第七話 潰えた証言
がん治療病棟 三三〇号特別室
「コンコン」
「朱鷺谷です。失礼します」
あの事件以来の面会で会った。
「会長?」
おいおい、ちょっと待てよ!
これヤバい状況じゃないの?
心臓停止してるじゃないか。
私は緊急呼出ブザーを押したあと、部屋から出て、廊下を歩いていた医師を呼び止めた。
「先生! 中で心臓が……止まってる!」
「えっ、ここは会長さんのへやだよねぇ?」
「はい、そうなんです」
ふたりは慌ててブザーが鳴り響く病室へ飛び込んだ。
「ああ、いかんいかん」
となりふり構わずその医師は心臓マッサージを開始した。
駆けつけた看護婦は、医師から電気ショックの指示を受け、慌てて病室を飛び出した。
そのあと病室に入ってきた医師は主治医であるらしく、マッサージを続ける医師の肩を触り、首を横に振った。
手を止めた医師に明鏡は、
「なぜ簡単に諦めるんですか?!」
と医師の間に入り声を上げた。
主治医は明鏡を嘲笑うかのように、
「キミに何がわかるのだね?」
と興奮気味に睨みつけた私の視線を、表情一つ変えず、サラリと交わした。
「沼田先生、彼の言うとおり最善を尽くすべきでは……」
と蘇生を行っていた医師も抗議するように投げ返したが、まったく聞き入れる様子もなく、ただこう言ったのだ。
「私は沼田だ」
そう言い残し、結奈沼田は部屋を出て行った。
明鏡は呆れて言葉が出てこないその間に、看護師が持って来た電気ショックの電圧を高めた。
そして医師は気合いを入れ直した。
「戻ってこーい!」
しかしてこの医師の努力むなしく、一之瀬会長は天に召された。
その日の夕方の四〇一号室
明鏡がリハビリから車椅子で戻ると、カーテンの隙間から新聞を見ながら顔を歪める親方の姿が目に映り込んだ。
「親方、なんか険しい表情されてますが、何かありましたか?」
「おお、兄ちゃん戻ったか。ちょっとおかしな記事を見つけてよ、ここなんじゃが……」
親方から見せられた新聞記事に、私は強い違和感を感じた。
「R産業株式会社の筆頭株で会長職の一之瀬富士男氏が、昨日行われた臨時株主総会で代表取締役社長であり実子長男一之瀬総司氏の社長解任を要求? 関係者の間では富士男氏が社長職に復帰? どうして死に際にいた会長が……そんな社長解任を?」
「さっき兄ちゃんから聞いた会長が亡くなった話からしてよ、こりゃ死に際にある者がする沙汰じゃねぇ」
と親方の的を得た見解を聞かされたことで、私はハッと何かに気づいた。
「そうなんですよ。会長は死期を待っていた状況下にはなかったんです。いや、むしろ癌治療は上手く行っていたんじゃないのか?」
「じゃがお前さんの話で主治医は、会長の心肺停止に際して、何もしようとはしなかったんじゃろ?」
「そうなんです。そこなんです。引っかかり続けているのは。あの場面では沼田主治医の医師としての資質を疑ったんですが……しかし何かが根本的に違うような気がして来ました」
「兄ちゃん、また何かやるんなら協力させてもらうぜ」
「ありがとうございます。そうですね、また声かけます」
この沼田主治医に対する私の印象は、尊敬に値するようなものではなかった。
何かに取り憑かれたようなその陰気で怪しげな雰囲気が滲み出ているが、この病院では癌治療の名医として患者やその家族、医療従事者の間でも信任を得ているのだ。
まったく解せない話に思える。
少し間を置き、親方が声をかけた。
「そういや兄ちゃん、あんたの助手のお嬢ちゃんは今日は来るのかい?」
「神楽のことですか?」
と聞き返した瞬間、
「こんにちは」
と神楽が病室に入ってきた。
「驚いた! えらいタイミングじゃねえか」
「えっ、何か?」
「ちょっと待ってな」
と親方は何かを探したあと、神楽にこう聞いた。
「これはお嬢ちゃんのもんじゃねえか?」
「これは……どこで?」
