事故調査ファイル_災の共鳴⑥
本日は二話更新となります。
「さて、マルティスが怠惰でなかった事は証明できただろう。では、一体何があったのか。
次にこたびの悲劇を通して、神の作られた製図を読み解いていきましょう」
枷から解放されたマルティスは同僚たちに支えられ、瓦礫の舞台から降りていく。
そこに、赤ん坊を抱いた女性が駆け寄ると、二人は抱き合って静かに涙を流し始めた。
微かな啜り泣きが響く中、清貴は改めて拡声器を握る。
「マルティスの話にあった通り、造営局では大幅な人員削減が行われました。500人いた諸君が120人にまで減らされた。
中でも神殿の補修に当たっていた者たちはそのほとんどが解雇されました。記録帳によれば、日頃からの整備ではなく、破損した際に職人を雇えばいいという判断だったようです。
しかし実際には、破損してからでは遅かったのです。石工たちは毎日、毎日、神殿の僅かな歪みも見逃さずに補修を続けていました」
清貴が視線を向けると、ロンダルをはじめとする石工たちが頷いた。
「なぜ、こまめな整備が必要だったか。要因の一つは、――聖なる鐘の存在です。
大聖堂が建てられた当初、鐘は今よりも遥かに小さなものでした。だがセレスティア派の拡大とともに鐘もまた大きくなっていった。
大聖堂建築当時の鐘は人の背丈ほど、記録を調べ直したところおおよそ1.5メートルほどの高さでした。それでも重さは2トンはあったと考えられます。これは人で換算すれば、30名ほどの重さです。
ですがご覧の通り、現在の鐘は6メートルはあるでしょう。
皆さん、この鐘の重量はどれほどだと思いますか? 高さが4倍になったから重量も4倍の8トンくらいでしょうか……?」
首をかしげる聴衆を清貴はゆっくりと見回してから再び口を開いた。
「なんと、この鐘の重量はおおよそ200トンです」
その数値に悲鳴とざわめきが広がった。
「これは、二乗三乗の法則といい、高さの倍率により表面積はその二乗、重量は三乗になるというものです。
1.5メートルの鐘が2トンの場合、その高さが4倍になると重量は4の三乗、……64倍になります。
2トンの64倍は128トン、そこに自重による歪みや、叩いた衝撃で割れたりしないようにするために”直径に対する肉の厚み”を増やす設計が必要になる。
その結果が200トン。これは、――2800人ほどの重量です」
もはや聴衆からはざわめきも消え、ただ息を飲む音が微かに聞こえるだけだった。
「皆さん、想像してみて下さい。あなた方の家の天井に鐘を吊るしたとします。
それが年々大きくなっていったら何が起こりますか? ……ええ、そうです、少しずつ建物が歪んでいきます。その鐘の重さが当初の64倍になった想像がつきますか?
ええ、それはとても恐ろしい結果になる。
しかし石工たちは、その歪みをこつこつと修正し続けてきました。何年も、何十年もかかさずに、です。しかしそれがなくなった」
群衆はたがいの顔を見合わせあった。
それがどんなに危険なことであったか、分からない者はいないだろう。
現在、鐘は魔導士が百名以上かかって何とか引き上げられ、鐘が吊るされた木枠は複数の魔石が組み込まれ多重強化がかけられ、何とか耐えている状態だ。しかし魔石を交換し続けなければ長くは持たないことだろう。
「大聖堂は少しずつ歪んでいきました。だが、問題は鐘の重さだけではなかったんです」
清貴は真新しい木の土台に吊るされた鐘の元に歩いていく。
そうして、鐘を打ち鳴らすための金属の棒、――クラッパーに繋がった綱をひいた。
高らかに鐘の音が響き、……それは谷底という地形の中で奇妙に反響し増幅する。
遠く、近く、幾重にも重なりあった音という振動が鼓膜をうねるように震わせる。
まだ残ってた大聖堂の柱もまた振動し、ぱらぱらと小石が降ってきた。
「……分かりましたか? 今、周囲のあらゆるものが震えました。この振動もまた大聖堂を歪める原因の一つだったのです。
鐘の”重さ”、そして”振動”。
今、見た通り、振動は大聖堂そのものを震わせます。毎日、毎日、柱を揺らし続けたのです。
振動は少しずつ大聖堂を蝕んでいき、それらは修理されないまま積み重なっていった。
マルティスが書き残した日誌によれば、事故当日までの間に大聖堂内で発見されたひび割れは50か所を超えていた」
ヒっと誰かが悲鳴をあげた。
谷底の石をくりぬいて作られたこの街において、壁のひび割れがどれほど致命的であるか知らない者はいないだろう。
