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第75話 持ち帰った景色

 白山(はくさん)の主(ぬし)素材を窓口へ差し出したあと、俺の手元に戻ってきたのは、薄い一枚の受領控えだった。


 麓の宿で身体を休め、町へ戻ってからのことだ。山で書いた『白山(はくさん)・主(ぬし)』の札は、記録袋と一緒にカウンターの向こうへ渡っていた。俺は控えと野帳を並べ、採れた場所と日付に食い違いがないかを確かめた。


「こちらで、一時保管としてお預かりします」


 係の人が言った。俺は頷き、確認を終えた紙を透明な袋へ収めた。道中で拾った甲二枚は、通常素材として買い取りに回した。宿代と列車賃を引いても、少しは残る額だった。


 隣の窓口では、台車に積まれた箱を挟んで、別の二人が話していた。一人は伝票の端を指で押さえ、もう一人は箱の持ち手へ手を掛けている。俺たちが山で拾ったものも、ここから先は、見知らぬ誰かの手を通って調べられる。


「あの、検査で分かったことは、俺たちにも聞かせてほしいです」


 帰りかけてから、もう一度言った。

 係の人は顔を上げ、担当へ伝えておきます、と答えた。


 宮坂(みやさか)さんも窓口へ一礼し、俺と並んで出口へ向かった。外へ出ると、午後の日差しが通りを明るく照らしていた。


「結果を聞く時は、私にも声を掛けてください」


「もちろんです。二人で聞きましょう」


「聞きたいところも、少しずつ違うかもしれませんしね」


 彼女はそう言って、眩しそうに目を細めた。


 素材にどんな性質があるのかは、まだ分からない。返ってくる日も決まってはいなかった。ただ、山から持ち帰ると決めたものを、ここまでは運べた。


 俺は鞄の口を閉じた。主(ぬし)素材を入れていたところに余裕ができていたが、カメラはまだ中にある。


 携帯を出すと、遼(りょう)から返事が来ていた。


『準備できてます。お茶もあります』


 画面を見せると、宮坂(みやさか)さんの口元が緩んだ。


「待っていてくれていますね」


「行きましょう」


 俺たちは、みさか屋へ向かう方へ足を向けた。


*


 戸を開けると、奥の茶の間から遼(りょう)がすぐに顔を出した。


「お帰りなさい!」


 携帯の画面で見たのと同じ言葉だった。

 目の前で言われると、ようやく返事をした気がした。


「ただいま」


「戻りました」


 宮坂(みやさか)さんも笑って答えた。


 遼(りょう)は俺の足元へ一度目をやったが、すぐに鞄へ視線を移し、両手を伸ばしてきた。


「そっち、持ちますよ」


「今日は大きい荷を置いてきたから、そんなに重くないぞ」


「カメラ、入ってますよね」


「入ってる」


「じゃあ、持ちます」


 手渡すと、遼(りょう)は両手で受け取り、茶の間へ運んだ。


 座卓にはノートパソコンとカードリーダーが並んでいた。接続する線は人の足が通らない側へまとめられ、機器から離れた端には、湯呑みが三つと、まだ封を切っていない菓子の袋が置かれている。


 俺は右脚を横へ伸ばせる場所に座った。宮坂(みやさか)さんが隣へ腰を落ち着けると、カゲは少し迷ってから、俺の爪先の脇へ伏せた。


「まず、元の分を残しますね」


 遼(りょう)がカードを受け取り、リーダーへ差し込んだ。別々の保存先へ複製が進む間、俺たちは茶を飲んだ。窓から入る風に吹かれ、卓の隅の菓子袋がかさりと鳴っている。


「頂は、どうでした」


 画面を確かめながら、遼(りょう)が聞いた。


「風が強かったな」


「景色は」


「すごく、広かった」


「それ、聞く前から分かってるやつです」


 遼(りょう)が笑い、宮坂(みやさか)さんも湯呑みを持ったまま声を漏らした。


「下から見ていた尾根の向こうに、広い斜面があったんです。手前からでは、あんなふうになっているとは分からなくて」


「それ、映ってます?」


「カメラは向けたと思うんだけどな」


 俺が答えると、遼(りょう)は画面へ戻った。


「じゃあ、そこも探します」


 俺は窓の向こうを見た。道を挟んだ建物の屋根があり、軒先に下がった小さな札が風に揺れていた。白山(はくさん)の頂から見た広がりとは違う。それでも、湯呑みを置くたびに、何かが飛んでいかないか気にしなくていいのは楽だった。


