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アヴィスフィア リメイク前  作者: 無色。
二章 新たな時代
44/55

治癒士の本気、見せてあげる!

的確な指示とそれをきちんと理解し行動出来る二人が交わるとき、新たな奇跡が生まれるものなのです。

「ごめんね? ちょっとだけ痛いから、ね! ……うんうん。真っ直ぐになったね」

「あ”ぁぁっ! ぐふぅぅ、う”ぅん! ……はぁ、はぁはぁ」


 獣のような野太い声が臨時に設営された天幕内に響く。治療を窮する怪我人が運び込まれた、女性専用のテント内からだ。


 部隊の半数近くが女性故なのか、紳士であるルーク君はこういった配慮をも出来るらしい。


 ちなみに俺は中身が男性なので遠慮したいところではあるのだが、緊急時なので致し方ない。……説明すると、色々面倒なことになりそうだしね。


 声の主は重傷の治癒士女性。年頃は十代の半ばだろうか。可愛らしい容姿とは裏腹に、中々の胆力を秘めているらしい。


 イヴの指導の下、俺は曲がってしまっている腕と足を牽引して真っ直ぐに伸ばし、ちよさんに集めて貰っていた丈夫で比較的平らで軽い木々に布で括り付けた。


 アヴィスフィアにおいて回復魔法とは、本来その者が持っている自然治癒力を活性化させて治療するものだ。


 俺が覚えたヒールⅡは骨折などにも効果が認められるが、折れた個所を正しい位置に戻さないと元に戻らず、歪に修復されてしまうデメリットも持ち合わせている。


 つまり治癒士は魔法の他にも医学の知識を持たねばならず、他の基礎職業に比べて習得難度が高いのだ。


 当然俺は医学など学んだことなどない。知識として知っていることもあるけれど、その道を修めてはいない”にわか治癒士”と言える。


 だがしかし俺には強い味方、イヴ大先生が付いている。足らない知識は彼女が補填してくれるので、後はどれだけその指示を正確に実行出来るか否かに絞られる。


《通告。マスター、左足の拘束が緩いのでもう一度締め直して下さい。鬱血しないように布の面を広く取る意識も、忘れないで下さいね》


 おっけー了解! ……こんな感じで大丈夫?


《通告。完璧ですマスター。後は患部に治癒魔法を掛ければ元通りになるでしょう。……次の患者も待ってますので、手早く済ませて下さい》


 あいあい了解! ふぅ、イヴ先生は人使いが荒いぜぇ。


《通告。はいはいマスター、無駄口を叩く暇などありませんよ》


 へいへい了解。ちゃちゃっと終わらせて、チョコルの実の新作スイーツの試作品を作らないといけないもんね。


「よし、これで骨折は大丈夫。活性化で体力をごそっと持っていかれてるところ悪いけど、この布で他の傷口の汚れは自分で落として貰っておいても良いかな?」

「――へ? 嘘でしょ……治ってる!? こんなに短時間で、もう骨がくっついてるの……?」

「ん? 大丈夫? 後でまた来るから、出来るところまではお願いね? あっちの子、先に診て上げないとだからさ」


 本来であれば骨折だけでなく擦り傷や打ち身も治療すべきなのだが、如何せん人が足らない。


 優先度が高い順から治療し、低いものには少しの間我慢して貰わないと手遅れになり兼ねない。


 症状からして死人は出ないと思う。だが時間を空けたことで治るはずの傷が治らず、またその傷が残ってしまう可能性もあるのだ。


 ……魔法というものは万能に見えても、結局は技術の延長に過ぎない。時間効率を蔑ろにするなど、愚者のすることなのである。


「は、ははは、はいっ! 大丈夫です、任せて下さいっっ!」

「うんうん、元気があって宜しい。……それじゃ、お大事にね」


 うむ。結構な重傷だったというのにショックは少ないみたいだし、色んなところも元気もいっぱいのようだ。


 ……ふむ、これなら問題ないだろう。


《……軽蔑。マスター、何時まで幼気な少女の隆起した乳頭を眺めているのですか。最低です》


 ――ちょっ! イヴそれは誤解だから! 異常がないか見てただけだし? それに彼女もほら、成人済みだから何も問題はないよっ!


