第一話
放課後、旧校舎の資料室に閉じ込められた時、私は人生の終わりをちょっとだけ覚悟した。
「……開かない」
「開きませんね」
私――桜井あやが引いても押してもびくともしないドアを前に、隣で赤城すみれ先輩は実に上品にうなずいた。
赤城すみれ先輩。 うちの学校の三年生。 さらさらの黒髪、すっと通った鼻筋、涼しげな目元。歩いているだけで「文学部の姫」だの「深窓の令嬢」だの勝手に異名が増えていく、清楚の擬人化みたいな人だ。
そんな人と、なぜ私が二人きりで資料室にいるかというと。
「あやさん、脚立を押さえていてくださる?」
「はいっ」
――というふうに、私は先輩に頼まれると秒で“はい”と言ってしまう後輩だからである。
文化祭の展示に使う古い文集を探しているうちに、誰かが外から鍵をかけたらしい。 たぶん用務員さんあたりが「誰もいない」と思って施錠したのだろう。
「スマホ、圏外……」
「わたくしもです」
旧校舎、こういうところだけ雰囲気あるのずるいな。
薄暗い資料室には、古い本と段ボールと、年季の入った机が並んでいる。夕日が高い窓から斜めに差し込んで、埃がきらきらしていた。 ロマンチックといえばロマンチックだ。 ただし、相手が好きな先輩でなければ。
いや、好きな先輩だからこそ心臓がもたない。
「ご、ごめんなさい、私が『こっちにありそうです』なんて言ったから……」
「あやさんのせいではありませんよ」
先輩はふわりと微笑んだ。 その笑顔だけで、資料室の湿度が三度くらい下がった気がする。
「むしろ、あやさんと二人きりですし」
「えっ」
「退屈はしなさそうで、少しだけ嬉しいです」
心臓が湿度の代わりに爆上がりした。
「す、すみれ先輩、そういう冗談、心臓に悪いです」「冗談ではありませんけれど」
さらっと言う。 この人、見た目は清楚なお嬢様なのに、たまに台詞が百合漫画のイケメンキャラなんだよな。
私は赤くなった顔を隠すように、もう一度ドアノブを回した。
がちゃがちゃ。無駄だった。
「うう……映画だったら、ここで協力して脱出する流れですよね」
「そうですね」
「重い棚を動かして窓を割るとか」
「二階なので危ないですわね」
「ですよね……」
沈黙。
まずい。
二人きり。
静か。
近い。
好きな人がいる。
無理。
私は話題を探して、意味もなく段ボールのラベルを読んだ。
「一九八七年度・演劇部会計資料……って、誰が見るんですかこれ」
「たぶん今のわたくしたちみたいに、閉じ込められた人が」
思わず吹き出すと、先輩もくすっと笑った。
きれいだな、と思う。
目を細めて笑う時、先輩はほんの少しだけ年相応に見える。
普段は完璧すぎて、同じ人間と思えないくらいなのに。
「……先輩って、怖くないんですか」
「閉じ込められたことですか?」
「はい」
「少しは怖いですわよ」
先輩は窓の外を見た。
赤い夕日が頬を染めて、なんだか絵みたいだ。
「でも、あやさんがいますから」
「う」
「こういう時、頼りになりますし」
「いや、全然頼れてないですけど!?」
ドア一枚開けられずに何を言うのか。
すると先輩は、困ったように微笑んだ。
「精神的に、です」
「そ、それは……」
「一緒にいると落ち着きます」
ダメだ。今日の先輩、距離感が甘すぎる。
私を殺す気か。
私はしゃがみ込んで顔を押さえた。
「どうしよう……」
「どうしました?」
「好きな人にそんなこと言われたら、普通に無理です……」
言った瞬間、しまった、と思った。
終わった。
閉じ込め事故より先に、私の学校生活が終わった。




