内緒の城下町
2014.7.19話数短縮のため、内容を改変・再構築しました。
刺繍の手を止めて、レインは思わず溜め息を溢す。
(あー…退屈…)
後宮に来て数週間。
怒濤のように過ぎていった、始めの頃を思えば、平穏としかいいようがない日々である。
でも、正直にいえば―
「おじゃまするわよ」
「茉莉花様!」
涼やかな声に、崩していた姿勢を正した。
一呼吸あけて、いつみても艶やかな第二側妃は、優雅に入室してきた。
侍女もなく一人である。
「レインも退屈してるかと思って、遊びにきたの」
「皆…忙しそうですよね…」
そういうレインのもとにも、侍女の姿はない。
それもそのはず。
数日前の季節外れの嵐は、各所に甚大な被害をもたらした。
その影響は、この王宮も例外ではなく、温室の一部と、数日後に控えた夜会の会場になるバンケットルームが被害にあっている。
今日はその片付けで、大方の使用人は駆り出されていた。
もちろん、梔子やクリスも例外ではない。
「あら?レインが暇なのは、それだけじゃないんじゃない?いっつも傍にいるあの方が、お留守ですものね」
その茶化すような声音に、レインはかっと赤面する。
「なっ!!ちが、違います!」
そう。
このところ、明らかに接触過多だった王は、特に被害が甚大な東方に、視察に出ていない。
正直、レインは歓迎していた。
頬を撫でられたり、手を撫でられたりは、もはや当たり前。
部屋にいるときは、常に膝に抱えられてるか、膝枕で王を寝かしているか。
そんな状況で、誰が心安く休めるというのか。
(ほんと…あんなお願いするんじゃなかった!!)
「離れられて、清々しております!」
つい、力説してしまうレインに、茉莉花はクスクス笑った。
「そうなの?むしろ、あの幼馴染みくんがいない方が、寂しいの?」
グランは、王の勅命で視察団に加わっている。
ユージィーンに言わせると、王の体が鈍らないための相手役に連れていくのだそうだ。
横取りされて、アヴィカは相当悔しがっていた。
「そんなことも…ありませんが…」
そういえば、数日とはいえ、グランと離れるのも珍しいことだった。
レインが王宮に浚われ…もとい、連れてこられたのが初めてだろう。
(でも…寂しくはない…のよね)
あの隻眼の王のように。
ふとしたときに、頬を撫でる指を。
膝枕で寛ぐ、意外と幼い寝顔を。
愛しいものを見るような優しい赤い瞳を。
思い出してしまうようなことは、ない。
(…って!違う…!なんかこれじゃ…王がいなくて寂しいみたいじゃない!!)
ついつい、王のアレコレを思い出して赤面したレインは、それを誤魔化すべく、いきなり立ち上がる。
「今、お茶いれますね!」
慌ててお茶をいれにいこうとするレインを、茉莉花が笑って止める。
「あ、いれなくて大丈夫。お茶に誘いにきたんだから」
茉莉花の言葉に、レインは首を捻る。
「王妃様のところですか?」
唯一の例外であろう、ディアナの顔を思い浮かべたレインに。
茉莉花は艶然と微笑む。
「もっと、楽しいところよ」
「茉莉花さま…やっぱり不味いんじゃないでしょうか??」
フードを目深にかぶり、レインは小声で話しかける。
「あら?だって陛下がお留守の時くらいしかできないでしょ?お忍びで街にいくなんて」
にっこりと微笑む茉莉花に、レインもぐっと言葉につまる。
(それは…そうなんだけど…)
レインだって、行きたくない訳はない。
自分が作った庇が、どうなったのかも気になるし、前回叶わなかった市内観光もしたい。
しかし、そのあとのお仕置きを思えば、なかなかお願いできなかったのだ。
(護衛にヒグマつけるって脅されたし…)
あの凶悪面と、普通に街あるきができたら、何でもできる気がする。
青くなったり、赤くなったり忙しいレインの様子を、面白そうに観察しながら、茉莉花は止めの一言を放つ。
「それにもう出てきちゃったし?どのみち怒られるなら、楽しんでからのがいいじゃない?」
確かに、もう門は越えてしまったし、街にも入っているのだ。
腹を括るしかなかった。
(要するに、陛下にバレなければ大丈夫なんだし…)
後ろ向きながら覚悟を決めて、表通りを見つめれば、進行方向に青い庇が見えてきた。
「あ、ここだわ!」
茉莉花が嬉しそうに指を指した店。
レインは思わず口許を押さえた。
そうしないと、喜びに叫んでしまいそうで。
(…これ…私の…!)