《…………嘆息》


 いやホント、違うんだって。女の子に傷跡なんて残ったら大変でしょ? そういうことなんだってば。


 この治癒士の女性は特に怪我が酷かった。つまりは装備もそれなりに壊れたり、また汚れたりしてしまっていることになる。


 壊れている者を身に着けるのは危険だし、何より衛生的に宜しくない。要するに、下着姿だったのだ。


 治癒魔法は活性化を促す効果がある。そしてそれは何も患部だけに作用するわけではないということである。


「……? …………はぁぅ」


 げ、そんなこと言うから見てたのバレちゃったじゃんか! 変態じゃないからね! 不可抗力だから!


 あぁ、でも可愛い。……女の子が恥ずかしがってる姿って、何でこんなにグッと来るのだろうな。


 そんなことを考えるくらいには余裕があった俺は、その後もそつなく治療を終えることが出来た。


 当然そこにはイヴの的確な指示を信頼していたという大前提がある。


 他の理由としては死の危険度は低く、また身内じゃなかったからこそ初めてなのに比較的スムーズに事を運べたのだと思う。


 これで彼らに負い目も感じずに済むし、何よりこの経験はもしものときに絶対に生きるだろう。



「済まない、助かったよアイヴィス殿。度々迷惑を掛けてしまって、本当に申し訳ない」


 緊急性の高い怪我人の治療を一通り終え、ラヴちゃんに肩を揉んで貰っている所にイケメンが現れた。


 最初に出会ったときに少し感じてはいたが、彼が物腰柔らかな紳士であるのはまず間違いない。


 聞くところによると一番奮闘したらしいが、軽い擦り傷や打ち身程度の軽傷しか負っていない。それもあり治療は後回しにしてしまっているのだが、当人に不満はなさそうだ。


「あぁ、ルークさんか。ごめんね? 後回しにしちゃって。一番頑張っていたみたいなのに」

「いいや、それは構わない。寧ろお礼をさせてくれ。本当に助かった、ありがとう」


 彼らの中にも当然治癒士は数人いたのだが、皆一様に集中砲火を受けて最初に脱落してしまい、以降は消耗戦の様相を呈してしまったようだ。


 チョコルドンの雌にそれほどの知能があることも驚きだが、精鋭部隊を抜き回復役を落とせる戦闘力は計り知れない。


 その中でも特に彼直属の治癒士の女の子は特に重傷だった。片腕と片足が明後日の方向を向き、全身は傷や打撲痕だらけ。内出血もしているのか、紫色に変色してしまっていた。


 状態だけで言うなら衝突事故に近いと言える。恐らくはあの物量で持って押しつぶしに来たのだろう。……想像するだけで怖ろしい。


 身に着けていた防具は衝撃からか大破しており、今にも素肌がはだけてしまいそうになっていた。


 幸か不幸か意識ははっきりしており、自身でも回復魔法を試みていたそうだ。しかし痛みからか集中力を欠き、満足に発動できないと悔しそうにしていたのが印象的だ。


 しかしまぁ、あの乳首の子が直属だったのか。人は見かけによらないというか、内気そうな雰囲気の娘だと思っていたのに意外だねホント。


《通告。覚え方が最低ですマスター。本当に良い加減にしないと、ラヴィニスにチクリますからね》


 ぐぅ。それだけは勘弁してくださいイヴ様。あんなに真剣にお手伝いしてくれてた傍らでそんなこと考えていたとバレたら、流石に嫌われちゃうからっ!


《……通告。冗談です。……というか彼女、気が付いてましたよ? マスターはほら、分かり易いですから》


 嘘!? そんなに俺、分かり易い? ポーカーフェイスを貫いていたと思ったのだが……。


 どうやらイヴはもちろんラヴィニスにもお見通しだったらしい。……いや、だからあれは不可抗力なんだってばぁ。


「どうかしましたか? アイヴィス様が()()()()()なのは十二分に分かっているつもりなので、今更お気になさらずとも大丈夫です、よ?」


 ちらっと窺うように後ろに目線を送ると、ラヴちゃんがニッコリと微笑みながら理解を示してくれた。


 彼女が触れている両肩が軽くミシリと音を立てている気もするが、きっと気のせ――痛いっ!? 痛たたたたっ!


