捕虜は人にあらずなんて酷い!
少々過激な内容になっているため、読まれる際はご注意下さい。
薄暗い天幕に数人の兵士が屯っている。その口々にはクツクツと厭らしい嗤いを浮かべ、中には戦時だというのに酒を煽るものまでいる始末だ。
時刻は既に深夜を回っているが、未だ煌々と灯りをつけその戦果と酒に酔いしれている。
足元には空き瓶がいくつも投げ捨てられ、ついぞ限界を迎えたのかその場で眠りこける者の姿も転々としている。いや、ただ眠っているのではない。気を失っているのである。
そして何故か衣服は来ていない。比較的四季の穏やかな皇国とはいえ、流石に冷えてしまうだろうこの時期に、どうして身に着けていないのだろうか。
「ギャハハハハッ! いやはや皇帝陛下様様だな。あの人が天下取ってから、まるでこの世が天国だぜ」
「それは言えてらぁ。従ってさえいれば、俺らみてぇな下っ端もこうやって良い思いが出来るもんなぁ」
「はは、昔は堅苦しすぎたんだよな。捕まってる罪人ちょっと殴ったら減給、酒の持ち込みがばれても、女連れ込んでも減給。何かあれば減給減給だったしな」
「特に今回みたいな侵略者なんざによー、前はヘコヘコ頭下げなきゃ行けなかったんだぜ? あいつら散々っぱらに偉そうにのさばりやがって!!」
品のない兵士達は口々に自身の皇帝を賞賛する。どうやら兵士と国民ではその印象は真逆の物になっているらしい。……あくまでも、ここにいる兵士に過ぎないのかも知れないが。
それほどまでに今迄の体制に不満を持っていたのだろう。窮屈な規律、横柄な他国民。しまいには罪人にすら気を使わなければならないとう矛盾。そういったものの捌け口が、このような態度で以て証明出来る。
その事が昨今の平和に結びついていることは重々承知しているはずなのに、酒の勢いなのか口々に好きなことをのたまわっている。
すると、その輪の中の兵士の一人が何かに気が付いたのか、足元に転がる一人の元へゆっくり近づいていく。口元には先程よりも一層下品な笑みが浮かんでいることから、きっとよからぬことを考えているのだろう。
名知らぬこの兵士を仮に兵士Aと呼ぶことにする。
「それな。溜まりに溜まった欲求を発散したら、今迄の溜飲が下がるってもんよ。なぁ――侵略者ちゃん?」
「――ヒッ! も……もも――」
「――桃? 分かってるねぇ、お嬢ちゃん。俺ぇ、桃好きなんだよなぁ、特にお嬢ちゃんみたいに張りがある尻はよぉ!?」
「ヒィィ! もう堪忍して下さいぃ!」
舌なめずりしながら、寝ている――いや、気絶していたふりをしていた者ににじり寄る兵士A。倒れていた者はどうやら女性だったようだ。と言うよりは、一部の酔っぱらいを除いたそのほとんどが女性だったのである。
自身が気が付いていることがばれてしまった若い捕虜の娘は怯え、狼狽し、上手く話せずにどもってしまう。
その様子に気を良くしたのか、兵士Aはその娘の尻に自身の涎で滴った舌をなぞる様にして這わせた。
娘は自身を襲う不快な感触に目を見開いて身震いをし、か細い悲鳴を上げながら頭を下げ、フルフルと震えだしてしまった。
周りでは他の兵士が「ギャハハハハッ! 何だそのおっさんみてぇなセリフ」や、「流石にそれは無いな、うん」などと、全裸で震える娘を見て今もニヤけている兵士Aに対して野次を飛ばした。
「うるせぇ! こういうのは雰囲気が大事なんだよ!! ちっ。……さて、お嬢ちゃん。どうやらお前さんは、自分の立場というものがまだ分かっていないみたいだな」
「ヒィ! す、すすす、すいませんごめんなさいぃ!」
「おいおい、そんなに怯えるな? 興奮しちまうだろうーがよぉ!?」
「ヒィィィ!! も、もうやだぁ。誰か助けてぇ」