 遼(りょう)が複製を確かめ、元のカードをケースへ戻した。


「頂からで、いいんですよね」


「ああ、そうしてくれ」


「お願いします」


 宮坂(みやさか)さんが座り直した。

 遼(りょう)も菓子には手を伸ばさず、再生画面を広げた。


*


 最初に部屋へ入ってきたのは、風の音だった。


 画面の中で黒い岩の縁が斜めに動き、その向こうへ空が広がった。雪の残る窪地を黒い岩が囲み、さらに遠くでは、尾根が幾重にも青く霞んでいる。


 胸からカメラを外し、手に持って向けたところだった。レンズを動かしながら自分でも同じ方を見ていたせいか、景色はゆっくり流れたあと、一つの尾根の前でしばらく止まっていた。


「ここです」


 宮坂(みやさか)さんが画面の奥を指した。


「あの尾根の裏側に、広い斜面があったんです」


「下からは、岩しか見えなかったんだ」


 俺も遼(りょう)へ言ったが、彼は返事をせず、画面へ顔を近づけていた。


 俺も尾根の重なりを目で追った。あの時には近くの雪ばかり見ていたが、その奥にも細い白が残っている。一度は自分の目で見てきた景色なのに、こうして見直すと、気になるところが少しずつ違った。


 不意に画面が揺れ、硬いものが擦れる音がした。

 カメラを石へ置いたところだった。


 空が一度多く入り、角度を直す手が端を横切る。動きが止まると、少し離れた岩に宮坂(みやさか)さんが座っていた。


 そこへ、画面の外から俺が戻ってくる。


 遼(りょう)がちらりとこちらを見た。

 俺は画面から目を離せなかった。


 低い足場を選んだ覚えはあった。外から見ると、思っていたより時間を使っていた。右脚へ一度に重みを落とさず、宮坂(みやさか)さんが空けてくれたところへ腰を下ろす。


 そのあとを、白い背が追ってきた。


『カゲ、そっちじゃない』


 自分の声だった。


 画面のカゲは耳を動かし、俺を見上げた。レンズには背中と尻ばかり向けている。


 遼(りょう)が吹き出した。


「本当に、向いてないですね」


「言っただろ」


「一度もですか」


「見てれば分かる」


 今、足元にいるカゲが顔を上げた。遼(りょう)は画面とそちらを見比べ、ますますおかしそうに口元を押さえた。


『いいじゃないですか。そのままで』


 映像の宮坂(みやさか)さんが笑っていた。

 今の宮坂(みやさか)さんも、それを見て笑っている。


 カゲが靴へ顎を乗せると、画面の俺は諦めて前を向いた。


『着きました』


 自分の声を聞き、頬が少し熱くなった。


『さっきも言いましたよ』


『何回でも、口に出したくなるんです』


 言ったことは覚えている。

 こんな顔をしていたことは、知らなかった。


 カメラを取りに俺が立つまで、映像は続いた。言葉が途切れ、ただ並んで座っている時間も、そのまま残っていた。


 再生が終わると、外を通る車の音が部屋へ戻ってきた。


「……いいですね」


 遼(りょう)が言った。

 画面を見つめたまま、もう一度、同じことを言った。


「いいな、これ」


 俺は湯呑みを持ち上げたまま止めていたことに気づき、少し冷めた茶を飲んだ。


「これを、先に見たかったのか」


「はい」


 遼(りょう)は頷き、止まった画面を見た。


「本当に、二人とも頂にいるんだなと思って」


 宮坂(みやさか)さんが静かに息を吐いた。

 俺も、すぐには次を再生してくれと言わなかった。


*


 主(ぬし)戦の記録を開いて先へ進めると、音の近さが変わった。


 衣服がマイクを擦り、息を吐く音がすぐ耳元で聞こえる。画面の大半を白い板が占め、その端に見える岩が、身体の動きにつれて大きく傾いていた。


 遼(りょう)の口元から、少しずつ笑みが消えた。


『沢渡(さわたり)さん、後ろ!』


 宮坂(みやさか)さんの声に、踵が岩へ当たった感触を思い出した。第二を使い、両腕に受けた力を肩と背へ通し、岩を踏んだ足へ流していた。


 画面には、その足が映っていない。

 白い面と、岩と、擦れる袖ばかりだった。


