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しらないところで  作者: 南 紅夏
高校入学編

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星の恩返しは、誰かの迷惑

 屋敷の方から、かなりの勢いで円盤が飛んできた。その上に、小柄なメイドの陰が見える。

「…ジゼルか、さすがに早いの。予想以上じゃ」

 称賛しつつ、巫女アステリアは真顔のまま、ほろほろと涙を流していた。


 東屋に現れたジゼルというメイドは、以前クレアのお菓子を運ぶときに一階の食堂で見た、60…いや、70歳は越しているのではないかと思われる小柄な老婆だった。

「あらあら、お嬢様。そんなに泣かれるなんて…誰が犯人ですか?消しましょうか?」

 一人でお茶を運んできたそのメイドは、到着するなりあまりにも見た目にそぐわない物騒な発言をした。

 かわいらしいおばあちゃん、と言った風貌の彼女から「消す」などという言葉がナチュラルに出てきた事が、秀人には衝撃だった。


「あえて犯人と言うならソータだな。消したら余計に泣くと思うから、放っておけ」

 涙を流しながら、アステリアはジゼルに笑いかけた。

 そしてそのメイドが用意した巫女用の紅茶には、やはり半身の小さな柑橘が添えられていた。


「まあ、こ奴には好きなだけ泣かせておけばよい。今は予定にない訪問、お忍びじゃ。さっさと用事を済ませて帰らねばならぬからの…ソータ、力を抜け。誰も消したりせぬわ」

「ソウデスカ…」

 ひきつった笑い顔の湊太は、辛うじてそう返した。


 全員に紅茶を配り終えると、ジゼルは素早く屋敷へと戻って行った。

 動作が機敏過ぎて、本当の年齢が分からない。実際は若いのかもしれない、と思える程度に動きにキレがあった。


「…さて、用事があるのは2点。その前に…まずはユリカははじめまして、じゃな」

「はじめまして、よろしくお願いしますっ」

「あと…なのはか。ソータが自ら連れて来た初めての人間か…ふむ」

「なのはです、よろしくです!」


 初対面の二人と簡単な挨拶を済ませると、アステリアは秀人の方に体を向けた。

「まず1点目じゃ。シュート、お主は気付いておったな。イリスの連れ合いが、もう長くない。あやつの祖父の病院に入院しているが、半年持つか、持って1年か、といったところだ」

「えーっと、部屋で湊太と話しただけですが…」

 秀人は焦りつつ記憶を辿る。イリス関連の話をした時、部屋には他に誰もいなかったはずだ。


「誰から聞いた?と言いたげじゃな。…この星は私そのもの。そう言えばわかるか?ノブナガの耳は塞げたとて、私にはすべて筒抜けじゃ。まあ、私もこの地上全員の話を聞くほど暇ではない。興味が湧いたものにしか聞き耳は立てぬよ」

 そう言うと、巫女はすっと人差し指を立てた。すると、蜉蝣(カゲロウ)のような透明の羽をもつ、蝶とも蛾ともつかない手のひら大の羽虫が彼女の指に止まった。


「こやつらはこの星に大量にいる羽虫じゃ。羽がこのように透けているので隠密に向く。そして異常に音を拾う。分かり易く言いかえれば、耳が良いという事じゃ。耳という器官はないがの。

 お主ら人間の聴力を1とするならエルフは5、ノブナガが10くらいか。そしてこやつらは、18くらいかの。

 普通の虫は人間の声を空気の振動としか理解できぬが、こやつらは人間の声をちゃんと声のまま正確に拾える」

 ちらりと巫女が視線を送ると、羽虫はふわりと舞った。

「そのように、進化させたからの…さて、私は今のところここ何日かの間に現れた地球人が大変面白く、大変興味を持っておる。この星は、私なのだ。人間の理屈は知らぬ。これが不快と思えば来なければよい。目になる虫も複数おるが、紹介はせぬ」


 秀人の頭の中に、「森に隠された巫女」の一文がふっと浮かんだ。

 ―――巫女様になったイリスは、星のすみずみを虫や動物の目を借りて見守りました…だったっけ?