「ギャハハハハッ! は、ははは、腹痛ぇ、プッ。プギャハハハハッ!!」
仲間の野次を怒鳴りつけて黙らせる兵士A。飛ばした方もその反応をみて、さらに「ギャハハハハッ」と声を上げて笑っている。赤ら顔で怒鳴った彼は、それを横目に小さく舌打ちをした。
そんな様子を下から覗きこむ様にしてビクビクと見守っていた娘に向き直した兵士Aは、仕切り直しとばかりに彼女に突っかかる。
男の瞳に宿った欲望は留まらず勢いを増す。爛々とギラついた瞳に晒されて、ここ数日に渡り自身や仲間がされた行為がフラッシュバックしただろう。娘は四足で這いずる様に、その場を脱しようと試みた。
しかし腰が抜けてしまったのかそのスピードは遅く、また距離も全く稼げていない。そんなヘコヘコとバタつく娘を見た兵士達は今日一番の哄笑を上げ、何がそこまでに愉快なのか皆揃って腹を抱えている。
「んー、あれぇ? お仲間見捨てて逃げちゃうのかなぁ? お嬢ちゃん、もしかして結構薄情だねぇ??」
「…………」
「んー、黙っちゃったってことは自覚あったぁ? あー、だからあの若い男の兵士が君を見捨てて逃げてっちゃったのかなぁ??」
「……………………違う」
「んー? 聞こえないなぁ、もしかして認めたくないのぉ? 粘着質な女は嫌われるよぉ??」
「違う違う違う違う違うっ! クルスが私を見捨てる訳がない!」
先程から全く前に進めていないその娘の背中を足蹴にし、煽る様に語り掛ける兵士A。声色を変え、間延びした何とも勘に触る口調である。
踏み付けられ、動くことすらままならない娘はその場で顔を伏せ黙る。それを見た兵士Aはニヤリと嗤い、数日前の戦闘中に起きた出来事を語り始めた。
ピクリと反応し、ボソッと呟く娘。心なしか、先程とは違う震えが身体に走っているように思える。
兵士Aはさらに煽る。話すごとにだんだんと彼女の耳元に近づいて行き、遂には我慢の限界が来たらしい彼女が感情を爆発させた。
当時の状況では、その彼が報告に戻るのが一番成功率が高かっただけなのだ、と。
反抗する気力を取り戻した彼女に向け、今一番の厭らしい嗤いを浮かべる兵士A。そのしたり顔は”上手くいった”と見て分かるほどである。どうやら最初から、怒りで振り向かせるのが目的だったらしい。
仲間の兵士達が「粘着質なのは、お前だろーがっ!」とかツッコミを入れたり、相変わらず狂ったように「ギャハハハハッ」と嗤っているのだが、今や二人の耳には届いていないようである。
「んー、やっとこっちを見たねぇ? 成程成程。彼の事ぉ、信頼してるんだねぇ? でもこぉんなに汚れちゃったお嬢ちゃんをぉ、その彼が見たらどう思うかなぁ?? ねぇ、どう思うのかなぁ????」
「――――ッ!!!? ……う、ううう、うわああああっ! ああああああああっ!!」
止めの言葉を口にする兵士A。満足そうに煽りを続ける。興奮が最高潮に達しているのか、目は充血し息も荒い。下腹部などは、目も当てられないほどにパンパンに腫れている。
感情が飽和してしまったのか、絶句する捕虜の娘。既に顔には涙が溢れ、身体は泥に塗れ、下腹部は故知らぬ男の欲で満たされている。
彼女はどうして良いか分からなくなったのか、感情のままに力強く立ち上がり、兵士Aに向かって思い切り体当たりをかました。あまりの勢いに、自身もそのまま倒れ込んでしまうほどである。
既に酔っぱらって足に来ていた兵士Aはその勢いに負け、後方に置かれていた複数の空の酒樽に身体ごと突っ込んでしまう。
ガラガラガラと音を立てて崩れる樽の山。先程とは打って変わり、今この時と場所に見合う静謐に満たされる天幕。
倒れ込んだ娘はやってしまったと放心し、吹っ飛んだ兵士Aは顔を伏せていてその表情は伺えない。そして周りではしゃいでいた兵士達はその様子を見て、互いに目を合わせている。