 どうやら彼女はきちんとTPOを守り、今まで我慢していたらしい。年齢だけでいえば十も下なのに俺より余程人間が出来ているな。


「なんて、冗談です。でもやはり嫉妬はしますので、なるべく気を付けてくださいね」

「は、はい。ごめんね、ラヴちゃん」


 ここは陳謝だな、うん。正直嫉妬してくれることが嬉しいし、また可愛いと感じてしまったのは内緒にしておこう。


 しかしイヴと違って俺の心は分からないはずなのに、全て見透かされている気がするのは何故なのだろう。


 ちなみに彼女の見立てでは、俺が反応しなければラヴちゃんはそのまま見逃すつもりだったらしい。


 それを補って余りある活躍をしているし、何よりその姿に見惚れていたようなのだ。くぅ、いじらしいね。好き。


 仮に俺がよそ見しなければ目がハートになるくらいには感情が高ぶっていたらしいとイヴに聞いて、久しぶりに本気で反省したのは言うまでもない。


「うんうん、ルークさんもこれで大丈夫だね。でもよくこれだけで済んだね? 強いんだ」

「ありがとう。だが、私などまだまだだ。この程度の相手に負傷者を多数出してしまうとは……」


 そうこうしているうちにルークの治療が終わった。ラヴちゃんに肩を揉まれながらという片手間での行為だったのだが、不愉快に思った様子も無いので一安心だ。


 それにどうにも気を病んでいるらしい。自身がほぼ無傷でも、仲間が負傷しては何の意味もないのだそうだ。


 なるほど神殿騎士とは言ったもので、その騎士道精神には思わず頭が下がる。特に彼は前線にて後衛を守るパラディンという守備の要を担っているので、チョコルドンの群れを後方に通してしまったことを悔やんでいるようだ。


「何言ってるのさ、多勢に無勢だったじゃない。それにこの程度で済んだのは間違いなくルークさんのおかげだよ、きっと」

「そう言ってもらえると幾分か気が晴れる。……君はとても暖かい、太陽のような人だな」


 相手は数が数だし、その上に飛行能力も持っていた。地で戦うルークにとっては圧倒的に不利な相手であり、それでも相当数食い止めていたのだ。


 戦果としては十二分と言えるだろう。要は、相手が悪かったのである。


 しかし同時に守るべき治癒士が全滅まで追い込まれてしまった。もしこれが戦場で、相手が人間ならばこの隙は見逃さないだろう。そういった意味合いで持って、彼は自身の至らなさを総評しているのだろう。


 それにしても太陽ねぇ。恐れ多くはあるが、悪くない褒め言葉だな。……流石イケメン、お洒落な賛辞だぜ。


 後ろで誇らしそうに胸を張るラヴィニス。自身が褒められた時よりも嬉しそうなのは気のせいじゃないだろう。


 ――全く。俺はそんなに大層な人間じゃないっての。……まぁでも、この嬉しそうな笑顔を護れるくらいの男にはならないといけないね。

 

