第12話 模擬戦
翌朝。
リュートが朝食の支度をしようと起き出すと、窓の外でサラが素振りをしていた。
上段から振り下ろされる大剣は、剣先の軌跡すら捉えられぬ速さで風を裂く。そのたびに、周囲の巨木が震え、剣圧に吹き飛ばされた針のような葉が、地面に突き刺さっていく。もはや訓練というより天災に近い。
その横で、パトリシアが「くぁぁ」と間の抜けた欠伸をしながら、毛繕いに没頭しているのがまた恐ろしい。
やがて、サラは大剣を地に突き立て、腰の左右に携えた二本のショートソードを抜いた。構えは下段――次の瞬間、現実とは思えぬ現象が起こる。
サラがひと息、深く息を吐くと、彼女の前に**“あの熊”**が現れたのだ。
幻術――ではない。魔力の流れは感じられない。
(……まさか、闘気で実体を写したのか?)
驚愕するリュートを置き去りに、模擬戦が始まった。
熊――その幻は、実体さながらに咆哮を上げ、二足で立ち上がるや氷塊を放ってきた。
迫る氷弾。サラは剣先を微かに揺らすと、氷の軌道が逸れる。それに目を奪われた刹那――彼女の姿が消えた。いや、背後へ回り込んでいた。
瞬間移動のような動き。サラは熊の右脇腹から肩口へ斬撃を叩き込み、刃は肝臓を貫通する。どす黒い血を吐きながらも、熊は暴れ狂う。だがサラは一歩も退かず、回避と同時に膝関節へ前蹴りを打ち込み、巨体を崩す。
転倒した熊の腹に膝蹴り、続けざまに頸椎へショートソードが突き立てられた。
熊の動きが止まり、幻は音もなく消える。
リュートはただ唖然とする。昨日以上の殺意と技巧。その殺陣に、魔術の助けなど不要だということがはっきりとわかる。
サラは背を向けたまま声を投げた。
「……起きたか」
(なんでわかるの……?)
位置も気配も見せなかったはずなのに。リュートは彼女の空間認識能力に寒気すら覚える。
振り返ったサラが手招きする。
「いつでもいいぞ」
「い゛っ……今からですか……?」
まさか、昨晩の“お誘い”は冗談ではなかったらしい。
おずおずと前に進むと、サラは地に突き刺してあった木刀を手に取った。それを見てリュートは心底安堵する。殺し合いではないらしい。
「……模擬戦の目的を、教えていただけますか?」
念のため、“模擬戦”を強調する。
しかしサラはしばし沈黙し、顎に手をやり考え込んだ。恐る恐る、もう一度“模擬戦”と言おうとしたその時――
「戦えば、ある程度、相手のことがわかるからな」
要するに『語るより殴れ』という脳筋理論である。
旅を共にするなら、力を知っておきたい。そういうことだ。
「わかりました。では、お手柔らかに。模擬戦のルールは……?」
「私は木刀を使う。リュートは何でもありでいい」
木刀が一閃。リュートの前髪が、風圧だけで裂け落ちる。
「……マジですか……」
その言葉を呑み込むより早く――
「では」
サラが動いた。合図はなかった。足元に砂煙が舞い、次の瞬間、暴威が襲いかかる。
リュートは咄嗟に魔術を展開した。
《竜巻鎧》
『風 弾』を身体各所にまとわせ、攻防一体とする創作魔術。
その姿を見たサラが口角を吊り上げ、爆風とともに一瞬で距離を詰めてきた。木刀が左肩に叩き込まれるも、竜巻の回転が衝撃を受け流す。
続くかかと落とし。肩口に掠めた蹴りが、鎧の一部を霧散させる。
(近距離はまずい!)
リュートは真空の塊を後方へ放ち、吸い寄せられるように離脱。だがサラは追わず、木刀を振りかぶった。
(飛ぶ斬撃だ――来る!)
咄嗟に五重の土壁を展開。
「ゼアァァ!!」
斬撃が紫電を伴って放たれ、壁を同時に吹き飛ばした。その土煙の中で、リュートの姿は消えていた。
「……下か」
サラは即座に地中を探知。だが突き刺した木刀の先にいたのは、頭を吹き飛ばされたゴーレムだった。
「なに?」
反響定位――
闘気を飛ばし、跳ね返りから空間を把握する彼女の能力の盲点。対象が別の存在に重なれば、見失う。
次の瞬間、ゴーレムが爆散し、その下から風弾が飛来!
しかし――
サラは木刀で風弾を絡めとり、そのまま軌道を変えて地面へと叩きつけた。
直撃は避けられなかった。地面に隠れていたリュートの目の前に、土を割って木刀が突き刺さる。
――完敗だった。
「……面白い発想だったな。ゴーレムの下に隠れるとは。だが土中では角度が甘かったぞ」
リュートは肩を落とし、土まみれのまま這い出た。
「完敗です。もう少しやれると思ったんですけど……」
「昨日の熊戦を見ていなければ、厳しかったな。陽動は読めた」
どこまで本気かはわからないが、少なくとも魔術士が素で勝てる相手ではない。
「……あの飛ぶ斬撃、僕にもできるんでしょうか?」
「『雷 神』か。無理だ。あれは降霊術に近い。私の種族の特性だ」
「なるほど……」
「だが、飛ぶ斬撃そのものなら、魔法剣士として再現は可能だ。剣の腕が必要だが……やってみるか?」
「えっ、教えてくれるんですか?」
「ああ。ただし、条件がある。
――魔術を教えてくれ。ドワーフの血が混じっているのに、私は魔術がほとんど使えない。それがずっと……コンプレックスだったんだ」
「わかりました。交渉成立ですね」
「ああ」
手を差し出したサラに、リュートがふざけて「隙あり!」と手を取ると――
次の瞬間、身体が宙に浮き、背中から地面に叩きつけられた。
やはり、甘かった。
闘気、体術、魔術、すべてにおいて未熟。
――だが、あきらめるわけにはいかない。
魔族から両親を取り戻す。そのためには、もっと強くならなければならないのだ。
雲を見上げながら、リュートは拳を強く握り締めた。




