閑話 クレアの見る夢 その2
私の母と、ジークの父を出合わせる「作戦」は、ジークの祖父母と練ることになった。
ジークの職場でこっそり打ち合わせをすることになり、私はアリア総合病院の院長室に呼ばれた。
学生時代以降、久しぶりに連日ジークと会えるというだけで私は嬉しかった。
「ちょっとキツ目な人だよ?」
とジークから前置きされていた祖母のシモーネも、裏表がなくて私とは意外に気が合った。
「クレア、あなたのお母様のご両親は?再婚を進めても、何も問題ないかしら?」
「私の母はブリナの出身で、アステリア内を一人であちこち放浪の旅をしていたらしいんです。お菓子の味に惹かれて居付いたという事で、私も母方の家族に会ったことがなくて」
「しがらみがないのだったら、私としては都合がいいわ」
悪だくみをしているようなシモーネはとても楽しそうで、夫で院長のランディは、笑顔で私達を見ていた。
作戦会議の途中、急患だと言って呼び出され、ジークとランディは出て行った。
シモーネと二人きりになった部屋で、私は少し緊張がほぐれて肩の力を抜いた。
「幼年学校からの付き合いでしたけど、私、ジークのおじいさまが院長先生だなんて知りませんでした。祖父母がお医者さん、とは聞いていたのですが」
「私こそ、ジークにこんな可愛い知り合いがいたなんて知らなかったわ。あの子ったら『結婚しない』の一点張りで、今まで誰もウチに連れてこないんですもの。正直、私は息子よりもジークの方が心配よ。父親の心配だけして終わる人生なんて、私は許してないの」
そしてジークより見た目の若い祖母は、私の持ってきたタルトを一口齧ると、
「…おいしい…この味。いつもリタが…ジークの母が、私たちの誕生日の度にケーキを買ってきていたのは、あなたのお店だったのね」
と懐かしそうにつぶやいた。そこから急に表情を変えると、じっと私を見る。
「ジークの提案に乗ってくれたということは、ジークときょうだいになるのを了承しているって事。つまり、あなたもジークが嫌いではないと思っていいのかしら」
シモーネのずけずけと来る感じが、嫌ではなかった。うまく言葉に出来なかった心のモヤモヤに、形をくれる人だと思った。
「私は…小さい頃からずっと好きでした。もう何回もチャンスがあったのに、時間の流れの違いに気付かないまま…いえ、気付いてました。それなのに機会を逃してしまいました。そして、言葉にする前にフラれてしまったんです」
「そうね、私達が少しのんびりしてしまうと、人間はあっという間に年老いてしまう。だから私は焦ってるのよ。ジークはもう、私達の見た目を追い越してしまった。大人になったとはいえ、私にはたった一人のかわいい孫なのよ。自分ひとり傷ついてると勘違いしているバカ息子のために、ジークの時間を使いたくないのよ。
…さて、あなたはどう使う?残されたジークの時間を。…あなた自身も後悔しないようにね」
結局、それぞれの親にはストレートに話をして、お見合いをしてもらうことにした。
洋菓子店に住んでいて買い出しくらいにしか出ない母と、家にこもって動かないジークの父。
そんな状態の二人にサプライズな出会いを仕掛けるなんて、正直起こり得なくて不可能だった。
今の状態が良くないことも分かっていたのだろう。母も、ジークの父も、お互い会うことを了承してくれた。
母には、ジークの父と言うと「昔ケーキを買いに来てくれた綺麗な人」という記憶はあったようだ。
「ジーク君が息子になるんだったら、悪くないわね」
そう言うと、私の顔をじっと見て、少しだけ笑顔になった。
お見合いの日、私と母はジークの家に招待された。
最初に病院に案内されたときは、病院に住んでいるのかと驚いた。しかし真っ白の狭い部屋に通され、そこの壁に設置されたゲートが目に入った瞬間、私はすべてを理解した。
