01.もう、後悔はしたくない
俺こと中沢祥真は高校二年になったその日、隣の席になった女の子と顔を合わせた途端に見惚れてしまった。
彼女の名は徳山結愛。名は体を表すっていう通り、彼女は存在自体が愛らしかった。彼女が微笑みかけてくれるだけで春の陽だまりの中にいるような、ぽかぽかした気持ちになれた。
髪の色はやや濃い茶色で、栗色というのだろうか。肩にかかる程度のボブ。毛先は首元を隠すように内巻きにカールしていて、身じろぎする度にさらさらと揺れる。
150cmもない小柄で、透き通るような色白な肌。体つきは華奢で、思わず守ってあげたくなるような雰囲気があった。それでいて、興味が惹かれた時は大きな目をキラキラと輝かし、楽しい時はころころとよく笑う。彼女が笑うだけで周りが明るい雰囲気になる。
まさしく可憐で愛嬌のある子だった。彼女の隣になれただけで幸運だと思ったけど、それだけじゃ物足りなくなった。いつしか彼女から目が離せなくなった。彼女の笑顔をもっと見たい。彼女のことを知りたい。毎日会話したい。
新学年になって早々、俺は恋に落ちてしまった。
かくいう俺だけど、今まで付き合った経験なんて無い。女の子を好きになるのは中学の時に経験していた。陸上部の同級生だった。彼女とは同じ長距離選手として協力して練習していたから、いくらでも話す機会はあった。
でも、あの頃の俺はなかなか勇気が出せなかった。そこで、中学最後の大会で満足できる成績を残せたら告白しようと決めていた。
いざ大会での本番、俺は1500mに出場していた。前半は手ごたえを感じていた。ハイペースでトップ集団に付いていった。しかし、途中から右膝からズキズキとした痛みが広がってペースが落ちた。レース終盤では足が思うように動かせなくなり、ラストスパートをかけた数名に抜かされた。
根性でゴールに辿り着いたものの、力尽きたように倒れてしまった。部の仲間や顧問が駆けつけたが、強い痛みによって立ち上がれず、そのまま病院に連れていかれた。検査を受けた結果、右膝の腸脛靭帯炎。マラソンランナーがかかりやすい「ランナー膝」という症状だった。治療のために夏休み後半を棒に振り、告白どころじゃなくなってしまった。
結局、片想いのまま卒業を迎え、その子とは別々の高校になった。
同じ部活で過ごしてきた日々の中で膨れ上がった想い。結果はどうであれ、ちゃんと伝えればよかった。高校生になってしばらくは後悔を抱えたものだった。
今度ばかりは後悔したくない。俺は部屋のベッドで天井を見上げながら決意した。
だからといって、4月の段階で告白しても、相手も戸惑うだけじゃないか。彼女とは最初の挨拶以降、授業のことで多少会話できる程度。友達ですらない。ただのクラスメイトだ。
いくら好きだからといっても、相手のことを考えずに自分の想いをぶつけるだけじゃただの自己満足。当たって砕けろの精神でいいわけない。
様子を窺うこと二週間。クラスの顔と名前を憶えられるようになってきた。
控えめにいっても結愛はクラスでトップと言えるくらいの美少女である。彼女をさりげなく見ている男は複数いた。ライバルは多そうだ。
俺は焦りを覚える一方で、慎重にいくべきではないかと悩んでいた。
そんな俺には心強い友人が同じクラスにいた。
名前は岸本裕太という。同じ中学出身の親友とも言える仲だ。中学では抜群に成績が良かった。私立の有名進学校にも行けたのに、近い方がいいからという理由でこの学校、県立高坂高校を選んだ。もちろん、高校でも学年最上位を維持している。
帰宅部の俺と違い、岸本はメディア部に所属している。聞くところによると、かつてあった新聞部と放送部が統合されてできたらしい。校内放送の他、生徒会と協力して学校のホームページや動画の公式チャンネルを運営しているのだとか。
メディア部所属ということもあって、岸本は情報通だ。
4月下旬の土曜日、相談があると伝えて岸本に家まで来てもらった。
「徳山結愛? ああ、彼女か」
俺が緊張しながら切り出したところで、勘のいい岸本は相談の内容を掴んでしまったらしい。「くくっ」と笑った。そんなにわかりやすく顔に出ていたかな。
「好きなのか?」
「ああ、好きだ。一目惚れといってもいい」
「なるほどな。確かに彼女は美人で人気がある」
「やっぱ、そうかぁ~」
岸本は一年の時に同じクラスだったらしく、結愛についてよく知っていた。彼が知るかぎり、一年の間に結愛は何度か告白されている。
ただし、特定の男子と一緒にいるところは見たことはない。
「他校に彼氏はいないんかな?」
「徳山に近い女子によると、それも無いらしい」
モテるが、誰の告白も受け入れない。
何らかの理由で、彼女は恋愛に関して消極的になっているのではないかというのが岸本の推測だ。
「過去の失恋を引きずっているとかな」