 音も同様だ。ついさっき、湊太に紹介したばかりの本にも書いてあったのだ。


 ようやく涙が止まったようだ。ふう、と一つ息を吐くと、巫女は由梨香を見た。

「先ほどの話に戻るが、結論から言うとソータの扱いじゃ。もうすぐイリスが戻る。つまり、この娘は自由になる」

 アステリアは自らの首の下あたりをトントンと指先で叩いて、「この娘」がこの体の主だと示した。

「先代巫女と母との約束を守り、こやつは巫女の代理になるためだけに16年間生き、今は『私』に体を貸し、意識は深い眠りの底にある…と言えば近いかの。時々意識が覚醒することはあるが、情報をわずかに得てはまた眠る、そんな状態じゃ。先程のように感情を乱して、私の行動を邪魔したり、干渉するような事はなかった」


 クレアに会わない約束、というのもそういう事なのだろう。近しい家族と会えば意識が覚醒し、感情が乱れる…という事か、と秀人は推察した。


「この30数年…生まれてからで考えると50余年に及ぶ献身に、私は礼をしたいのじゃ。そこの二人が本気の恋仲ならばやめようかと思うたが、そうではないようなのでな。ソータは、この娘にやる」

「ちょっ…と…ちょっと待ってください」

 由梨香が慌てて手を挙げた。

「外面だけ取り繕ったような仲ならば、この娘が貰っても問題あるまい。地球では好きなだけ演技を続ければよい」

 若干責めるように聞こえる言葉に、由梨香は何も返せず口を噤んだ。


「えーっと…俺に選択権はないんですか?」

 ようやく当事者の湊太が口を開いた。

「面倒な事を言うな。自分で望んだものも押しきって手に入れぬなら、その程度の欲だ」

「その、彼女が俺を好きになるとも決まってませんし、そりゃあ…クレアさんやトルテみたいなことはあるかもですけど、多分一時的な事です。俺は…ジークさんじゃありません」


 アステリアを正面に見て、湊太ははっきりと言い切った。湊太頑張ったな、と心の中で拍手を送りつつ、秀人は二人の会話を聞いていた。

「ほう…」

 意外なことを言われたのか、アステリアは目を見開いて、感嘆したかのような声を上げた。


「まあ、イリスが戻るまでまだ時間がある。星には瞬きするほどの短い時間だがの。その時にソータの望みが…心が曖昧なものであれば…それ以降は、私のできる手段でこの娘の希望は叶えてやるつもりじゃ。望まなければそれまでだがの」

 すっかり冷めた紅茶を一口飲むと、巫女は湊太と由梨香の顔を交互に見た。

「残念ながら、私がこの体で自由に動ける時間はそこまでじゃ。イリスが戻ればこの体は返さねばならぬ。こちらの方が私には楽しめて良いのじゃが…人にはあまり都合が良くないらしいのでな。直に話せる機会は、もうあまりないかも知れぬ。今のうちに言いたい事は言わせて貰う」


 アステリアの空いたティーカップに、湊太がティーポットからウォーマーを外し、紅茶を淹れ直した。

「そういうところだ。体を持つと、こういう気遣いは良いと思うのだ。やはりソータにこの娘を渡したい」

「…どうも。でも俺には荷が重いです」

 微妙な笑顔で、湊太は返した。

「ふふ、見ておれよ。私が離れれば、ものの2年くらいでクレアにも負けぬ美少女になるぞ」

「今も十分可愛いですよ」

 湊太は、ひやひやする返しをする。思わず秀人は由梨香の方を見たが、彼女も眉間にしわを寄せつつ、何か言いたげな顔で秀人の方を不安そうに見ていた。


「…憎たらしいヤツめ。…まあよい、あまり余計な事をしてこやつに嫌われたくはない。この件はここまでじゃ…ではもう1点の話に移るが」

 アステリアは小皿のロゥロゥの実を、紅茶にそっと落とした。

「何年という単位では分からぬが、私がこの星という体を得て意識を持ってから。そしてアステリア達を受け入れた時から。人生というのか星生というのか?長いその一生の中で、今のところ一番面白かったイベントは、つい最近。30年前の『あの事件』じゃな」


