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第1話:歩く小箱と、触れられぬ記憶

処女作品です。よろしくお願いします

 この世界には、二種類の「落とし物」がある。

 一つは、ただ道端に落ちているだけの、持ち主がうっかり落とした手袋や硬貨だ。これらは時間が経てばただのゴミになるか、親切な誰かに拾われて交番に届く。

 そしてもう一つが、僕たちの仕事場に運ばれてくるもの。

 人々の強い未練、怨嗟、あるいは激しい愛――そうした「感情の残滓」が世界の血液であるマナと結びつき、独自の意思や怪異を持ってしまった落とし物。

 僕たちはそれを『未返却物オルタ・ロスト』と呼ぶ。

「おい、ルカ! また新顔のお出ましだぞ。今回はかなり骨が折れそうだ」

 石造りの頑丈な地下倉庫に、同僚の野太い声が響いた。

 大陸のあらゆる魔力が集まる場所、巨大な『世界樹』の根元に建てられた国の機関――それが、僕の職場である『未返却物管理庁』だ。

「今度は何ですか、ガイさん。僕、さっきまで『ひとりでに編み進み続ける呪いの毛布』の相手をしていて、指先がすっかり冷え切っているんですけど」

 僕――ルカ・アインスワースは、額の汗を拭いながら振り返った。

 僕には剣の才能も、炎を放つような派手な魔法の才能もない。ただ一つ、物質に宿る「持ち主の記憶」を映像として覗き見ることができる『追憶の魔眼』を持っていた。そのせいで、この一風変わったお役所で、暴走する落とし物たちの心を宥める「管理官」というニッチな仕事を任されている。

「ほらよ、これだ。西の旧市街の廃屋で、バタバタと暴れていたところを捕縛班が網で捕らえたらしい」

 先輩職員のガイさんが、ガシャリと重々しい音を立てて机の上に置いたのは、一辺が二十センチほどの、古びた鉄の小箱だった。

 表面には赤黒い錆が浮き、複雑な幾何学模様の魔法陣が刻まれている。

 驚いたことに、その小箱の底面からは、まるで鳥のような細い金属製の『足』が二本、ちょこんと生えていた。

「ガチガチガチガチ!」

 小箱は僕たちを威嚇するように、蓋の隙間を激しく開閉させて音を鳴らした。それどころか、机の上を短い足でせかせかと走り回り、逃げ場を探して右往左往している。

「ほうら、生きてるだろ? しかもこれ、外側にかけられた封印術式が尋常じゃない。俺たちの解析班じゃ、力尽くで開けようとしたら中身ごと爆発するってサジを投げちまった」

「……かなり強力な、それも古い時代の術式ですね」

 僕が小箱に近づくと、僕の足元から、ぬるりと黒い液体のようなものが這い出てきた。

 それは立体的な人型を形作り、やがて二つの赤い瞳を浮かび上がらせる。

『おいおい、ルカ。こいつはキな臭いぜ。中に詰まってるマナの密度が異常だ。まるで、小さな心臓が中で脈打ってるみたいだぞ』

 呆れたように肩をすくめたのは、僕の相棒であり、居候でもあるクロだ。

 彼は影の魔獣――ではなく、誰かがどこかに置き忘れた『影』が自我を持った、これも一種の未返却物だった。数年前、僕がその未練を解消して以来、なぜか僕の影に定着して相棒気取りでいる。

「ガチッ、ガチガチ!」

 小箱はクロの姿を見て怯えたのか、短い足を踏ん張って、僕の椅子の脚の陰に隠れてしまった。なんだか、捨てられた小動物のようで見捨てがたい。

「よしよし、怖がらせないよ。……ガイさん、この子の所有権の調査、僕が引き受けます」

「助かる。暴走して結界を張られる前に、なんとかしてくれよ。お前だけが頼りだ」

 ガイさんは僕の肩をぽんと叩き、そそくさと倉庫を出て行った。頼りにされているというより、面倒事を押し付けられただけのような気もするが、これが僕の仕事だ。

 僕は椅子の下に視線を落とし、そっと床に膝をついた。

「こんにちは。僕はルカ。君を壊したりしないから、少しだけ君の過去を見せてもらってもいいかい?」

 小箱は怯えたように蓋を震わせている。

 僕はそっと右目の眼帯を外した。僕の右目は、深淵のような深い紫色に変色している。これが、物体の記憶を暴く魔眼だ。

 僕は手袋を脱ぎ、細心の注意を払いながら、小箱の錆びた天面に指先を触れさせた。

「――『追憶レミニセンス』」

 刹那、僕の意識は、冷たい地下倉庫から、遥か過去の光景へと引きずり込まれた。

    



