滝1
紙の完成から遡ること季節三つ分。
夏が来たか!
このごろ、強い太陽の光が突き刺さるように肌を焼いてくる。たまに涼しい風が吹きつけてくるからなんとか耐えられているけれど……うん、完全に夏が来たな。
――あちぃ……。
汗が流れ落ちるのを我慢しながら、朝ご飯のためにフィンと肉食堂に向かう。
今日から服も夏用に衣替えしてて、これは、この間、ママが作ってくれた新しいやつだ。薄く削いで通気性をよくした夏用の革を使っている。形はいつもと同じだけど、冬用よりかなり軽い。
チラ見せする部分だけでも、革紐を編んだ網目仕様にしたら涼しいんだけどなぁ…って一瞬思ったけれど、すぐに、顔が引きつって否定する。
この村に、服に網目を使用する発想なんてない。だってさ、そんな格好をしたら、きっとパパが「ぎゃあぁぁぁ! ママが!」なんて大騒ぎして、家にある革全部、ママに巻き付けるに決まってる。そして多分、この行動をこの村のほとんどの男たちがする。……うん、目に見えるようだ。泣ける。
――てか、あちぃ……。
とりあえず、着いたらすぐに、水だぁ!
肉食堂に着いた私は水を浴びるように飲み、アロンサンドを堪能した。小さい身体はあんまり食べれないから、ちゃんと詰め込んでおかないと夕方まで持たない。
苦しいほどパンパンになったお腹を擦りながら隣のフィンに声をかけた。今日は紙の作成はお休み。これから、いつもの森よりも危険だと言われている滝の見学へ行く予定なのだ。
「フィン、楽しみだね」
「ん」
ユボさんが調理場から出てきて、私たちの隣に座ると自分の朝ご飯を食べ始めた。
「お? 今日はどっか行くのか?」
「うん! 滝に行く!」
「お。いいな、あそこは神聖な場所だからちゃんと祈らなきゃな。……二人で行くのか?」
滝は水の量が凄くて危険地区だからか、ユボさんは心配そうに私たちを見比べてる。
「ううん、ママと三人で行く。ママは今、パパの服を縫ってるから、ここでちょっと待ってるんだ」
「なら安心だな。フィンも行くのか?」
「うん、フィンもまだ行ってないから」
「ほぉ、ハーレちゃんを待ってたのか」
ニヤニヤとフィンを見るユボさん。それに還すのはフィンのドヤ無表情だ。ドヤ無表情って……器用な奴だな。
「お待たせぇ。行きましょう」
ニコニコ顔のママが、水袋持って入ってきた。
「ママ!」
いそいそと立ち上がると、ユボさんに「行ってきます」と言って店の外に出る。おー、抜けるような青空が綺麗だ。
早速、フィンと手を繋いで、村の真ん中を突っ切ってる大きな川に向かって歩く。どの川沿いを歩いても滝に着くだけど、東にある肉食堂からだと、この川が一番早い。
東の広場を抜けて少し歩くと、二股に分かれている川が見えてきた。
西の滝から放射状に何本もの用水路が、塀に向かって真っ直ぐ流れている。ただ、中央の一番大きな川はちょうど東広場にぶつかっちゃうから、途中で二股に分かれて広場を避けていくんだ。用水路だからそんなに深さはないんだけど、飲み水エリアもある。だからちゃんと橋が架かっていて、水を汚さず、濡れずに渡れるようになっていた。
岩で作ったアーチ状の橋を渡って、川沿いに出た。この道に立つのは初めてで、目に入る光景は圧巻で、足が止まった。
――天国に続く道。
それが初めに生まれた想いだ。
「天国……」
天国ってなんだっけ? と後から思ったけど、その時は目の前の光景で頭がいっぱいだった。
家の前の道なんて目じゃないほど、広い道だった。視界の両端にようやく畑が映るくらいの広さだ。その道の真ん中を川が流れていて、ところどころに橋が架かっているのが見える。川の奥へと目線を上げていくと、そこにはそびえ立つ滝の壁があった。
はっきりと綺麗に見えるわけじゃない。辺りはもくもくと白い霧に覆われていて、上の方にわずかに岩肌と水飛沫が見える程度だ。けれど、それがかえってこの世のものとは思えない雰囲気で、そこへ続くこの道は、まるで別世界への入り口へと導かれているようだった。
――ぎゅっ。
不意にフィンが力を込めて手を握ってきた。
「行くな」
それが天国を指していることはわかったけれど、何を言いたいのかまではわからなくて、とりあえず「うん」ってだけ返事しておいた。
目と心が落ち着いたころ、歩き始める。村の中央は全部畑と果実園だから、ここからは、両端が、青と緑と茶色、三色になる。
「……うーん、やっぱり三色が入り混じってるって……不思議だ」
「あら? ハーレちゃんは面白いところに、不思議がるのねぇ。あのモクモクした滝は不思議じゃないの?」
「……不思議かも」
ほんとは、前世の記憶があるから不思議じゃない。でも、この村の子供は畑の色より、あの霧のほうが不思議なんだって気が付いた。……気を付けないと。
少し太陽が位置を変えた頃、シューシュおじさんが橋を渡って走ってこっちに来た。
「あ、おじさん!」
「お! ハーレちゃんじゃないか。フィンくんも……おお! マリさん、今日も綺麗だねぇ」
この村の男らしくゴリゴリの筋肉をこれでもかと見せつけながらフロント・ラットスプレッドを決めてくる。勘弁して、パパだけで十分だよ!
