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静の姫君と嘘つきの王  作者: うぃすた
揺れる心
32/67

海の記憶

記憶にあるのは、一面に広がる海だ。

白い飛沫(しぶき)をあげて、海を渡る船の舳先(へさき)には、幼かった頃の自分がいる。

洗濯物をひろげてマントにして、舳先に股がって海を見ている。

ぶら下がった脚の下をイルカが泳ぎ、遥か彼方で鯨が身を(ひるがえ)す。

時おり煌めくのは銀色の魚の(うろこ)だ。

危ういところでバランスをとりながら、飽くこともなく海を見つめる娘を。

甲板(かんぱん)に洗濯物を干しながら、母親は苦笑している。

舵をとる父親も、彼女をみてしょうがないな、という風に眉をしかめようとして、結局笑ってしまっている。

あの頃は、なんでもない一日の風景。

今では、かけがえのない幸せな一時だったと、彼女は知っている。

日影者ではあったけれど、海での暮らしは楽しかった。

あの日がくるまでは。

ついに、捕まって皇帝の元へ連行されたあの日。

皇帝は父親に、取引を持ちかけた。

母親を差し出せば、代わりに一家の命を救い、さらに商船の手形も渡そう、と。

彼女の母親は、三国一と称えられるほどの美人であったのだ。

色狂いと評判の皇帝は、彼女を喉から手が出るほど欲していた。

父親は一晩悩んで、結果その申し出を受けた。

そして、一家は救われ、才覚のあった父親は商売を成功させた。

母親の犠牲(ぎせい)の元に。

後ろ(だて)のない母親は、皇帝の過剰な寵愛(ちょうあい)と比例して、後宮の壮絶な(いじ)めを受け、女子を産み落とした後、帰らぬ人となった。

(のこ)した女子も十二を過ぎた頃に毒を盛られた。

彼女は皇帝を憎んだ。

父親を憎んだ。

そして男という性を憎んだ。

女が花であれば、その蜜を吸う権利があると、図々しく迫ってくる蔑むべき虫けら共。

(だから…私は男を信じない)

そう決めていたのに。

彼女は赤い隻眼の青年に出会った。

(私に力を貸してほしい)

(その代わり、貴方の望むものを差し出すつもりだ)

夜会の誘いの常套句(じょうとうく)と鼻で笑った。

(私は金のかかる女ですわよ。その覚悟はあって?)

相手は動じなかった。

(此方の望むものは貴方の知識だ。海を渡る航海術、そしてその情報収集の腕を買いたい)

母親の美貌をうけついでいた彼女に、"女"を求めない初めての人間に、ひどく興味が湧いた。

(その代わりに、貴方は何を下さるの?)

その反応に男は初めて、唇をゆがめた。

それは獲物を仕留めた猛禽類のようでもあり。

彼女は目の前の男が、恐ろしく思えた。

(皇帝の元にいる小鳥を貴方に。そして、我が国での生活を保証しよう)


しらぬ間に、涙が流れていたようでこめかみが冷たかった。

それをそっと拭ってくれた手を感じて、茉莉花は目を開いた。

「…大丈夫か?」

何時もより、少しだけ翳る赤い隻眼が彼女を捉えていた。

彼女があぶなげなく、立ち上がるのを見届けて、王はすっと彼女から距離をおく。

これが、二人の暗黙の了解だった。

何よりも男を嫌う彼女のために、王が決めた取り決め。

「…大丈夫です。王の方こそ…よろしいのですか?」

最近では、王妃の部屋にも訪れないで、新しい妃に夢中、という王の突然の訪問に、思わず皮肉で対応してしまう。

皮肉られた相手は、唇をほんの少しだけ歪めて。

「エレインが心配だから様子を見てくれ、とせっつくので、な」

惚気とも聞こえるその言葉よりも。

名前を呼ぶときの表情に、彼女は悟る。

王の心の在りかを。

「それは…お気遣いいただき痛み入ります。レイン様にもご心配をかけて申し訳ありませんでしたわ。少しだけ…昔を思い出しただけですの」

茉莉花の言葉に、王は少しだけ眉を寄せて、瞳を伏せる。

「そうか」

慰めるでもなく。

ただ受け止めるだけの優しさを、優しさと認められるようになったのはいつからだろう。

最初にその手を取ることを拒絶した自分を、後悔するようになったのはいつからだろう。

「陛下、…お願いがありますの」

あのとき叶えてくれた彼女の願いのように。

(願えば叶えてくれるだろうか?)

茉莉花は、目の前の隻眼の王を一心に見つめた。

けして口に出せない願いの代わりに、ほんの少しの意地悪をこめた依頼を王に送る。

(他の妻の前で堂々と惚気るからですわ)


茉莉花の過去編でした。

次はちょっとした小話的なやつです。

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