第45話 バスの上に猿みたいな人が!
地下街にあるグリュプス解放軍の本部の一角、訓練場跡地。真っ黒になった地面に佇むクレアの姿があった。腰を低くし、腹の前で指を複雑に絡めて印のようなものを結んでいる。
「結界構築は───」
クレアの結んだ印から魔力が迸り、地面にこぼれだす。足元が白い床に変貌仕掛けて───。
「はあっ、はあっ」
空気が破裂するような音が鳴り、クレアは膝をついた。滝のように汗を流し、苦しそうに肩で息をしている。黒い床に汗が落ちる。
「首尾はどうだ?」
向こうの方から歩いてきたエルドが声をかけてきた。
「もう少しで結界構築できそうなんですけど、やっぱり難しいです」
「普通の魔力阻害結界とは勝手が違うんだろ?」
「別物ですからね。魔力阻害結界は地面にマーカーを設定して魔力を流せば発動しますけど、結界構築はそんなに単純じゃないんですよ。設計図なしで家を建てるような、ただでさえ捉えきることの出来ないような空間に別の大きさの空間を創るようなイメージと言えばいいのか。自分でもよく分からないんですよ」
クレアがため息をつく。
「回復魔法が使えるだけでも万々歳だろ」
エルドが励ますようにクレアの背中を叩く。痛そうに背中をさすったクレアはエルドに訊ねる。
「シンシアさん達は大丈夫ですかね。パトロールとは言え、ちょっと時間かかりすぎじゃないですか?」
「ま、あいつのことだ。多少の面倒は起こしてるかもしれないが、シキモリと友人もいるんだ。下手はうたないだろ」
「ま、ゴルドーさんもいますしね。心配するだけ無駄ですか」
ゴルドーとクレアが連れ立って食堂に向かう。だが、二人の考えが間違っていることを、この後いやというほどに痛感することになる。
汚らしい道を戻っていると、遠くの方から騒ぎ立てる声が聞こえてきた。そもそもうるさいスラム街で耳につくような音、ろくでもないことが起きているのだろう。
「セントラルロードの方でなんかやってるみたいだな」
デーモが少しワクワクしたような様子で言う。
「祭りか?」
「さあ。どうせまともな奴が楽しめるようなモンじゃないぞ。殺し合いか、処刑のどっちかと見た。どっちに賭ける?」
デーモが何でもない事のように言う。こんな若者がこの感覚でいて大丈夫なのだろうか、などと余計なお世話な心配をしてみる。彼は望んでスラムにいるのだろうか。なぜこの若さでスラムに? 借金のカタに売り飛ばされたのか、あるいはここで生まれ育った可哀想な子供なのか。
可哀想? 自分が今しがた抱いた傲慢と言える感情に驚く。スラムに住んでいるから可哀想、それは客観的なのかあるいは主観的なのか。
「───殺し合い」
俺はため息交じりに答えた。
答えの出ない考えばかりが頭を巡るのはもううんざりだ。今まで惰性で積み上げてきた人生観をぶち壊す程に、こっちの世界の価値観にすり合わせる。こっちの世界で生きる間はそのほうが色々上手くいくだろう。
「どっちもありえないだろ」
尾道が冷静な反応を示す。シンシアと美浜が顔を見合わせて肩をすくめる。
いよいよ騒ぎ立てる声が大きくなっていき、人だかりが増えていく。片手に肉の刺さった櫛を持つ者、上着を振り回して熱狂する者、人々の装いは多様だった。
「スラムではこういうことが日常茶飯事なのか」
「まあな。珍しいことじゃない。外から来たお前らには刺激が強いかもしれないな」
デーモの少し小馬鹿にしたような口ぶりに美浜が嚙みつく。
「もう麻痺ったわ。汚いし臭いし、人がそこらじゅうでぶっ倒れてるし、これ以上強い刺激とかないでしょうが」
デーモは何も言わなかった。言い返せることも別になかったのだろう。真っ当な価値観を持った人間からの真っ当な意見は酒に焼けたしゃがれ声にかき消されていった。
「今宵の処刑ショーに集まったクズども、盛り上がってるかぁ!?」
集まった人々がこぶしを突き上げて絶叫する。何をするのか随分と分かりやすい名前で助かる。くそったれなイベントだな。
「人の命を何だと思ってんの」
美浜が忌々しげに呟く。尾道も言葉にしなかったものの、明確に憤慨の表情を見せた。そんな中でもシンシアは冷静に指示を出す。
「興奮してるから、絶対に刺激しないで。君たちの最優先目標はバスなんでしょ。どこにあるかわかんないけど、バスを見っけたらすぐに元の世界に戻るための手がかりを見つける、そのあとすぐにここから離れるよ。荒事は絶対に禁止、いいね」
俺と美浜が頷くが尾道の表情は曇ったままだった。
「処刑される人は助けないんですか」
「助けない。前後関係が見えないからね。スラムの秩序に基づいて行うものかもしれない。君らが処刑されそうになった時とはワケが違うからね」
「でも処刑ショーとか言ってるんですよ」
「そういう娯楽に昇華したのかもしれない。ただでさえストレス溜まりそうなところだし、罪人裁いて住民の鬱憤晴らしもできるならお得だよね」
シンシアはそう言いながらため息をつく。
「ほんと終わってるよ、ここ」
「美浜、探知でバスの場所を見つけてくれ」
「スキルを使うってこと?念じればいいんだよね」
美浜が目を閉じて探知スキルを発動する。
「え、嘘」
見つかったようだが、何やら様子がおかしい。バスが破壊されているとかじゃないだろうな。
美浜の口から放たれた言葉は、俺の予想とは全く違っていた。
「バスの上に猿みたいな人が!」




