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常闇の魔女  作者: 空色
第4章 常闇の魔女
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16



キルカは必死に森の中を駆けていた。

突き出した枝が頬や腕に小さな傷を作るが、そんなことに構っている暇はない。

背後からはガサガサと草を踏む音が聞こえ、追っ手がすぐそこまで迫っている事が分かる。

必死に手足を動かしながら、キルカは先程までのことを思い出していた。


白の部屋に取り残されたキルカ達は、第一騎士団の副団長のもと、出口を探していた筈だった。

水と風の魔力持ちである自分も、同僚達と共に空気の流れを探っていた。


そんな時、唐突に強い魔力を感じ、次いで酷い頭痛がキルカを襲った。

無理やり頭の中に魔力をねじ込まれ、強制的に服従を命じられるような感覚に必死に抗う。

流れ込んできた魔力は、どの属性とも異なる性質で、魔族が使うものに似ていた。


キルカは任務中で、ある程度気を張りつめていたからまだ良かった。

しかし、魔力に耐性の無い者や、感受性の高い者では一溜まりもなかっただろう。

ようやく頭痛が治まり、幾分かの気持ち悪さを抱えたまま顔を上げたキルカが見たものは、広大な森の姿だった。



「おい、あんた、大丈夫か?」

「は、はい」



唖然としていたキルカに、近くにいた騎士が頭を振りながら声をかけてくる。

それに何とか答えを返したキルカは、ふと思い出して周りを見渡した。

直前まで側に居たはずの同僚の姿が見あたらない。

だが、一際大きな樹の向こうにうずくまる見慣れたローブを見つけ、胸をなで下ろした。



「シャーリーン、大丈夫?」



同僚の肩に手を伸ばしかけたその時、急に後ろへ引っ張られる。

驚いて振り返ると、先程の騎士が険しい顔でキルカの腕を掴んでいた。



「あの……」

「待て、様子がおかしい」



騎士の言葉に、キルカは訝しげな表情を張り付けたまま、同僚に視線を戻した。



「シ、シャーリーン?」



突然立ち上がった同僚が、ゆっくりと顔を上げる。

普段はキラキラと感情豊かに煌めく彼女の茜色の瞳が、今は暗く底が見えない。

まるで硝子玉のような瞳に、キルカは肌を粟立たせた。


そんな中、シャーリーンが右手を掲げ、詠唱を始めた。

明らかな攻撃の魔術に、キルカは顔を青ざめさせた。

取り合えず防御の魔術を発動するため、自分も魔力を構成し始めたキルカだったが、突然背を押され詠唱を中断する。

慌てて振り返ると、騎士が剣を抜き構えている所だった。



「な、何を?」

「どうやら、彼女は錯乱しているらしい。ここは俺が何とかするから、あんたは助けを呼んできてくれ」



騎士の言葉に、キルカは戸惑いを隠せない。



「でも……」

「こんな木に囲まれた狭い中で、あんた達魔導師がやり合ったら不味い。それに、この森が本物とは限らないだろう」



騎士の言葉に、キルカははっとして目を瞠る。

確かに、転移の魔術の気配はしなかったのだから、ここがあの部屋の中である可能性も捨て切れない。

この森が幻影で、自分達がまだあの部屋の中に居るのだとすれば、近くの人達を巻き込みかねないだろう。



「いいから、早く行ってくれ!」



暫く悩む様子を見せていたキルカだったが、騎士に一つ頷くと身を翻して森の奥へと駆け出した。





***********





「だ、誰か……!」



乱れる息を整える余裕のないまま、キルカは必死に人を探して声を張り上げた。

程なくして、白の鎧を着込んだ騎士の姿を見つけ、ほっと安堵の息を付く。



「騎士様、どうか力を貸して下さい」



そう言って騎士に近づいたキルカだったが、彼が顔を上げた瞬間、ぎくりと体を強張らせた。

騎士の浮かべる表情が、錯乱してしまった同僚に良く似ていたからだ。

その場に固まり、動けなくなってしまったキルカをよそに、騎士はゆっくりと此方に近付いてくる。

緊張で口の中が乾き、耳の奥で響く鼓動がやけに大きく聞こえた。


騎士が右手を動かした瞬間、キルカは咄嗟に後退さった。

その前髪を、銀色に光る軌跡が掠め、キルカの薄い水色の髪を一房さらっていく。

