第九話 命を狙う者
四〇一号室
病室で明鏡が昼食を摂っていると、スマホの着信音が鳴り出した。
「小林くん? ——もしもし、朱鷺谷です」
電話の主はR産業監査課職員の小林であり、明鏡の協力者である。
「先生、怪我の具合はどうですか?」
「これはご心配を。来週にはギブスを外せるらしいですよ?」
「それは良かったですね」
「こりゃどうも」
「ところで、ちょっと先生のお耳に入れておきたいお話があるのですが?」
「ほう、何かな?」
「あっ、いけない! 先生、今、食事中とか?」
「まぁ、そうだけど……いいよ話してみて」
「そうですか? では……」
「あっ、いや、ごめん! 一〇分後にかけ直そうかな?」
「了解です。それでは後ほど」
明鏡は食べかけの食事をパパッと済ませ、ひとり車椅子で談話エリアへと向かった。
談話エリア
「そちらの休憩時間を聞かずに掛け直してしまいましたが、今は大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。今、明智監査役が傍に見えて、先生とお話したそうにされていますのでお代わりします!」
「先生、どうもご無沙汰しております」
「その節はお世話になりました」
「先生、ここだけの話なんですが、会長が亡くなられたと昨日の臨時役員会で報告がありまして……ただ、死亡についてはしばらく伏せたままにすると社長から話がありましてね」
「ええ、それってどう言うことなんですか?」
「まぁ会長であり、筆頭株主であられたからね。R産業内部の勢力図も変わりかねない由々しき状態ですから、息子である社長にとっては時間が必要なんですかね?」
「そんな感じなんですね」
「ええ」
「それでですが明智さん」
「はい、また改まって何ですか?」
「会長の肺がんについてなんですが?」
「えっ、肺がんだったことをご存知なんですか? そのことは、近しい親族と私くらいしか知らないと思っていましたが?」
「いやいや、会長が入院をしていたSケ崎総合病院に私も入院をしていまして」
「それでもよく会長が入院していることがお分かりに? 極秘入院と聞いていましたから……やはり推理の天才・止水明鏡先生だ、お見それいたしました」
「いやぁ、そんなおおげさな。たまたまですよ」
「たまたま?」
「そう、たまたま会長が命を狙われていることを小耳に挟みまして、会長と面会していたと言う訳です」
「殺人予告、ですか?」
「ええ、まぁ」
「じゃあ、死亡したのは……」
「いや、それはなんとも言えませんが……その可能性も若干あるかも知れませんが、おそらく別の要因かと」
「別の要因、ですか?」
「この病院には隠された何かがある、そう感じてならないのです。ですから会長と親交の深い明智監査役なら、何か有用な情報をお知りかと思いまして」
「そうですね……二月前、会長から聞かされていたのは、肺がんがステージ3であることと、何もしなければ余命はあと半年と診断を受けていたことくらいです。あっ、そうそう、一月くらい前にSケ崎に治療先を移し、入院治療を予定していると話していた。そこにはがん治療の名医がいるらしく、その医師が治療を担当すると話されていたよ」
「沼田医師ですよね?」
「その名医が沼田なんだね?」
「ええまぁ」
「いやいや、名前までは聞いていなかったものでね。そうだ、ネット内での医師紹介では凄腕の術を使うらしく、これまでの治療不能な患者レベルでも、ただの一ヶ月でがん細胞を根絶やしにできる術を使うらしいのです。通常、根治は三年から五年と言われていますが、その医師の治療では一カ月を無事に過ごせたら、ほぼ再発はないとホームページで書かれていましたよ!」
「なるほど。と言うことは、会長は治療開始後一カ月を超えていなかったと言う訳ですか?」
「そう言うことになりますかな?」
「つまり、会長は必要な治療を終えて、経過観察中であったが、急に体調が悪化し心肺停止をしたと見るのが無難。そして復調していた筈の会長が、なぜ、心肺停止となってしまったのか? 会長が元々心臓病の既往病があるのであれば、心肺停止となるのも頷けるが、その心肺停止が起こった原因が見えてこない」
「先生……その先は深い闇なのかも知れませんよ」
「深い闇……ですか……」
「Sケ崎総合病院のがん治療病棟の専門医の経歴をある筋から聞いているのですが、どうやら赴任する前は、とある病理学研究所で所長をしていた人物らしいんです」