ジークは、アステリア様の家系の人だったのだ。
そして、このゲートがどこに続くかも知っていた。
あの、丘の上のお屋敷だ。
母の手が震えていた。私はそっと母の手を握った。
お屋敷に着き、簡単にあいさつを済ませると、母とジークの父は二人で屋敷の前にある東屋に行った。
私は、ジークに誘われるまま回廊の2階に上がった。玄関の真上に行くと、そこには丁度ガゼボが見渡せる位置にテーブルと椅子が置いてあった。
「覗きは感心しないな」
と私が笑うと
「じゃあ、見なくてもいい?他の場所に行く?」
とジークも少年のように笑った。
しかし彼の場合、出来の悪い息子でも心配しているような顔で、父親の様子を伺っていたのだ。
それが分かった瞬間、私も苦笑しながらその椅子に座ってしまった。
「ジークは、アステリア様の子孫だったんだな…正直、驚きすぎて何と言っていいか分からない」
今更だが、本当に知らなかったのだ。
「僕には何の力もないし、人間だからむしろ関係ないくらいで。話すような事でもなかったんだけど」
ちょっと困ったように笑うジークは、昔のままに見えた。
「そうは言っても…私はあのゲートを見た時、正直吐きそうになったぞ」
「…そんなに?」
ジークが楽しそうに笑う。
「…で、旦那さまはどんな様子ですかぁ?」
どこから現れたのか、いつの間にか子供のような若い人間のメイドが窓に張り付いていた。
「…ジゼル、心臓に悪い!」
「すみませーん、ジーク様。クレア様、メイドのジゼルでーす、以後お見知りおきを!」
ジゼルと名乗ったメイドは、ささっとテーブルに紅茶を3人前セットした。
「…なぜ3人分?」
ちょっと不機嫌そうな顔でジークが尋ねる。
「え、私もこちらでお茶しながら覗き見っすよ。こんな面白いイベントなかなかないですから!」
「だろうと思った…」
ジークとジゼルの会話は小気味良く、主従とは思えない雰囲気だった。
「まるで親子だな」
見ていると、そんな言葉が口から零れてしまった。
「ふーむ…これは、うまく行きそうですね…」
しばらく窓に張り付いていたジゼルは、急に窓際を離れると
「シモーネ様に報告に行ってきます!まあもう画像は送ってますけどね~!…あ、カップ類はそのまま置いといてください、後で誰か片付けに来ますから」
と言って、木々を渡る猿のように素早く階下に消えていった。
「面白い子だ…」
「諜報部員として優秀で、祖母が可愛がっているんだ…彼女には、そういう意味では気を付けて」
ジークが苦笑した。確かに、エルフの耳に気付かれずに近くに来ていたというのは、驚異的な身のこなしだ。
そして、ジゼルの予想通り、両親は再婚を決めた。
お見合いから2年後、私が43歳、ジークが41歳の時の事だった。
母が再婚すると、お屋敷の3階、アステリア様の一族のエリアに、私用の部屋が用意された。
しかし住むことはなく、私は洋菓子店の2階に一人で住み続けた。
母はお屋敷に移り住み、仕事として洋菓子店に通ってくるようになった。
母の住む場所だけが変わったが、洋菓子店は相変わらず続いていた。
再婚から2年、母の妊娠が分かった。
おめでたい話だが、少数精鋭でやっていた洋菓子店としては、人手不足の問題が降ってわいてしまった。
「私、手伝いましょうか?」
のんびりと手を挙げたのはジゼルだった。
ジゼルは覚えが早く、あっという間に大抵の作業が出来るようになった。愛想も良かったので、店先に立ってもお客さんに可愛がられた。
「お屋敷の方は人数足りてるんで大丈夫ですよ」
と言って、完全に「うちの子」状態になっていた。
月日が経ち、母の出産の日が来た。
入院すると、病院ではシモーネが母の担当をしてくれた。
生まれたのは、男の子。
ジークの弟で、私の弟。なんだかとても不思議な感じだった。
母の退院の日。