「――よし。じゃあ残りをちゃちゃっと片付けちゃおうか。ラヴちゃん、行くよ」

「はいっ! 何処までも、お供致します!」


 よし、では名誉挽回も兼ねて治療を再開しますか。――大丈夫。無我の境地で挑めば、えっちな気分は無くなるはずさ。


 ラヴィニスの気持ちの良い返事を聞き、ほっこりとした気分で再び天幕に歩を進めることにした。


 重症な者は既に終わっているので、ものの数十分もあれば全て終えることが出来るだろう。


 新作を作る時間も惜しいし、手早く済ませてハルカさんとカレンちゃんの宿に行こう。厨房の使用許可も貰わないとだしね。


 追伸。無になるなどと大層なことを言ってはみたが、しょせん若輩の俺には難しかったということを此処に記そう。



「天使、まさに天使だった。魔法といい手際といい、女神アビスが遣わせた天の御使いに間違いない」

「あぁ、そうに違いない。あれほど愛らしい容姿を持ちながらも気取ることなく、治療を終えると何処へやら消えてしまった」

「おぉ女神アビスよ。施しを受けながら満足に感謝すら述べられなかった私を、どうか許したまえ」


 ルーク一行の陣内が何やら色めき立っている。一人は熱心に語り一人は迷子のように辺りを見渡し、また一人は神に許しを乞うている。


 話題はもっぱら突如現れた天使のような少女で持ち切りだ。


 彼らの多くは彼女によって後遺症も危惧される重傷から快復している。中には処置が遅れれば、致命傷になるものも居たのである。


 アビスという女神を信仰する彼らの国は特に白魔法、いわゆる回復魔法に力を入れており、常日頃育成教育をしている。


 前線を剣や槍を奮う騎士が守り抜き、後衛である治癒士がそれを援護する。そして間には弓兵や魔法使いを挟み、殲滅力を高める布陣が彼らの定石だ。


 サポーターを徹底的に護り抜くことで継戦し、人数不利ものともしない強固な”防御”こそが至高。そのあまりの頑強さに内外では”不滅の騎士団”を称されているほどだ。


 しかし此度の戦闘では、要である回復役が先に全滅してしまうという失態を犯してしまった。


 たかだか恐竜、されど恐竜。人間ほどの知能などないという心の隙間を見事に付かれてしまったのだ。


 そう。相手が人間ならば、最初に何が何でも回復役を徹底的に狙うという選択肢を思い浮かべることは容易だったであろう。


 彼らの敗因はまさにその点だ。採取という緊急性や危険性の低いクエストで”草食”の恐竜がターゲット。経過は順調で、納品も達成。後は追加報酬でも稼ごうかというタイミング。……要するに、油断したのである。


 とはいえ、精鋭部隊である彼らを出し抜く戦闘力を持つチョコルドンなど前例がない。


 数も然り、体格も然り。その全てが前代未聞だったのだ。


 突然変異的な一例の一つなのか、管理人であるララの推察通り”楽園の主”なのか。はたまた楽園そのものに起因する異常観測なのか。


 いずれにしても調査しなければならない案件であるのは間違いない。


「まったく。サンタイールの神殿騎士たるものが情けない。信徒ならいざ知らず、あの悪名高い”夜烏”の売女(ばいた)を捕まえて天の御使いとは如何なることなのかしらね」

「何っ!? あの子は()()夜烏の所属なのか?」

「つまりは元奴隷という可能性もあるということか。誠、浮世は残酷なものであるな」


 色めき立つ一部の仲間達を見て目を細めているのはルークの従者であるタバサだ。


 敬虔な信者とまでは言わないが、それでも国教であるアビス教には思い入れもあるために複雑な心境のようだ。


 一昔前に比べて妄信的なほどの信者は成りを潜めているが、このような状態を彼らが知ろうものなら魔女裁判も辞さないだろう。


 天使を揶揄されたアイヴィスの所在を聞き、驚きの声を上げたのはチャランサーの青年だ。


 治療中に何度もアプローチをかけたがろくすっぽ相手にされず、最終的にラヴィニスに叩きのめされていたのが印象的だ。


 仕方なさそうにもう一度治療するアイヴィスと、ペコペコと謝るラヴィニス。それでも懲りずに声をかけるチャランサーという状況はまさに混沌を極めていたといえる。


 夜烏のジュウゾウのような口調で語るのは壮年の斧使いだ。彼の母が倭国と呼ばれる東方の出身のためか、その口癖が身についてしまったのだろう。


 五人もの子供を持つ親故か、自身の子と年齢が近いであろうアイヴィスの境遇に思いを馳せて憐れんでいる。


「仮にそうならば、彼女は元々相当に身分が高い方に違いありません。我らのほぼ全員を治療するほどの魔力量もそうですが、個々人によって詠唱を変えていました。その知識量は冒険者のそれとは質が違います」

