美味しくないってどういう事だろう
『湊太、本当にごめん…。夕湖さんにも謝りたいけど、なんか合わす顔無いって言うか…』
電話口の秀人は、声からだけでも伝わる疲労困憊状態だ。
夕食後着信とメッセージを確認して、最初に秀人に折り返しの電話を入れたところだったのだが…。
「悪いのシュートじゃないだろ」
『夕方塾行く前に宮原に呼びだされてさ。話聞いたときはマジでもううちの親…』
「あーもうそれ以上言うな」
秀人が怖い言葉を使ってしまいそうで、湊太は思わず止めた。普段は言葉少なで、マニアックで好きな事にだけ饒舌になる秀人が、周囲の人間に対して思いをのせて語る時は妙な力がある。言葉に何とも言えない重さがあるのだ。怒りの感情が、こちらにもビリビリと響く。
「お前塾帰りだろ、めっちゃ声疲れてるじゃんかよ。飯食ったか?」
『食いたくない、もうあいつの作ったやつ』
―――いかん、何を言っても慰めにならねぇ!
秀人が親の事を「あいつ」呼ばわりしたのを初めて聞いた。どちらかというと秀人は「ちゃんとしている」人間だ。言葉の使い方も、育ちが良いというか荒い言葉を普段からあまり使わない。周りから浮かないように、普通の同級生たちから浮かない程度に「合わせて」言葉を崩しているフシがある。
中学の卒業式で見た、神経質そうな表情の秀人の母親の姿が思い出された。
『大体、俺が湊太んちでご飯食べる時って、作ってるのお前じゃん?夕湖さんに言うのもそもそもお門違いで』
「ははっ、今そこ、それが問題か?」
秀人のいう事は確かにそうなのだが、変にずれていて思わず湊太は笑ってしまった。
何となく電話の向こう、秀人の後ろの方から女性の叫び声が聞こえたような気がした。
「それより…お前大丈夫か?親と揉めてねーか?」
『ちょっと前まで揉めてた。さっき…バイトから帰ってきた兄貴が話聞いて、今兄貴があいつと話ししてる…』
昔、一度だけ秀人の家に遊びに行ったことがある。丁度3年前、中学に入学したばかりの頃だったと思う。その時はじめて秀人の兄とも会ったのだが、大人っぽい雰囲気の知的で穏やかな印象の人だった。
「秀人が友達連れてくるとか、珍しいな」
と言ってお菓子を差し入れてくれたのを覚えている。
―――あの時は、シュートのお母さんも優しそうな人に見えたんだけどな…
『湊太こそ大変な日だったのに、こんな事になってホントにごめん』
「いいって。向こうで面白い話もあったから、また…学校じゃ無理か。週末にでも話すわ」
『うん、夕湖さんにも謝っといて』
「言っとくよ」
次は由梨香だ。LINEに『帰ったら連絡ヨロ』とメッセージが入っていた。
「今電話大丈夫?」
と送ると、向こうから掛かってきた。
『遅いよ、心配したじゃんか』
「ごめん、大牙さんから軽ーく稽古…じゃないな。スポーツテストみたいなの受けて来た」
『大牙さんから連絡あったから、ざっとは聞いてるけど…いいなぁ』
「いいな、じゃないよ。大牙さん、俺たち二人に護身術のメニュー組んでくれるって言ってたから、今度向こう行った時に行ってみようぜ」
『向こうに格闘技の教室があるの?』
「…軍の中のトレーニングルーム。一般人にジムみたいに解放されてる部屋があった」
『軍!地図で街中にあったやつ!』
殊の外、由梨香が嬉しそうな声を出した。
「軍のお偉いさんが、防刃の服くれたから明日持ってくよ」
ジョルジュという筋肉エルフの説明は、面倒だったので割愛させてもらった。とりあえず由梨香宛のプレゼントの話だけ優先して伝えた。
『すごいな。軍がそんなことまでしてくれるんだ…あ、そだ、シュートから連絡あった?』
「うん、シュートが悪いわけじゃないのに、謝ってた。なんか家、揉めてたみたいでちょっと心配だけど」
『学校だと細かい話聞きづらいもんね。元々あんま家の事話したがらなかったし』
「なのはにも迷惑かけちゃったな」
『あー、なのはと言えば!美奈に連絡して、何か色々話したみたいだよ。個別で話すのも二度手間だから、明日部室で話すってさ』
「うわぁ…俺がなのはに頭上がんなくなりそうだな…何にしてもありがたい」
