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常闇の魔女  作者: 空色
第2章 仮面の薬師
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翌日、クリスティーナは見事に熱をぶり返した。

ただ、今回はぼんやりとしつつも意識があったものだから、ルースの看病には驚かされた。

ひんやりとした掌で熱を測られるのは心地よかったしまだ分かる。


でも、汗をかいたからといって服を脱がされ、体を清められそうになったときは流石に焦った。

侍女の手で着替えなどの世話をされることはあるが、会って間もない他人に肌を晒すなど考えられない。

体に毛布を巻きつけてクリスティーナが睨みつけると、ルースは「安心しなよ、興味ないから。」と肩を竦めた。

何だかいまいち釈然としないまま自分で身を清め、服を着替える時に少しだけルースの手を借りた。


そして、極めつけの拷問はルースの薬だった。

初め、そのとんでもなく苦くて、まずい薬を口に入れた瞬間、クリスティーナは思わず咽込んだ。

今までも何度か薬を飲んだことはあるが、こんなに苦くてえぐい薬は初めてだった。


ルースに訴えると、普段は薬を調合する際に、味を調えて飲みやすくしているとのことだった。

だが、あいにくそれら調味用の品は持ち歩いておらず、自宅にしか置いてないのだとか。

それにしたって、あまりにも不味すぎる。


内服を拒否したクリスティーナだったが、あろう事かルースは片手で彼女の口を固定し、無理やり薬を流し込んできたのだ。

必死に首を振ろうとしたがびくともせず、結局泣きながら全てを飲み干した。

その涙ぐましい拷問の日々のかいあってか、徐々にクリスティーナの体調は改善した。

数日経った今では、自分の身の回りの事は自分でできるまでに回復している。

食事も体の回復に伴って、重湯から柔らかく煮た食事をへて、ようやく普通の物を口にできるようになった。


そうは言っても、ルースが部屋の外から持って来させたもので、最初は味覚の肥えたクリスティーナの舌に合わなかった。

無駄に味が濃くて、そのくせ旨みがまったく感じられないのだ。

普段口にしているものとは比べ物にならない料理に殆ど食がすすまない。

なかなか食事に手を付けようとしないクリスティーナに、ルースは彼女を一瞥して言った。



「なんだったら、薬と同じようにして食べさせてあげようか」



その一言で、クリスティーナが死に物狂いで食事を摂るようになったのは言うまでもない。








*************







(やっぱり、この人は人間の皮を被った悪魔なんだわ)