 小さな柑橘の香りの移った紅茶を一口飲むと、アステリアの顔がふっと穏やかになった。

「…まあ、ヒトからしたらかなり大事件だったのであろうな。私も、落ちてくる宇宙船で体に穴が開けられるかとひやひやしたものじゃが。うっかり黒龍に焼かせなくてよかった」

 穏やかに恐ろしい事をいいつつ、巫女はソフィアを見た。下手すると、ソフィアの祖母の乗る船は、うっかり焼かれていたのかもしれないのだ。ずっと黙ったままだったソフィアは、さらに押し黙ってしまったようだ。


「その件の詳細は、地球人の『プライバシー』とやらの関係で、公的文書には閲覧出来るものと出来ないものがある。そしてまた、現場であったこの家が持つ情報は、公的文書より更に詳細なものになる…さて、シュート」

「はいっ」

 再びアステリアに名前を呼ばれて、秀人は思わず姿勢を正した。

「先ほどから、何を調べておった?アクセス権限のないデータにばかり、アクセスを仕掛けておったようじゃが」

 肘をつき、半笑いで見つめてくる巫女は、目が笑っていないように見えた。


 巫女は、秀人が何を検索していたのか確実に知っている。知っているのに問いかけてくるこのパターンは、かなりまずい状況だ。

 秀人の脳裏に一瞬、死の文字が浮かんだ。


「ふふ、そう警戒するな。私には『プライバシー』などというものに興味もないし、事件の詳細が伏せられている件についても、特に思うところはない。知識欲が止められないものだというのは、むしろ理解できる。

 …恐らくアクセスエラーのアラートが、レビの方に届いているはずじゃ。まあ、昼手前まで寝ると思うから、気付くのはその後じゃ。レビがどう動くか見ものじゃの」


 悪い顔で笑いつつ、アステリアは残りの紅茶を飲み干すと、席を立った。

「すべてを知った時、皆がどのような感想を持つか、是非聞いてみたいものじゃ…さて、失礼するとしよう」

 ふわりと柔らかく跳ねながら巫女が東屋から出ると、キラパールの愛称を持つスタードラゴンが、巨体なのに音もなく歩み寄ってきた。

 龍が首を下げ、片方の翼を地面に降ろすと、鳥で言うところの小翼羽になるのだろうか、おそらく手首の部分に当たる場所に巫女は乗った。そこで竜が翼を持ち上げると、巫女はぴょんぴょんと首の部分まで器用に移動した。

「これで、湊太が2度と来ぬと言いだしたら、私は誰に怒られるのかの。この歳で怒られるのは勘弁じゃ」

 巫女が最後にそう言い残すと、『スタードラゴン・ホワイトパールマイカ』はぶわりと宙へ舞い上がった。


 彼女に対してどういう別れの挨拶をすればいいのか分からないまま、5人は東屋の外で呆然と龍の後ろ姿を見送った。

 周りはすっかり明るくなり、(もや)は消え、世界樹と街の全景が見えるようになっていた。




「部屋に…戻ろうか」

 切り出したのは由梨香だった。

「うん、ちょっと色々聞きたいことあるけど…中で話すか」

 ソフィアが同意した。


 全員が屋敷の方へ振り返った時、東屋ではいつの間にかジゼルが現れていて、卓上を完全に片付け終えていた。

「うわあ!?びっくりした」

 気配を感じなかったせいか突然現れたように見えて、秀人は思わず声を上げてしまった。


「あらあら驚かせちゃいました?」

 年老いたメイドはクスクスと笑うと、カートを円盤に載せた。

「大変な事になっちゃいましたね。でも、ソータ様が来なくなるのは困りますよ」


 一体どこで聞いていたのだろう。さっきまでこのメイドは近くに居なかったはずだ。

 彼女も謎が多すぎて、敵か味方かも分からない。


 貴女は何者ですか…?

 そう質問したかったのに、秀人の口からは何も言葉が出てこなかった。


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