「つまり沼田医師は研究医と?」
「そう、今は研究医も二種類あって、彼は病理学の研究を仕事にする基礎研究医の方らしいんです」
「そうなると臨床医として医療現場にいるのはなぜなのか? 謎ですね?」
「まあ、基礎研究医が病院で患者を診ることに異議を唱えると言うよりは、その裏に隠された何かがあるのではないかと思いましてね」
「監査役は推理探偵みたいな物言いしますね」
「あっ、いやいや、先生を差し置いてそんなことを宣うことはございませんが、そうは思われませんか?」
「そうですね、思うと言うよりは、感じますね、ヒリヒリと」
「先生、今回の謎解きはR産業内で起きたような特許問題や勢力争い、或いはM&Aなどとは違い、がん治療という人の生死に直接関わる謎解きに迫られることになりますから、十分にお気をつけください」
「ご心配をおかけします。そうですね、UD4とはいったいどんな薬品なのか、心肺停止の原因、主治医が基礎研究医である理由、それらを含め医療現場の裏に隠された深い闇を見極めて参ります」
この先に隠された真実を明らかにせよと、私の心のアラートは鳴り止まない。
再び四〇一号室
「ちょっとお兄さん、いらっしゃる?」
親方の妻である通称・婦人が朱鷺谷を訪ねてきて、カーテン越しに呼びかけた。
聞き覚えのある声に、
「はい、どうぞ」
と私は返事をした。
すると婦人は、カーテンをそっと開けた。
「お休みのところすまないね」
そんな気遣いに私は、
「休むこと以外はしてませんから、どうかお気になさらずに」
と洒落た。
「ふふふ、やっぱりあんた、面白いね」
私は戯けてるつもりもなかったが、
「面白くて何よりです」
と小粋に笑みを返した。
「ほんと気さくな方だねぇ」
と婦人も笑みを溢した。
「ところで、今日はどうされたのですか?」
と何の気なしに婦人が右手に持っていた紙袋に視線を落とす。
その視線に呼応するように婦人が紙袋ごと私に差し出した。
「これを……」
私が紙袋からしわまるけの印刷物を取り出した時、婦人から注釈が入る。
「これはね、三〇三号特別室から出たゴミの中にあったものさ」
「これが……?」
「前回の殺人未遂事件もあって、しばらく特別室は立ち入り禁止だったんだがね、今日になって解除されたって訳さ」
「それで……」
「それで私が掃除をすることになったんだがね、そのゴミの中に病状説明書って文字が見えてしまってね、つい拾い出したって訳さ」
「ちょっと、これは……」
「そうだよ。会長さんは肺がんがもう治っていたはずなのに、突然死んじまったんだ」
「ステージ3からここの入院治療を受け、がん細胞がほぼ消滅した状態にまで回復していた矢先のことだった……やはり思ったとおりがん治療は順調だった! 一カ月を超えられるかどうかの瀬戸際にいたんだ! だから沼田医師は急変した会長の命が助からないと判断し、救命処置を取らなかった」
「そうなのかい?」
「ええ、沼田医師の判断は命の尊さを重んじる臨床医の判断とは違い、治療開始からの時間経過だけを重んじた基礎研究医のそれだ」
婦人が私の目の前に詰め寄るように近づき、こう話した。
「じゃあがん細胞は消滅していなかった、沼田は嘘をついたのかい?」
「嘘をついたのかはわかりません。しかし、少なくとも会長は沼田医師からの説明で、完治したと実感できる体調改善を認めていたようです。となると考えられるのは、がん治療が上手くいっていなかったと言うよりは、抗がん剤の効果が強すぎた、或いは何か別の理由があるのかも知れない……そう考えるべきでしょう」
「流石だね、あとは医師に吐かせちゃえば解決だね」
「いや、それだけでは医師に真実を語らせることはできない」
「まだ、何かあるのかい」
「ええ、まだ違和感が残ることが幾つかあります」
「えらいことだねぇ」
私が咀嚼できない部分は次のとおりだ。
会長は経済界に多大なる影響を与える重鎮であるにも関わらず、なぜ死去の報道を関係者らが伏せようとするのか?
それに遺族はがん完治をおそらく会長から聞いていたはず。なら、急変について病院への抗議をしたのかどうか?
抗議をしていないのなら、何か治療に対する事前のリスク説明があったのかも知れないが、それがなんだったのか?
また、直接死因には関係ないが、会長がご子息である一之瀬総司社長の解任案を、なぜ役員会で秤にかけたのか?
そして私の命を狙っているのは……いったい誰なのか。