 視界を埋め尽くしたのは、燃え盛る炎と、天を突くような黒い煙だった。

 耳を劈くのは、人々の悲鳴と、怪物の咆哮。

(……ここは、どこだ? いつの時代だ?)

 私の視界――いや、この小箱を作った人物の視点だ。

 息を切らしながら走る男の視界。その手には、まだ錆びていない、美しい銀色の小箱が握られていた。

『待ってくれ、アルフレッド! これ以上は危険だ! 魔王の軍勢がすぐそこまで迫っている!』

 背後から叫ぶ戦友の声。

 アルフレッドと呼ばれた男は、足を止めなかった。彼はボロボロになった甲冑を身に纏い、聖剣を腰に下げている。歴史の教科書で見たことがある。今からちょうど百年前、世界を滅亡の危機から救い、その代償として命を落としたとされる『伝説の英雄アルフレッド』その人だった。

 英雄は、崩れかけの教会へと駆け込んだ。

 そこには、白い修道服を着た、一人の美しい少女が祈りを捧げていた。短い金髪に、不安げな、しかし強い光を宿した青い瞳。

『アリア!』

『アルフレッド……! 無事だったのですね……!』

 二人は固く抱き合った。しかし、残された時間は少ない。地響きが建物を揺らし、ステンドグラスが割れて降り注ぐ。

『アリア、聞いてくれ。これから俺は、仲間たちと共に魔王の心臓を封印しにいく。これが最後の戦いだ』

『……はい。信じて待っています。あなたが世界を救って、帰ってくるのを』

 少女――アリアは、悲痛な笑みを浮かべた。英雄は、その手から銀色の小箱を差し出した。

『これを、君に預けておきたい。中には……俺の、本当の気持ちが入っている。魔王を倒し、すべてが終わったら、この箱を開けてほしい。その時、俺の口から直接、続きを伝えるよ』

『アルフレッド……』

『強力な封印をかけた。俺が生きて戻り、この鍵を差し込むまでは、決して開かない箱だ。だから……必ず生きて戻る。君のもとへ』

 それが、二人の約束だった。

 英雄は少女の額にキスをして、振り返り、戦場へと消えていった。

 ――だが、歴史が語る通り、英雄アルフレッドがその戦いから戻ることはなかった。彼は魔王と共に、遥か地の底へと封印されたのだ。

 残された少女アリアは、教会の焼け跡で、何日も、何ヶ月も、何年も待ち続けた。

 開かない小箱を抱きしめながら。

「必ず戻る」という言葉を信じながら。

 やがて時が流れ、少女はお婆さんになり、誰にも看取られることなく、ひっそりと息を引き取った。

 その瞬間まで、彼女の傍らには、決して開くことのなかった小箱があった。

『ああ……アリア。すまない、アリア……。届けたかった……君に、これを……』

 暗転する記憶の底から、男の、英雄の、引き裂かれるような悔恨の叫びが聞こえた。

 届けられなかった約束。

 開けられなかった小箱。

 二人の強い未練が交錯し、百年という歳月を経て、この箱に奇妙な命を与えてしまったのだ。

    



「――ハッ!」

 息を吸いながら、僕は現実の世界へと意識を戻した。

 額から冷たい汗が何粒も流れ落ちる。右目を押さえると、激しい熱を持っていた。

「大丈夫か、ルカ?」

 クロが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「……うん、大丈夫。ただ、思った以上に重い未練だ」

 椅子の下に目をやると、小箱は先ほどよりも激しくカタカタと震えていた。

 ただの威嚇じゃない。この子は、泣いているんだ。主たちの無念を一身に背負って、行き場を失くして、百年もの間、世界を彷徨っていたのだ。

「ルカ、何が見えたんだ?」

「この子はね、英雄アルフレッドが、恋人のアリアに宛てた『届かなかった贈り物』なんだ。アルフレッドの魔力と、アリアの『待ち続けた未練』が混ざり合って、こうして動き出してしまったんだよ」