「――ギャハッ! だ、ださっ。ププ、プギャハハハハッ! ダサすぎるだろっ! ギャハハハハハハハハッ!!」
「ヒー! ヒヒヒヒ。さ、散々煽って、ププ、プヒヒヒヒッ! 流石にねーわ、だっさっ!!」
まるで爆発でも起こったような笑い声に包まれる天幕。今や笑い過ぎて涙すら浮かべる兵士達。過呼吸になったのか、ヒィヒィと息を切らせている者すらいる。
娘は依然として放心、いや顔を青ざめさせている。
それもそのはずだろう。自身の突き飛ばした男が厭らしい嗤いを消し、無表情になっているのである。よく見れば額に青筋が浮かび、顔も酔いとは別の紅潮を見せ始めている。
仲間の兵士はそんな同僚の変調に気が付く様子もなく、未だ笑い転げている。
「――い、いやぁ……」
ゆらりゆらりと娘に近づく男。雰囲気の変わったその様子を見た娘は、震えが止まらなくなってしまった身体を自身の両手で包み、か細い悲鳴を上げた。
「――っのクソアマがっ!!」
「ヒッ! ――ピギィッ!」
「人がっ! せっかくっ! 優しくっ! 話しかけてっ! やってるってのにっ! よぉっ!!」
「や、やめ――ギッ! ギャァ! ヤギュッ! ゴベッ! アガッ! ゴベンナザイッ!!」
沸点を突破したせいか鬼の形相に変わった兵士Aは、怒りのままにその娘の顔面を自身の拳で殴りつける。
殴り倒されて横になる娘に圧し掛かり、なおも殴り続ける兵士A。
必死の抵抗虚しく、見る見るうちに無残な姿に変わる娘。目は腫れて充血し、頬には青痣を量産し、歯も欠けたのか所々抜け落ちてしまっている。
鈍い音が辺りに響く。覆いかぶさる兵士Aはひたすらに殴り、娘はその衝撃に物を言う間もなく身体をビクつかせている。
「――ばっ、馬鹿野郎っ! お前、それはやり過ぎだ! 死んじまうだろーがっ!」
「うげっ! こりゃあひでぇ。あんなに可愛かった顔が、グッチャグチャじゃねーか……」
「う、うぷ……っ」
一気に酔いが醒めたのか、兵士達は暴走している兵士Aを羽交い絞めにして止めに入った。
しかし時はすでに遅し。髪はぼさぼさに乱れ、顔はパンパンに膨れ、片方の目は塞がり、もう一方は真っ赤に充血している。口からは赤く染まった泡を吐き、それが溜まった水場には欠けた歯が転々と転がっていた。
元は器量の良い女性だったであろうその姿は、もはや面影も無い。今もなおビクつく裸体が露わになっていなければ、性別すら判断できないほど酷い有様である。
一人の兵士がそれを覗きこみ口を押え、そのまま天幕の外へと飛び出した。間違いなく吐き気を催したのだろう。その様子を見たもう一人もつられたのか、同様に口を押えてその場を後にする。
皆白けてしまったのだろう。先程まで賑やかだったのが嘘のように静かになり、その日はそのまま解散となった。
兵士達が去った天幕の各所で、すすり泣く声が増えていく。皆が皆手足に枷を付けられ、簡素な布の服で包んだ身を寄せ合っている。……未だ意識の戻らぬ、ただ一人を除いて。
こうして夜は更けていった。いつ明けるかも分からぬその闇はどこまでも深く、また暗く沈んでいくのだった。
「ふむ、戦果は上々と言った所か。ドルマス殿の思惑通り、我らが攻勢に出るなどとは考えてはおらんかったようだな」
「此方の被害も軽微とのこと。攻め入るなどと聞いた時には我が耳を疑ったが、存外結果は分からぬものよ」
「おっしゃる通りですな。五つもの部隊――人数にして凡そ千に届こうかと言う人数を一晩で殲滅するとは。あちらさんの慌てふためく姿が、今にも目に浮かんでくるようだ」
「誠愉快よな。今迄の恥辱に耐え抜いた甲斐もあるというものよ、この勢いで以てかの国の全てを蹂躙しようぞ」