そして、大牙から話のあった、「会って欲しい人」の話をした。そして湊太も同行して欲しいらしいという事も。
『うーん、カウンセラー的な人なんでしょ?私はそういうのは違うと思うんだけど』
由梨香は明らかに気の乗らない感じだ。多分そうだろうな、と湊太も予想していた。
「うん、ユリカはそう言うと思った。でも大牙さん、なんか考えがあるみたいな言い方だったよ。あと、その人大牙さんの彼女の幼馴染らしい」
『ほう…?それは…行かねばなりませんな』
「で、そこから一駅でアキバだって」
『うわー!土曜日か!涼サマの生配信の観覧いけるかなー!』
由梨香の推しの「涼サマ」が率いるチーム「アンドラダイト」は、秋葉原の大型家電量販店の中にあるeスポーツ専用フロアをホームグラウンドとしている、家電店をメインスポンサーに持つプロのゲームチームだ。公式チャンネルでは毎日のようにランダムに上がる各種ゲームのプレイ動画もあるのだが、土曜の夕方はそのフロアからの生配信が行われている。内容は他チームとのバトルだったりコラボだったり、チーム内での紅白戦だったりだ。観客を入れての配信なので、由梨香はどうやらそれを見に行きたいらしい。
ちなみに年末のゲームの大会の決勝戦、湊太達はそこで戦った。そういう意味では思い出の場所でもある。
『観覧チケットの入手方法、後で調べとくよ』
急に由梨香は行く気満々になっていた。
あまりゲームの事に詳しくなさそうな大牙が、どこまで分かってこの件を仕組んだのか分からないが、うまく手の平で転がされている感がある。そして湊太の同行も嫌がっていないようで、とりあえず安心した。
『あ、そだ。明日、朝時間合わせて行こうよ。明日から駅まではチャリっしょ?』
「うん、その予定。あ、俺がユリカんちの下まで行くよ」
一緒に登校。この由梨香からの誘いはとても嬉しかった。同じ話のはずなのに、早紀の時とはあまりに自分の気分が違う事に驚く。
「ん、じゃあ家の前で待っとく」
電話を切ったあと、ほんの少しの間幸せな気分に浸る。しかしすぐに秀人の事を思い出し、腹の奥の方がチリっと痛む。
親の作るものを食べたくないといっても、明日から弁当となると学食に行くのか、どうするのか。
―――美味しくない、って言ってたよな。
何がどんな風に美味しくないのだろう。自然派、無添加、そんなの関係なく調理の仕方次第で美味しくできるはずだ。
「…あ、そっか。ひょっとして」
湊太はばたばたとリビングへ下り、キッチンに移動すると戸袋を漁り始めた。
―――イイものあるじゃん!
「湊太、どしたの?」
ソファでぼんやりしていた夕湖が、心配そうに声を掛けて来た。
「んーちょっと…この辺の贈答品みたいなやつ、いくつか貰ってってもいい?」
「いいけど、どうするの?」
「有効活用。あ、シュートが母ちゃんにごめんってさ」
湊太はニカッと笑って、箱を抱えてリビングを後にした。
翌朝は、からりと晴れたいい天気だった。
湊太は弁当をカバンに入れ、玄関を出ようとしたところで横にいる「問題」に気付いた。
「いってらっしゃい。慣れるまで、最初だけでも朝海の事頼んだからね」
夕湖は、二人が自転車に乗って敷地を出るところまで見送っていた。
―――コイツが一緒だったか!
予想していなかった問題に、若干慌てる。妹が同じ学校ということを、今の今まで完全に失念していた。
「…朝海、ちょっと寄り道するから」
「えー?」
後ろをついてくる妹に、一言声を掛ける。
湊太は完全に坂を下りきった後、大通りから右に一本入った道を進み、朝海も黙ってついてきた。
マンション前で、既に由梨香は自転車のハンドルを握った状態で待っていた。
「おはよー!あ、朝海ちゃんもおはよー!」
特に慌てる様子もなく、由梨香は朝海にも普通に挨拶をした。
「ユリカちゃんだ!おはよー!」
嬉しそうに朝海は挨拶を返した後、一瞬「ん?」というような顔をした。
「おはよ、ごめん待った?」
「全然。じゃ、行こっか」
最初に湊太、真ん中に朝海、最後尾に由梨香という隊列で駅に向かって進む。ちらりと湊太が後ろを確認すると、何とも言えないニヤニヤ顔の朝海と目が合った。
―――めんどくせー!!