この日はパーティーの予定で、私もジゼルも屋敷に来るように言われていた。
しかしそれに合わせてジークの父君から大量の焼き菓子の注文があり、洋菓子店では全員で数日かけて準備していた。
大量の焼き菓子を抱えて、洋菓子店のエプロンのままジゼルと二人で病院に向かう。
ゲートの部屋で、急にジゼルが
「クレア様。もう、ジーク様の肩の荷は下りたと思いますよ?」
と言った。
洋菓子店では同僚ということで、敬称は不要、クレアと呼ぶように、と言ってあった。
つまり、この時のジゼルはもう「お屋敷のメイド」状態での発言だった。
「急に…何を…」
言葉にならずに口ごもると、ジゼルがニカッと笑って
「クレア様の場合の後悔って、どれがマシなんでしょうね?私達とは時間の感覚が違うから伝わるか分かんないんですけど。
今の私に思い浮かぶのは3つです。
言わなかった後悔、言ってする後悔、言うならもっと早く言えば良かったって後悔。
この中で唯一いい方向に変わる可能性があるのは、言ってする後悔ですよ?言ったらうまく行くかもしれないんですから」
「ちょっと待って…何を言い出したんだ?」
「早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ。多分今が一番の好機ですよ。ジーク様は頑固で、もう絶対自分から動きませんから。こっちから見るとばかばかしい話ですよ、どう見てもお互い好きなくせに。あの頑固者、幸せにしちゃってください」
ジゼルは、容赦なく畳みかけてきた。
「ジゼル…シモーネさんの差し金か?」
「あらー、分かっちゃいました?でも、けしかけろ、と言われただけです。言った言葉は全部、私の意見ですよ?勝算がなければ私も言いません」
「…ありがとう、心強いよ。確かに、もう時間は無駄に出来ないな」
初めて貰った自室にちゃんと入って、そこでシモーネが用意してくれたドレスに着替えた。それから母に付き添う形で中庭に移動した。
久しぶりに屋敷に生まれた赤子を祝うパーティーだった。
母の結婚の時は再婚ということもあって、身内だけで静かに開かれたのだが、今回は違う。色々な人が呼ばれた大宴会だった。中庭と回廊に人が溢れ、私としては知らない顔ばかりで、身の置き所がなくふらりと外へ出た。
見合いの時回廊から見ていただけで、一度も行った事のなかったガゼボに行ってみた。
「…!」
暗闇の中、誰かが座っている。でも、分かる、誰なのか。
「ジーク…何でこんなところに?一人で…」
「ああ、ちょっとこういうパーティー苦手で。あの父のせいだけどさ」
疲れたように笑う声に、少し安心して隣の椅子に座った。
「丁度…良かった…話があったんだ」
今しかない、と思ったのに、気の利いた言葉が出てこなかった。
「私は、ずっと、小さい頃からジークが好きだった」
「…そう…か…ありがとう」
感情を殺したような返事に、ああ、終わったな、と思った。
「ジークは誰とも一緒にならないと言った。だから、私も一人でいるつもりだった。だけど…ジークの心配事だった父君の件も、ジークが心配する必要はなくなった。もうジークが…幸せになっても、良いんじゃないのか?」
拒絶の空気を感じて、頭が回らなくなる。
ああ、違う。私はそんなことを言いたいわけじゃなくて。
「困ったな…」
暗くて表情が読めない。
「クレアの言葉が嬉しくて、自分でもびっくりしてる。ずるいとは思ったけど、何年か前に自分で壁を作って、拒絶したつもりだったのに…」
「ジークが壁を作るなら、何度でも壊してやる」
「越えるんじゃなくて?」
「壊す」
くっくっと、笑いをかみ殺すようにジークが笑った。
「そうか…でも、やっぱり何十年か後に、あの時の父のようになるのを分かっているから、今嬉しくても、その言葉に甘えちゃダメなんだ」
この頑固者!