「それは良いですな。まずはヴェニティアを足掛かりに、周辺の国家を牽制して基盤を築く。十二分に体勢を整えた後に、サンタイールに南下して順次各国を調略するのも面白いかも知れぬな」
それは素晴らしい案だと、その皮算用に賞賛の声を上げる大人達。その服装を見れば一目瞭然だが、貴族階級に属する者たちだろう。口々に互いの意見を賛同し合い、また今後の栄華を語り合っている。
場所は一際豪奢な天幕内。その日の議題は先日行われた奇襲作戦の戦果で持ち切りで、口々に驚嘆や賞賛を上げている。
数日前の雰囲気と比べるとまるで雲泥の差という所だろうか。その時を知る者から言わせれば、何を勝手なことを言っているのだとその掌返しに鼻を鳴らしたであろう。
ヴェニティアからの書状が届いた折、エルクドの名の元に一つの会議が行われた。
貴族達は困惑した。彼が皇帝に即位して三年になるが、叔父のドルマスではない自身の名で会議を開くなど一度も無かったからである。
話題は同然時刻に迫る脅威について、だ。それはそれは紛糾した。中にはその事実に狼狽し、叔父と本人の目の前で「もうおしまいだ、こんなことになるならやはりエルクドの下になど付かねば良かったのだ」と、口を滑らすものまで居た始末である。
その失言の代償は大きい。直ちに貴族位は剥奪され、当人は地下の牢獄に投獄された。名のある貴族であったため即座に処断されなかったが、事が落ち着いたら民の前にて処刑されることになるだろう。
当然その妻と娘、そして一族の女性の今後の運命は重く暗いものとなるのは自明の理。それを庇えば自身の身も破滅する。周囲の人間は「せめて願わくば苦しみの少ないように」と、祈ることしか出来ないのである。
しかし口には決して出さずとも、会議に集まったその全て貴族達が同様の心境だったであろう。周辺諸国が下した”決定”は、それほどまでに絶望的な内容だったのだ。
それもそのはずで、彼らは皆ドルマスの下に集まった王制派。つまりは今回の決定で解体――貴族位を剥奪されるであろう者達なのである。
処刑こそされないが、前者の末路に近しい最後になると誰もが予感した。権力を失った支配者が辿る末路など、想像だに難くない。
実際に彼らの現在は、多数の犠牲を持って成り立っている。その中には今のなお牙を磨き、己に噛み付かんとするものもいるのだ。
そんな猛獣もとに放り出されるのだ。権力という身を護る鎧がない元貴族など、簡単に喰い散らかされて絶命するだろう。
必然、空気が重くなる。そこでドルマスが語ったのだ。一糸報いるどころか、喉元に剣を突き立てることが出来るであろう今回の作戦を。俯き光を失っていた彼らに、一縷の望みが提示されたのだ。
ドルマスは語り続ける。それを確実に履行するためには絶対数が不足している。つまりは、皇国が抱える兵だけでは足らず、貴族達の所有する私兵が必要になる、と。
平常時であれば、断ることもしただろう。いくらドルマスといえど、国を支える大貴族を相手に正当な理由も無しで強制することは出来ない。一つ間違えば、自身も無事には済まないことも重々承知しているからだ。
しかし今は戦時であり、それも彼らの身にも降りかかるであろう大事だ。有体に言って、四の五の言っていられる状況では無いのである。
そこまでなら致し方ないと了承した貴族達に対し、さらにドルマスは語り続ける。此度の戦争は皇帝自ら戦地に赴く。ついてはそれに習い、貴族の皆々も追って参戦しなければならない、と。
それを聞き、互いに目を合わせる貴族達。ざわざわと互いに何やら意見を交換を始めたことからも、今迄に無い異例な要請なのであろう。
