旅立ちの準備 2
イリユス神殿での重要な行事の一つに、蒼祓えの儀というのがある。
半年に一度、本殿の奥に安置されている蒼き石に、蒼空の竜の加護の継承者である神殿長が自身に受け継がれている力との共鳴を図り、大陸に広がっている魔物を封じ込めるための境界線の効力を確認、安定させる儀式だ。
今月下旬に迫る儀式の前に、本殿の安置所や、儀式に参加する者たちが訪れるであろう建物内の環境を整えなければならない。
蒼惟は、啼義の指示のもと、その準備に駆り出されていた。
「今年からはお前も列席できるから、儀式をやっとその目で見られるな」
三日間の蒼き石の開帳自体は誰でも参拝できるが、その前に行われる儀式そのものは、ごく限られた関係者、それも成人済みの者でなくては立ち入れない。
幼い頃から密かに儀式を覗いてみたくてウズウズしてた蒼惟にとって、これは嬉しい機会となるはずだった。しかし、今はいささか複雑な心境だ。
<儀式の三日後──開帳期間の最終日が、出港の日だ>
そう思うと気が急いた。神殿内が忙しないおかげで、人の目がいつもより自分から逸れているのは都合がいい。とはいえ、やろうとしていることは紛れもなく父への反抗だ。
<でも、話そうとしたって、聞いちゃくれないし>
そんな戸惑いはありながらも、暇を見つけては旅の持ち物を考えて密かに集めたりと、身体はもう旅立ちに向けて動いている。
表面上は諦めたように装いつつ、そんな行動をできる自分がいることに、蒼惟は驚いていた。今まで、特に故郷を出たいと思ったこともない。ここでの暮らしに不満があるわけでもない。なのに、一度口に出して、そして父に反対されてから、自身の中に着々と湧き上がる衝動を抑えられる気がしなかった。もしかしたら自覚がなかっただけで、一度はここから飛び出してみたいと、本来の自分は望んでいたのだろうか。
蒼惟とフィルディアスがイリユス港に停泊している羅真丸の前まで来た時には、アリッサーニャはもう桟橋に降りて来ていた。彼女は二人に気づくや否や、パッと顔を輝かせて手を振った。
「こんにちわー!」手を振りながらそのまま軽やかに走ってくる姿に、蒼惟は我知らず口元を緩める。
<遠足に出かける子供みたいだな>
アリッサーニャは、二人の前に到着すると息を弾ませて言った。
「今日のランチが楽しみで、言いつけられた仕事を爆速で片付けたら、時間が余っちゃって持て余してたの。港町のベーカリー喫茶なんて、絶対お洒落よね」
フィルディアスが和やかに答える。
「それは光栄だ。お嬢様のお口に合えばいいな」
「お嬢様だなんて。フィルディアスはお上手ね」
アリッサーニャの反応は、まんざらでもない。
蒼惟は隣で感心していた。フィルディアスは女性の心を掴むのが上手い。彼の父も結婚前まではなかなかの女性遍歴の持ち主だったそうで、端正な顔立ちも相まって、どうやらその辺は遺伝のようだ。
<ああやって、誰でもその気にさせちまうんだから>
そこでふと、先日のシェリルメイの様子を思い出したのは、兄ならではのアンテナが働いたからだろうか。
両家の子供たちは、フィルディアスの妹と弟も含め小さい頃から一緒に育ってきた幼なじみだ。
やがていつの頃からか、女性らしくアクセサリーや服に気を遣いだした妹の変化を、フィルディアスは会うたびに言葉にして褒めた。「お兄さまは全然気づいてくれないのよ」と引き合いに出されて小言を言われるのにも、もう慣れきってしまっているが。
<まさか>
妹はあの時、姿勢がどうのでなく、別の理由で緊張していたのではないか?
答えに辿り着いたような気がしたその時、船上から怒号のような声が響いた。
「よう、二人とも! 今日は、娘をよろしく頼むぜ!」
船長──デュッケ・アドスが周り中に声を響かせて手を振っている。
蒼惟はその声の大きさに微妙な気まずさを覚えながらも、「こんにちわ。アリッサをお借りします」と丁寧に返した。
「おうよ。旨いパンの店だかなんだか知らねえが、もうじき出航したら、短いがまた船に缶詰だからな。陸を漫喫してこい」
カッカと笑う父親に向けて、アリッサーニャは無邪気に手を振り返した。
「うん。行ってきまーす!」




