00 4月4日 ジュディス・ガードナーよりアルヴァ・ガードナーへ
第一信
ジュディス・ガードナーよりアルヴァ・ガードナーへ
四月四日
愛しいお義兄様へ
昨日はとてもとても不快な事がありました。
お義兄はベケット男爵の事は当然ご存知だと思います。
えぇ、そうです。
あの、ベケット男爵です。
そのベケット男爵が、昨日、屋敷にやってきたのです。
お義兄様は我が家にセメレーを描いた絵画があるのをご存知でしょうか?
私はこの時まで、そんな絵画があるのはちっとも知りませんでした。
だって、美術品の保管庫に仕舞ったままで、私が幼少の時から一度たりとも出したことが無い、って言うのですもの。
私が知っているはずはありませんよね?
でもベケット男爵が我が家にやって来たのはその絵画の事なのです。
ベケット男爵が言うにはその絵画は自分の物なので返して欲しい、そう仰るのです。
正確にはこう申しました。
「あの絵画は三十年ばかり前に、私がとある事情で、当時のガードナー伯爵(つまり、亡くなった私達のお父様の事です)にお預けしておいた物です。つまり、ガードナー伯爵にお譲りした物ではありません。あれの絵画は代々、我が男爵家に伝わって来た、いわば家宝のような物なので、幾ら私が男爵の地位を引き継いでも、勝手に手放して良い物では無いのです。今、こうしてわざわざ出向いて返却を要請しているのは、当時をしる伯爵もお亡くなりになり、私ももう年ですし、仮に近々私も亡くなるような事があると、事情を知るものが居なくなってしまいます。私も歳が歳ですので、あと何年生きられるか分かりません。私がまだ元気なうちに、あの絵画を返却して頂き、部屋に飾って最後の時を迎えたく思っています」
と、そんな事を仰って居ました。
勿論、ベケット男爵の仰る事をもっと正確に、一字一句覚えてられるほど私は記憶力が良いわけではありませんが、このような事を仰ったのは間違いが無いと自信を持って言えます。
最初は、私とお義姉様でベケット男爵の応対をしたのですが、三十年も前の事ですので、私のみならずお義姉様にも分かるはずもありませんよね?
お義姉様はどうか知りませんが、私はその絵画なんて存在すら知らなかったのですから。
なので最初は穏便にコチラでも調べて御連絡すると返したのですが、ベケット男爵は「私の持ち物のは明白なのだから、今すぐ返して欲しい」と繰り返すばかりです。
それで、何度も何度もそんなやり取りを繰り返し、ホトホト疲れた頃、いよいよお祖母様が応対する事になったのです。
お祖母様はお義兄様のご存知の通り、最近体調を崩しており普段は部屋で寝込んでいる事が多いのですが、お互いの話が平行線を辿っており、いつまでたっても拉致があかなかったので仕方がなかったとはいえ、お祖母様には申し訳無い事をしたと思っています。
それで、お祖母様も最初はニコニコと余所行きの顔をしてベケット男爵の話を聞いていたのですが、最後まで話を聞き終えた頃には余所行きのお顔もスッカリ何処かにやってしまって、
「ベケット男爵、貴方はいったい何を言っているのですか?あのセメレーを描いた絵画の事なら私も記憶しています。あれはベケット男爵の方から『コレを担保に金貨二百枚貸して頂きたい』、って頭を下げてきたのではないですか?『家宝の品を一時的にでも手放すのは心が痛むが、どこの誰とも知れない人に渡るより、ガードナー伯爵の手に渡るならご先祖も許してくれるだろう』、そうやって渋る息子に何度も頭を下げて、やっと首を縦にふらせたのでありませんか。あの時よりも大分年を取り、天からお迎えも近いとはいえ私は忘れてなどいませんよ?それなのに息子が亡くなった今、ひょっこりとやって来て事情をしらないこの二人を言い含めようだなんてそうは行きませんからね!」
お祖母様はそう言ってベケット男爵に対して怒りを露にしました。
ご自分の嘘がはからずも私達にバレてしまったベケット男爵ですが、顔色一つ変えずに「あの絵画は元々は私の物だと言う事がこれでお二人にも分かったと思います」そう言って、懐から銀貨を数枚取り出すと「今はこれだけですが、お金は少しずつ必ずお返ししますので、今スグお返しください」そう仰ったのです。
これには私もビックリしてしまいました。
だってそうですよね?
