、見た事もない故郷を望むものがどれくらいいるものだろう。
彼ら一族の大半がこの世界のものと婚姻しこの世界へ溶け込んでいくのは自然の成り行きだ。
代を重ねた末の彼らは、この世界こそが故郷である。
ふと思った。この娘なら、友人がしようとしていることについて、何と言うだろうか、と。
友人はユーリを残し、消えた妻を探しに旅立ってしまった。
友人のしようとしている事に気付き、止めようとしたが間に合わなかったのだ。
いや、引き留める事は出来なかっただろう。友人は何処までも自分の我を通す。
やれやれ、後の処理が大変だとため息をつきたい気分になったが、傍若無人な友人も流石に罪悪感は持ち合せていたのだろう。研究は完成させ、あるいは目途をたててあった。残されるユーリについても後を頼むと連絡があった……旅だった後を見越してか、時間指定の予約メールだった。
これまで散々迷惑をかけた自分に対する謝罪も感謝も、これからユーリの後見を務めることへの感謝もない。用件のみのそっけないそれは、実に友人らしかった……最後の最後まで。
最後に友人と言葉を交わしたのは、ハウスキーパーとして友人とユーリの面倒を見ていたリン・リーフェイだった。
異世界人の子孫である娘。
友人を引き留めたり翻意を促したりはしなかったのだろうかと、これからの後始末の面倒さを思い幾分恨みがましさをこめてリーフェイに言った。
自分がリン一族の事を知っていること。
そして何故確実に辿りつけるかも分からない、また帰るあてのない旅立ちに出た友人を見送ったのかと。
異世界の血を受け継ぐ娘は静かな目で言葉を紡いだ。
その言葉に自分がどれほど安堵したか……きっとリーフェイは知らないだろう。
薄々は気付いていた。
リーフェイと頻繁に連絡を取り合ううちに次第にその気持ちは育っていた。
ただそれを告げるのは躊躇われた。
年齢がいささか離れている事もあるし、リーフェイの事情もある。
まずは気の置けない友人のような関係を築いて、それから……と悠長な事を考えていたのが仇になった。
保護区を離れるやいなや、リーフェイは姿を消した。
あっけにとられるほど見事な逃げっぷりだった。その調子で一族を撒いてきたのだろう。
リン一族について情報を持つ心当たりにそれとなく尋ねてみても、リーフェイの行方はわからなかった。
どの糸も彼女に辿りつく前に切れていた。
それで諦めてしまえるなら簡単だ。けれど
自分は、これまで淡白な方だと思っていた。
どうしようもないことは仕方がないと流せてしまえる。動かしがたいことであれば忘れてしまえる。
リーフェイについても、自分の意志で身を隠したものを、わざわざ探し出すのは本意ではないだろう、と。
けれどどうしても忘れることができない。
これでは友人の執着ぶりを笑えないと肩を落とす。
そして……リーフェイはこの世界に居るのだ。
探し出す方法が全くないわけじゃ、ない。
友人は界を越えて妻を探しに行った。
同じ世界で生きている自分が、簡単に諦めていいはずが、なかった。
END
ご愛読ありがとうございました!




