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サラとリュート  作者: 水曜日のビタミン
第1章 イーノ村の秘密
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第22話 手がかり



 地下四階――その空間は、予想通りさらに温度を下げていた。体感では氷点下二十度に届こうかという寒さだ。加えて、迷路は一層入り組み、部屋らしい空間は一切存在せず、ただ行き止まりだらけの通路が延々と続いていた。


 所々で、A級魔物【一つ目巨人サイクロプス】が出現。

 全身を盛り上がった筋肉で覆った脳筋系の魔物で、手にした棍棒は岩さえ砕く。だが、その巨体以上に冒険者を恐怖させるのは、奴らの“食性”だった――そう、人間の肉を好むという点である。


 一つ目巨人に仲間を嬲り殺され、喰われる惨劇を目の当たりにした冒険者の多くは、二度とこの世界に戻ってこられない。存在そのものが悪夢として忌み嫌われているのも、当然だった。


 ――しかし、この階層においては、幸運にも奴らは無害だった。


 腰布一枚の巨人たちには、この極寒は堪えるらしく、遭遇しても襲いかかってくる気配は一切なかった。膝を抱えて震え、時折こちらに目を向けるだけ。威嚇もせず、ただ寒さに耐えている姿は、どこか哀れですらある。


 最初こそ驚いたものの、すぐに様子を察したサラとリュートは彼らを無視し、迷路の探索に専念する。壁や天井に組み込まれた複雑な仕掛けは、これまでの階層より遥かに手強く、単なるスライド機構に留まらず、ブロックの組み換えや魔力注入まで求められた。


 体感で半日以上を費やし、ようやく開錠に成功した頃――サラが口を開いた。


「少し眠ろう」


 時刻の感覚はとうに失われていたが、ダンジョンに入ってから二十時間以上が経過していた。サラ一人であれば、三日は眠らずとも動ける。だが、まだ少年の面影を残すリュートには、それは無理だ。

 彼女は自身にも言い聞かせるように、休息の必要性を受け入れた。リュートは素直に頷き、短く詠唱する。


光の壁(コルテナ)


 背後の通路に、ゆらゆらと揺れる柔らかな光のカーテンが現れた。


「魔物避けの結界です。侵入があれば、すぐに気づけますから」


 そう言って、リュートは魔術で作り出したカップに黄色い粉とパンの欠片を入れ、湯を注いで差し出した。


「どうぞ!」


 カップからは湯気とともに、とうもろこしの甘く懐かしい香りが立ち昇る。器を包む手に温もりが広がり、全身の血が巡るのが分かる。吸い込んだパンが柔らかくほぐれ、ほのかな塩気と甘さが、疲れた身体に沁みわたる。


「……昔、雪穴熊を討伐したときは、氷を齧りながら凍ったパンを食べていたな。あれも冒険らしくて悪くはないが、こういうのも悪くない」


 サラは笑みを浮かべながら独りごちる。

 やがて二人は、パトリシアのふわふわの羽毛に包まれ、静かに目を閉じた。すぐにリュートの寝息が、サラの耳元で穏やかに響き始める。


 顔は凍気に晒されているが、背中には愛鳥の体温が温かい。心地よいまどろみの中、サラは考えていた。


 この寒さでは、子どもたちは一時間も保たないはずだ。それでも《見守りの魔石》は、まだ暗転していない。メーラだけは、少なくとも無事なのだろうか。


 この階で一つ目巨人が襲ってこなかったのは幸いだった。だが、これほどの魔物が潜むダンジョンを、自分一人で攻略できる保証はない。あの日、あの砂漠で犯した失敗。あれだけは、絶対に繰り返してはならない。


 仲間を失ったあの日の記憶は、心の奥に埋まった棘のように疼き続ける。眠ろうとしても、その棘は静かに、確かに、痛みを刺し返してくる。今もその痛みは、何一つ和らいでいない――


 そうしてサラは、目を見開いたまま、浅い眠りへと沈んでいった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


 ――頬に触れる、柔らかく温かな感触。


 まどろみの中で、リュートはその心地よさに身を預けていた。弾力があり、どこか安心できる感触。ここは……そうだ、ダンジョンの中。子どもたちを助けなければ。あの村は、母様が生まれた場所――そして、ニカさんの孫娘も行方不明になっている。


 だから、自分が頑張らなければ。

 あの村の力にならなければ。

 ……そう、これは贖罪だ。


 あの夜、自分は人を殺めた。

 ただの救助では償えない。

 この村を見捨てることなど、決して許されない。

 両親を探すという私情のために、この場を離れるなど、もってのほかだ。


 胸を押し潰すような罪の重さが、今もずっと残っている。涙が溢れるたび、その重みは形を持って頬を伝い、凍っていく。


 だが、その氷の涙を誰かが拭ってくれた。

 次いで、頭を優しく撫でられる。


 だめだ、こんな温もりを受け入れちゃいけない。

 許されるはずがないんだ――


 そこで、目が覚めた。


 サラが受けから覗き込むように見ていた。


「……起きたか」


 凍った頬に残る、微かなぬくもり。


(……膝枕!?)