アインズ皇国はヴェニティアと違い、貴族が全て軍に属している訳では無い。つまり、国から従軍を強制することは原則しない――いや、出来ないのである。
それにも関わらず出頭要請をするドルマス。その様子は冷静で真剣そのもので、今迄とは明らかに様子が違う。普段の彼であれば不満を顔に浮かべて苛立ちをまき散らし、それでも折れる所はキッチリ折れていたのだ。
だが今は否と言えない迫力を全身に纏い、それでいて感情の伺えぬ表情をしているのである。
その様子にただならぬものを感じただろう。貴族達はその命令と同義な要請に、誰も反論を口にする事が出来なかった。
「此度の戦。重要なのは”速度”である。短期決戦。その速さを持って、周辺国家が対応する隙を与えずに彼の国を落とす。故に貴殿らの参戦である。私兵に即座に命令できる立場の者が現場にいることによって、その奇襲力を最大まで高めるのだ」
「手段は選ばない。どのような手を使ってでも彼の国の全てを蹂躙する。その際に得た副産物は、即時利用してかまわないと皇帝が申しておる。……聡明な貴殿らならこの意味も分かるだろう」
この言葉が決め手となり、貴族達の参戦が決まった。何故という疑問に対し尤もらしい答えを提示し、ついでとばかりに彼らの欲を刺激する言葉を追加するドルマス。
その手腕は見事の一言で、誰もその要請について言及するものが出なかった。それどころか、中には早速自身の担当する区画をドルマスに申し付けてる貴族すらいるほどである。
「では最後に我らが皇帝エルクドより、一言頂戴致します。皆、静粛にするように」
「「「…………」」」
諸々の手筈が整ったのを見計らい、ドルマスが口を開く。先程まで上座に位置する豪奢な椅子で、会議の様子を黙って眺めていた皇帝エルクドがスッと立ち上がった。
「皆の者。ドルマスが語った通り、短期決戦にてヴェニティアを屠る。長年に渡り苦汁を舐めさせられた相手ぞ、遠慮など一切いらぬ。その全てを蹂躙し、余が皇帝の座を統一する。……真の皇帝は、余一人で十分なのである!」
「皆には余が治める新しい地を統治して貰いたい。そのためには何としてもこの戦、勝利せねばならぬ! 良いか! 心して望め! 余と共に栄光を手にしようぞ!!」
人前で演説など一度もしたことが無いエルクドが、ここまではっきりと自分の意思を表明する。貴族の皆はどうして良いか分からずに視線を泳がせていたが、ドルマスなどは目を細めて感慨深そうに彼を眺めて見つめていた。
……パチパチ。誰とも知れず拍手をする。すると、次々に拍手をするものが増えていった。
エルクドのその自信満々な様子に、在りし日のアルマスを重ねたのだろう。その拍手は次第に大きくなり、部屋に響き渡るのだった。
「なに? 捕虜の娘の一人が未だ目を覚まさない、だと?」
「ハッ! エルクド様より下知して頂いた一人が、一部の兵士の暴走により意識不明の重体になってしまいまして――」
「――放っておけ。捕虜は人にあらず、そう心得よと伝えたはずだ」
数並ぶ質素な天幕の一画で、無数の報告書を今もなお難しい顔をして眺める人物が部下に向かって誰何する。何やら部下の一人が暴走し、捕虜の一人を再起不能にしたらしい。
興味がないのか一切振り向かず、この戦に置いての捕虜の取り決め要項を口にするカイゼル髭の男。
「ですがドルマス様。その女性が身に着けていた物の中に、このような代物が――」
「――何だとっ!? ……そうか、奴にも娘が居たのか」
「……ドルマス様、いかがなさいましょう?」
「ふむ、あい分かった。その娘の元へ案内せよ。それと件の兵士も呼び出しておけ」
一切の反応を示さなかったドルマスが、部下から手渡された短剣を見た途端に目を見開く。続けた言葉には、僅かな憐憫と懐古が含まれている。