太陽の光の下、蒼い影の中にきらりと浮かび上がるのは、輝石が織り成す太陽の文様。
幾何学模様にも見えるそれに。
「言いたかないけど…レインって絵心ないわよね?」
茉莉花が苦笑する。
レインは、浮かんでいた涙が引っ込むのを感じた。
(そういえば、ユージィーン様とか妙な顔してたのは…わかってなかったのね!)
脱力して、その場にへたりこみそうになる。
「あ、ごめんなさい。気づいてなかったのね?でもなんだか分からないところが好評みたいよ?だから、元気だして?ここ、暑いし日焼けしちゃうから中に入りたいし」
最後の方は、思いっきり本心が漏れていた気もするが…。
レインは微笑んで頷いた。
まずは、店の主に、お礼を言おう。
自分の商品を気に入ってくれた人。
(一体どんな人かしら…?)
扉を開けると、一気に甘い香りに包まれた。
どうやらサロンを併設した菓子店のようだった。
流麗な文字で、[ジンジャーブレッド・ハウス]と書かれているのは店名なのだろうか。
「お菓子の家かぁ…」
幼い兄妹が迷いこんだ魔女の家。
(あれ?…この香りどこかで…嗅いだような??)
甘い香りに微かに漂うそれ。
(これは…紅茶の??)
しかし、ショーウィンドウが目に入った途端、全ては吹き飛んでしまった。
「綺麗…!!」
そこには、宝石のように燦然と輝くスイーツが並んでいた。
色とりどりの果物をのせたケーキ。
カラフルなマカロン。
重厚な焼き菓子たち。
そのどれもが、可愛らしい一口サイズにカットされ、美しく飾り付けられている。
リンゴの形に作られたリンゴパイや、持ち帰りたくなる陶器の器にいれられたプリンなど、どれをとっても、乙女心をくすぐられるデザインに、レインの胸もキュンとしてしまう。
「素敵でしょ?サロンも併設されているから、そっちに案内してもらいましょ」
茉莉花は常連の風格で、スタスタとサロンの中を歩いていく。
その背を追いかけながら、レインは思わず辺りを見渡してしまう。
サロンは所々に花が飾られ、華美ではないが優雅な落ち着く空間を演出している。
そして、席を埋めているのは女性ばかりだ。
色鮮やかなドレスに、華やかな笑い声が上がる。
「随分と、女性に人気のお店なんですね?」
空いてる席に腰かけたあと、茉莉花にそう話すと、事も無げに返された。
「あぁ。ここは男子禁制なのよ」
「え!」
レインは心底、びっくりした。
貴族は男性社会だ。
その城下町に、あえて女性向けの店を作るとは。
「それは…かなり思いきった決断ですね」
「私もそう思うわ。でもそれが良かったみたいよ」
茉莉花は、どこか誇らしげに、店を見回した。
サロンは満席、ショーケースの前にも人が絶えない。
間違いなく人気の店なのだろう。
茉莉花とレインが席についたことを見届けて、席の間を優雅に歩いていた女性が、近づいてきた。
「これは、茉莉花さま。お久しぶりですわね」
しっとりとした大人の微笑みを浮かべたその女性の瞳が、琥珀色だったことに、レインは微かに動揺した。
(王妃さまの瞳に似ている…)
はっきりとではないのだけれど。
醸し出される雰囲気が似ている気がする。
「お久しぶりね、オリガ。最近はどうかしら?」
きびきびとした所作で水を配りながら、オリガと呼ばれた女性は、ふんわりと首を傾けた。
きっちりまとめたお団子から少し解れた亜麻色の髪が一筋、優雅に流れる。
「お陰さまで、繁盛しておりますわ。今日はどちらになさいます?」
オリガの問いかけに、茉莉花は微笑んだ。
「今日はジンジャーブレッドでお願いするわ」
「では、ジンジャーを呼んでまいりますね」
(呼んでくる…??)
その言葉に、レインは小首を傾げた。
「茉莉花さま…いまのは…?」
レインの質問に茉莉花は悪戯っぽく微笑んだ。
「ないしょ。まぁ楽しみにしといて♪」
そういわれれば、レインはだまるしかなく。
出された水を一口含む。
それはミントが浮かべられ、スッキリと冷えていて美味しい。
そして、まもなく現れたジンジャーブレッドをみた瞬間。
盛大にそれを吹き出した。
くすんだ金色の巻き髪をスッキリとまとめ、機能的なドレスに身を包んではいたけれど。
少しつり上がった強気な瞳は、輝くようなエメラルド色。
「ヒ、ヒルデガルドさま?!」
間違いなく、それはこの場にいるはずのない、第一側妃だった。