一瞬、何が起こったのか分からなかったが、ぎこちない動きで騎士に目をやると、彼の右手には抜き身の剣が握られていた。



「ひっ!」



キルカの喉の奥で、潰された獣の鳴き声のような声が漏れた。

必死に地面をかきむしりながら立ち上がると、再びキルカは森の中へ飛び込んだ。


あれから、キルカは随分と長いこと走り続けている。

塔に辿り着くまでも、中に入った後も、ずっと動き通しだった体は既に限界を迎えていた。

補助の魔術をかけているとは言え、キルカは元来体力がある方ではない。

とうに、己の限界は越えてしまっていた。



「あっ!」



足が木の根に引っかかり、もつれた拍子に転んでしまう。

両手をついて上体を起こしたキルカの頭上を、暗い影が覆った。


息を呑んで振り返ると、騎士が抜き身の剣を手にしたまま、無言でこちらを見下ろしている。

キルカは必死に立ち上がろうとするが、限界を越えた足はちっとも言うことをきいてくれない。

極度の緊張でやけに神経は高ぶっているのに、ガクガクと笑う膝には一向に力が入らなかった。


それでも何とか己を叱咤して、キルカはずるずると後ずさった。

一歩一歩近付いてくる騎士に、恐怖と悲鳴が喉元までせり上がってくる。


今年魔術学校を卒業したばかりのキルカは、その才を認められてセルゼオン公の私兵となった。

だから、今まで本当の意味で死と隣り合わせである戦場に立ったことはなかったのだ。

自分や同僚達と力を合わせれば、どんなことにも対処できると高をくくっていた。


だが、実際はどうだろう。

多くの仲間とは離れ、共にいた同僚は訳の分からない魔力に踊らされ、自分は何一つ対応できずに逃げ惑うだけ。

授業で学び、理解したつもりでいて、戦というものを何も分かっていなかった。



(怖い! 怖い! 誰か、助けて!)



歯がガチガチと鳴る音が異様に響くが、そんなことを気にする余裕もない。

キルカの目の前に立った騎士は、躊躇なく剣を振り上げた。



(殺される!)



思わず固く目を閉じたキルカの耳に、重い打音が響いた。

そして、いくら待っても体を切り裂かれる鋭い痛みは襲って来ない。

キルカが恐る恐る瞳を開くと、見たことのない騎士が背中を此方に向けて立っていた。



「あー、思ったより吹っ飛んだけど、大丈夫だよなぁ」



新たに現れた騎士は、がしがしと頭を掻きながら小さくぼやいている。

目まぐるしい状況に唖然としていたキルカだったが、少し離れた場所に白亜の甲冑の姿を見つけた。

大木の幹に背をもたれたまま、気を失っているようだ。

目の前に立つ騎士へと視線を戻したキルカは、頭を掻く彼の手の甲がうっすらと赤くなっていることに気付いた。

察するに、騎士が甲冑の騎士を殴り飛ばしたのだろう。

自分も殴られるのだろうかと一瞬身を強張らせたが、深い緑の髪をした騎士がキルカを襲う様子はない。



(助かった……?)



気がゆるむと同時に、キルカの両目から大粒の涙が溢れ出す。

小さくしゃくりあげる音を拾ったのか、騎士が振り返り、キルカを見ると目を丸めた。

彼はキルカの前まで近付くと、徐にしゃがみ込んで顔を覗き込んでくる。



「おーい、あんた、そんなに泣くと目が溶けちまうぞ」



泣き止まないキルカに苦笑して、騎士はごそごそと己の懐を探り出す。

暫らくして、薄い灰色のハンカチを取り出すと、それをキルカの顔に押し当てた。



「あーあ、顔中ぐしゃぐしゃだな」

「うぷ」



くつくつと笑いを漏らしながら、彼は遠慮なしにキルカの顔を拭った。

そうしてハンカチに顔を埋めているうちに、段々と気持ちが落ち着いてくる。

キルカは騎士の腕ごとハンカチを掴むと、意を決して顔を上げた。



「あ、あの!」

「ん? どうかしたか?」

「騎士様、あなたにお願いがあります」



きょとんと目を丸める騎士に、キルカは今までの事の顛末を伝えた。

つっかえながらも事情を話すと、彼は快く力を貸すと申し出てくれた。

これでようやく同僚達を助けられると、キルカは喜び勇んでもと来た道を戻った。

だから、そのすぐ後に愕然と立ち尽くすことになろうとは、夢にも思わなかったのだ。





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