死者の夜
なんだか凄く早く出来上がりました。これが所謂ランナーズハイってやつなんでしょうか。反動が怖い……!
ようやく魔術みたいなのが出てきます。
ではどうか続きをお楽しみ下さい。
カリカリとペンの走る音が響く。私は各科の校舎とは別に併設された図書館の一室で、机に向かって一人、目の前に積まれた資料の山と格闘を続けていた。
どのぐらいこうしているのか、時間の感覚もやや曖昧になっている。窓から見える景色は、もう黒一色に染まって何も見えない。
ペンを握っていた指を離し、同じ姿勢で固まっていた体をほぐす。無限に続くようにも思う単調な作業に辟易していた。
何故私がこんな事をしているのか。それは、今から数刻前の事だった。
『ウィージニス君、ちょっと頼みたい事があるのだが、少しいいかね?
実は私の方でやっている研究がようやく一段落したのだが、忙しさにかまけて資料整理を怠っていてね。どうにかしたいのだが、別件でどうしても手が回らないんだよ。
そこでもし君さえよければ資料整理を頼みたいのだがどうだろう? あぁ、勿論それなりの報酬は用意しているよ。もし受けてくれるというなら、以前から興味を示していたオヴルヌスの魔術書を進呈しようじゃないか』
と研究科の教師に言われ、その報酬に目が眩んでしまったのが運の尽き。
今日のカリキュラムを全て消化し、図書館へ。渡された図書館の一室の鍵でドアを開けると、そこには想像を超えた、文字通りの資料の山が鎮座していた。
「安請け合いしたかなぁ……」
数刻前の自分の軽はずみな了承を後悔しながら、しかし今更反故にするのもそれはそれで納得できないものがある。だからこそ、あの教師は私に頼んだのだろうが。
こんなところにも、エミリアのあの言葉が適用されていたりする。
人手が欲しくとも、研究科には貴族級の人間ばかり。手伝いを頼むにも、頼みづらい。
その点、私は平民で、性格は生真面目ときている。さぞかし声をかけやすい事だろう。
だが報酬以外にも、私にとってメリットがない訳でもない。
資料を一つ手にとり、目を通す。そこに書かれていた内容は、紋様魔術に関するものだった。
魔術には、大きく別けて三つの種類がある。
一つは瞑想魔術。前述したイメージから作り出す魔術がこれにあたる。基本にして、最も重要な位置づけとなっている魔術だ。
一つは詠唱魔術。言霊を用いる事で、術者が魔力を消費する事なく、その場に漂う魔力で代替し魔術を行使できるのが特徴。無論、瞑想魔術とは様々な面で劣り、発動迄の詠唱文で術の効果が解読されるなど、その他にも制約が多く、一部を除いては万能とは言い難い。
そして最後が、この資料にもある紋様魔術。媒体となる物に法則性を持った魔術文を刻み込む事で、魔力を流し込むだけで魔術を発動させる事ができるというもの。一つの媒体に一つの魔術という制限はあるが、その将来性から、現在最も研究が盛んに行われているのもこれである。
そしてここにある資料は、媒体の種類によってどの程度の術の違いが生じるのかが記されている。
もう少し詳しい話をしよう。
紋様魔術は、媒体に非常に左右される魔術であり、基本的に刻み込む媒体は種類を問わない。石に始まり木、鉄等の金属、宝石、果ては紙から布に至るまで、様々な物に刻み込む事ができる。
物によっては魔術との相性が合わない場合もあるが、組み合わせの種類は万を軽く越える。
最も不適合な例を挙げれば、紙に炎を生み出す魔術を刻んだ場合がわかりやすい。
魔力を通して炎が灯れど、紙は火で燃える通り、発生した炎で媒体が燃えてしまう。そして紙が燃える事で紋様が消失し、炎自体が消えてしまう訳だ。
一瞬の火種が欲しいというのなら役に立たなくもないが、明らかに紋様を刻む労力とは釣り合わないだろう。
また同じ炎の魔術であっても、どの程度強力な魔術を施せるかは、やはり媒体によって違ってくる。
道端に転がる石に上位の魔術を刻み込もうとも、発動に必要な魔力量が多いため、石程度では耐え切れずに発動前に砕けてしまう。
この魔力に対する耐久力を、『存在強度』と言う。
この存在強度は、基本的に硬度の高いものに比例する傾向がある。固い金属は石に比べ存在強度が段違いに高い。
しかし例外もあり、何百、何千という年を経た樹木等は、それらを軽く凌駕する存在強度を持つ。勿論、その物質が持つ短所はそのままで、例え霊木であろうとも炎の魔術を刻めば燃えてしまうのは変わらない。