「す、す、すみません! もたれかかってしまいました!」


 置かれた状況に気づき、がばっと身を起こし、正座で頭を下げるリュート。


「気にするな。それより、大丈夫か? だいぶうなされていたぞ」


 サラの声音は、凛としていて、それでいてどこか優しい。

 リュートは両頬をパン、と叩き、涙を拭いながら立ち上がる。


「……もう大丈夫です。先を急ぎましょう!」


 落ちた涙が床で凍り、転がりながら壁にぶつかった。

 二人は大きく伸びをしてから、地下五階への階段へと足を向けた。



〓〓〓〓〓


 結論から言えば、地下五階には魔物はいなかった。

 ただ、果てしなく続く迷宮だけが存在していた。


 通路は複雑に入り組み、右手法則も落とし穴に阻まれ通用しない。そんな中、パトリシアが鼻を利かせ、子どもたちの残り香を追いながら迷宮を突破していく。


 三十分ほど経過した頃、奇妙な痕跡を発見した。


「サラさん、見てください」


 リュートが指さした壁には、「→」の印が彫られていた。表面には霜がついていたが、彫り口は比較的新しい。


「……罠には見えないな。生存者の痕跡かもしれない」

「矢印を刻んで道を示している……。迷宮を抜けようとした誰かが?」


 パトリシアが再び鼻を鳴らし、矢印の方向へ進み始める。進むごとに、矢印の数は増え、時には斜線で打ち消された“間違った方向”の印も見つかる。その先を確かめてみれば、やはり行き止まりだった。


「この痕跡……迷宮を本気で踏破しようとしているな」

「脱出か、救助かは分かりませんが、追えば何か掴めそうです」


 さらに進むと、白く凍りついた人影が見つかった。


 ローブ姿の女性――魔術士のようだ。全身が霜に覆われ、抱き起こすと体はまるで石のように冷たかった。


「パトリシア!」


 サラの呼びかけに、パトリシアがその女性を羽根で包み込む。体温が伝わり、霜が溶けると、血に染まった服と抉れた脇腹の傷が露わになる。


「生きている! リュート、治せるか!」

「はい、やってみます!」


 リュートは手を添え、治癒の光を灯す。


「ご存知かと思いますが、治癒魔法は本人の自然治癒力を活性化させる魔法です。体力が尽きれば、逆に死に至ることも……」

「分かっている。……だが、出血が止まらなければどうしようもない。とにかく急げ」


 サラは女性の手を握り、摩りながら語りかける。


「もう大丈夫だ。しっかりしろ。お前は助かる」


 やがて、血の流れが止まり、女性の瞼がわずかに開く。


「……たすけ……ラ様と……こどもたちを……」

「生きているのか!?」


 サラの問いに、女性は小さく頷き、かすれた声で続ける。


「はや……く……下に……囚われ……りゅ……が……」


 その言葉を最後に、意識を失った。


「大丈夫。気を失っただけです」


 そう告げてリュートは氷を操り、《氷窟イグルー》を築き上げる。内部には温風を送り、パトリシアが体温で包み込み、女性を守る。


「パトリシア、この子を頼む」

「クエ!」と鳴いて頷くパトリシアに背を預け、二人は再び迷宮の奥へと向かう。


 『見守りの魔石』が、点滅をやめ、青く淡い光へと変わっていた。

 それは、子どもたちが“近く”にいるという証。


「矢印を逆に辿ろう。きっと、その先に地下へ続く道がある」


 七つ目の矢印の先――血のように赤く染まった、禍々しい部屋が現れた。

 赤く染まった空間は、まるで誰かの断末魔が塗り重ねられたようだった。空気は鉄臭く、踏み込めば足音さえ吸い込まれそうな沈黙が広がっている。

 中央には、地下へ続く階段。そして、部屋全体を満たす異様な殺気。


「……何か、いるな」

「ええ。流石に、僕でも分かります」


 リュートは唾を飲み込み、杖を強く握る。


「リュート、安心しろ。何があっても、私がお前を守る」


 サラが拳でリュートの胸を軽く叩く。その一言に、リュートは目を見開き、頷いた。


「絶対に、みんなで帰りましょう!」


 決意の声が響き、二人は、地下六階へと足を踏み入れた。

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