第70話 オルビヤへ
「サラ姉、お手て、大丈夫?」
セイラの問いかけに反応せず、サラは治癒魔術を受けながらぼんやりと宙を見つめている。その物憂げな顔に反して、氷神の力を授かった際に負傷した掌は、皮膚が剥がれ赤く爛れていて痛々しい。
「セイラ、今はそっとしておこう」
リュートがサラの胸中を慮るように、指を口に当てて静かに言った。
「……一体何があったのさ? さっき、ものすごい魔力を感じたけど?」
「ちょっとね、氷神様が現れて……」
「えっ、それって大丈夫なの?」
「うん。クッキーあげたら仲良くなった」
「……食べ物で釣れるなんて、やけに俗っぽい神様だね」
「あれ? 仲良くなってクッキーあげたんだっけかな?まあ、どっちでもいいか」
そう言いながら、リュートは手にしていたクッキーをポイっとセイラの口に放り込むと、
「んむっ! これ美味しい!」
セイラはクッキーを頬袋のない口から溢れないようにあむあむと丁寧に食べ、頷くようにごくんと飲み込むと急に思い出したように、
「あっ、そうだ!! リュー兄のお怪我が治らない原因、分かったよ!」
「本当ですか!」
「うん。解毒した後に残った結晶が体内に残っちゃってて、それが魔力の流れを阻害してるみたい。普通の人なら自然に排出できるサイズにしかならないんだけど、リュー兄の場合、ちょっとあれな魔力持ってるから……結晶が特別大きくなっちゃってるみたい」
「それって、治せるのでしょうか?」
「うん。大丈夫!時間をかけて砕けば治るよ」
「……えっと、また血を飲むんですか?」
リュートは身をのけ反らせ、喉を押さえた。
前回の“あの治療”を思い出したらしい。
セイラはそんな反応を楽しむようにクスリと笑いながら、
「ううん、あの時は急を要したから血を飲ませたけど、今回はそこまで急いでないし、普通に魔力を流して治すよ。時間がある時に気長にやっておくね」
「ありがとうございます! ……ところで、セイラは魔物の知識も治療の知識も、やけに詳しいですよね。もしかして前世……いや、前の肉体に残った知識なんでしょうか?」
「……分かんない」
「うーーん。魔物や治療に詳しい職業と言えば、神官、聖職者、魔物学者、植物学者、医官、呪術師、死人使……おっと」
リュートは能力から連想される職種を次々に挙げていくが、最後、禁忌に触れ口をつぐむも時すでに遅く、セイラの本気の殺気がリュートに向けられていた。
「ちょっとセイラ怖いです! 僕、今追い詰められたウサギの気持ちが分かりました!」
鋭い爪と牙を剝き出し、「シャーッ!」と威嚇するセイラ。大抵の魔物には怯まないリュートだが、仲間からの冷たい視線には耐えられず本気でビビるのであった。
〓〓〓〓〓
日が暮れた頃になって、ようやくサラが精神世界からの帰還を果たす。その際に、目の前のクッキーが無くなって(片付けられて)いたことに、ショボンとしたのは言うまでもない。
そんなサラのショボンを察したリュートが、すかさずクッキーを目の前に復活させる。
体を左右に揺らしながら、至福の表情でクッキーを頬張るサラが飲み込むタイミングをうんうんと頷きながら測っていたセイラが質問。
「ねぇ、ところで、みんなの旅の目的とか場所とか教えて貰ってもいい?」
「そう言えば、まだ言っていなかったな」
次のクッキーに伸ばした手を止めながら、そういえば、セイラに伝えていないことに気づいた。タイミングよくリュートからすっと出された茶を飲みつつ、
「まずはオルビヤだ。そこで準備を整え、ムラガに向かい海路でローラシア大陸に渡り、私の祖国ドワーフの国を目指す。リュートのテイマー登録はオルビヤで行おう。そして旅の目的だが、リュートは両親の捜索、――私は仇討だ」
語尾の部分で殺気が漏れたのを感じ、セイラの背中がぶるりと震え毛が逆立った。
「両親の捜索ってなんだかリュー兄、大変なんだね。サラ姉は仇討って随分おっかな……」
そこまで口にしたものの、サラの目が完全に座っていたので、セイラは口をつぐんだ。
「さぁ、ご飯がさめてしまいますよ! いっぱい食べて、明日は早起きして出発しましょう!」
張り詰めかけた空気をリュートが霧散させ、一行はしばし休息を取るのだった。
翌朝、オルビヤに向けて出発。サラがパトリシアに、リュートはセイラに跨って移動を開始。途中、雪穴熊や氷騎士に襲われるも、セイラと雪靴を履いたパトリシアに速度で適うはずもなく基本的にスルーした。
ただし、食料になるフォレストボアやスノーラビット、ホワイトエルクなどは狩っていき、保存用食料として冷凍庫(疑似迷宮)に放り込む。
そんなことをしながら、ミーネウ山脈の裾野に広がる深い森を進んでいく。
しかし、案の定道は雪で埋まっており、しかも分厚い樹冠に阻まれ空も見えない。方角も分からず旅慣れた冒険者でも迷いそうな状況だったが、セイラは迷うことなく突き進み、1週間程で大きな街道に合流した。
不思議に思ったリュートが、セイラに方向感覚について尋ねたが、帰ってきた答えは「……何となく」であった。はて、帰省本能だろうか?とりあえず迷わずに良かった。