 僕は再び手袋をはめ、小箱の前にそっと手を差し伸べた。

「君は、アリアを探して歩いていたんだね。でも、アリアはもう……」

「ガチガチガチ!!」

 僕の言葉を遮るように、小箱が激昂した。

 その瞬間、小箱の表面に刻まれた魔法陣が、禍々しい赤紫色の光を放ち始める。

『おい、ルカ! 下がれ! こいつ、マナを暴走させてやがる!』

 クロの叫びと同時に、ドン、と空気の壁が弾けるような衝撃波が走った。

 地下倉庫の棚がガタガタと揺れ、書類が宙に舞う。小箱を中心に、強力な『拒絶の結界』が展開されようとしていた。百年前の英雄がかけた、世界最高峰の封印術式が、防衛本能として発動してしまったのだ。

「ガチガチガチガチガチガチ!!」

 小箱は狂ったように蓋を打ち鳴らし、狂暴な光を放ちながら、地下倉庫の壁に向かって突進し始めた。このままでは壁を突き破り、地上の街へ飛び出して暴れてしまう。

「クロ、影の網で動きを止めて!」

『応よ! お前ら役人の網より、俺の影の方が頑丈だぜ!』

 クロが床から無数の黒い触手を伸ばし、突進する小箱の足を絡め取った。

「ガチッ!?」

 前のめりに転倒する小箱。しかし、その結界の光は収まらない。むしろ、抑え込まれたことで圧力が限界に達し、大爆発を起こしそうな気配だった。

「ルカ、これ以上は無理だ! 中身ごと吹き飛ぶぞ!」

「ダメだ、爆発させちゃいけない! この中には、二人の大切な……百年の想いが入っているんだ!」

 僕は怯まなかった。

 暴風のような魔力が吹き荒れる中、一歩、また一歩と小箱へ近づく。

 戦う力のない僕にできるのは、ただ一つ。彼らの「心」に寄り添うことだけだ。

「アルフレッド、そしてアリア……!」

 僕は結界の圧迫感に耐えながら、叫んだ。

「あなたたちの結末は、悲しいものだったかもしれない。でも、この箱がこうして今も生きているのは、二人の愛が本物だったからだ! 僕に、その未練を終わらせる手伝いをさせてくれ!」

 僕は、赤紫色の光を放つ小箱を、正面からぎゅっと抱きしめた。

 じりじりと制服の袖が焦げるような熱が走る。

 けれど、僕は腕を緩めなかった。ただひたすらに、優しく、包み込むように。

「もう、歩き回らなくていいんだよ……。僕が、君たちの行き先を、ちゃんと見つけてあげるから」

 その瞬間――。

 ピキ、と何かがひび割れるような音がした。

 小箱の暴走が、ピタリと止まる。

 禍々しい光は急速に収束し、代わりに、温かい、木漏れ日のような黄金色の光が、小箱の隙間から漏れ出した。

「ガチ……?」

 小箱は静かになり、その小さな足を脱力させた。

 どうやら、僕の気持ちが通じ、暴走は一時的に収まったみたいだ。

『ふぅ……肝が冷えたぜ。無茶しやがって』

 クロが影に戻りながら、やれやれとため息をつく。

 僕は腕の中の小箱を見つめた。

 暴走は止まった。けれど、問題は何も解決していない。この箱の封印を解き、中身を「正しい場所」へ返却しなければ、いずれまた持ち主の未練が暴走してしまうだろう。

「アリアの魂が眠る場所……。そして、英雄アルフレッドの未練を解き放つ鍵……」

 僕は立ち上がり、小箱をしっかりと抱え直した。

 どうやら、この地下倉庫にこもっているだけでは、この落とし物は返却できそうにない。

「クロ、旅の準備をして。僕たち、ちょっと遠出をしなきゃいけないみたいだ」

『へへ、お役所仕事の出張ってやつか? 面白そうじゃねえか、付き合うぜ』

 こうして、僕と、言葉を話す影のクロ、そして「歩く小箱」による、百年前の未練を巡る臨時の旅が始まったのだった。

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