「今嬉しいなら何の問題がある?これでジークが私を見てくれなかったら、私は今日の自分を何十年も呪い続けることになる。そして一緒になろうがなるまいが、ジークが死んだらもう結局私は何年も泣くことに変わりはない。どっちだって一緒だ。だったら、今、嬉しい方を選べ!」
もう必死だった。心の中で、早く私の手を取れ、と何度も叫んでいた。
「もう、ちょっとクレア黙って。今情緒がぐちゃぐちゃで、良く分からなくなってきた…」
そう言うと、ジークは頭を抱えた。
ああ…沈黙が辛い。
今すぐ黒いドラゴン、飛んできていっそ消してくれ、と思うくらいに。
長い沈黙の後、ジークが口を開いた。
「…僕も、小さい頃からクレアが好きだった。一緒にいられる時間は短いかもしれないけど、結婚してください」
「?…はい?」
「え?いや、だから結婚してくださいって…」
情緒ぐちゃぐちゃはこっちだ。一足飛びが過ぎる。
「うわああああん」
もう、訳が分からなくなって、私は子供のように声を上げて泣いた。
ジークは、
「遅くなって…ごめんね」
と言いながら、私の髪をなでていた。
その時の私は知らなかった。普段夜になるとガゼボには照明が灯るのに、あえて人が来ないように消されていたことを。
そしてあの時と同様、回廊の2階にジゼルが潜んでいて、シモーネに即連絡が行っていたことを。
「素直になると早かったっすね~。なんか色々『そこ、何で飛躍した?』とか『順番は?』って思う感じでしたけど、ぜーんぶすっ飛ばした感じ。私はいいと思いましたよ。途中、ごちゃごちゃ理屈うるせーって思って殴りに行きたかったですけど」
「ジゼル、エルフ並みに耳が良いのだな。正直怖いよ…それにしてもやりすぎだ」
翌朝、屋敷の私の部屋でジゼルとお茶をしていた。
今日は店が休業日だったこともあり、私は初めて屋敷に泊まったのだが…。
昨夜の事だ。
パーティー終わりに部屋に帰ろうと思ったら入れない。困り果てているとジゼルが素早くやって来て
「ジーク様のお部屋にクレア様のお荷物移動させました!お部屋の登録も書き換えちゃいました~!」
と笑顔で言われたのだった。
その瞬間、私はジゼルの両ほっぺを思いっきりつねって
「す・ぐ・も・ど・せ!」
と珍しく怒ったのだった。
「あははは~!シモーネ様もノリノリで、『あらいいわね、もうさっさと移しちゃいなさい』って言ってたんですよ~」
「ああもう、目に浮かぶよ…でも、ダメに決まってるだろう」
その時、母から連絡が入った。
『クレア、ちょっとお母さんの部屋に来て貰えるかしら?』
「分かった、行くよ」
…とは言ったものの、部屋が分からない。
「私がお連れしますよ」
ジゼルに案内してもらい、母の部屋に向かった。
ジークも、シモーネたちも、皆仕事に行っていて屋敷全体の人気が少ない。
とても静かな廊下を、ジゼルの先導で歩く。
吹き抜けを向かいに渡ると、そこが母の部屋だった。
ノックすると、母が扉を開けてくれた。
「あら、ジゼルも一緒?丁度良かった、二人とも入って」
と私達を招き入れると、母は急に泣きながら、私に飛びついてきた。
「クレア…良かった、良かったねぇ」
奥で座って、赤子を抱いていたジークの父君も、顔をぐちゃぐちゃにして泣きながら
「本当に良かった。…ジークを、よろしくお願いします」
と言い、生まれたばかりの弟の顔にぼたぼたと涙を落としていた。
「ちょっと旦那様、赤ん坊抱っこしたまま泣かないでくださいよ」
ジゼルがぷんぷん怒りながら、父君と弟の顔を拭いてくれた。
「で、お目出たいのでパーティーをしたいんです!でも、ジークが嫌がるんです。クレアさんからパーティーの話をジークに言って…」
「パーティーは結構です」
父君は急にパーティーの話を始めると生き生きと明るい顔になったが、速攻で断らせてもらった。
「ね?言ったでしょ?私も多分、二人はパーティー嫌がると思ったのよ。だから、皆さんにお菓子だけでも配れないかって思って」
母の案に
「ああ、いいっすね!」
とジゼルが賛同した。
「何のお菓子がいいかしら?」
と母が聞くと、ジゼルは満面の笑みで
「クレア様のチーズタルトで決まりでしょ」
と言った。
カーテンが開かれ、朝の光が部屋を満たした。
「クレア様、今日はお寝坊さんですか?」
「…すまない、もう起きる時間だったか…どうもソータが来ると、昔の記憶が引っ張り出されて…調子が狂う」
私はごそごそとベッドから起き上がった。
「また、昔の夢でも見たんですか?」
「ああ…ジゼルも、とても若かったよ。ガゼボを覗き見されてた時の夢を見た」
私が笑うと、目の前の年老いたメイドもふふっと笑った。
「やですよ、もうそんな若い頃の話。いつ死んでもおかしくない年寄りに向かって」
「ジゼルに死なれると困るな…私は、またしばらく立ち直れなくなる」
「はいはい、じゃあ頑張って長生きしますよ」
「そうしてくれると嬉しいな。…今日は、ハルカは早番か」
「ええ、ですから今日のクレア様の予定はノブナガ様の学校の送りと…」
メイド長で友人のジゼルとは、もう60年近い付き合いになっていた。
今日も彼女からスケジュールを聞きながら、私は仕事の準備を始めた。