そう言って岸本は俺をじっと見る。中学時代に俺が片想いのまま終わったことを知る数少ない友人だ。結愛はあれだけモテそうなのに、俺と似たような経験があるのだろうか。
「もう、後悔はしたくないんだ。だからと言って簡単に失敗したくない。好きになった以上、この恋を成就させたい」
「そうか。ならば力の及ぶかぎり、協力してやろう」
俺が言い切ると、岸本は頷いた。俺たちはその場でグータッチした。
俺には岸本以外にも頼れる相手がいた。それも四歳上の兄・幸汰だ。県南の大学に通っている。歳が離れているせいもあってか、仲はいい方だ。そして弟目線で見ても兄は格好いい。
高一でようやく身長170cmを超えた俺と違い、兄は180cm近い。顔面偏差値を出すとしたら、俺が55くらいで兄は60以上。女の子から何度も告白されたこともあると言っていた。
しかし、恋愛になるとヘタレなのが中沢家の男に共通するらしい。両親も母の方から押しまくって告白・プロポーズしたって酒に酔った時に言っていたし。
兄は形の上では付き合った経験は少なからずあるけど、肝心なところで勇気が出せずに長続きしない。
家で幾度となく落ち込んだ姿を見せられたものだ。そういうところも含めて兄なんだけどね。
とりあえず女の子とお近づきになり、デートした経験だけはある兄にもアドバイスを受けることにした。
隣の席でいられるのは一学期まで。このチャンスを最大限に生かし、親しい友人関係を築く。勝負をかけるのはイベントの多い二学期だ。夏休みに会えないのは辛いが、耐えてみせる。その間、自分磨きの時間に当てるのだ。
それまでに結愛が他の男に靡かないことに期待する。他力本願だが、そうするしかなかった。
それからの俺は結愛との距離を詰めようと試みる毎日だった。安直だが褒めるのはいい。だが、闇雲に褒めたのでは効果がない。
髪型はほとんど変わらないし、ダークグレーのブレザーにチェック柄の制服は校則通りに着こなしている。でも、女の子は細かな変化があることに気付いた。例えばヘアアクセサリーだ。結愛はその日の気分でピンクか黄色の髪留めをよく使っている。
ある月曜の朝、いつも通りに朝の挨拶を交わした後、低い位置にある結愛の頭を見て気づいた自分を褒めてやりたい。
「その髪留め、初めて見た。可愛いね。よく似合っている」
「そ、そう? 嬉しい」
結愛が照れながらも嬉しそうに微笑んだ。その笑みに胸が高鳴る。うまくポイントを稼げたようだ。
それからも、兄からのアドバイス通り、彼女のちょっとした細かな変化に気付いて褒めることを心掛けた。結愛の中で俺に対する好感が徐々にアップしていく手ごたえを掴んでいた。
さらに岸本からは重要な情報を得た。結愛は猫派だ。それを聞いて俺はガッツポーズした。
「徳山さんが鞄に付けてるアクセサリーって、猫キャラが多いよね。ひょっとして、猫が好き?」
「うん! 実は大好きなの。でも、うちじゃ飼えなくて」
「うち、猫飼っているんだ。写真見る?」
「えーっ! 見たい見たい!」
うちは6年前に両親がオスの保護猫を譲ってもらって飼っている。もう10歳だから人間ならいい歳だ。温和な性格で人に懐きやすい。
「わぁー! 可愛いぃぃ! 名前、なんていうの?」
「キジトラ(※1)のオスなんで、シマジロー」
「ぷぷっ。幼児番組に出てきそう。あーん、へそ天(※2)、めっちゃいい! お腹なでなでしたぁーい」
俺がスマホから写真を見せると、結愛は椅子ごと近づいてきて画面を覗きこんできた。
写真をスクロールする度に興奮したのか、体をくっつける勢いだった。花のような甘い香りがするし、ドキドキが止まらない。幸せすぎて死にそう。周囲から男どもの鋭い視線を感じるが、これもリサーチとトークの勝利だ。
5月半ばから結愛とは猫の話題で話す機会が急増した。副産物として、連絡先までゲットしてしまったのだ。俺はシマジロ―の写真をせっせと貢ぐ。結愛は猫のスタンプをよく使っていた。
一日の中では短いやりとりだけど、教室以外で接点ができたのは大きかった。ちょっとした会話で結愛のことを多く知れるようになった。
例えば家族の話だ。結愛には三つ上の姉がいるそうだ。うちと同じように姉妹仲はとてもいい。子供の頃はいつも後をついていたと聞いた。
しかし、東京の大学に進学して一人暮らしを始めたので、たまにしか会えなくなって寂しいと零していた。
また、同じ高坂市内でも、うちとは南北で5km以上離れている。マンション住まいでお母さんが動物苦手なので飼えないらしい。
シマジローに会いにうち来る?というメッセージを何度か書きかけてやめた。現段階ではハードルが高い。
でも、弱気になっていちゃだめだ。少しずつでいいから、そういう関係に進めていくんだと自身を鼓舞した。
※1 キジトラ:茶色をベースに黒い縞模様が入った、日本の猫で最もよく見られる毛色。
※2 ヘソ天:犬や猫が仰向けになり、おへそを天井に向けて無防備に寝転がる姿のこと。