クリスティーナは心の中で叫びながら、涙目で目の前の物体を睨みつける。

彼女の前にあるのは、一杯の水が入ったコップと、白い粉が包まれた薬包紙。

今、まさに、例の拷問の時間である。

窺うようにクリスティーナは視線を上げるが、冷めた一対の黒曜に見下ろされる。

ぎゅっと両手を握り、彼女は再び薬に目を移す。



「あの、ルース。わたくし、もう熱も下がりましたし、薬はいらないと思うの」

「数日前、そんなことを言ってて具合悪くしたの、どこの誰?」

「……う、でも、あれからずっと薬を飲んでるし、きっともう大丈夫だわ」

「いい加減に諦めれば? それ、飲まないと片付かないんだけど」



不機嫌なルースの口調に、クリスティーナは唇を尖らせる。

そんな風に言っているが、実際に食器を片付けるのはルースではなく自分達を監視している人間だ。

なにせ、クリスティーナもルースも、排泄の時以外はこの部屋を出ることは適わない。

自分達の世界は、この狭い閉鎖空間のみなのだ。

只でさえ不安で一杯なのに、特殊な環境に置かれていることが、クリスティーナの気分を落ち込ませた。



「少しくらい優しくしてくれても良いのに」



小さく文句を言うと、仮面の奥にある瞳が細められる。



「何か言った?」

「言ってないわ!」

「そう。で、覚悟は決まったの」

「……分かったわよ、飲めば良いんでしょう」



クリスティーナは半ば叫ぶように答え、コップと薬包紙を掴む。

口に入れる前に一瞬躊躇するが、目を瞑って一気に流し込んだ。

途端に口内に広がる、なんとも言えない青臭さとえぐみに、クリスティーナは口を押さえて涙目になる。

そうしていなければ、はしたなくも薬を吐き出してしまいそうだった。


何とか苦心して薬を飲み込み、コップに残っていた水を飲み干す。

荒く息をしながら、体を震わせていたクリスティーナだったが、目の前が翳ったため顔を上げる。

いつの間にか近くに来ていたルースが、彼女の前にしゃがみ込んだ。



「手、出して」



今度は一体何をさせる気かと、クリスティーナは訝しむ。

だが、そのまま動かないルースに、しぶしぶ右手を差し出した。

手を引かれ、掌に乗せられたのは、2個の茶色い実だった。



「レカシュ?」

「ここに来る前に買ったものだけど、保存の魔術かけてあるから腐ってはいないんじゃない」



クリスティーナにレカシュを渡すと、ルースは定位置となった部屋の隅に腰を下ろした。

それをぼんやりと見送ってから、彼女は自分の手の中にある実に目を向ける。

レカシュは、クリスティーナの大好きな果物の一つだ。

元来、彼女は果物の類が好物だったが、この監禁生活では一度もお目にかかれていなかった。

掌から伝わるひんやりとした冷たさに、思わず唾を飲み込む。



「わたくしが食べてしまっても良いの?」

「僕はいらない。それよりも、食べ方分かるわけ?」

「失礼ね、それくらい分かるわ」



馬鹿にされているようで、クリスティーナは頬を膨らませながらレカシュに視線を戻す。

節に指を当てて力を入れると、殻は簡単にひびが入った。

どうやら、凍ってはいないらしい。


殻を割ると、ほど良く冷やされた白い実が転がり出してきた。

そのまま口へ放り込むと、甘いレカシュの果汁が口の中に広がる。

クリスティーナの顔に、自然と笑みが浮かんだ。


残りの1つも食べ終え、至福の時を過ごしていた彼女はふとルースへ視線を向ける。

そして、ルースの顔を見たクリスティーナは思わず動きを止めた。

ルースは軽く目を見開き、彼女を凝視している。

数日間共に過ごしてきたが、ルースが不機嫌さや彼女を馬鹿にする以外で、これほど分かりやすい表情を表したのは初めてだった。

クリスティーナは己の体を確認し、次いで後ろを振り返る。

しかし、ルースが驚くような変化はなく、彼女は首を傾げた。



「あの、わたくし、何かおかしなところがあったかしら」

「いや、ちょっとね」



ルースは何度か瞬くと、すぐにいつもの無表情に戻ってしまった。

立ち上がってクリスティーナの方に近づき、空になったコップを掴む。

コップの中に殻を捨てるよう促され、慌ててその中に放る。


ルースはそのまま扉へと向かい、外に向けて声をかけた。

すぐに戸が開き、その隙間から一本腕が伸びてくると、ルースの手からコップを奪って消える。

激しい音を立てて扉を閉めたその人物は、鍵をかけてどこかへ行ってしまったようだ。

遠ざかっていく足音に溜め息をつき、ルースは元いた場所へ戻った。


座り込み、顔を上げたルースに、クリスティーナは物問いたげな視線を送る。

あんな風に曖昧にされるのは、気分的に気持ちが良いものではない。

彼女の視線に気付いたらしく、ルースは面倒くさそうに肩を竦めた。



「別に、たいした事じゃない」

「でも、気になるわ」

「……君みたいなお嬢様は、レカシュの殻なんで剥いたことないと思ってたから、意外だっただけだよ」



