震度2 <般若>
車の中での会話はなかった。車内の空気は重く冷たく、窓の外に流れる町灯りはどこか苦しげな輝きを放っていた。その重苦しさに耐えきれず何度も吐いた。実家までは2時間ほどだったが、隼人には余りにも長すぎた。気を張り詰めすぎたのか、気づいたら眠りに落ちていた。
隼人は夢を見た。
父と母が何やら争っている。いつもの喧嘩か。今日はどうしたんだろう
父は母の腕を押さえ何やら小さな箱を奪おうとしている。母はなんとか抵抗しようとしている。
「これはだめだ。こんなのは健全じゃない」
「うるさい!いつもいつもいつもいつもあたしの行動を制限して。趣味くらい好きにさせてよ!」
「だめだ。危険だこんなもの」
「安全って言われてるでしょ?なんでそこまであたしを縛るのよ。もう無理、あなたとはやっていけない。出てってよ」
父はコートを羽織って出ていく。母は一晩中泣き続けた。
隼人の生家は首都近県の郊外にある。土地開発が進んだ住宅街の一角にぽつりとたっている。屋根の塗装が落ち、庭は雑草が伸び放題になっていた。到着するやいなや熊襲は眠る隼人をたたき起こし、車から放り出した。隼人はすぐさま目を覚まし玄関へ向かって飛び出して行った。
玄関へと続く石畳は丈のある雑草に隠れていたが、隼人はお構いなしに草を踏みしめ走った。一刻も早く母の無事を確認したかった。
玄関に鍵はかかっていなかった。隼人は土足のまま駆け上がり段差に躓く。膝に激痛が走る。痛みに叫びながらリビングへ続く通路を足を引きずりながら進んだ。
リビングへ入るドアを開けると母がいつものようにテーブルに着き趣味の小物作りをやっていた。
隼人は安堵した。
「お母さん!ただいま」
母はビクッとして振り向いた。振り向きざま目を見開き叫んだ。
「ばば化け物おおおおおおおおおおおおおお」
母は包丁を手に持ち立ち上がった。頬は痩せ、ガサガサの髪が顔を覆っていた。母は一度も見たことがないような運動能力を見せ、隼人に迫ってくる。隼人はあまりのことに動けなかった。刃が振り上げられた。母は般若のような形相で振り下ろした。
「いやああああああああああああああ」
しかしその刃はすんでのところで止まった。どっと汗が吹き出してきた。見ると後ろから父熊襲が母の腕を押さえている。
「あら、あなたじゃない。なんで止めるの?そいつは化け物よ。ねえ」
「よく見ろ。お前の息子だぞ」
母は隼人の顔をギョロリとのぞき込んだ。全身に悪寒が走った。
「あれ?隼人?あれ?ああああああ!あたしはなんてことをしようとしていたの」
母は父に腕を捕まれたまま泣き始めた。
「最近あたし変なの。鏡を毎日見ると自分がどんどん不細工になっていくの。今じゃ化け物よ、ねえあなた、殺して」
「馬鹿野郎」
熊襲は母から包丁を取り上げ、体を抱き上げ寝室に運んでいった。しばらく音と悲鳴が聞こえたがやがて静かになった。父が寝室から音もなく出てきた。
「なんとか寝かしつけた」
隼人は落ち着いた途端怒りがこみ上げてきた。
「お前のせいだっ!お前の、お前が母さんを見捨てたから。母さんがあれを使うのをもっと止めてればあんなことにはならなかったんだ」
怒りをぶちまけてから父と目が合うと、その目には涙が溢れていた。
父のそんな顔を今まで見たことがなかった。隼人は驚き、怒りの矛先を失った。
隼人は思わずかけだした。玄関を抜け父の車に乗り込む。そのまま汗ばむ手でハンドルを操作し夜の世界に溶け込んでいった。




