紫紅玉の指輪
炉のなかで燃え盛る炎に照らされて、煌めく赤い石をそっと手に取り、それを慎重に爪に噛ませると、ジークは知らず詰めていた息を吐き出した。
完成したのは、赤い石を抱いた金の指輪。
その輪の部分には、ぐるりとスズランの意匠が巡らされていた。
何処にもキズがないことを確かめて、それを台座に戻すと石は途端に輝きを失い、青紫色に変わった。
それを見計らったように声がかかる。
「そろそろ一休みされてはいかがですか?若長」
笑いを含むその声音に、ジークは思わず眉をしかめて振り返る。
「…師匠にそう呼ばれるのは、落ち着かない」
そこには、長い灰色の髪を一つにくくり、西国風の衣装を身に纏う壮年の男が立っていた。
男はジークの不満に、銀色にも見える灰色の瞳を優しく歪め、手にもっていた杯を渡した。
「貴方が私の弟子だったのは、もう随分と前のことですよ。それとも、黒狼王とお呼びするほうがいいのかな?」
悪戯っぽく控えて見せる男に、ジークは溜め息をつく。
そして、ほんの少し微笑んだ。
師匠と呼ばれるのが嫌いなこの男は、こうやってよく、七歳のジークをからかったものだった。
あの頃は、若長でも黒狼王でもなかったけれど。
「…わかった。俺も梟と呼ぶから、ジークにしてくれ」
その言葉に満足そうに頷き、梟と呼ばれた男は、持っていた杯を渡した。
炎に煽られて、水分を欲していたジークは、ありがたく受け取り、一気に飲み干す。
そして、盛大にむせた。
「梟…これ、酒…!」
梟が昔から愛飲する火酒はその名のとおり、火がつくほどアルコール度数の高い酒だ。
間違っても、普通の大きさの杯に注ぐ代物ではない。
その指摘に、梟は意外そうに眉をあげた。
「おや、悲壮な顔で訪ねてくるもんだから、てっきり飲みたいのかとおもいましたが…違いました?」
顔色一つ変えず、同じ様に杯を煽って、梟は更に杯を満たしている。
彼が飲むとまるで水の様にすら感じる。
(相変わらず、化け物だな)
ジークも弱い方ではないが、流石に一気にいれたのは不味かったらしく、胃の腑が焼けるように熱かった。
「久しいと言うのに、なんの挨拶もなく工房に籠ったと思えば…指輪とは」
今、作り終えたばかりのジークの作品を子細に見ながら、梟はその瞳をすがめた。
「スズランの意匠ということは、幸福…いや、意識しない美しさといったところかな?その方があの方らしい」
どうやら贈る相手を見抜かれた気まずさに、ジークは在らぬ方に目を向ける。
梟は、そんなジークに微笑んだ。
「…私もバイロイト伯爵に、よい土産話が出来そうです」
その言葉に、ジークはオッドアイを細めた。
「彼方はかわりないのか?」
梟は、その言葉に少し首を傾げる。
その様子は、その名の通り、どこかふくろうを思わせる。
「"目"の報告に依れば、留守中に夜盗がきたとか。持ち出されたものはなかったようですが…」
表向きは彫金師である梟は、その特技からジークの情報収集の要でもあった。
レインの情報を集めたのも彼だった故に、バイロイト領にはまだ彼の"目"が生きていた。
(物取りの類いではない…となれば)
「…レイン絡みか…どう思う?」
思案顔のジークに、珍しく意見を求められて、梟は少し沈黙する。
「バイロイト伯爵がご存知ない以上、館に手がかりとなるものはないはずですから…心配するほどのことでもないか、と」
ジークは、その情報を慎重に吟味する。
自分がレインの出自に気づいたのは、レインの両親を知っていたことが大きい。
(たしかに、梟の言うとおりか…)
杯を傾けつつ、いつになく思い悩む様子のジークを、梟はニコニコとほほえんで見つめる。
「やはり、好きな方のこととなると、残虐王も人の子ですね」
ジークは再び酒にむせた。
「…ぐっ…げほっ…だから、なんで、そうなる?!」
そんなジークを憐れむように見つめて、梟は言った。
「この指輪です」
その言葉に、ジークは沈黙する。
青と赤の異なる瞳が炎に揺れる。
「…ただの小道具だ。芝居の、な」
淡々とした口調に混ざる悔恨。
それは、苦しい胸のうちの吐露に思えて。
「其にしては、経費が掛かりすぎですな」
「その方が信憑性を増す」
梟は、肩を竦めてみせる。
「口はだいぶ達者になられた」
その言葉に、ジークは憮然と杯を干して立ち上がった。
「口うるさい側近と我が儘な上司と嫌みな師匠がいるからな」
その恨めしげな声に、梟は声をあげて笑った。
「それは失礼。鍛えられたということですな。さて…」
笑いを納めて、梟は指輪を捧げ持った。
「この、指輪のお届けは、如何に致しますか?直接渡されますか?」
できないことが分かっていて、言ってくるあたり、やはり嫌味だ。
「任せる」
苦り切った様子でジークは、短くつげた。
「では、近い内に…」
そつのない発言をしながら、瞳では違うことを考えていることが分かる師に。
「余計なことはするなよ?」
思わず釘をさすジークだった。
その去っていく背を見送り、梟はタメ息をつく。
手の中で光る紫紅玉の指輪に。
「どんな嘘をついても、心は誤魔化せないんですよ、若長」
二人のこの先を思いやり、梟はその白銀色の瞳を曇らせるのだった。
外は既に夜と朝の中間の空に変わっていた。
その空の下に、見慣れたオールブラウンの姿。
「なんで、ここにお前がいる?」
王の不機嫌な呼び掛けに、宰相は飄々と肩を竦める。
「それは、こっちのセリフだよ。僕は意中の女性とよろしくしてただけ」
その身からは確かに、女の香水が香ってくる。ジークは思わず眉をしかめた。
「…今度のは、どこの猫だ?」
ユージィーンは、その茶色の瞳を悪戯に輝かせた。
「我等が親愛なるじじいさまのとこ。なかなかよい声で鳴く仔猫ちゃんだった」
ふふふ、と、思いだし笑いをするユージィーンを、あきれた目で見て、ジークは釘をさす。
「…爪に気を付けろよ」
その言葉に、ユージィーンは意外そうに目を瞬いて、ほんの少し唇を歪めた。
「大丈夫。同じヘマはしないさ」
その言葉に含まれる自嘲のトゲに、自分の言葉がユージィーンの古傷を抉ったことを知り、ジークは素直に頭を垂れた。
「すまん。…余計なことだった」
そんなジークに、ユージィーンは苦笑する。
「これだから…参るよね」
ジークが気づかない程の小声で呟き、ユージィーンは背伸びした。
「あー、お互い夜更かししたんだし、朝の公務は無しにしない?」
「じゃあ、お前がアランに言えよ」
「絶対いやだ」
「じゃあ諦めろ」
「効率悪いよー寝不足で仕事なんてー」
「それなら、仮眠しろ」
「じゃあ隣で寝てー」
「…永遠に眠るか?」
仲が良いのか悪いのか、じゃれあう主従の後ろから、白々と夜が明けようとしていた。
ユージィーンとジークの朝帰りは、蛇足だなぁと思いつつ切れませんでした。
この主従の会話が好きなんです。
次はユージィーンを主役に話を書きたいのでちらっと伏線張っとこうかと。