確かに、それなりの貴族の家庭であれば、食事を摂るのに自分の手間をかけることは少ないだろう。

ルースが想像したように、普段クリスティーナのもとに出されるレカシュは、殻が剥かれすぐに食べられる状態となっている。

実際、昔は自分もレカシュに殻があるだなんで知らなかった。

それを知ることとなったのは、数年前のある昼下がりのことだった。








*************







その日、昼食のデザートとしてレカシュが出された。

クリスティーナは喜んだが、いまいち食べ足りず、こっそりと厨房に赴いた。

今までも時々そうして隠れて厨房に通っていたため、若い料理人は苦笑しながらレカシュの入った小袋を彼女に分けてくれた。


自室へ戻ったクリスティーナは、早速小袋を開けたが中に入っている物を見て驚いた。

レカシュの実が入っているとばかり思っていたのに、袋から転がり出てきたのは硬い殻に覆われた茶色の実だったからだ。

きっと、厨房の料理人が間違えて違う袋を渡したのだろう。

机の上に転がった実を見つめ、クリスティーナは肩を落とした。



「そんなにしょげて、どうかしたのか? クリス」

「お兄様!」



背後から声をかけられ、クリスティーナは慌てて振り返った。

彼女の兄は常日頃忙しくしており、滅多に執務室を出てくることはない。

嬉しさに顔を綻ばせたクリスティーナだったが、机の上に転がる物を思い出して顔を引き攣らせた。

そんな彼女の様子に、兄は不思議そうな顔をする。



「ずいぶんと落ち込んでいたようだな。侍女に声をかけてもらったが、返答がないと困惑していたぞ」



ばつの悪い思いをしながら、クリスティーナは兄に事の顛末を話す。

勝手に抜け出して、厨房に行っていたことを叱られるかと思ったが、兄は感慨深そうに茶色の実を眺めた。

机に散らばる一つを手に取り、目を細める。



「さすが兄妹と言うべきか。私も初めてこれを見た時は、レカシュであると信じられなかったものだ」

「でも、お兄様。本当にこれがレカシュなのですか? こんな硬くて茶色いもの、食べられそうにないわ」

「まあ、見ていろ」



疑り深く茶色の実を見ていると、兄は小さく笑う。

彼は己の手の中にあった実の、節の部分に少し力を入れた。

パキリと乾いた音が鳴り、馴染んだ甘い香りがクリスティーナの鼻をくすぐる。

兄が殻を外すと、中から出てきたのは紛うことなく、彼女の知るレカシュだった。



「すごい、本当にレカシュだったのですね」



口に入れると果汁が広がり、先程まで落ち込んでいた分、幸せな気持ちになった。

レカシュに殻があることも、その剥き方も、誰も教えてはくれなかった。

成人前から父の仕事を受け継ぎ、大人に混じって執務をこなしていた兄は、クリスティーナの知らないことをたくさん知っている。



「やっぱり、お兄様は何でもご存知ね」



顔を輝かせ尊敬の眼差しで兄を見上げると、彼は苦笑してクリスティーナの頭を撫ぜた。



「私も、幼い頃にある人から教わったのだ」

「それは、わたくしの知っている方ですか?」

「いや……、知らないだろうな。クリスの産まれる、ずっと前のことだ」



そう言って、兄は静かに眼を伏せる。

何を思い出しているのか、己と同じ翠の瞳が揺らぐ。

その切なげな表情に、クリスティーナはは思わず息を呑んだ。

だが、直ぐに視線を上げた兄は、普段どおりの穏やかな笑みに戻っていた。








*************







(お兄様、今頃どうなさっているかしら)



忙しい人ではあるが、そんな中でもクリスティーナを何かと気にかけてくれる兄だ。

抜け出したまま行方知れずになった自分を、きっと心配しているだろう。



(魔術が使えれば、すぐにでもお知らせするのに)



クリスティーナも魔力持ちの端くれとして、魔術を扱うことができる。

今まで教わってきた魔術の中に、自分の位置を相手に知らせるという術もあった。

体力が回復した頃から、何度か試していたが魔力を発動すると、途端に霧散してしまうのだ。

恐らく、魔力封じの術がかけられているのだろう。

一度術を解こうとしてみたが、クリスティーナの見たことがない、複雑な構成となっていて途中で諦めてしまった。


ルースに相談してみようとも思ったこともある。

前に、魔法薬も作ると言っていたからには、魔術の心得があるはずだ。

そこまで考えて、クリスティーナは考え直す。


黒の瞳から想像するに、ルースは魔女の末裔なのだろう。

もし魔力封じの解除方法が分かったとしても、僅かな魔力しか持たない末裔は、術に込められた強い魔力を扱うのは難しいかもしれない。

八方塞がりな状況に、クリスティーナは溜め息をつく。



(お兄様、わたくし、負けずに頑張ります)



クリスティーナは祈るように胸の前で手を組み、静かに目を伏せる。

落日の赤く染まった光りが、室内を染め上げていた。








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