街道を進むにつれ、道脇にちらほらと人影が見え始めた。不思議なことにすれ違う人々は、決まって「魔石は入らないか?」とか「食料油を買わないか?」と声をかけてきた。
あまりの多さに流石にリュートたちも疑問を抱き、次に会った人に事情を尋ねようと考え始めていた。そんな矢先、商隊が骸骨剣士に襲われている現場に遭遇。
次の瞬間には、サラは何も言わずに飛び出しており、遅れてリュートも商人たちを守るように骸骨剣士の間に割って入った。
商人の一人は、セイラの姿を見て「ひぇ!?」と情けない声を漏らす。しかし、リュートがセイラの頭を撫でて「お手」や「伏せ」をさせ、使役獣であることをアピールすると、商人たちはようやく安心した。
だが、調子に乗ったリュートが「お回り」や、「ちん○ん」などを命令したら、さすがに怒ったセイラに逆に躾けられたのは言うまでもない。
さて、戦闘はというと――サラの一刀で骸骨剣士はバラバラに粉砕され、あっけなく終了していた。再生能力を持つ厄介な魔物も、サラの剣の前では道端の小石程度だ。
魔物を殲滅した直後、荷台の陰から耳あて付きの毛皮帽を被った男が現れた。
「こりゃたまげた! 砕いても直に再生するやっかいな骸骨剣士を一撃とは! 余程の冒険者とお見受けします。助けていただき、ありがとうございました」
男は深々と頭を下げ、感謝の言葉を述べる。
「お礼は形で返してくれたら嬉しいねんけど?」
八重歯をキラリと光らせながら、モズが嫌らしい笑みを浮かべ近寄る。モズは崩れ落ちた骸骨剣士の残骸に向けて火炎矢を10発も撃ち込み、オーバーキルどころではない状況を作り上げていた。商談を有利にするための演出だろうが、顔色には腹黒さが滲んでいた。
「ええ、もちろんです。……お礼は魔石でも良いでしょうか?」
若干引き気味の男が差し出した魔石は、瞬く間にモズの懐へと消えた。その魔石がどれほどの価値を持つかはさておき、モズの顔には下卑たお金のマークが浮かんでいた。
「ところで、やけに道脇に商人が多いですけど、何かあったんでしょうか?」
リュートが今し方の異常事態に疑問を投げかける。
「え? ちょっと待ってくれ。あんたら、本当に知らないのかい? ちなみに、どこから来たんだい?」
「僕たちはミーネウ山脈を越えてきました」
「本当に!? いや、これだけ強ければありうるのか……うん。それじゃあ、知らないかもなぁ」
男は一瞬のけ反ったものの、得心がいった様子で大きく頷くと、
「内陸への道が青鋼大蚯蚓によって崩れちまって、流通が止まってんだ。それに加えてタイミングの悪いことに、ムラガ周辺じゃ【黒い眼のセイレーン】が暴れていて船も出せねぇってきたもんだ」
「――つまり、陸路も海路も封鎖されている?」
「ああ、そうだ。まっ、ナ・パリへの道はお人よしの魔術士が隧道を開けてくれたらしいから、そっちの人通りはそのうち元通りになるだろうな。ただ、海路も使えねぇとなると……」
「――なるほど」
「何がなるほどなんだ?」
顎に手を当てて頷くリュートに、眉をひそめたサラが説明を求めた。
「この地方の主な産業は、ナ・パリから採れる魔石と良質な木炭です」
「ああ、それは知っている」
「……でも、海路が閉ざされて輸出ができなければ」
「――そうか。物が売れなければ、商人は宿に泊まる金すら惜しまざるを得ないってことか」
「お二人さん、正解だよ。まったく、商売あがったりで困ったもんだぜ」
頷く二人に、男も深く同意したように肩をすくめた。
「実は僕も商人でして……海路は、完全に塞がれているんですか?」
「なんだ、同業者か!それにしても、あんた、えらく腕の立つ護衛を連れてるじゃないか。羨ましいぜ」
同業者と分かって安心したのか、男は周囲をちらりと見やり、小声で打ち明けるように言った。
「海路についてだがな……【黒い眼のセイレーン】のせいで、ほとんどの船が沈められてる。だが、王族が乗る鉄鋼船だけは例外だ。アレだけは奴にも沈められないらしい」
「じゃあ、その船で運べるんですね?」
「ああ、だが……乗せてもらうには、袖の下をどっさり積まなきゃいけねぇ。こっちは赤字続きで、そんな余裕はねぇよ」
「金を積む以外に何か方法は無いか?」
サラが話に割って入った。
「あんたらも海を渡りたいのかい?」
「ああ、訳あってローラシア大陸を目指している」
「うーん。あっ、そうだ。あんたら美味い酒は持ってねぇかい? 酒好きの王様が銘酒品評会を催してたぞ。ただ、まさかの陸海路の同時封鎖で酒が集まらなくて、メンツが潰れかかっているからな。ある意味好機だぞ」
「なるほど。そこで王に気に入られれば、望みをかなえてもらえるかもしれない」
「そういうこった」
男から貴重な情報を入手し、一行は街道を進んだ。
「しかし、銘酒品評会ですか……。イーノ村の栗酒って、どのくらい美味しいんですか?」
未成年のため酒の味が分からないリュートが、手持ちの酒についてサラに尋ねる。
「味は申し分ない。ただ、あくまでも大衆酒だ。酒にうるさい貴族の舌を唸らせることができるかは好みによるから疑問が残る。少し、もったいない気もするが、あれを使うか……」
サラの目が僅かに光る。何かを思いついたようだ。