「ふむぅ。確かにそうじゃな。それに思考(上丹田)から行う詠唱と感情(中丹田)から行う詠唱を並行して実行するなど、一介の治癒士には真似できん。……ま、儂は出来るんじゃがな?」


 一番の重傷を負っていたルーク直属の治癒士の女性が、自身の実体験を踏まえて考察を述べている。


 四十八人全員に個々人に合った治癒魔法をかけ、一人の例外なく快復させるなど天才を通り越して”異質”。


 そのことからやんごとなき身分の方が得も言われぬ事情により、奴隷の身に落ちたのではないかと想像したのだ。


 サンタイールを誇る賢者である故老は流石というべきか、アイヴィスが並列して二つの回路で魔法を使用したことを看破したようだ。


 思考で道筋を作り、感情で魔法を支配する。二つの事を同時に行わなければならないので難度が高く、それこそ賢者に限りなく近いベテランの魔法使いしか行使できない並列詠唱。


 それを彼女はしていた。それも一切に無駄がない完璧な個別対応で、だ。


 ……正確にはイヴが思考してアイヴィスが行使していたので厳密にいえば間違いなのだが、それは当人達以外には知りようのない事実なので仕方ないだろう。


「カリス。買ってあげたら? あのギルド産の奴隷は色々な意味で質が良いって貴族階級の皆さんに評判らしいわよ」

「馬鹿言え。金で女を買う趣味はねぇし、そんな金も無い。噂によると、一等地に家を建てるくらいの値段の奴隷もいるらしいからな」

「ふむ。我が家の使用人の話では、戦闘用の奴隷から家事などの小間使い、夜伽のための愛妾まで幅広いようだ」

「私も聞いたことがあります。従順で大人しく、要求された命令が出来ることならば何でもする、と。神に仕える身でこんなことを言うのは何ですが、奴隷を買うのなら夜烏が一番信頼できると言えるでしょう」

「ほほっ、確かに。何度かお忍びで訪れたことがあるが、今までで一番レベルが高かったからのう。中でも”ている♡いやーず”は特に秀逸じゃったわい」

「「「「この破廉恥ジジイが」」」」


 肩越しに振り返り、興味無さそうにチャランサーことカリストゥスに話しかけるタバサ。愛称で呼んでいるところからも親しい間柄なのが窺い知れる。


 お嬢と揶揄するタバサから馬鹿にされ、軽く呆れながらも首を横に振るカリス。彼にとって女性は落とす対象であり、売買には興味がないようだ。


 意外に詳しいのが壮年の斧使いの男性だ。このような話し方だが、生まれも育ちも一流の貴族である彼とその実家は幼少より使用人を雇っている。それ故に、彼らの噂話が耳に入るのだろう。


 サンタイールでは表立って奴隷を肯定していないが、実態は多数の奴隷を所有している。


 それは国、また個人単位でも言えることでもあり、暗黙の了解として認知されているのだ。


 そもそも彼ら自身も神に仕えるもの――隷属としてこの世に生を賜ったというのが教義の根本であるが故に、忌避感や嫌悪感というのは希薄であると言えよう。


 意外な発言をしたのが聖女と呼ばれている少女である。彼女の性格上、また立場などを鑑みるに、奴隷が当然として認知されている現状は嘆くものだと思うのだが、当人はそれほど意識していないようだ。