あくまで存在強度という言葉は、世界の欠片たる魔力にどこまで耐えられるかを表した単語に過ぎない。
そしてこの資料は、媒体が持つ存在強度に関して迄もが、事細かに調べてあった。
恐らく長い時間と根気のいる作業だっただろう。それを労せず(元々資料を見るための手伝いではない)閲覧できるのは、私にとってはとても有益な事だ。
「でも限度はあるけどね……」
未だ終わりが遠い仕分け作業にうんざりしつつも、やるという選択肢を既に選んでしまった私は仕方なしにペンを取った。
「終わった……」
呟く声にも一入の感慨に満ち満ちている。目の前にそびえる資料の、その前に小さく積まれた私謹製の書類の束。
膨大な量のデータを種類別に区分けし、一覧を作成。カテゴリー別に詳細な情報を記載する。情報を吟味・厳選し、可能な限り見やすさを追求した。
なんだか途中から意地になって必要以上に作業をしていた気がする。出来上がった書類がまるで我が子のように愛おしい。このまま持って帰ってやろうか。
疲れからややハイな精神にツッコミを入れつつ、帰宅するべく荷物を担ぐ。戸締まりを確認し、部屋を出て施錠。ノブを回して開かない事を確認した後、紋様魔術の刻まれたランプを持って図書館から出た。
鍵を返す為に宿直室へと向かう。
真夜中と言っても差し支えない時間となってしまった廊下は、静まり返っていて不気味な事この上ない。
カツンカツンと響く自分の足音が、なんだか自分以外の場所から聞こえてくるような錯覚さえ覚えた。
「う……」
しまったと眉をしかめる。
今朝、エミリアに聞いた話を思い浮かべてしまった。
『あれ、知らない?
えーっと、学校敷地内の何処かにある開かずの地下室でしょ、夜になると動き出す魔物の標本に、夜な夜な校内を徘徊する謎の影。
あとは……』
後半部分はどうでもいい。
思わず意味もなく後ろを振り返ってしまった。
私は別に幽霊を信じている訳じゃない。ただ、否定してもいない。
この世には未だ理解不能な現象が星の数ほど存在している。それを説き明かすのが我ら研究科の生徒の本分だが、やはり未知なるものは、怖い事は怖い。
理解できない事に恐れを抱くのではなく、その雰囲気に寒気を感じてしまうのは、仕方のない事ではないだろうか。
そしてこんな時に限って、宿直室が遠いのは誰かの陰謀だろう。間違いない。覚えていろエミリア。
ありもしないエミリアに対する怨みを募らせながら、頼りないランプでもって廊下を進む私を、曲がり角を曲がった先に佇んでいた黒い影が止めた。
幽霊!? と全身に痺れが走ったように鳥肌が立ったが、人の気配と、よく見れば窓から差し込む月明かりに照らされた足があった。
なんだぁ、と安心したのも束の間、何故こんな時間にまで人がいる事に疑問を抱いた。
影……、ではない、おそらく男性。コートを着て、手には何も持っていない。
上窓から差し込む月明かりが、彼の顔下半分、横半分を照らしている。唯一見えるのは口許だけ。それだけでは人相を判別するには至らない。
動く事も問い掛ける事も出来ず、私はただそこに佇む。彼の口許から目を離せない。
何故、私は問い掛けないのか。
何故、私は動こうとしないのか。
手に持つランプがカタカタと小さな音を立てている。
気を抜けば床にへたり込んでしまいそう。
何故だろうか。私が、彼に言い知れぬ恐怖を感じているのは。
どれ程の静寂が過ぎたか、不意に、彼の口許がゆっくりと笑みに歪んだ。酷く既視感を感じさせるそれは、どこかに消えた私の記憶を呼び覚まそうとしている。
やがて彼が口を開く。
「よう。また会ったな」
そう、会ったこともない筈の男が告げた。
全ては一瞬の出来事だった。
男は徐に腕を上げ、掌を私に向かって突き付ける。その肘から袖にかけて、内部で何かが淡い光を放つ。
悪寒が走った。あれは刻印された紋様魔術の発動前段階。
「エヴエット!」
私はそう咄嗟に叫ぶ。
詠唱魔術の一文節。自身の周囲から魔力を排除させる、本来詠唱魔術で必要となる魔力収集とは逆の作用をもたらすもの。
その言葉に意味はない。放つ音を、世界が読み取るのだ。
瞬時に魔力が吹き飛び、同時に私は自身に埋没する。
想像するは極寒の世。生きる者なき氷の大地にて、地中深くに眠る永久凍度により生み出された氷の結晶。我が欲するは削りだされし堅牢なる盾。
――顕現し、我を守れ。
それは瞬きにも満たぬ時。
内なる世界より取り出されし氷の盾は、男が魔術を発動させるよりも早く、その姿を現した。
だが……。
バギン!!
