閑話 クレアの見る夢 その1
クレアの過去編です。
湊太が来た日の夜は、必ずジークの夢を見る。
最初に湊太を見たのは、10年前、ジークが亡くなるほんの少し前だったと思う。
屋敷の中をバタバタと走り回っていて、お世辞にも行儀のいい子とは言えなかった。しかし、すれ違った瞬間、初等教育学校で初めて会った頃のジークの記憶が鮮やかに蘇ったのを覚えている。
そして今の湊太は、学校卒業後に久しぶりに会った時…それ以降の彼にとても近い。
違う人間だと分かっていても、「そこにジークがいる」と錯覚してしまうほどに、近いのだ。
私が『初等教育学校』に入学したのは、8歳になった頃だった。
エルフは比較的成長が緩やかなので、10歳ギリギリまで入学しない子も多い。
私は勉強したかったわけではなかったのだが、父の洋菓子店を手伝うのに「足し算くらいは出来ないと困るなあ」と言われたので、急に学校に行く気になったのだ。
その時、同じタイミングで入学した子どもの中に、ジークがいた。
父と似た空気に、勝手に親しみを覚えた。そして、勝手に目で追ってしまっていた。
周りは、言ってしまえばまだまだ幼稚な子供も多かったのだが、彼だけは何とも言い難い品があった。
この首都アリアの中心にあるハブ駅に近い『アリア初等教育学校』に通うのは、近隣に住む職人の子供が多い。粗雑な子が多いのも仕方がない土地柄ではあったが、だからこそジークの存在は異質で目立っていた。
何か月か学校に通い、簡単な計算が出来るようになると、私は店頭での手伝いが許されるようになった。
母と二人で店番をするようになったのだが、それは私にとって、とても楽しい時間だった。
私が店を手伝い始めてすぐのある日。学校から帰ると、大きなホールのケーキが4つも注文棚に並んでいる日があった。
「うふふ、ちょっと変わったお客さんなのよ。お得意様なの」
母が珍しくいたずらっぽい笑い方をしていたので、私はとても気になってしまった。
その日は学校の課題もそこそこに、店のカウンターに座って、その「お客」が来るのを待った。
4つのケーキを取りに来たお客は、穏やかな笑顔の人間の母子だった。
「え?…ジーク?」
私は驚いて席を立った。柔らかい笑顔の女性と一緒に現れた子供は、ジークだった。
母にちらっと睨まれ、私は慌てて
「あっ…!いらっしゃいませ」
と言った。…心臓がばくんっと跳ね上がった気がした。
母とジークの母がケーキの確認を始めたので、私はジークに話しかけた。
「すごいね、ジーク。こんなに大きなケーキを4つも。誰のお誕生日?」
「父さんの誕生日なんだ」
そう言うと、ジークはちょっと恥ずかしそうに笑った。
「お父さん、何歳になったの?」
「250歳丁度だよ」
それを聞いた瞬間、私の頭は一瞬真っ白になった。
―――ってことは、ジークのお父さんはエルフ…?
ジークに対する、謎の親近感の正体に気付いてしまった。
父と同じ空気を纏っていたからだけではない。
―――この子も、私と同じ人間とエルフのハーフだったんだ。
そして、異様に多いケーキ。
寿命の長いエルフにはありがちな、一族が大人数のパターンが想像できた。
「ジークのお父さんに、祝福を」
と言って、お見送りをした。
「ね、珍しいでしょ?お父さんと同じなのよ、あの子」
二人の後姿を見ながら、母が楽しそうに笑っていた。
「…知ってるよ、同じ教室の子だもん」
私は、動揺を隠しながら母に答えた。
その頃から、私はジークと学校でもよく話すようになっていった。
ジークが「この間買ったチーズのタルト、すっごく美味しかった」と笑った笑顔があまりにも可愛かったので、私は帰ると父に頼み込んでチーズタルトの作り方を教えて貰った。
その後も、誰かの誕生日やお祝いと言って、その母子はケーキや焼き菓子を大量に買っていった。
随分綺麗なエルフの父と現れる日もあったが、その時は
「今日はお母さんの誕生日なんだ」
と言って、いつもより更に大量のケーキと、焼き菓子も一緒に購入していった。
そしてジークの誕生日がやってくると、私は学校に自作のチーズタルトを持って行った。
「ジーク、お誕生日おめでとう。まだお店に出せるレベルじゃなくって、これもお父さんに手伝ってもらったの」
と言いつつ、ジークに手渡した。
「ありがとう。食べていい?」
「どうぞ!…うわあ、緊張する~!おいしくなかったらどうしよう」
「お父さんが手伝ってくれたんだろ?なら間違いないって。…うん、おいしいよ」