 錫杖(しゃくじょう)の輪が鳴った。


『下、抜けます!』


 俺の声のあと、画面が大きく傾いた。板の破断面がすぐ脇を流れ、一瞬暗くなったと思う間に、主(ぬし)の足元へ抜けていた。


 遼(りょう)が再生を止めた。


「今、どこから出たんですか」


「欠けた角と、岩の間だ。少し前まで、岩に重なって塞がれてた」


「そこが、開いたんですか」


 宮坂(みやさか)さんが画面を見たまま答えた。


「外から、左膝を狙いました。届く前に脚を引かれて、板もこちらへ向いたんです」


「そっちを向いた分、俺の前が空いた」


 遼(りょう)は少し戻し、同じところをもう一度見た。


 白い端が動く。

 向こうで鳴った輪の音に合わせて、遼(りょう)の指が止まった。


「ここか」


 彼は画面へ顔を近づけたが、宮坂(みやさか)さんの身体までは見えなかった。


 俺には、欠けた角の向こうを走る杖先が見えていた。だが、胸のカメラが向いていた先と、俺が目を向けた先は、いつも同じではなかった。この映像だけを追っても、彼女が外でどう動いたのかは分からない。


 遼(りょう)が再生を進めた。


 岩を叩く音が重なり、主(ぬし)の腕が画面を横切る。見ているうちに、俺の左手がいつの間にか握られていた。遼(りょう)がこちらへ目をやった時、俺は指を開いて手を膝から離した。


「止めるか」


「いえ。最後まで見ます」


 そう答えた遼(りょう)も、さっきより画面から離れて座っていた。


 終わりに近づくにつれ、俺が覚えているものと、画面に見えるものの違いが増えた。


 主(ぬし)の右手が岩を掴む。その肘へ入ったところは、身体の動きに合わせて近づきすぎ、傷の全体が見えなかった。左拳を引き抜いたあと、岩の段を下りる宮坂(みやさか)さんの靴が端を横切る。


 俺が重さや足の置き場として覚えていたものが、画面では近づいてはすぐに消えていく。


 最後の突きが入った時も、大きな部分は、俺が受けていた主(ぬし)の左手に遮られていた。遼(りょう)が身を乗り出しかけたが、今度は再生を止めなかった。


 やがて主(ぬし)の輪郭が崩れ、白い面が薄れていった。

 その向こうへ、空が透ける。


 少しして白い背が足元へ戻り、画面の位置が低くなった。岩へ腰を下ろしたところだった。俺たちの息と風の音が続き、宮坂(みやさか)さんが俺を呼んだ。


『最後の一突き、届きました』


 俺は顔を上げたことを覚えている。

 画面の端には、錫杖(しゃくじょう)を握る彼女の手があった。


『見てました』


 自分の返事を聞いたところで、遼(りょう)が止めた。


「最後、二回ですか」


「はい。最初に入れたところへ、もう一度」


 宮坂(みやさか)さんは右手を動かしかけ、膝の上へ戻した。


「一度では、まだ止まりませんでした」


「俺が手を外へ流してる間、続けてもらった」


「そこ、あとでもう少し聞いていいですか。音はあるんですけど、どこへ入ったのかまでは、映像から分からなくて」


「ええ。私の方から見えたところも話します」


 遼(りょう)は頷き、手元へ短く書き留めた。それから止まった画面ではなく、俺たちを見た。


「二人が帰ってから見る映像で、よかったです」


 俺は返事をしようとして、口を閉じた。

 遼(りょう)は笑おうとしたらしかったが、うまく笑えていなかった。


「さっき、頂で笑ってたのを見たのに。途中で、まだ次が来るんじゃないかと思って」


 俺は画面へ目を戻した。

 岩のそばに宮坂(みやさか)さんがいて、もう白い板はなかった。


「あの時の俺も、まだ来ると思ってた」


 遼(りょう)がこちらを見る。


「主(ぬし)が散るまで、もう一度動いたら迎え撃つつもりだった。終わっても、すぐには力が抜けなかった」


「……そうなんですね」


 そのあと、誰も次の映像を急がなかった。


 宮坂(みやさか)さんが卓の端の菓子袋へ手を伸ばした。開け口を探しているのを見て、遼(りょう)が自分の方へ寄せる。封を切る音が妙に大きく聞こえ、彼は少し困ったように笑った。


