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腹部に巻きつく腕を解き、ユーリは一歩下がって背後を振り返る。
染めているのか、幻影の魔術を使っているのかは分からないが、見事に纏う色を変えた王が自分を見下ろしていた。
布の質は良いが、パッと見では街の巡回兵と変わらないような服を身につけている。
ただ、王とまでは分からないが、滲み出る雰囲気はやはり一般人とは異なっていた。
さしずめ、どこぞの貴族のお忍びといったところだろうか。
「それにしても、あなたわりと黒も似合うんですね。意外です」
ユーリはラズフィスの頭から、足の先までを眺める。
金糸と翠の組み合わせは実に華やかで、あまりに彼に似合っているために他の色を想像したことはなかった。
だが、黒髪黒目というのも、普段から比べれば些か地味ではあるが、洗練された印象を受ける。
自分も変装する時、色を変えてみようかと考えていたユーリは、ふとあることを思い出し首を傾げた。
「そう言えば、私が街に居るってよく分かりましたね。誰にも言っていなかったのに」
「……あー、まぁ、な」
疑問を乗せてラズフィスを見上げると、彼はある一点に視線を移し、気まずそうに顔を背けた。
ラズフィスの視線を辿ったユーリは、途端に顔を顰める。
彼が見ていたのは自分の右腕、そしてそこに嵌められているのは金の腕輪だ。
「あぁ、そうでした。私、探索魔法掛けられてるようなものでしたね。あまりに馴染みすぎて忘れてましたよ」
「……いや、その、すまない」
幾ばくかの嫌味も交えて溜め息を付くと、ラズフィスは小さく謝りながら肩を落とした。
「屋敷中捜してもお前の気配がないから、気になってな。言っておくが、実際にそれを利用したのは今回が初めてだ」
「当たり前でしょう。こんなのしょっちゅう使って私の人権侵害するような人なら軽蔑します」
ユーリが半目で見上げると、彼は少し困ったような顔をして笑う。
目を伏せ、ゆっくりと手を伸ばすと、ユーリの右腕を持ち上げる。
ラズフィスは金の台座に収まる守り石にそっと指をそわせ、静かに息を吐いた。
「悪いな、まだ外してやれなくて」
「仕方がないですから、気長に待ちます。城を出るまでに外してくれれば良いですよ」
苦笑しながら、ユーリはラズフィスの手から自分の腕を引く。
踵を返して数歩進めた後、思い出したように背後を振り返る。
「そうそう、あなた、少し時間あります?」
「領主の自慢話を聞く以外に、仕事という仕事はない」
ラズフィスは肩を竦めて見せ、遠い目をした。
彼は昨晩から、領主に呼ばれて夕食に同席していたはずだ。
暫し同情の視線を送っていたユーリは、小首を傾げて考え込むと、良いことを思いついて一人頷く。
「なら、せっかく街に来たんですから、ちょっと買い物に付き合ってください」
「何か欲しい物でもあるのか?」
「参考に、あなたの意見が欲しいですね」
再び歩き出したユーリの隣に並び、ラズフィスは興味深げに尋ねる。
基本的に、彼女は物を欲しがらない。
衣服や装飾品を送ったことはあるが、無駄なことに金を使うなと呆れたように諌められた。
野菜や薬草、魔法薬の材料ならば喜ぶだろうが、それならば彼女は自分の意見などいらないだろう。
よほど不思議そうな表情をしていたのか、ユーリはラズフィスの顔を覗き込むと、楽しそうに笑った。
「妹君へのお土産探し、手伝ってくださいな」
*************
そもそもの発端は、ユーリがクリスティーナに今回の遠征の話をしたことだった。
彼女は、親しいもの達が西へ行く間、一人残されることに不満を漏らした。
臍を曲げてしまった彼女の機嫌を取り、宥め、帰ってきたらすぐに茶会をすることを約束した。
そして、その時に土産を渡すとになったのだ。
だが、彼女は特殊な事情でユーリと友人関係にあるが、一国の王族なのだ。
そんな人物に贈り物をする経験など、当然のことながらあるわけがない。
身の回りのものは全て一流品、口にするものは最高の料理人が作った食事だ。
自分の購入できる範囲で彼女に渡せるものなど、一つもないと声を大にして叫べる。
頭を抱えてしまったユーリに、クリスティーナは微笑を浮かべて言った。
兄に見繕ってもらえば良い、と。
確かに、ラズフィスならば、クリスティーナに何度も贈り物をしているだろう。
妹を大切にしている彼ならば、彼女の好みも熟知しているはずだ。
しかし、彼女の兄は曲りなりにも一国の王である。
そう簡単に、街に出かけて買い物につき合わせて良い人間ではない。
クリスティーナの意見は聞かなかったことにして、ユーリは一人で何とか買い物を遂行することに決めた。
(……はずだったんですけどね)
大量の縫いぐるみと女の子達に囲まれた中で、ユーリはひっそりと溜め息をついた。
