記憶の呼び声
何か暖かいものに、背負われている。
規則正しい揺れが心地よい。
(…こんな力…いらなかった…)
おぶわれて、泣いているのはまだ幼い子供の自分だ。
それをおぶっているのは…よく覚えていない。
でも背中が大きくて暖かいことは覚えていた。
(そうだな。力は時として重荷でしかない)
淡々と返す声は、どこか微笑んでいるような柔らかいものだ。
(どうして、其なのに…)
だから、安心して駄々をこねた。
(その力が必要なやつがいるんだ。ソイツを助けるためだけに…お前に力を分けた)
(それは…誰?)
尋ねるレインに、相手は答える。
(とんでもなく嘘つきだが、途方もなく優しい…男だよ)
(嘘つきなのに、優しいなんて変)
ふて腐れたレインに、相手はただ笑うのみだった。
太陽にきらめく、金色の髪。
あれは…もしかしてー
なにかがふわり、と頬を掠めた気配に、レインはパチッと目を覚ました。
視界に入ったのは、古ぼけた木の天井。
目を巡らせると、闇夜にも浮き立つように赤い紅花が見えた。
鼻腔をくすぐるのは、なじんだ染料の臭いに、ここが先程までいた染料小屋だと気づく。
(…あれ…?私は…森にいって…)
戸惑いながら、身を起こした時。
暖かくてふにっとしたものを踏んでしまった。
(え?なに?!)
その瞬間、むくりとそれが動きだす。
「あ?…えっ?!」
思わずがっしりつかんだそれは、絹のような手触りの毛皮に包まれていて。
月明かりに艶々輝くそれを辿っていけば、闇夜にも輝くサファイアの瞳が、レインを見下ろしていた。
「クロ…!」
知らずに下敷きにしていたのは、この黒狼の体だったようだ。
レインを囲い込むように、横たわっていたらしい。
「もしかして…ここまで運んでくれたの…?」
柔らかい人のものだと勘違いしていたが。
レインの問いかけに、黒狼は少し首を傾げていたが、すいっと頷くように首を下げた。
「ありがとう…って!クロ怪我は?!」
意識を失う前の、ボロボロの様子を思い出して、レインは改めて、その体を確かめた。
いろんなところをさぐる、その手の動きがくすぐったいのか、黒狼はすこし耳を下げたものの、レインの気の済むように触らせてくれる。
艶々の毛並みをとりもどしたそれは、傷ひとつなく、レインの手は滑るように流れていく。
(あんな…血だらけだったのに…)
その手が顔に到達し、鼻を掠めたとき。
黒狼がかすかにみじろいだ。
(あ、今の…感覚…もしかして…)
すこし、冷たいそこの感覚には、覚えがあった。
気を失う前に、すこしだけ触れあった気がする。
手ではなくて。
その考えに、レインは思わず赤面する。
「まさか…よね?」
あまりに、乙女思考過ぎる気がする。
キスで、たちどころに傷が治るなんてことがあり得るのだろうか。
でも、そのあとにあった、あの壮絶な痛みの感覚。
あれは、もしかして目の前の、黒狼の感覚だったのだろうか。
あの繋がる、感覚は。
「まさか…よ…ね?」
思わず、胸元に身を寄せて、上目使いにその青い瞳を見上げて。
レインは盛大に赤面した。
慌てて視線を下に向ける。
(な、なんで…あの目…なの?!)
きれいで大好きな青い瞳。
子供の頃は、平気で見つめてたのに。
今は、見つめることができなかった。
陛下と、同じ何かを秘めた眼差し。
レインの知らない、熱い何かがその目にはあって、レインは見つめることができなかった。
(私…馬鹿みたい…!相手はクロなのに…)
レインはぎゅっと、黒狼の毛並みに顔を埋めると、意を決して、その菫の瞳をあげた。
月夜に浮かぶ二つのサファイアを、挑むように見上げる。
「…あ、あれ…??」
さっきの瞳が幻のように、それは優しい瞳に変わっていた。
昔とおなじ、慈しむような目。
(私…疲れてるのかしら…)
この美しい青い瞳を、陛下と間違うなんて。
盛大な勘違いに、一人で赤くなってしまう。
と、その時。
扉が勢いよくノックされた。
「姉上ー?!こちらにおいでですか?!」
焦っているようなクリスの声に、慌ててレインは返事を返す。
「ごめん!ちょっと待ってて!!」
そして、慌てて近くにあった布で、黒狼の頭を隠した。
よく光る目さえ見えなければ、扉を開く一瞬くらい、なんとか誤魔化せるだろう。
「…ちょっとだけがまんしてね…」
黒狼の耳元で囁いてから、レインはあわてて戸口に走った。
間一髪で、痺れを切らせてクリスが開けたドアに、飛びつくことができた。
「あ、姉上!!ご無事でよかった…!」
勢いよく飛び出してきたレインを、不思議がることもなく、クリスが涙目のまま抱きついた。
「う、うん…心配かけてごめんね」
クリスには悟られないように、抱きつかれたまま、すばやく後ろ手に扉をしめて、ようやくレインは息をついた。
「もしや、陛下のことを悲観されて…身投げでもされたのかと心配しておりまし…たっ…ていっ…いひゃいいひゃいです!あねうえ~!」
突然頬をつねりあげられて、抗議の声をあげる弟に、レインは菫の瞳を怒らせる。
「な・ん・で、私が陛下のことで後追い自殺しなきゃなんないのよ?!逆でしょ?逆!私達は脅されてるのよ?!その相手が死んだら普通なら喜ぶで…しょ…」
反論しながら、語尾が弱くなっていく。
ついでに、弟の頬をつねる力も。
だって気づいてしまった。
無理矢理つれてこられた王宮。
報酬には引かれたけど、やりたくなかった仕事。
でも、今その相手はいない。
それは、本来なら喜んでもいいことで。
もしかしたら、チャンスでさえあって。
それなのに、自分はそんなことを、欠片も思わなかったのは。
(陛下に…生きてて欲しいって…そう思うから…)
クリスは、そんな姉の様子につねられた頬を撫でながら、微笑んだ。
「姉上は…優しいですから」
クリスの言葉にレインは、じわりとにじんだ涙を隠した。
優しさなんかじゃないことは、自分が一番知っている。
「ここで、姉上って呼んだら…お仕置きって言ったでしょ?」
だから、別の言葉で誤魔化した。
クリスの笑顔を見る限り、その効果は…全くなかったみたいだけど。