「お茶、入れ直します」


 立ち上がった遼(りょう)のあとを、カゲが目で追った。俺も湯呑みを空け、卓の端へ寄せた。


*


 茶を入れ直してから、俺たちは素材の回収や防壁を試したところも確かめた。


 画面の中で俺が声を出し、白い面を一枚立てた。宮坂(みやさか)さんが触れ、錫杖(しゃくじょう)の柄で軽く叩くと、コン、と小さな音が部屋に響いた。


 さっきまで見ていた主(ぬし)戦の音とは違う。画面の俺たちは、その音がしても身を引かず、面の立っているところを見ていた。


「帰りにも、使ったんですか」


 遼(りょう)が聞いた。


「ああ。落石があった」


「そっちも見られますか」


「そこは撮ってない。頂で録画を止めて、下で大きな荷を回収した時にしまった」


 鞄から野帳を出し、落石のあった道を描いた頁を開いた。遼(りょう)は二枚の板の絵を見て、俺と宮坂(みやさか)さんの顔を順に見た。


「一枚ずつ、相手のところへ出したんですか」


「そうだ。最初は俺が、宮坂(みやさか)さんの背中へ石が来るところへ」


「そのあと、私が。沢渡(さわたり)さんが下りる間、頭の上へ出しました」


 遼(りょう)は紙へ触れないところで指を止め、二つの線と、その間を通る矢印を辿った。


「それも、見たかったな」


 言ってから、彼は自分で首を振った。


「今のは、撮ってきてほしかったっていう意味じゃなくて」


「分かってる。俺も、宮坂(みやさか)さんの方からどう見えたかは、見たかった」


 宮坂(みやさか)さんが笑った。


「身体が戻って、広いところで試す時には、遼(りょう)くんにも見てもらいましょう」


「はい。それなら、撮る前に俺も見たいです」


 遼(りょう)は野帳を返し、パソコンへ向き直った。


 主(ぬし)戦の映像は、まだ何度か見直す必要があった。どの一撃が映っているのか、声だけが残っているのか。俺たち自身が、覚えていたつもりのところを確かめ直していた。


 遼(りょう)が頂の場面を開いた。


「こっちは、どうします?」


 画面には、さっき三人で笑ったところが、小さな画像になって並んでいた。


「そこを先に、短い一本で出したい」


「景色を向けたところからですか」


「ああ。俺たちが座ってるところも」


 言ってから、少し考えた。


「ただ、何も喋ってないところは、短くしてもいいんじゃないか」


 遼(りょう)の手が止まった。

 宮坂(みやさか)さんもこちらを見た。


「どの辺りですか」


 言われて再生してもらった。二人が笑ったあと、岩に座ったまま景色を見ているところだった。


 風で上着が鳴っている。

 カゲは靴へ顎を乗せている。


「この辺り。俺たちは景色を見てるけど、画面にはあんまり映らないだろ」


 遼(りょう)はマウスから手を離し、しばらくそのまま再生した。

 それから止めた。


「俺は、ここを少し残したいです」


「長くないか」


「主(ぬし)戦を見たあとだと、座ってても何も来ないのが、いいので」


 俺は画面を見た。


「でも、これを見る人は、主(ぬし)戦を見てないだろ」


「……そうですね」


 遼(りょう)も止まった画面を見てから、最初の景色まで戻した。


「じゃあ、こっちからつなげて見てみましょう」


 山の向こうへカメラが動き、尾根の奥で止まる。しばらくしてカメラが石へ置かれ、俺が戻ってきた。


 その間、遼(りょう)は何も言わなかった。

 二人が同じ方を向いて座ったところで、ようやく再生を止めた。


「これなら、二人が何を見てるかは分かると思います。長く全部残すんじゃなくて、喋らなくなってからも、少しだけ」


 宮坂(みやさか)さんが頷いた。


「私も、そこは残したいです」


「ここをですか」


「はい。あの時、すぐに立ちたくなかったので」


 彼女は画面の自分を見ていた。


「沢渡(さわたり)さんも、そうだったでしょう」


「そうでしたけど」


 俺は、もう一度再生してもらった。


 今度は自分の顔ばかりを見ずに済んだ。同じ方へ向いた肩と、風を受けて膨らむ服がある。話が途切れたあとも、画面の俺は前を見ていた。


 何もしていないと思った。

 けれど、あそこへ座って向こうを見ることを、登る前から楽しみにしていたのだ。


「じゃあ、残そう」


 遼(りょう)がこちらを見た。


「俺も、その方がいい気がしてきた」


「はい」


 彼は印をつけ直した。


 宮坂(みやさか)さんはまだ画面を見ていた。俺がそちらを向くと、彼女も気づいて顔を上げた。


「私の笑っているところも、そのままでいいです」


「俺の方が、笑ってますよ」


「ええ。なので、そちらもできれば」


 遼(りょう)が口元を隠した。


「何だよ」