「良かったあ~…。だけど、来年か、その次の誕生日には一人で作ってプレゼントするから!」
と私は宣言した。
「うん、楽しみに待ってる」
その日の夕方は、ジーク本人は店に来なかった。エルフの父と、人間の母の二人でやって来て、やはり大量にケーキを買っていった。
その頃から、私は本気で菓子職人を目指すようになっていた。
ジークの言った「おいしい」の一言が、私の行動に意味と、力をくれた。
学校でも、あまりにも私がジークにばかり構っているので、揶揄ってくる男子たちもいた。ジークは時々困った顔をしていたけど、私は全く気に留めなかった。
しかし、お互いの仲が変化する事もないまま、中等教育学校も卒業してしまった。
ジークは医者を目指すと前々から言っていて、そのまま高等教育学校に進んだ。
私は、菓子職人への道を選び、父の下で修業に入った。
ここで菓子を作っている限り、ジークには会えると私は思い込んでいた。
だが卒業後3年間、ジークも、ジークの母も父も、誰もあの大量のケーキを注文してくる事はなかった。
その翌年、ジークは一人でやってきて、ベリーのカットケーキを2つと、チーズタルトを1つだけ買った。
カレンダーでは、毎年、ジークの母の誕生日と言ってケーキを買っていた日だった。
何があったのか、すっかり様子の変わった彼の姿にざわざわする気持ちが抑えられず
「…ジーク、時間ある?ちょっと話がしたい」
と私は声を掛けた。
「いいよ」
と言われたので、店のエプロンを外しながら母に店番をお願いして、店を出た。
『星の塔樹』まで歩き、二人でベンチに座った。
「何か…あったの?急に誰も、ジークのお母さんもケーキを買いに来なくなって。またいつでも会えるって私、勝手に思い込んでて…」
そう、勝手な思い込みだったのだ。自分の気持ちも伝えず、相手の気持ちも確認せず、何もしなければ何も変わらないのに。
「うん…」
ジークは、生い茂る常緑の葉を見上げると、大きくため息をついた。
「母がね、亡くなったんだよ。半年ほど前に。随分前から、治らない病気って分かってたんだ。僕が医者になって治したかったんだけど、待っては貰えなかったんだ」
頭をガツンと殴られたような、というのはこういう状態なのだろう。
何もしなければ、何も変わらないままでいられる、と良い方に勘違いするのはエルフの悪い癖だ。時間は確実に流れ、周りは自分の知らないところで変わっていく。
「僕はもう、だいぶ落ち着いたよ。最初から分かってたしね。医者としては大先輩の、祖母や祖父がどうにも出来なかったんだ。僕が医者になったぐらいで助けられるなんて、おこがましい事は思ってなかったし…。
ただ父だけが、どうにもならなくて困ってる。毎日泣いて、夜には友達呼んでバカみたいにパーティして、酒飲んで誤魔化してる。曾祖父母もまあまあ落ち込んでて…大変だ」
「そう…だったの…ごめん、何も知らなくて…」
こういう時、掛ける言葉を私は持っていなかった。
悲しそうな顔のジークを見て、どうすればいいのか分からなかった。
「ちゃんと先見て、動かなきゃだめだよな。今、うちで一番若いのは僕なのに、次に死ぬのは間違いなく僕なんだ。あの父が…妻と子供、どっちにも先立たれた後、どうなってしまうのか考えると、それが一番心配だよ。父を一人にしないように、僕が考えなきゃ」
ジークが静かに笑う。私は、何もできない自分にどうしようもない虚無感を抱えながら、彼の横顔を黙って見ているしかなかった。
「母が生きてたら、今日で40歳だったはずなんだ。今日くらいは、父と二人で静かに過ごしたいけど…また今日もパーティ開くのかな」
その日の夜、父が寝たのを確認し、私は母にジークの話をした。
「そう…あのお母様、亡くなったの…旦那さん、お辛いでしょうね…
ここ3年、誰もケーキの注文をしなかったってことは、ずっと入院していた可能性もあるわね」
常連で、毎月のように買いに来てくれていた人だったから、急に来なくなって心配していたそうだ。
「他人事じゃないわよね、明日は我が身だわ」
母も、眉をハの字型にして、自虐的に笑った。
それから、またずっとジークは来ないままった。
ふと、結婚でもしていたらどうしよう、などと心配にもなった。
でも確認する勇気もなく、自分から連絡するのも何かの意地が邪魔して出来なかった。
最後にジークにあってから9年が過ぎたある日の朝、父が倒れた。
急いで病院に連絡したが、もう、倒れた瞬間に私と母には分かっていた。
もう「消えて」いたのだ。