この人は宅配のおじさんで、背中に大きな革を何枚も背負ってる。片手無くしてこの仕事を選んだって言ってたけど、走るのがめちゃくちゃ早いから、私はこっそり、こっちのほうが天職なんじゃないのかと思ってる。まぁ、狩りしないと村の中の食べ物がなくなるから、ほとんどの男たちは皆、一回は狩人になるんだけどね。
「あら、シューシュさん。今日も、暑いのに精が出ますねぇ」
「うむ、夏はな、特別に薄くした革がいるからな」
「がんばってね! おじさん!」
「ハーレちゃんも、小さいんだから無理しちゃダメだぞ」
私の頭をポンポンと叩くと、フィンとグータッチしてから、半走りで畑に入っていった。北の作業場から南の職人へ届けるんだけど——この密林を横切るルートなのか! 配達人って大変だ……。
おじさんの姿が畑の向こうへ消えると、私たちも再び歩き出す。滝の音がまだ小さい。どうやら思った以上に歩かなきゃいけないっぽい。
せっかくだし、歩きながら気になっていたことをママに聞いてみることにした。
「ママ。ママの個人紋ってユッリの花だよね?」
ユッリはいわゆる「高嶺の花」と呼ばれる珍しい花で、個人紋に使っている人はほとんどいないはずだ。
「それはね。ユッリはねぇ」
ママは、ぱぁっと大輪の花が開いたような笑顔を浮かべ、懐かしむように目を細めた。
「ママねぇ、本当はね、ナイフの練習してたから、個人紋の柄はナイフにしようかと思ってたのよ……ふふふ」
当時の様子を思い出したのか、ママは楽しそうにクスクスと笑い出した。
――ナイフ!?
女性でナイフって、ありえないんだけど! パパナイス!
「そしたらパパが青ざめた顔で『僕が帰るまで待って』って言って、数日、村に帰らなくなったの。パパねぇ、その当時から強くて、十歳になったばかりなのに、もう浅森を一人で歩けるくらい強かったのよ」
ちょっと誇らしげなママの顔が綺麗だった。
「何日後かしら? たしか三日ぐらい? 帰ってきたときには、ボロボロになって血まみれだったのよ、パパ。それでもユッリの花を握りしめて、ママの家の前に立ってたの。『毎年、ユッリを必ずプレゼントするから、それを個人紋にしてほしい』って言ってね、ユッリをくれたの。――だから、ユッリの花にしたわ」
――だからか!
ユッリが毎年ある理由はそれか! 納得だ。
私はユッリは……好きじゃない。なにせ、私の太ももより太い緑の茎に、肉厚で真っ白な奥へすぼまるお椀のような形の大輪の花を咲かせるんだけど、花自体も私の頭より大きい。花びらなんて私の手よりぶ厚んだよ。
その花が私以上の高さがあるから、……私の目から見ると肉食植物に見える。私の頭に垂れ下がってくる花がね……私を食べそうに見えるんだよね。小さいころは恐怖でしかなかった。今でも……だけど。
「女性にも大人気の花だよね……」
「そうねぇ。あの厚みがやっぱり素敵よね」
ホォって溜息をつきながら頬染められても、まったくわからない。あの厚みって……筋肉の象徴っていわれてる色々な部分の分厚さだよね? まったくわからないよ!
