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それでもお前は執事じゃない!  作者: 千早 朔
第二章
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第八話


(なんでまたオレに……)


 その気になれば、即座に首を縦に振る女性をいくらでも捕まえられるだろうに。

 呆れ半分、疑問半分のまま、功基は「わかったよ」と頷いた。

 これが『条件』だというのなら安いものだし、どうせ早々に飽きるだろうと考えたからだ。


「よくわかんねーけど、『サポート』? よろしくな」


 功基が了承を示すと、邦和は「ありがとうございます」と嬉しげに頬を和らげた。

 なんだか不思議と、悪い気はしなかった。


 では早速、とホクホク顔の邦和を連れてやってきたのは、喫茶店から二十分程歩いた先にある二階建てのアパートメントだ。

 ワンKタイプの部屋が三個ずつ並ぶ外観はお洒落さの欠片もないが、内装はリノベーション済みの為、新築のように真新しい。

 一階の道路側から一番奥が、功基の借りている部屋だ。紛失防止にと母親につけられた小さな熊のストラップがぶら下がる鍵を鞄から取り出し、上下の鍵穴に順に差し込む。


「狭いかんな」


 念の為にと一言おいて、功基は扉を開けた。


「失礼致します」


 ここは会議室か。

 心中で突っ込みをいれながら、功基は電気をつけ、申し訳程度のキッチンを通り奥の部屋へ。

 簡素なベッドと、小さなローテブル。椅子なんて小洒落た家具はなく、丸いもふもふとしたクッションが二つあるだけだ。足の低いテレビ台の横には腰丈程の白い食器棚があり、地震があれば真っ先に守りに行く功基の『宝箱』である。


「悪いな、あんま掃除してないから散らかってて」


 脱ぎっぱなしの服やら転がる雑誌やらを適当に端に寄せ、掴んだクッションのひとつをテーブル横に置いた。

 邦和は物怖じしたのか、キッチンとの境目にある扉横に立ったままだ。


(お、早速か)


 やっぱりやめます、という言葉を期待しつつ、功基は平然とした顔で「座れば?」と促した。

 だが邦和が発したのは、全く予想だにしていなかった返答だった。


「いえ、先ずはお紅茶でもお淹れしましょうか。それとも、軽食をご所望でしょうか?」

「っ、え?」

「お夕食前ですし、あまり重い物はお勧め致しませんが」


 室内に踏み込み、壁側に鞄を下ろした邦和の目は先程よりも活き活きとしている。


(……意気込んでただけかよ)


「あーじゃあ、紅茶淹れてもらうか……」


 功基はよっこらせっと立ち上がり、邦和を『宝箱』へと手招く。


「ティーカップにポット、茶葉も、紅茶淹れんのに必要なモンは、全部ここ。で、湯沸かしはアレ。って、どうした?」

「茶葉も、カップもこんなに……。本当にお好きなんですね」

「引くだろ?」

「とんでもない。心より感動しております」


 そう言う邦和の表情に嘘は無く、並ぶカップを物珍しげに眺めては、茶葉の入る缶のブランド名を順に呟いている。


「マリアージュ・フレール、フォション、フォートナム&メイソン……ロンネフェルトまで。知識としてはありますが、こうして実物を見るのは初めてです」

「家で飲んだりしねーの?」

「お恥ずかしい話しですが、個人的に飲むモノにはあまり興味がありませんで……。店の茶葉はひと通り試しておりますが、家では大容量タイプのティーバッグを……」


 気恥ずかしそうに視線を逸らす邦和に、功基はつい吹き出した。


「ま、普通はそうだよな」

「申し訳ありません。こうして功基さんにお仕えさせて頂ける事になりましたし、早急に対処させて頂きます」

「いいって、ウチで飲めばいいじゃん」

「そうはいきません、こちらは功基さんの大事なコレクションですし」

「いーよ、オレって結構色々試したいタイプなんだけど、こーゆー畏まった店の茶葉って量多くってさ。ひとりじゃ中々減らねーし、あんまモタモタしてっと酸化しちまうし。一緒に減らしてくれると助かる」


 どのブランドにも茶葉の種類はごまんと在る。その全てを試そうにも、手持ちの茶葉が減らなければ無駄にしてしまうと、功基は『宝箱』に常備する量を決めていた。

 減りが早くなれば、それだけ多くが試せる。

 とりあえず今日はロンネフェルトにしよう、と功基は深海のような蒼をした缶を開き、取り出した小袋を邦和に渡した。


「コイツがロンネフェルトで人気の高いアイリッシュモルト。よろしく」

「かしこまりました。カップは?」

「任せる。お前のお勧めで。あと何かわかんないことあったら訊いて」


 頷いた邦和がいそいそと準備を始めるのを横目に、功基はベットを背もたれにしてテーブルの前に座り込む。

 表情が無いヤツだと思っていたが、思っていたよりもわかりやすい。

 不思議なもんだ。感慨に浸りながらボンヤリとしていると、暫くして、洋食器とは不釣り合いな黒いお盆にティーセットを乗せた邦和が現れた。

 功基自身もある事をすっかり忘れていた、この家唯一のお盆。よく見つけてきたもんだ。


「お待たせ致しました」

「よし、ちゃんとお前のカップもあるな」

「お言葉に甘えさせて頂きました」


 邦和は注意深くテーブルに置き、白磁のティーポットから二つのカップに紅茶を注ぐ。


「……独特の香りが致しますね」

「アイリッシュウイスキーと、カカオの香りなんだと」


 目の前に置かれたカップはウエッジウッドのプシュケ。女性にはピンクが人気だが、功基が所持しているのはエメラルドグリーンだ。このカップに描かれた風車のようなモチーフには、特定の意味が込められている。

『Love Knot』。日本語訳は、『愛の絆』。これもいつか訪れるであろう彼女に、ドヤ顔で披露しようと思っていた知識である。

 多分、邦和は何もわからずに選んだんだろうなと、功基は苦笑しながらカップを手に取った。

 温かい。ちゃんとした手順で淹れられた証拠。

 コクリと喉を通すと、甘くもビターな香りがふわりと鼻に届く。


「やっぱお前、淹れんのうまいわ」


 自分では、ここまで手の込んだ淹れ方は殆どしない。

 縁側で緑茶を嗜む老人のような、色気の欠片もないしみじみとした呟きにも、邦和は嬉しそうに頬を綻ばせた。


「そうして功基さんが幸せそうな顔をしてくださるのが、何よりの喜びでございます」

「っ、そ、か」


 普段、表情筋が固まっているからこそ、ふとした笑顔が壮絶な破壊力を生む。

 ギャップ萌え。功基の脳内に、昨日浮かんだ言葉が再び思い起こされる。

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