死を誘う本『タママ』~後日談~
「本気で死のうと思っていたのかと言われると自信はありません。ただ、あの時は死ぬことに対して何の違和感もなくて、自殺することが当たり前のように感じられたんです」
図書館での一件が終わった次の日のこと。
あの時、僕達三人の後にやってきた黒い影――『タママ』について証言してくれた男性は、オカ研の部室にてそう語った。
「死を呼ぶ本についての噂は、自然と僕の耳に入ってきていました。誰から聞いたとか、どこで聞いたとかは全然覚えてません。本当に自然と、いつの間にか知っていたんです。レイさんによって燃やされたあの本ですが、見つけたのはオカルト研究会の皆さんが図書館に来て『タママ』について調べていた時だったんです。皆さんが呪いの本についていろんな人に聞き込みを行っているのを眺めていたら、不意に目に入ってきて……。それを見た直後ですかね、あの作り話を思いついてレイさんに話に行ったのは。まあほとんど取り合ってくれなくて、あなた達のもとに連れていかれましたが」
成る程。レイが自分から証言者を連れてくるなんておかしいと思っていたが、単に面倒事を押し付けただけだったのか。やはり彼にやる気なんてものはなかったわけだ。
「本当に、死のうとなんて全く思ってなかったんです。まあ僕の場合根が暗いので、嫌なことがあったときなんかはそのまま死にたいなと思うことも多々ありますが――少なくともあの日は、『タママ』を見つけるまで死ぬ気なんて一切なかったんです。でも、『タママ』を見つけてしまってからは自分が自分じゃないような、どこか浮遊感に似たものに包まれてしまい……。最後に一回『タママ』を読んだら、その場で首を吊って死のうと……。あ、今は勿論そんなことは考えてませんよ! レイさんによって『タママ』が燃やされるのを見たら、すっと目が覚めたような気持になって、あの浮遊感からも解放されましたから」
言いたいことを言えたからだろうか。男はホゥっと息を吐き出すと、どこか満足そうな笑みを浮かべた。
「しかし、ちょっとだけ惜しい気持ちもありますね。殺されそうになっておいてこんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、僕のような人間にはどうしようもないほどの魅力を放っているように見えたんですよ。世界の真理、なんて言ったら大袈裟ですが、なぜ自分が生きていたのか。その理由が書かれてあるように感じましたから。まあ、今は死ぬ気なんて全くありませんし、せっかく助かったこの命、もっと面白いことに使っていきたいと思ってますけどね」
「おう、どうだったあいつ。自殺する気配はなくなってたか」
「ええ。おそらく君のおかげで。以前より明るくなったようにさえ見えましたよ」
男が部室を去った後、それと入れ替わるようにしてレイが部室に入ってきた。
正直彼と二人だけで部室にいるなんて気まずい以外の何物でもない。いつもならさっさと部室を出て、次の講義へと向かうか家へ帰るかするところだ。だが、今日ばかりはそんな気になれない。結果として、レイの行いは一人の学生の命を救うことにつながったのだから。
「でも、意外だったよ。君にも自殺する人を助けようとする良心があったなんて。自殺したい人は勝手に自殺すればいいと考えてるものだとばかり思ってたよ」
喧嘩を売るつもりはないのだが、ついいつもの癖できつい言葉を放ってしまう。だが、レイはそんなことを気にした様子もなく、あっさりと頷いて見せた。
「そうだな、いつもの俺なら自殺志願者を助けようとなんて思わねぇわな。そういうやつらは一度助けた程度じゃ、また再び自殺しようと考えやがるからな。それこそ自分が自殺する時に常に止めてくれる奴が現れない限りな」
「じゃあ、今回はどうして助けたんだよ。いや、そもそも何で彼が自殺するつもりだってわかったんだ」
「何かに憑かれてるみたいな顔してたからよ、あいつ。だから自殺するんじゃないかと思ったんだ」
「憑かれてる?」
レイの口から思わぬ言葉が出てきて、僕はやや裏返った声を上げた。
オカルト完全否定派のレイがこんなことを口走るなんて。まさか本心では幽霊の存在を信じていたということなのか。
そんな驚きの感情がありのまま出ていたのだろう。レイは苦笑しつつ「お前の考えてるもんとは意味が違うっての」と言った。
「霊とかいう存在しないものの話じゃなくて、何かに夢中になって他が見えなくなるって意味の憑かれるだ。あいつは本に憑かれてるとか、映画に憑かれてるとか、夢中になり過ぎてるやつに対して言ったりするだろ。そういう意味だよ」