部下もまたそんな彼の珍しい様子に気を使ったのか、少し間を空けてその後の処遇について尋ねた。
思案の後、ドルマスは実際にその目で確かめることにしたようだ。状況を知る為なのか、実行した兵士の招集を部下に言い付けた。
ハハッと小気味よい返事をした部下は、同伴していた者に合図を送る。そしてドルマスを案内するために立ち会がり、現場へと歩き始めた。
部下に連れられて同行するドルマス。先程から何かを考える様に、自慢のカイゼル髭を撫でまわしている。しかしその表情は、この戦場における自室である先程の天幕にいる際に浮かべたものとはまた質が違う。ひどく冷たく、淡泊なのだ。
先導する部下もその様子に気が付いているのか、額から冷汗のような物が流れている。
緊張に張り詰めた案内の末、ドルマスは報告のあった天幕へと辿り付いた。
その天幕内では既に兵士が数名集められており、実行した当人もそれは真っ青な顔をしながら列に加わっている。
皇帝から下知された報酬をあろうことか酒に溺れ、ものの数日で壊してしまったのだ。彼のその表情の通り、無事には済まない事を悟っているのだろう。
集められた彼以外の兵士も、その暴挙を現場にいて抑えられなかった責任がある。当人ほどではないが、明るい表情の者は一人としていない。
何よりドルマスの雰囲気が異常なのだ。怒鳴り散らすわけでも無く、ただ静かに今もなお思案しているのである。
「ドルマス様、こちらが例の娘になります」
「ふむ。……成程。実際に顔を見て確認しようと思ったが、これでは分からぬな」
部下により露わにされたその捕虜は、顔は倍に膨れ、目は内出血で赤く染まり、頬には無数の青痣を浮かべていた。
その状態は昨夜よりもさらにひどくなっており、幸か不幸か意識も未だはっきりしていない。そもそもこの様な状態にされ、冷静に尋問できるとは到底思えない。
「仕方があるまい。貴様らの中で此奴の顔を覚えている者はおらぬか?」
「か、顔でございますか?」
「そうだ。出来るだけ正確に記憶にあるものを捻り出せ。――おい、絵描きを呼べ。特徴から全容を書かせるのだ」
部下に命令し、天幕に用意された椅子へと腰を下ろすドルマス。絵描きが書き終わるまで待つ態勢を取るようだ。
しばしの間、絵描きの筆の音と特徴を話す兵士の声が天幕に響く。彼はその間目を瞑り、やはり何かを思案し続けていた。
全ての話を聞き終わった絵描きが、半刻ほどでその全容を描き上げる。その人物画を受け取ったドルマスは、懐から取り出した古びた羊皮紙と見比べ始めた。
羊皮紙に描かれているのは若かりし日のドルマスとアルマス。そしてその間で両者と肩を組む青年だ。
光属性の魔法”投影”により映された人物の絵である。光によって焼き付けるため白と黒の二色しかないが、その再現度は現代日本におけるモノクロ写真と遜色がない。
「――成程、どうやら間違いは無さそうだ」
「……ドルマス様」
ドルマスは「恨むなら不用意に戦地に赴いた自身と、それを許した父にせよ」と、ボソッと呟いた。
その表情は無そのもので、心情は誰にも伝わらないであろう。寧ろ、そうした態度そのものがその内心を表しているのかもしれない。
まるで死刑の執行を待つかの如く暗い表情を浮かべる兵士達に戦慄が走る。
無表情のドルマスが不意に立ち上がり、彼らに向かって歩き出したのだ。
各々が皆身を強張らせた。この表情の時の彼は、まるで容赦がないからである。兵士Aなどは白目を向き、既に気を失いかけている。
「貴様らに命令を下す! 面を上げ、よく聞くがよい!!」
「「「「ハ、ハハッ!!」」」」
大声で突如命を下すドルマス。幾人かの兵士は反応に遅れ、返事はまばらになっている。
