第十六話 Side.黒井白帆⑤
左隣を歩く少女を眺めて思う。
『私はいったい何をやっているんだ』と───
「あ、あのですね。誤解のないように言っておきますけど、私は黒井さんの黒い方も好きですからね」
「……ありがとう」
年端もいかない少女に気を遣わせて、こんな御世辞にも近いような言葉に惑わされて、いくら前世女性から好意を向けられた経験がないとはいえ、あまりにも単純でチョロすぎるぞと…
未だ不安がるような目で見詰めてくる倉敷さんは本当に純粋で、犬や猫みたいに「私なにか悪いことしたかニャ?」「まだ怒っているんだろうかワン?」等と、不器用で自分勝手でバカな主人の御機嫌を伺う彼等と同じような、ソワソワとした仕草をしている。
きっとスカートの中では下げた尻尾がゆらゆら揺れていて、笑顔で話し掛けてくるけど、また私が変な勘違いをして突飛な行動をしないか、内心はビクビクして不安がってる筈だ。
「今朝はゴメン、もうあんな変わった事しないから…」
「い、いえ、こちらこそ…勝手に嫌われたんじゃないかって被害妄想を膨らませちゃって…黒井さんはキチンと説明してくれてたのに、精神的に未熟な自分が本当に情けないです…」
小説や漫画を好んで読む彼女は難しい言葉をよく知っている。
大人でさえ出てこないような単語をスラスラと、淀みなく述べてくれるから、本来の歳を忘れてしまいそうになる。
だから解ってくれるだろうだなんて、勝手に勘違いしてしまっていたのかも知れない。
私が冷たい態度を取っても、いつもと違って余所余所しい態度を取っても、きっと大人の対応をしてくれるだろうと、勝手に思い込んでいたのかも知れない。
甘えてばかりだったなと猛省する。
いい歳して未成年の少女に甘えてばかりだったなと…
「未熟なのは私の方さ…」
「そんなこと…」
倉敷美桜は身長は低めであるが、本人が悲観的に思っているよりは、だいぶ可愛い。
いつも私の隣に立つのは烏滸がましいとか言うけれど、だけど非難する場所のない目鼻口のパーツは、平凡に見えるけれどじゅうぶん異性に好かれる容姿をしている。
きっと、今の私が彼女と同年代の男性であったなら、あるいは……
「古代ギリシャの哲学者アリストテレスは『我々は自分たちが繰り返し行っていることによって作られる。したがって優れた行為とは、単発の行動ではなく習慣なのだ』と、説いている」
「……また哲学ですか?」
「うん。答えが出ない時は、大きな決断よりも日々の小さな良い習慣を大切にしましょうって意味でね、今の自分は過去に何度も繰り返してきた行動の合計であって、たまたま1回親切にしたとか、1回だけ勉強したということよりも、それを毎日続けることの方が価値があるって、彼は言いたいのさ」
「ええと、つまり日常をいかに大切に生きるかって意味ですか?」
「そう、その通り。優れた人になるには特別な才能や一発のひらめきではなく、習慣化した良い行動こそが大切で、何かを成し遂げたいなら大きな目標を1回達成するのではなく、毎日できる優れた行いを続けることが大切となってくるというわけ。…つまり日々の何気ない癖や行動が、そのまま自分の本当の性格や実力になっていくと、紀元前四世紀を生きたアリストテレスは、まだ文明が発展する前の約2400年前からそんな事を説いてたという訳さ……」
「す、凄いですね…」
ツラツラと長く説明した私の話を飽きもせず真剣に聞いてくれる倉敷さんは、本当に良くできた人間だ。
普通の人間なら途中で鼻で笑って、そんな事よりもっと別の楽しい話をしようよって、訴えてくるに決まってる。
だって、どう足掻いたって詰まらないだろう?こんな話、グダグダ理屈を捏ねた所で、明日からの未来が簡単に変わる保証は何一つないんだから…
それだったら今を楽しく、帰ったら何しようか?とか、今度二人で何処かに遊びに行こうよって計画してる方が遥かに有意義で楽観的に生きられる筈なのだから…
だけど、だけどさ……
「例えば今この瞬間に、パッと芽生えた気持ちが、本当に未来永劫続くのかって言ったら違うんじゃないかって、私は思うのさ…」
「誰かを好きになるとか、そういう話でしょうか?」
「……うん。あくまで例えばだけどね、たまたま1回誰かを良いなって思ったりとか、1回だけ嬉しい言葉を貰って胸がときめいたとかよりも、毎日その誰かを眺め続けて考えて『それでも良いな』って判断した想いの方が、遥かに価値があるって私は思うんだよ…」
「毎日、誰かを……」
───だけどグダグダ悩んだって良いじゃないか、無理矢理楽観的に全てを忘れて今を楽しもうとしなくたって良いじゃないか、だって明日にはどうせまた同じ事で悩むんだから、長ったらしい哲学の知識の海に溺れて、将来を見据えて試行錯誤したって良いじゃないか…
せっかく私達には考える脳味噌があるんだからさ、悩んで悩んで毎日1つずつ正解を導き出して生きる術を探す人間がいたって良い筈なんだ。
「恋とか簡単に…早々に決めつけるのはまだ全然早いって話さ…」
「……黒井さんは、誰かに恋してるのですか?」
「さてね、一過性の風邪みたいな物かも知れないから、これまで通り日常を送っていって、それが本当なのかどうか確かめるよ…」
────と、私が呟いた所で、ちょうど家の前に到着した。
台所の換気扇から漏れるカレーの匂いが、ここまで漂ってきて、空腹を刺激された若く健康な胃袋は小さな悲鳴を上げている。
────私の前世はオジサンである。
小学校に上がる前に取り戻した記憶によれば、工場勤務の薄汚いオジサンである。
だからこそ隣を歩くうら若い女子高生に邪な想いを抱くなど言語道断なのだ。
「ううぅ、気になります…それって誰なんですか?」
「残念だけれど、倉敷さんには一生教えられないなぁ…」
「ええ、そんなあぁ…」
眉を顰めて不貞腐れる倉敷さんの顔を見た私は、ほんの少し可愛いと思ってしまったのだが、情に流される事なく、この時の想いは墓まで持って行こうと誓ったのだ。
少し短いですけど、この物語はここで終わりといたします
日常系をどうやったら上手く書けるか、試行錯誤しながら書きました
楽しかったです。読んでくださった方ありがとうございましたm(_ _)m