それはそうか。この男が霊について認めるような発言をするわけがない。僕は自分の考えを恥じつつ、再度レイに問いかけた。
「彼がそういう風に見えたのは分かったけど、それでどうして自殺ってことにつながるんだ? 君の言う憑かれてる人達は別に自殺したりはしないだろ。それに、彼が自殺するように見えたとしても何で図書館で自殺しようとすることまで分かったんだ? 別に自分の家で自殺したってよかったはずなのに」
「お前はほんと質問が多いよな。霊だのなんだのがいるとか考える前に自分の頭をもっと活用しろっての」
「な! それとこれとは話が――」
挑発に乗って言い返そうとするも、すぐにレイは答えを言った。
「まずあいつが自殺するように思えたのは、憑かれている対象が呪いの本だったからだ。本に憑かれた奴は、寝食を忘れてとにかく読みたいだけ本を読むだろう。映画に憑かれた奴は、映画を見続けることに命を懸けるか、そこから派生して映画を作ろうとしたり出演者へと興味の幅を広げていくだろう。何にしろ憑かれた奴ってのは、後先考えず、場合によっては将来を定めてしまうほどその対象に対して熱を注ぐ。じゃあ呪いの本に熱をそいだ奴の末路ってのは何か。当然呪いの本を読んで死ぬことだろ。さらには、その呪いを自分だけで終わらせないために、別の人が読めるような場所に残していくはずだ――と、まあ俺はそう考えた。その結果が図書館での待ち伏せってわけだ。もし俺の読み通りあいつが呪いの本に憑かれて自殺する気だったのなら、自分が死んだ後も呪いの本が他の人の手に渡るよう図書館にでも置いていくだろうってな。杞憂で済めばそれで良かったんたが、結果はお前も知っての通りだ。因みに、俺があいつを助けたのは憑かれた原因さえ取り除いちまえば自殺なんて考えなくなるだろうと思ったからだ。目の前で呪いの本を燃やして、それが他の本と何ら変わらない燃やせばそれでなくなるものだと認識させる。まあ要するに、自殺の原因が単純で、しかも取り除きやすそうだったから助けただけってことだ」
自信満々というわけではなく、ただそれが当然のように淡々と語るレイ。
悔しいし、認めたくはないが、論理的に物事を考える力は僕よりもはるかにレイの方が強いようだ。ただ、その原因が霊の存在を認めていることにあると思いたくはないが。
完全な敗北に肩を落としていると、レイは目を細めて僕を見つめてきた。
「そういえば、お前もあの時危なかったよな。呪いの本を見つけたとき、勝手に持ち場を離れてあの本に向かって行ってただろ」
「そ、それは……」
ここまで言い負かされた今となっては、どんな言葉も負け惜しみになってしまう気がして僕は口を閉じた。いや、仮に言い負かされていなかったとしても、レイにあの光景を認めてもらうことはできないだろう。幾重にも霊が憑りつき、眩いばかりの輝きを放っていたあの本のことを。
押し黙ってしまった僕を見て何を思ったのか、レイは不意に謝ってきた。
「あれに関しては俺にも責任があると思ってる。悪かったな」
「なんで君が謝るんだ? 僕があの本に魅せられたのは別に君のせいじゃないだろ?」
レイは灰色のフードで目を隠しつつ言う。
「いや、お前が霊を信じてるやつだってわかってたのにあの場に連れていっちまったからな。霊を見るような人間は少なからず想像力が豊かで思い込みが強い。ただでさえ呪いの本を信じていたお前が、実際呪いの本に魅せられて自殺まで決意した男を見て、その影響を受けないわけがなかったんだ。おそらくお前の目には、『タママ』って本がただの本とは違う特別な輝きを放って視えたんだろうな」
普段のレイとは違う、どこか優しさを感じさせる声音。
いつもの僕ならすぐさま反発しただろう。しかし、この時の僕は、何も言い返さずに黙ってレイを見つめることしかできなかった。
呪いの本『タママ』の事件が解決してから、しばらくの間はこれといってオカルトの話は舞い込んでこなかった。相変わらず僕の目には霊が視えていて、オカ研の部員はオカルトの話で盛り上がり、レイはそんな彼らを馬鹿にした目で眺めていた。
ただ、一つだけ変化もあった。
僕とレイの言い合いがめっきりなくなったことだ。
レイはいつもの調子でありとあらゆるオカルトを否定したけれど、僕はそれに対して強く反発することはなくなった。自分でもどうしてかはよく分からない。何となく、レイにもレイなりの考えや事情があると思うと、勝手に口が閉じてしまうのだ。
だけど、レイがどう思っていようがやっぱり僕には霊が視える。
だから、僕はある日、御神楽さんにレイのことについて聞いてみた。
彼はどうしてあそこまでオカルトを否定するのかと。
次回いつ書くのか分からないので一旦完結にします。




