第41話 (最終回)ありがとう、ごめんなさい
観衆の熱狂で大騒ぎの中、聡志が大声で恭子の名前を連呼したのをテレビの収音マイクが逃さなかった。その絶叫が何を意味するのかは分からないにしろ、聡志の流す涙は、敵味方を問わず、見ている人々の心を揺さぶった。
その瞬間を奥多摩の家で観て、鳥肌を立てている女性がいた。
「堂本君、こんな私でいいの?本当に、こんな私をもらってくれるの?」
ホームベース付近では、背番号十三を付けた聡志が歓喜のナインに頭をポンポン叩かれて、手荒い祝福を受けている。中でも四番バッターの紙屋は、
「堂くん、よく打ったな。それにしても、やっぱりお前は泣き上戸だったんじゃないか。初恋の彼女も、今ごろ頬を濡らしていることだろう」
と耳元で冷やかしながら、自分も涙で顔をくしゃくしゃにしていた。
ナイン同士での熱い抱擁が何度も繰り返され、裏方もベンチ前でその仲間に加わる様子がテレビに映っている。実況のアナウンサーは、感動的なシーンを巧みな表現で盛り上げていた。
恭子はテレビの前で一人号泣していた。翌日の仕事に備えて早めに床に就いていた邦江が、泣き声に気付いて何事かと驚いて布団から起き出して来た。
恭子が感動して観ているテレビには、サヨナラホームランの場面が繰り返し流され、聡志の顔が幾度もアップで映った。
「あら、堂本さんがホームランを打ったの?凄いわねえ。恭子が観ている前で打ってくれたってことよね?」
邦江が感慨深げに尋ねた。恭子は「うん」と返事をするのが精一杯だった。また涙が頬を伝って流れた。邦江は、恭子がこれほど感涙にむせぶ姿を見たことがなかった。
「最高に幸せよね」
邦江がぽつんと言って、また続けた。
「こんな人のところにお嫁にいけたら」
恭子の発散する空気感が思わずそんな言葉を言わせた。だが、何も知らない邦江は、ばつが悪くなって恭子の方を向かずに目を伏せた。
テレビは今日の試合を再びハイライトで流し始めた。二人黙ってテレビ画面を食い入るように見つめた。臨場感を出すためか、場内の音声のみで放送されている。聡志がダイヤモンドを一周してホームベースを踏む前に、大きな声を出したのに邦江が気付いた。
「えっ?いま、こぶしを何度も突き上げながら、きょうこー、って叫んでなかった?」
邦江には悪いと思いつつ、恭子は聞こえなかったふりをした。
「さあ、どうだったかしら。私、あまりにも興奮しすぎてて……」
二人だけのプロポーズの秘密を誰にも知られずに、大切にしておきたかった。
視線の先にヒーローの聡志がまたもや映し出されると、二人にとって異なる思い出や出来事が胸に去来した。
いつの間にか邦江も目を潤ませていた。自分が迷惑をかけた相手が、娘をこんなにも幸せな気分にさせている。恭子を一人にさせてあげた方が良いのは、考えなくても分かることだった。
邦江はゆっくりと立ち上がりながら声をかけた。
「明日も犬笠会長さんの畑で朝が早いから、もう寝るね」
恭子が邦江に対して抱いていた不信感は、邦江が真面目に働き続けていることでいつしか雲散霧消していた。
最近は農作業にも慣れ、日焼けした顔は以前よりずっと健康的に見える。邦江が聡志に送った手紙で誓った償いは、畑で汗水垂らして働くことと決めるまで、そんなに時間はかからなかった。今ではそれが生き甲斐にもなっている。
ただ、自分の体力を顧みず、働きすぎることだけが恭子の気掛かりだった。
「うん、おやすみなさい。また無理して倒れないようにしてね」
泣き腫らした顔を横に捻って見送った。
恭子は再び一人になった。
画面の中の聡志に、すぐにでも伝えたいことがあった。
「堂本君、プロポーズのホームランをありがとう。高一の時、私があんな約束を言い出したばかりに、十年もの長い間、あなたに辛い思いをさせてしまいました。本当に、本当にごめんなさい」
か細い声でそれだけ言うと、再び涙があふれた。
「……謹んでお受けします」
テレビでは、選手やスタンドの興奮が収まらない中、そろそろ優勝監督のインタビューが始まろうとしていた。
(了)
あとがき
おかげさまで、堂本聡志は恭子の見ている前で、悲願のホームランを打つことができました。長い間応援してくださった読者の皆さま、本当にありがとうございました。
わたしがこの題名の小説を書こうと思ったきっかけは、一九八九年に刊行された村上龍さんの『走れ!タカハシ』を書店で目にしたことです。
早いもので、あれからもう何十年も経ってしまいました。しかし、あのインパクトのあるタイトルは、わたしの胸の内で生き続けていました。
その小説は短編集でしたので、いつかは、わたしも似たような題名の長編小説を書くことが夢でした。
「投げろ!アニヤ」
「守れ!フカザワ」
「代打!ミヤガワ」
そして、「打てよ!〇○」という題名だけは、ずっと心の中で温め続けておりました。
いずれも、実在の人物を追って小説化する気はありませんでした。わたしが描きたかったのは野球好きな男(一樹)を交えての青春と恋愛の物語だったからです。
この物語には、プロット(設計図)がありません。
高校時代の「目の前でヒットを打てば、晴れてデートをする」という約束を軸に、それが叶えられるまでの紆余曲折を描こう。その思いだけでした。
展開は、高校野球部の先輩からの横恋慕、恭子の転校、一樹の生い立ちと甲子園での傷害事件、大学野球、ドラフト会議、カープとの育成契約、恭子からの手紙、祖母の介護、一樹が描く未来の野球場、そして、脅迫状の受け取りで思いもよらぬ方向へ動き、事件の解決、涙の誓い、一樹の死を経て、クライマックスを迎えました。
最後は、ホームランの約束を果たせそうもない絶体絶命の場面で、「真ん中低めのボールになるカーブ打ち」が飛び出します。それは、第五話『横恋慕』で大原からやじられた打法でした。
わたしは、最後の最後はこれしかないと決めて物語を進めました。「聡志がホームランを打てるのは、内角高めのストレートだけ」と何度も強調して読者の目をそらしたつもりでしたが、鋭い読者の皆さまは、早くから見抜いておられたかもしれません。それならわたしの完敗です。
スタート時点では、広島カープを中心にした物語に偏っていくのでは、とぼんやり想像しておりました。しかし、書き終えてみると、特定球団のひいきに偏ることはありませんでした。そのこともあり、多くの野球を愛するファンに受け入れられたのなら幸いです。
最後に、一つだけ種明かしをしますと、堂本聡志のモデルは、夏の甲子園大会で優勝しながらも、自分の不甲斐なさに号泣した堂林翔太選手です。ただし、純真な泣き顔以外の要素で彼の実像を描いた場面はありません。
堂林選手は、年齢のことを考えると、いつかは現役生活を終える日が訪れます。もしも将来、引退試合が行われることになったなら、最終打席で大きな声援を送りたいと思っています。
「打てよ、堂林!」
結果がどうであれ、今度は笑顔で終われますように。
にし ぎんいち
長い間お読みいただき、心より感謝申し上げます。
少しでも皆さまの心に残る作品になりましたら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
ご感想等ございましたら、どうぞお気軽にお寄せください。
また、YouTubeでも、動画としての「打てよ、堂本!」を公開中です。下手な作品ですが、最後の方だけでもご覧いただければと思います。