人間のパティシエたちは一生懸命心臓マッサージをしてくれていた。もういい、消えているから、と言ったけど、人間には伝わらなかった。彼らは泣きながら、心臓マッサージを続けていた。
駆け付けた医師は、ジークだった。
彼の顔を見た瞬間、涙が溢れてしまった。
1週間もすると、店はいつも通り…とはいかないが、再開していた。
母も気丈に朝は仕込みをし、開店と同時に店に立ったが、夜になると泣いて、泣き疲れ眠る、そんな日々が続いた。
それから1年が経ったころ、ジークが店に現れた。
彼の注文は10年前と同じ、ベリーのカットケーキ2つとチーズタルトを1つ。
ジークの気は父と同じだったが、今では若干バランスが違ってきていた。父は火が強めだったが、ジークは水と木の方が強い。しかし父と非常に近い気に気付いたのか、母が店の奥から飛び出してきて、ジークの顔を見ると泣き崩れた。
「時間はある?…話がしたい」
「いいよ」
ああ、10年前もこんな会話をしたな、と思いながら、今日はもう店を閉めた。
「お母さん、一人にして大丈夫?」
歩きながら、ジークが心配そうな声で聞いてきた。
「少しなら大丈夫だ。でも…夜になるとダメだ。いつかジークが言っていた、あの父君と大差ない状況だよ。昼はなんとか仕事をしているが、夜な夜な泣き続けているよ」
「…クレアは、大丈夫?…喋り方、変わったね。無理…してない?」
ジークの言葉が優しい。
…だめだ、顔が…まともに見れない。
「親は、先立つものだろう?それと、あれだけ泣いている母を見ていたら、しっかりしなければと思ってしまって悲しむ余裕はなくなったよ。…ジークの父君は、落ち着いたのか?」
「10年経ったけどね…全然ダメだ。仕事をしている分、クレアのお母さんの方が立派だよ。うちの父は、仕事場に行くと母を思い出すと言って、仕事も出来なくなってしまった…僕はもう、記憶もかなり薄れてる。これが残された時間の差かも知れないね」
彼の言葉が刺さる。
そして10年経っても癒えないなら、うちの母もあと10年以上立ち直れないのだろうか。
また、星の塔樹の下で、ベンチに座る。
「僕だって、後もうどんなに長く生きても50年か60年程度だ。あの状態の父を置いていくことだけが心配だよ。…困った人だよね。こんな心配を子供にさせるなんて」
「ジークが結婚して、孫の顔でも見せてやればいい」
私は、何を期待していたのだろう。何も気のないふりをしながら、鎌をかけてみた。
「…僕は、結婚しないよ」
「…なぜ?」
「人間と結婚したら、孫が出来たとしても、やはり父より先に死んでしまう。エルフと結婚したら、50年後にまた父と同じ思いを相手の人にさせてしまう。僕はするべきじゃない」
ああ、何も言わないうちにフラれてしまった。
数十年後、ジークはいなくなる。それだけが心に重くのしかかったまま、その日は別れた。
そして、エルフの悪い癖だ。またさらりと10年日常を過ごしてしまった。
また死んだ母の誕生日に、ジークはケーキを買いに来た。生きていたら、確か60歳の記念の日だ。
ジークの目元にはうっすら、しわが刻まれている。
「時間はある?…少し話がしたい」
「ふふふっ…このやり取り、何回やったっけ」
ジークが笑った。
また母が奥から飛び出してきたが、泣く事はなかった。
ちょっと唇を嚙み締めたような顔をしたが、店番を引き受けてくれた。
「女性は強いな。クレアのお母さんは、立ち直りかけてるんだね」
「ジークの父君は…まだ駄目か?」
「やっと数年前にパーティをやめたよ。祖母にメチャクチャに怒られて、だけどね」
「そうか…」
また、星の塔樹の下に着き、公園のベンチに座った。
「今は父を再婚させることを考えている。祖父母には相談済みだよ、相手がエルフなら、僕が居なくなっても心配ない」
ああ、この人はなんでこんなに私の心を抉ってくるのだろう。
私が勝手に傷ついているだけなのだろうけど。
10年なんて、あまりにも簡単に、さらりと過ぎてしまう。
「クレアのお母さんは、再婚の予定はない?」
「…んっ?」
ジークは急に何を言いだしたのだろう。
「この年で父の再婚相手を探すとなったら、身元の分からない人は嫌だしね。クレアのお母さんなら、お互い辛い思いをしてるし、子供同士も顔見知りで言うことないかな、って思ったんだよ」
…それは…私と、ジークがきょうだいになる?
それは、とても素敵な想像だった。
結婚は無理だとしても、ジークと「家族」という関係を手に入れられる、またとないチャンスに思えた。