それは神楽がどこかで落としてしまっていた止水明鏡のサインが裏に書かれた小説『碧の残響』であった。
「さっきよ、医事課の職員が届けてくれたんじゃ。ちょうど兄ちゃんがリハビリ行ってたからな、預けられてな」
「良かった。でもこれがどうして私のだとわかったのかしら?」
私はふざけて口を挟んだ。
「小説に名前でも書いておいたんじゃないのか?」
神楽は慌てて切り返す。
「そんな訳ないでしょ!」
親方が思い出したかのように呟いた。
「なんかな、夜間窓口のアルバイトさんが見つけたとか……言うとったな」
「夜間窓口? あっ、そうか受付で退出時間を名前書く時に手荷物をカウンターに一度置いたんだわ……それでカバンは持って出たけど、小説を置き忘れたのね」
私はその時の様子について、小説を手にして喜んでいた神楽に投げかけてみた。
「年若い男の人だったわ。窓口に近いところでパソコンを見ていたわ。人影に気づいたのかチラッとこっちを向いたあとは、またパソコンを見ていたわ」
「なるほどな……」
「ねぇ、なるほどなって何かわかったの?」
神楽が前のめり気味に、車椅子に座る僕に顔を近づけて問いかけた。
「そのバイトさんはパソコンを見つつも、一瞬キミを見たあとまたパチンコを見たんだよね?」
「そうよ、そうだけどそれで何がわかるのかしら?」
すると親方がこう切り出した。
「お嬢ちゃんはベッピンさんだから、恐らくなその男の子はお嬢ちゃん見てドキッとしたと思うね。そんでさ、受付帳を確認したのさ、どんな患者さんの見舞いなのかって想像するわけだ」
「それ、なんかいやらしい感じがします」
と神楽は牽制したが、私はその話を半ば肯定する形で解説を加えた。
「夜間窓口ってさ、夜の病院における唯一の通用口な訳だから、出入りの警備も兼ねた窓口業務になっていると思うんだ。彼が見ていたパソコンって、恐らく防犯カメラのモニターじゃないのかな?」
「そう言えは、確かにただ眺めていたように見えたわ」
「本来は出入りする者、特に急患や面会者の受付をする時は向き合って対応をするはずだから、チラッと見て受付を済ませるのは、職務的には通常時あり得ないだろう」
「確かに……言えてる」
「そこで今回の状況を見てみると、神楽はこの時間帯の面会はどうだろう? ほぼ毎日な訳だから、バイトくんもキミのことは承知していると考えられる。故に、チラッと見ただけなのは、いつも出入りしている人だと認識したが故の反応だったんじゃないのか?」
「そんじゃあ、わしの推理はハズレか?」
と話しかけた親方に、
「いやいや、親方が推理するところのドキッとしたと言うのは、十分あり得ると思いますよ。言い換えればバイトくんは神楽のことが気になっているのかもしれないですね」
「明鏡くんもそう思ってるのかしら?」
「ここではお答えしかねます」
「あらあら、照れちゃって、まぁ」
「……故に、忘れ物があってもすぐに気が付けず、後になって神楽が置き忘れだものだと確信して、面会先に届けられたのではないかと……」
「兄ちゃん、やっぱすげぇや!」
と親方が拍手をして見せた。
「ねえ、ところでさっき新聞見て何を話していたのかしら?」
僕は手に持っていた親方の新聞を再度見開き、記事の載るあたりを指差した。
「えっ……会長が社長に戻るの?」
「いいや戻れないよ、もう亡くなったからさ」
と僕は神楽の問いに答えた。
「どう言うこと? 会長さんが亡くなったって?」
「……会長暗殺未遂に密室殺人、そこに来て会長の急死だ。これも薬品による何者かの殺害か? 或いは病状急変による死亡なのか?」
「そうね、謎は深まるばかりね?」
その通りであった。
少なくとも密室殺人に関与しているはずの一之瀬富士男会長が死去したことで、朱鷺谷明鏡はこの事件の謎解きに行き詰まったことには間違がない。
しかし、このあと明鏡たちは、ひょんなことから新たな展開を迎えることになるのであった。