「う……う、ん。そ、それよりパパ、ユッリって取ってくるの大変なんでしょ? パパ凄いね」
「そぉねぇ。浅森と深森の間の崖にしか生えないから、見つけるのが大変って言ってたわ」
「え!? その崖って、前、パパが塀より高いって言ってたよ?」
「そぉよ。だから、パパはかっこいいの。ふふふ」
「パパ、凄……ゴホン、ゴホン。ママ……には、そうだね。私はユッリは苦手だから」
「あら、そうなの? ハーレちゃんは変わってて可愛いものねぇ」
――ヤバかった。
隣からの視線が頬に刺さるようだ。パパを褒めたら、フィンからユッリが届いてしまう。
私の部屋に飾られてるユッリ。
ベッドの頭に立てられてるユッリ。
起きたら、ユッリと「おはよう」。
――イヤだ。
恐怖体験でしかない。怖すぎる。ありえない。
ギリギリ、恐怖的未来を回避した私は、変わってる=可愛いになってておかしいママをスルーして、ある事実に気が付いた。
「ママ……真っ白って染色大変だよね?」
「そぉよ。草を擂るのが難しいわ。太陽の光に当てちゃダメだから、暗いところでするんだけど、白になるタイミングを見失うと、黒になっちゃうし。困った草よねぇ」
スパイラーの糸を白にするには特殊な草から作る染料がいる。草自体は、塀外のそこら中に生えてるから取り放題なんだけど。問題は染料。微かな指の感触だけが頼りで、白の染料になるか、黒の染料になるかが決まるんだって。
ママは「困ったわぁ」って言いながら苦笑してるけど、私はママが失敗したのを見たことがない。これは——「ん!」。フィンに手を引かれて足が止まる。
――!?
染料のことを考えながら歩いていたら、いつの間にか休憩時間になったらしい。振り返って見ると、雲一つない真夏の青空の下、広々と流れる川の遥か彼方に、爪の先ほど小さな塀の帯がみえた。
――意外と歩いたな。
疲れてない自分に驚くのと同時に、「もう一歩も歩かないぞ」と言わんばかりに立ち尽くしているフィンの顔を見て、私は歩き進めるのを諦めた。――嫌だなんて言わない。もっと歩けるなんて口が裂けても言わない。余計にめんどくさいことになるから。
フィンは慣れた手つきで革シートを広げ始めた。私も腰を下ろし、革の水筒から水を飲む。ふと、行き交う人たちの服や持ち物に目がいった。
――あ。
あの人も黒糸だ。こっちも。
村には、おめかし用に、バックとか女性の服とかには刺繍をして可愛くしたりする。前から気になっていたのは、おめかし用なのに配色が暗めなこと。
革が茶色とか灰色なのはしょうがない。けど、刺繍糸も黒が多い。合わないわけじゃないから、そんなもんかと思ってたけど、これ……みんな、白に挑戦して失敗してるんじゃないか?
そんなことを考えながら眺めているうちに休憩も終わり、私はママにお願いすることにした。
「ママ、私も白、練習したい」
「ん? いいわよぉ。ハーレちゃんはすり鉢の使い方が上手だから、すぐに白を作れるようになるわねぇ!」
ママは手を叩いて私を褒めてるけど、顔が引きつってしまう。そうか……真っ白にたどり着く前に、皆はすり鉢との戦いがあるんだ。
筋肉がない=ブサイク、のこの世界で「すり鉢を扱うのが上手」と言われると褒めてないだろ? と思う自分と、そこまで筋肉いらなくね? と思う自分が葛藤してる。困った。
どっちにしても、年々、ママの肉質に近づいて行く私。筋肉文化を諦めて飲み込むほうが、自分にとってもいいと、この頃思い始めてる。
そんな取り留めもない話をしながら歩き続けて、太陽が頭の上にきたとき、滝近くまでやっと到着した。ううん訂正。滝の近くの靄がかかり始め、少し水しぶきが飛んでる?ぐらいのところまで来た。
「あと少しね……。これから滝の音がもっと酷くなるから、ちゃんとママと手を握ろうねぇ」
ママが私とフィンの手を握ろうとしてくる……が、フィンはすかさず私の手を両手で握り、フィンの手をつかみきれなかったママは苦笑しながら、私の手だけを持って歩き始めた。
——水って、もっと静かで優しいものだと思っていた。
これが、滝を間近で見た私の第一印象だった。
???
あの時、あいつが歩いていた景色と同じに見えた。
――いや違う。
そうだ、違うかもしれない。記憶は曖昧で実際にはどんな景色だったかなんて覚えてはいない。
だた、遥か彼方に俺の妻の背中があり、懸命に追いかけたのは覚えている。
どこに行く道なのかはわからない。
なぜ歩くのかも不思議と考えなかった。
ただ、漠然と「次は同じ年ではダメだ」ということだけが頭の中で回ってる。
俺は妻の手を取る代わりに、追い越した。
そして——
あいつが最後の分岐点を過ぎたところで、俺は光の中に飛び込んだんだ。