途中大通りに出たところで秀人の姿が見えたので、信号のタイミングの良いところで反対車線に移動した。
「シュートおはよー」
徒歩の秀人の後ろから叫びながら湊太達が追い付いた。もう駅は目の前だった。
「おはよ。あ、そっか、朝海ちゃんも一緒なんだ」
「おはようございまーす」
朝海は元気に挨拶をした後、湊太達3人が揃ったのを見てスンッとした表情になった。どんな感情が去来しているのか分からないが、にやけたり冷めたり忙しい。
駐輪場でガチャガチャやっているうちになのはも駆け込んできた。よっぽど急いできたらしく、朝っぱらから肩で息をしている状態だ。
「みんなおっはよー!…あー、湊太の妹ちゃんか!おはよー」
「おはよ。おー、いつもより早いのに、よく間に合った」
由梨香がなのはを褒めた。昨日の決定事項で、学生が多く乗ってくる時間よりも早い電車で行くつもりの作戦だったので、由梨香もなのはも今までよりも30分くらい早めに準備しなければならなかったのだ。
「昨日は色々ありがとな。今日も…付き合って貰ってすまねぇ」
湊太がなのはに謝意を伝える。
「ウチも乗り掛かった舟だしねー。とことん付き合うぜぃ」
呼吸を整えつつ、にっとなのはは歯を見せて笑った。
改札を通り、ホームに出たところで、先頭を歩いていた秀人の足が止まった。
「…いる」
小さく呟きつつ、秀人は湊太の目の前に立った。過去のパターンで分かっている、これは正面に「彼女」がいるという事だ。湊太を隠すように秀人が立ちまわってくれているのだ。更にその横になのはも移動し、壁を厚くした。
「??」
不思議に入れ替わる4人の立ち位置に何が起こっているのか分からないまま、朝海は黙って4人の後ろをついて歩く。
4人固まったまま、右側を向いて立つ早紀の背中側を通り抜ける。
その時由梨香が湊太の右側に立ち、そっと湊太の右腕を掴んで腕を組んだ。
「えっ?えっ?」
朝海が驚きと何か他の感情が入り混じった声を小さく上げると、なのはが振り返ってニッと笑い、口の前で人差し指を立てた。
一瞬動きが止まり、朝海はこくこくと頷くと、口を押えたまま後ろをついて歩く。
『3番線電車が参りますー…』
なるべく遠くへ、奥へ。ホームを進み続け、電車が止まったところで5人は電車に乗った。
ほどほど多い乗客の中、5人はほぼ無言のままだった。湊太の左手は吊革を握っていたが、右腕には由梨香がしがみついている光景に、朝海はずっと目を輝かせていた。
ほんの15分程度の電車の旅は終わり、駅から学校に向かって歩く。
もう周りは同じ制服の学生だらけだ。危険に対応する必要もなくなり、道中なのはが朝海に情報をインストールしていた。
「みんなには内緒だよ、実は湊太とユリカ付き合ってんだよ」
「えー!えー!いつから?知らなかった、まじでー!」
口を押さえたまま、朝海が声にならない声で悲鳴を上げ続けていた。
―――朝から最悪だ…
身内に目の前でそういう話をされるのは、こんなに居心地の悪いものなのか。
既に腕はほどいているが、ぴったり寄り添う位置で由梨香が側にいた。
「大丈夫?」
由梨香が湊太の顔を覗き込む。
「実は家出る直前まで、朝海の存在がすっぽり抜け落ちてた。すっげえ今めんどくさい…」
「なのはと私はここまでは想定してたから問題ない。悪いけど朝海ちゃんも利用させてもらうね」
「…はい?」
「中学女子の情報網、利用しない手はないんだよ」
―――最初から広がる前提の「内緒」だ…こえぇぇぇえぇ…
微妙な表情の湊太の左側に、秀人が立った。
「今日は教室に入ってからのが大変なんじゃないか?終わって部室集合まで乗り切れよ」
「そういや、シュートこそ大丈夫か?今日弁当はどうした?」
「…一応、持ってきた」
げんなりした顔で秀人が答えた。昨夜吉沢家で何があったのか、細かい話は何にしても放課後だ。
「先にこれ渡しとくよ。ひょっとしたらこれで1つ解決するんじゃないかと思って」
歩きながら湊太はバックパックを前に抱え直して、中からビニール袋を取り出して秀人に渡した。
「何?」
不思議そうに袋を受け取り、中を覗いた途端、秀人はぶふっと吹き出した。
「スゲーな、湊太。多分これ正解だわ…ありがとな」
「おーう、貰いモンだ、気にすんな。学校に常備しとけぃ」
にっと湊太が笑う。由梨香も興味津々で
「え、何?」
と覗き込んだ。
「醤油と、すき焼きのたれ…?」
「味が決まらないとき、俺の場合はこれで大体何とかなるね!」
自信満々に宣言する湊太を、事情の分からない由梨香は不思議そうな目で眺めていた。
マヨもあるとなお良し。