「大聖堂は歪められ、……地下水を調整するための揚水用水車が故障した。
これによって地下が水浸しになり、そこに保管してあった書物や祭器、食料などが上層階へと移される事になった。
建物全体が重くなっただけじゃない。上の階に重い荷物を移動させれば、それだけ揺れた時の振れ幅も広くなる」
もはや神官たちですら、固唾をのんで清貴の声に聞き入っていた。
「さらに、事故の数週間前から鐘の音が変化したという報告もある。長年、堂守をつとめていた者が倒れた後からだ。
新たに堂守を務めていたのは、たしかローランと言ったか」
「は、……はい、わたくしです」
清貴の言葉に消え入りそうな声で答えたのはまだ10代とおぼしき若き神官だった。
「鐘の音が変わったことについて思い当たることは?」
「は、はい、……その、クラッパーに、布が撒きつけられていたのです。それを上層部に報告したところ、神のお声を鈍らせる行為である、と。布を外すように指示を受けました」
「なるほど。布を外した事により金属がむき出しになったクラッパーによって、鐘の音が増幅された。つまり、より建物に振動が伝わりやすくなった。
……ローラン、君は責任を感じなくていい。大事なのはその結果から学ぶことだ」
「はい……」
ローランは今にも泣き出しそうな顔で頷いた。
「崩壊が起こるまでの間に、これだけの事が重なっていた。つまり、大聖堂は明星祭の当日、すでに崩壊の危機に瀕していた。
それまで、崩れなかった事が奇跡ですらあったのです。
その壊れかけていた大聖堂に、合唱し、踊りながら、多くの信者たちが集まった。歌声と踊りによるさらなる振動。
そして大聖堂に加わった群衆という多大な”重さ”、そこに、大篭りの開けを告げるべく幾度も鐘が打ち鳴らされた」
清貴は一度言葉を切って、群衆をぐるりと見回した。
「崩壊は、偶然の悲劇ではない。そうなるべく用意された悲劇が、もっとも重なりあった瞬間に起こったのだ」
清貴の声に、広場は沈黙に包まれた。
痛いほどの沈黙。
息をすることさえ憚られるような、そんな空気の中、最初に口を開いたのは若い神官だった。
「で、では、……神の設計図とは? 神は我らに何を告げたかったというのですか?」
清貴はまっすぐに神官たちに振り返った。
「君たちはこの悲劇が誰によってもたらされたと思う? いったい誰が間違っていた?」
「それは、……」
「間違いはあった。だが、彼だと指さされるような犯人はいない。そう、犯人がいない。
……だからこそ、これは神の試練であると思わないか?」
神官たちは互いの顔を見合わせて囁きあった。
その表情は戸惑いに満ちている。
「何故、悲劇が起こってしまったのか。
神はただ残酷に我らを弄ぶものではない筈だ。ならば、我々はこの悲劇の設計図を”正しく”読み解かねばならない。
我らは神の前において謙虚であるべきだ。それぞれが自身の罪と向き合い、そして同じ罪を犯さぬよう戒めるべきだ。
そうして、この悲劇を通して神が伝えたかった本当の言葉を導きださなければならない。
それが、慈悲深き神の御心である、と、……私、清貴が聖女の名によって皆さまに申し上げます」
拡声器から放たれた清貴の声は、谷底の街の岩壁に幾度も反響し、重なり合い、まるで空から降り注ぐ福音のように群衆の心に染み渡っていった。
かつて大学の教壇で数式を解いていた時とは違う。
事故調査員として、現地を飛び回っていた時ともまた違う。
今、目の前にいるのは学生ではなく、愛する者を失い、拠り所を求めて彷徨う者たち。
そして清貴は、彼らにとっての灯火であった。
清貴は、その重みに耐えるように一度深く目を閉じ、再び目を開けて大神官たちを見据えた。
「神官長。……神が示された”悲劇の設計図”を、誰かの首を撥ねるための道具とするか、未来の礎を築くための指針とするのか。
選ぶのは、神のお声を預かるあなた方のはずだ」
沈黙。
やがて、一人の老婆が膝をつき、祈りを捧げ始めた。
それに続くように、石工たちも、兵士たちも、そして恐怖に震えていた若い神官ローランまでもが、静かに頭を垂れる。
それは、権威に屈したのではない。
自分たちが犯した「無関心」という罪への、そして目の前に提示された「真実」という名の光への、心からの帰依であった。
最後に、神官長も静かに膝を折った。
その顔にあったのは、穏やかな祈りであった。