「まず一つ。次の作戦にて、貴様らには最前線へと出てもらう! 何やら力も有り余っているようだ。存分にその勇を戦場にて奮うが良い」
「「「「ハハッ!!」」」」
微かに騒めく周囲。基本的にノーと言うことの出来ない兵士達は、咄嗟にイエスと返事をする。しかし命令の内容の意味が分からないのか、表情が浮かばれない。
彼らにしては除隊処分か、最悪処断されることすら考えていたのだ。
「お、お待ち下さいドルマス様!」
「――聞こう」
「ありがとうございます。その、自分達は罰を受けるのでは無いのですか?」
「罰? 貴様らは何か悪い事でもしたのか?」
「はっ? え、いやそれは……」
兵士Aが進言する。聞かなくても良いことだと自覚しているはずなのだが、どうしても質問せずにはいられなかったらしい。他の兵士達は「おい馬鹿やめろ」と、言わんばかりの表情を浮かべている。
逆に何か悪さでもしたのかと質問された兵士Aは、返答に困ったのかどもってしまっている。
「貴様が何を言いたいのか分からぬが、捕虜は人にあらず。その様な目に遭う真似をした、其奴が悪い」
「で、ですが。皇帝陛下に下知して頂いた報酬をこのような――」
「気に病む必要はない。皇帝は”好きにせよ”と申していたであろう」
「…………」
ドルマスは「何を言っているのだ」と、あからさまに呆れた顔を浮かべる。なおも食い下がる愚かな部下に対し、遂には慰めるような言葉すら投げかけた。
返答どころか言葉すら詰まり絶句する兵士A。周囲の兵士のざわつきも一層増し始めている。
他に質問が無いならば、話を続けよう。とドルマスはその話題を切り上げた。
「先程言ったように、貴殿らには最前線に出てもらう。そしてその際に此奴ら使うのだ」
「捕虜、ですか?」
「そうだ。裸に剥き、十字に縛り上げ晒すのだ。恣意行動の一つとする。奇襲によって混乱している奴らを更に追い込む。冷静さを失って、突貫してくるならなお良しと言った所か」
「……成程。そういう事ですか」
「ふむ。しかしこのままでは少々手緩い。他の捕虜も、此奴と同様の処置を施せ。死ななければどのようにしても良い。中心に此奴を置き、その周りを装飾するのだ」
「「「「――――ッ!?」」」」
「その娘の首からはこれを吊るせ」と、紐付きの短剣を兵士Aに手渡す。周囲の反応などなんのその、次々に命令を下す。
作戦の際の細かい決め事や、襲撃方法、そのタイミングなどを矢継ぎ早に決定していくドルマス。兵士達にも質問することを許しており、解らぬ点はその都度説明を施している。
「心せよ。今は戦時である。優先すべきは”勝利”の二文字、残りは些事と切り捨てよ。勝てば非道は戦略に昇華し、暴力も全て正当化される。故に勝つ。ただそれだけなのだ!」
「速度重視。此度の作戦で、侵略者の中心であるフルマンを叩く。見事その首を上げた者には、騎士の称号と領地を授ける! また、それに貢献したものにも報酬を用意しよう。存分に武勇を振るうのだっ!!」
「「「「ウオオオオオオオオッ!!!!」」」」
気持ちが沈んでいた反動もあるのか、兵士達の士気は最高潮と言って良いほどに高まる。理由は明白で、平民が騎士の称号――つまり貴族位を得ることが出来るという破格のチャンスが到来したからである。
貴族は没落して平民となることはよくあるが、平民が貴族になるなどと言う話は滅多にない。平民は死ぬまで平民というのが、この世界の常識なのだ。
皆が皆欲望に駆られ、暴力が肯定されたことで罪の意識も薄れる。不幸なのは昨日までとはまた違った意味で傷を負う捕虜の娘達だろう。ルナの予想より、さらに最悪な状況下に置かれてしまったのである。
当夜。件の天幕内で行われた一つの惨劇は、人知れず歴史の闇へと葬り去られることとなるのだった。