 そもそも彼女は生まれも育ちもサンタイールで、実際に奴隷が生活の基盤として定着している。


 つまりはそれが()()()()なのだ。その年齢まで育つ際に身に着けた”常識と言う偏見”に、自ら気が付くのは非常に困難だと言えるだろう。


 サンタイールの賢者ことエロ爺は、既に夜烏の最先端を経験済みらしい。


 流石は彼の国の敬虔な信者である。男という性に何処までも実直で、行動力も計り知れない。紆余曲折を経てこの年齢まで生きているというのは伊達ではないのだ。


「タバサ! タバサは居るか?」

「はっ、ルーク様。タバサ、ただいま参りました」


 一変する空気。先程までの不満など何処へやら、喜色満面の笑みを浮かべて返事をするタバサ。


 そのあまりにも早い神業に、慣れているとはいえど唖然とする面々。


 彼女とて別に猫を被っている訳では無い。むしろとても分かり易く顔や態度に表れるので、ある種の清々しさまであるほどだ。


「おお、良かった。君に相談があるんだ。少々時間を貰っても良いか?」

「もちろんでございます。私はルーク様の従者、貴方様の為に存在しておりますので」

「そうか。では一つ、頼みたいことがある。私は今少し手が離せなくてな。信頼出来る君に任せたいのだ」


 何時も大げさだな君は。とタバサの言葉をお世辞だと解釈するルーク。


 それを聞き少し寂しそうな顔を浮かべる彼女を見て、彼女以外のパーティーメンバーがエモーショナルを感じたような表情を浮かべている。


 手を貸してあげたい気持ちもあるが、このまま行く末を見守りたい気もする。ちょっかいかけるより、眺める方が白飯が進むのである。


 ……実際に白飯の存在は未確認なので、精々パンが関の山かも知れないが。


「君も知る通り、我らはたかだか草食の恐竜相手に壊滅状態という失態を犯した。私が隊長となり、初めての恥とも言えよう」

「確かに手厳しい結果となってはしまいましたが、ルーク様のせいなどでは御座いません。我らが不甲斐ないが故――」

「――それは違う。皆は隊長である私の判断に従い、それを遵守しようとしただけだ。そして、私はその判断を誤ったのだ」

「……ルーク様」


 自厳他寛(じげんたかん)な彼は、今回のこの結果を他者よりもはるかに重く受け止めている。


 タバサの言う通り、客観的に見てもこの程度の被害で済んだのはルークが奮闘したからに違いないのだが、納得がいかないらしい。


 今回はあくまでクエストを熟すのが目的の為、一部の隊員しか連れて来てはいない。


 しかし一部の一国の部隊、それもその国の代表として存在している彼の直属が壊滅に追い込まれるなど、あってはならないことなのだ。


 事実、楽園管理人の一人者であるララが想定していたよりも、被害は大きいものとなった。


 それこそたまたまアイヴィスが居なければ、今後の戦線復帰が叶わなくなってしまいそうな重症者や、最悪処置が間に合わずに死んでしまう者すら出兼ねなかったのだ。


 つまりルークはこの件の報告を纏めているために手が離せないらしい。結果として事なきを得たのは僥倖なのだが、本国に知らせない訳には行かないのだろう。


 編成を含め、能力による再配置や適性の有無。またクエストにおける気持ちの作り方も含め、見直す点が幾つかあるとのことだ。


 大隊を率いる彼にとってそれはとても重要な案件で、直接自国の防衛にも関わってくる。


 出来うるなら秘密裏にしておきたいが、他者に助けられた時点で不可能に近い。


 ならば早急に立て直し、対策を練らねばならない。国防は何においても優先すべき。国に携わるものとして、半端なことは許されないのである。


「この件が他国に知られればその穴を突き、何らかの形で行動を起こす国が出るやも知れん。……低い可能性だが、かの恐竜を操るなどをして、な」

「まさか、そんな――。……いえ、確かに世の中には魔物使いと呼ばれる職も御座いましたね」


 魔物でも肉食でもないただの草食恐竜になど敗れたとなれば、不埒な考えを持つ者に隙を与え兼ねない。


 ルークはそれを危惧しているのだ。そしてその対策のために、今は時間が惜しいのである。


「つまり私に頼みたい事とは、目撃者の抹消……という訳ですね」

「いや、何もそこまでする必要はない。精々が情報操作、つまりは遅延活動をして欲しいのだ」