仮にその絵画の元の所有者がベケット男爵だったとしてもです。
ソレを担保に金貨二百枚もお貸ししたのにも関わらず、たった数枚の銀貨でまた自分の物にしようなど考えるのはおかしな事ですよね?
それにベケット男爵はインフレという言葉をご存知ないのでしょうか。
私はお義兄様みたく世間を良くしっているわけではありませんが、年々少しずつ物価が上昇している事は知っています。
ですからそれを考えると三十年前にベケット男爵にお貸しした金貨二百枚も、今ではもっと増えているはずなのです。
つまり、詰まること、ツマレバ、ベケット男爵の物言いは私達を馬鹿にしているとしか思えません。
今、思い返しても怒りがこみ上げてきます。
そんなベケット男爵を相手にするだけ無駄だとお祖母様は思ったのでしょう。
私でもそう思ったのです、当然ですよね?
お祖母様はベルを鳴らし使用人を呼ぶと「ベケット男爵はお帰りになります。門の外までご案内してあげなさい」と言って、半ば強引にベケット男爵にお帰り頂くと、この話は打ち切りになりました。
ベケット男爵にお帰りただいた後、お祖母様は私達二人に向かって言いました。
「ベケット男爵も昔はあんな人では無かったのに。息子は美術品にあまり興味が無かったから中々首を縦に振らなかっただけで、あのセメレーの絵画は素晴らしい品で、金貨二百枚に相応しい物だったんだよ。つまり、あれは私達もベケット男爵もどちらも損をしない、正しい取引だったんだ。なのに今になって事情を知らない貴女達を騙そうとしたり、それが失敗すると僅か銀貨数枚返しただけで返してもらおうとしたり、やってることが無茶苦茶になった。私も最初は懐かしい人が訪れたと思ってニコニコしていたが、とんでもないことになったね。今回はたまたま私がいたから良かったものの、私もいつまで助ける事が出来るか分からないんだ。ヒラリーさん、貴女が女主人としてしっかりしてもらわなければ困るよ」
そう言ってやんわりとお義姉様に注意を促しました。
注意されたお義姉様は、「はい……」と言って俯きます。
そして、お祖母様はとうとうと、ベケット男爵についてかたり始めました。
ベケット男爵家は長年の浪費癖が祟り、かなりお金に窮しているとの事。
元々あまり裕福とはいえなかった家ですが、今のベケット男爵夫人という方はかなりの浪費家らしく、結婚以来急速に財産が無くなっていったらしいのです。
お祖母様も噂程度しかしらないのですが、なんでもベケット男爵は前夫人が生きている時からアチコチと国内を始め外国などを旅して、前夫人や子供のいる家をほっておかれていたのですが、その子供達と一緒に家に取り残されていた前夫人が亡くなられた途端に、旅先から女性を伴って帰ってくるとスグに結婚をしてしまったようです。
その新しいご夫人の正式な素性はお祖母様もご存知ないとの事ですが、いろいろと取りざたされていて、一番悪い方の噂だとなんと『高級売春婦』だった、というお話もあるとか。
勿論、それ以外にもいろいろと出自にまつわる噂があるので、必ずしもソレが真実だとは限りませんが、そんな噂がある女性を愛人にしているならいざ知らず、正式に妻として迎えて貴族社会の一員にするなんて、と当時は大変な騒ぎになったと言うのです。
それに反発してベケット男爵のお子様が家を飛び出し、今は行方知れすだとか、悪い噂を沢山聞かせてくれました。
そんな人が新しいお義母様になったとしたら、私も男性だったら同じ事をしてしまうかもしれません。
怒りに任せて書いていたら大分長くなってしまいましたね、今回はこんな所で筆を置きたいと思います。
お義兄様の一刻も早い回復を願って。
貴方の義妹、ジュディス・ガードナー。