浮かび上がった白い盾は、男の魔術を防ぐに至らず、呆気なくひび割れて砕けてしまう。
男の魔術は風の衝撃波。それも、並の威力ではなかった。
「っくぅ……!」
それでも幾許かの軽減は出来たのか、後方に吹き飛ばされるもダメージは少ない。
転がる私はすぐさま立ち上がり、来た道へと駆けた。
尋常ではない。なんだあの男は。
今の魔術は、明らかに致死のものだ。まともに食らえば、一撃で行動不能となるだろう。それを、あの男はなんの躊躇もなく放って見せた。
いや、そもそもあの男はこう言った。
また会ったな――と。
そんな筈はない、私はあんな男と会ったことは……。
「つれないじゃねえか」
笑みの混じった声が、私のすぐ後ろで聞こえた。片手を捕まれ、思わず振り向く。
暗闇の中、まるで光を放つ様に、男の瞳が浮かんでいた。
そんな……、そんな筈はない。
何時、何処で、私は見たのだろう。私は見て、どうなったのだろう。
そんな筈はないのに。この殺意の眼差しを、知っているだなんて。
手を強く引かれ、私はバランスを崩す。同時に、頬を強く叩かれた。
「キャッ!!」
そのまま背中を壁に強く打ち付け、ズルズルと尻餅を着いた。
起き上がるよりも早く、男は私の肩を壁に押し付ける様にして足で踏み付けてきた。
「うぁああ!」
踵で鎖骨を強く圧迫され、折れたかと思う程の激痛が走る。
やはり月明かりで照らされた口許には、笑みが浮かんでいた。
「再会を喜びたい、と言った所だが、何故だてめぇ? 俺はヤッたよな?」
押さえ付ける足に肘を乗せ、私の顔を覗き込む。暗闇の中、微かに見えた風貌は、やはり私は知らないものだった。
「なんでてめぇは生きてるんだ? ヤリ損ねか? いや、んな筈はねぇ。確かにヤッた筈だ」
殺意を放ち一人口を開く男を、怯えの眼差しで見る。
殺される恐怖が、抵抗の意思を、魔術による生還を、私の全てを、完全に凍らせてしまった。
「あぁ、そうか」
やがて男が結論に達する。
「てめぇも、操られてるって訳か」
しかし、そう呟いた言葉の意味を、私は理解できなかった。
男は徐に、私の胸元に指を突き付け、言った。
「同じ人間を二回も殺すなんて滅多にねえ。ま、殺されるのもねえだろうがな」
あぁ死ぬのか、と、呆気なく思った。呆気なさ過ぎて、死の恐怖すら感じぬ程に。
心の何処かが呟いていた。だって私は、もう『 』のだから、と。
だが、何時まで経っても死は訪れなかった。
再び男に視線を向けると、もはや私を見てさえもいない。
廊下の奥、暗闇の先。何もない虚空に、男は何を見たのか。
「チッ」
静かな廊下に舌打ちが響く。
やがて男が見遣る先、月明かりに照らされる廊下の向こうから、カツンカツンと足音が鳴る。
「来やがったか、あの変態野郎」
私に意識を向ける余裕さえないのか、もはや完全に思考から外されていた。
そして、廊下を見た私の視界の中には、スーツを着た青年の姿があった。