王妹殿下は実は可愛いものが好きで、気に入った縫いぐるみを抱いて眠る癖があるとの情報を元に土産を決めた。
縫いぐるみならば、肌触りと抱き心地が良ければ、値が張るものでなくても及第点をもらえるだろう。
西部は綿や繊維の加工が盛んで、それに関連した職人も集まっている。
この地方の収入の大半は、繊維業で賄われているようなものなのだ。
その一環として、最近縫いぐるみ等の作成にも手を広げおり、それが土産として人気を博している。
現にユーリが入ったこの店も、たくさんの人で溢れていた。
そんな中にラズフィスをつれて入るわけにも行かず、彼には店の外で待ってもらうことにした。
自国の王を待たせるという心苦しい状況だが、仕方のないことだろう。
なるべく早く土産を決めてしまうことにして、ユーリは目の前の縫いぐるみの山に向き合った。
ユーリはやや大きめの一体を手に取り、その感触を確かめる。
ふわふわの毛は柔らかく、つぶらなビーズの瞳が顔の端で煌いていた。
毛の長い兎を模した縫いぐるみは、この店の人気商品であるらしい。
濃い目のブルーグレーに真っ黒の瞳、大きな垂れ耳の種は、この地方特有の固体だった。
抱き心地も申し分なく、ユーリはクリスティーナへの土産にすることを決めた。
*************
縫いぐるみを丁寧に包んでもらい、魔法袋の中にしまう。
賑わう店から出て、ユーリは辺りを見渡した。
反射的に、キラキラと輝く金糸を捜し、そう言えば今日の彼は自分と同じ色をしていたのだと思い出す。
この世に二つとない色であるはずなのに、いつの間にか側にあることに慣れてしまっていた自分に気付く。
苦笑しながらラズフィスの姿を捜すと、噴水の前に設置された長椅子にその姿を見つけた。
彼は噴水の周りの広場で遊ぶ子供や、話に華を咲かせる婦人達、思い思いに寛ぐ人々を、目を細めて眺めていた。
ラズフィスの、今は黒の瞳に慈しみの色が溢れていた。
まさに、この風景は彼の愛する国の姿なのだろう。
ラズフィスが、この先、彼の生涯を通して護っていくべきものだ。
そして、彼をそんな立場に導いたのは、他でもないユーリだ。
王になることは、ラズフィス自身が望んだことではあるが、あの時の彼はまだ幼い子供だった。
父の後を継ぐ以外の未来など、考えもつかなかったはずだ。
そんな彼から、自分は王となる以外の選択肢を奪ってしまった。
あの時、ラズフィスを助けてあげたいと思ったのも本当だ。
だが、暴走する危険のあった魔力も、どうにかしなければならないと思っていたのも確かだ。
今思えば、数年すれば成長した彼の体に合わせ、次第に馴染んでいく可能性もあった。
そうすれば、彼の魔力に対する制限は外れず、魔術は使えずともただの王族として、比較的自由に過ごすこともできたはずだ。
しかし、ユーリが手を貸したことで、ラズフィスは魔力を制御することを覚えて王となった。
自分の考えが足りなかったばかりに、ラズフィスの未来を狭めたのだ。
どれほど時を重ねても、そうして間違う自分が嫌になる。
もともと、深く考えるのは疲れるし、面倒だし、苦手なのだ。
(だから嫌だったんです、人と関わるの)
関わる人間が重要であればあるほど、影響を及ぼす範囲は大きくなる。
バタフライ・エフェクトと、かつて師である老人が言っていた事を思い出した。
自分の行動一つで、たくさんの未来に影響が出るなと考えたくもない。
(あんな思いをするのは、もう嫌だ)
頭を過るのは、焼け焦げた大地と、錆びついた臭い。
背筋を走る悪寒に、ユーリはぶるりと体を震わせた。
目を瞑り、きつく奥歯を噛み締める。
ゆっくりと開いた目に飛び込んできたのは、なんとも長閑な光景で、ユーリはほっと息を吐き出した。
朗らかに響く笑い声に、ようやく暖かな光りを感じて肩の力を抜く。
そう言えば、久しぶりに昔のことを思い出した。
誘拐事件から、王城でのラズフィスとの再会など、色々と目まぐるしく状況が変わったものだから、物思いに沈む暇すらなかった。
いつの間にか、自分の周りには国に関わるたくさんの重要人物が集まってしまった。
あれだけ、歴史に関わるのは避けようと思っていたのに。
ラズフィスが、何食わぬ顔でユーリの境界線を越えてくるものだから、時々忘れてしまいそうになる。
近しい距離に、いつの間にか慣れて絆されてしまう。
今だって、失礼な探索魔法のような腕輪を、甘んじてつけておいてあげるくらいには彼に気を許している。
よくよく思い出してみれば、幼い頃の彼も軽々と線を飛び越えてこちら側に来ていたっけ。
放っておいても良かったのに、助けてあげようかと思うくらいには、情が移ってしまっていた。
(あー、帰りたい)
色々と考えたせいか、何だかとてつもなく疲れてしまった。
やはり、自分はあの森の奥でひっそり暮らす方が性に合っている。
遠征から戻ったら、ラズフィスにいつ帰れるか確認しようと心に決め、ユーリは小さく溜め息をついた。
 