「いえ。そうしていいか、俺からも聞こうと思ってたので」


 俺はもう一度、画面を見た。

 言いたいことは、二人とも同じらしかった。


「……そこも、そのままでいい」


 答えると、遼(りょう)は今度こそ声を出して笑った。


*


 短い映像が一本にまとまるまで、俺たちは茶を飲み、遼(りょう)の操作を待ちながら話した。


 山で食べたものの話になると、宮坂(みやさか)さんが、下りてから卵とじうどんを食べたと言った。遼(りょう)は菓子を一つ取ったところで手を止めた。


「それ、二人だけで?」


「麓でな」


「町へ帰ってから、三人でもよかったじゃないですか」


「麓からここまで、昼飯を待てって?」


「……それは、無理ですね」


 宮坂(みやさか)さんが湯呑みを置いた。


「おいしかったですよ」


「それは、聞かなくても分かります」


 遼(りょう)は手の菓子を食べた。

 俺は笑ったが、次に三人で飯を食べる時には、遼(りょう)に店を選んでもらってもいいと思った。


「書き出せました」


 遼(りょう)が言うと、俺たちは湯呑みを置いた。

 今度は途中で誰も話さず、最初から最後まで見た。


 山の向こうへ広がる景色。

 岩へ置かれるカメラ。

 そこへ戻ってくる俺と、少し横へ詰める宮坂(みやさか)さん。


 風の音は残っていた。言葉に被るところもあるが、あの場所にいた時の声だった。遼(りょう)は音楽を重ねず、最後も、二人が並んで座る時間を少し残した。


 言葉のないところでも、上着が鳴っている。

 俺はその音を聞き、あの岩に座っていた時の冷たさを思い出した。


 画面が暗くなった。


「俺は、これでいい」


「私も、これでお願いします」


 宮坂(みやさか)さんが答えると、遼(りょう)は二人を見てから頷いた。


「じゃあ、これを出します」


 表題には、『白山(はくさん)の頂で』と入った。


 主(ぬし)戦も素材も、この短い一本には入っていない。そこをどう見せるかまで、今日の勢いで決める必要はなかった。今は、自分たちが上がったところを見せたかった。


 遼(りょう)が操作を進め、投稿を終えた。

 開き直したページに、岩へ並んで座る俺たちが現れた。


 俺はしばらく、それを見た。


 さっきまで卓の上で選んでいたものが、もう、この部屋の外からも見られるところにある。


「出ましたね」


 宮坂(みやさか)さんが言った。


「ああ」


 俺は頷いた。

 画面の中では、まだ二人とも風に吹かれていた。


*


 片づけ始めたところで、遼(りょう)が手を止めた。


「あの、今度、俺の地図も見てもらっていいですか」


 俺は顔を上げた。


「どこの」


「まだ、幾つか迷ってます。今の丈(たけ)で行けるところで、登ってみたい山があって」


 遼(りょう)は画面へ目をやったが、そこに映る頂を指したわけではなかった。


「ここまでは、まだ行けませんけど。俺も、着いてから座って見るところを、自分で選びたいです」


 宮坂(みやさか)さんが彼の方を向いた。


 俺は、この卓で白山(はくさん)の頂へ丸をつけた時のことを思い出した。どこへ行くかを決める前に、どうして行きたいのかを話した。遼(りょう)が何を見たいと思ったのかも、聞いてみたかった。


「持ってこい。どこを見たいのかも、聞かせてくれ」


「はい」


 返事が早かった。


「実際に登るのは、ちゃんと準備してからな」


「分かってます。まず、地図だけ」


 宮坂(みやさか)さんが笑った。


「迷っている方も、持ってきてくださいね」


「両方ですか」


「ええ。どうして迷っているのかも聞きたいので」


 遼(りょう)は少し考え、頷いた。

 まだ決まっていないことを話すのが、さっきより楽しそうだった。


 俺は茶を飲み干し、空いた湯呑みを卓の端へ寄せた。その向こうでは、投稿した映像の最初の画面が待っていた。


「遼(りょう)」


「はい」


「最後に、もう一回見よう」


 彼は俺を見て、それから宮坂(みやさか)さんを見た。

 宮坂(みやさか)さんはもう、画面の方へ座り直していた。


「見やすいですか」


 遼(りょう)が聞いた。

 以前、映画館で聞かれたのと同じ言葉だった。


「見える」


「大丈夫です」


 俺たちが答えると、遼(りょう)は再生を押した。


 風の音が部屋へ戻ってきた。


 白い背が画面を横切るところでは、まだ何も言っていないうちから、遼(りょう)の口元が緩んだ。俺も、今度は自分の声が来るのを待てた。


 カゲは、やはりレンズの方を向かなかった。


 二人で持ち帰った風の音に、今度はこの部屋の、三人分の笑い声が重なった。


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