「なるほど、了解しました。私に任せて下さい」

「……タバサ、彼女達は我々の恩人だ。くれぐれも手荒な真似はしないように。……分かったね?」

「――はい、心得ておりますわ」


 過激な発言をするタバサ。実際に彼女が動くはそう言った案件が多い。


 ルークとしても常に申し訳ないと感じているのだが、彼は教国の顔でもある。自身では出来ないことをやる人物というのがどうしても必要な場面があるのだ。


 しかし今回はそこまで苛烈に情報規制する必要はない。そう判断したが故に、穏便に行動せよと念を押したのだ。


 元々楽園には無数の目が存在する。別のクエストを受けている冒険者も当然居るし、管理人による監視の目もある。


 管理人には守秘義務があるので、口を割ることは基本的には無い。


 しかし、冒険者は別だろう。元々あれくれ者が多いきらいがあるのに、そんな話題になりそうなネタを見逃すわけがない。


 ちなみに今回の対象となるのは言わずともがな、アイヴィス一行である。処置が迅速だったこともあり、幸いにも目撃者は身内を除けば彼らのみだ。


 身内には当然箝口令を敷き、彼らにはみだりに口外しないようにと交渉する。それがルークの命令の詳細なのだ。


 タバサは優秀だ。彼の言うその意味を履き違えたりはしない。しかし、その範疇内では何でもする。それこそ何でも、だ。


「ルキア。君もタバサに付いて行きなさい。碌に御礼も言えていないだろう?」

「――へっ!? は、はい! 分かりましたルーク様! タバサ姉さまもどうか、よろしくお願いします!」


 突然話を振られて驚いているのは、サンタイール教国にて聖女と呼ばれている少女、ルキアだ。


 確かにルークの言う通り、満足に御礼を伝えられていない。そう気が付いたのか、とても気持ちの良い返事をしている。


 反対に渋い顔をしているのがタバサだ。ルークの命令に意などあるはずも無いのだが、どうにも自身にとって不都合のようだ。


 タバサがルークを知るように、ルークもタバサを知っている。


 要するにルキアはストッパーだ。タバサを姉さまと呼び慕っている彼女を同行させれば、過激な手段は取りづらくなると判断したのだ。


 実際にタバサはアイヴィスを一切傷つけずに誘拐、また幽閉しようと画策していた。


 彼の周囲はギルドの階級的に強者揃いだが、そのリーダーである彼自身は治癒士、つまりは後衛職だ。


 湯浴みやお手洗いなどの一人となる時間に襲えば、比較的容易に達成出来るとタバサは考えたのである。


 あの可愛らしい容姿とパーティーリーダーだった事を鑑みれば、夜烏にとって彼は重要な人物だと分かる。


 そして、そんな彼が居なくなったとなれば、その捜索こそが最優先とされるだろう。


 そうなればこっちのもので、遅延活動という目的が完遂されることになるのである。


 ちなみにルークは、タバサならばこうするだろうと予想してルキアを同行させた。


 そう。恋愛という一つの事象を除けば、ルークこそがタバサの一番の理解者なのだ。


 ちなみにアイヴィスが宿泊している宿は既に調査済みだ。場所や営業時間はもちろん、従業員と宿泊客も全て網羅している。


 怖ろしきはタバサの本領である情報収集能力だ。どのような手段を用いているのか、正確かつ迅速で無駄がない。


 そして更にはそれを生かす、決断能力と行動力も持ち合わせている。敵に回すと厄介極まりない相手であると言える。


「そうと決まればタバサ姉さま、街に向かうお洋服を見繕いましょう。私、一つ気になっているお店があるんです!」

「ちょ、ちょっとルキア。引っ張らなくても歩けるわ。……はぁ。全く、しょうがないわねぇ」


 そんな彼女も妹と思い可愛がっているルキアの、ついでに行きたい所があるという我が儘には適わないらしい。


 手を引かれるがままに天幕へと連れていかれ、ああでもないこうでもないとドレスアップする二人。


 そんな姿を見て頷くルーク青年。


 この調子なら問題ないと判断したのだろう。彼もまた、自身の天幕へと翻し歩むのであった。

少し執筆ペースが落ちてきています。ここが踏ん張り所。気合を入れて、一日中書き込んでみるのも有り中の有りかも知れません。

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