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プロローグ

異世界に来て、何年になるだろう。


 最初の頃は、毎日のように帰る方法を探していた。


 魔法使いに相談し、神殿を訪ね、古代遺跡を巡り、怪しげな魔導書に大金を払ったこともある。


 結果は全滅。


 帰還方法なんて、どこにもなかった。


 そして俺は、ついに諦めた。


 帰れないなら仕方ない。


 この世界で生きていくしかない。


 そう決めてからは、冒険者として細々と仕事をしながら、酒を飲み、飯を食い、適当に暮らしてきた。


 ちなみに、異世界に来る前は普通の会社員だった。


 彼女はいなかった。


 というか、告白して振られてた。


 その腹いせに酒を飲み、やけ食いしていたら異世界に飛ばされたのだから、人生というのは本当に分からない。


「……まあ、いいか」


 俺は木製のジョッキを傾けた。


 安酒だ。味は悪い。だが酔えれば何でもいい。


 目の前には焼いた豚肉の塊と大量のパン。


 この世界に来てから、俺はずいぶん太った。


 元々痩せていたわけではないが、今では腹が邪魔で靴紐を結ぶのも一苦労だ。


 体重はおそらく百十五キロくらい。


 正確には知らない。


 体重計なんて、この世界にはほとんどないからだ。


「田中さん、また食べるんですか?」


 酒場の店員が呆れた顔で言った。


「育ち盛りなんだよ」


「三十三歳ですよね?」


「精神年齢は十七歳だ」


「身体年齢は五十歳くらいに見えますけど」


 失礼な女店員だ。


 俺は追加の肉料理を注文した。


 もう帰れないのなら、この世界で生きていくしかない。


 英雄になりたいわけでもない。


 世界を救いたいわけでもない。


 ただ、飯を食って、酒を飲んで、適当に働いて、死ぬまで生きていければいい。


 そう思えるようになるまで、十年以上かかった。


 その夜、俺は腹いっぱい食べて宿に戻った。


 安宿の2階。


 床板は古く、ベッドも軋む。


 だが、今の俺には十分だった。


 アイテムBOXの中身を確認する。


 薬草、魔石、予備の服、調理道具、少量の食料。


 容量には限界がある。


 だから、必要なものだけを厳選して入れている。


「明日は何をするかな……」


 そんなことを考えながら、俺は眠りについた。


     ◇


 ドンッ!!


「……ん?」


 何か大きな音がした。


 外だろうか。


 俺は寝返りを打った。


 ドンッ! ガタガタッ!


「うるせえな……」


 反射的にベッドの上で勢いよく立ち上がった。


 その瞬間。


 ミシッ。


「……あ?」


 嫌な音がした。


 ミシミシミシッ!!


 ベッドの脚が悲鳴を上げる。


 床板にも亀裂が走った。


「お、おい。ちょっと待て」


 バキィィィッ!!


 床が抜けた。


「うおおおおおおっ!?」


 俺の身体が落下する。


 しかし、その先に一階の天井はなかった。


 視界が真っ白になる。


 身体が何かに引っ張られるような感覚。


 そして――。


     ◇


「……痛ってぇ」


 背中が痛い。


 頭も痛い。


 というか、どこだここ。


 俺はゆっくりと目を開けた。


 青い空。


 コンクリートの地面。


 見慣れたようで、見慣れない建物。


「…………」


 しばらく考えた。


 そして、ようやく気づいた。


「……日本?」


 俺は起き上がった。


 目の前には道路がある。


 車が走っている。


 信号機がある。


 電柱がある。


 間違いない。


 ここは日本だ。


「え?」


 声が漏れた。


「ええ?」


 もう一度周囲を見回す。


 日本だった。


 俺がかつて暮らしていた世界。


 帰りたくて、帰りたくて、何年も探し続けた場所。


「……帰ってきた?」


 嘘だろ。


 十年以上も帰れなかったのに。


 何の前触れもなく?


 ベッドから飛び起きただけで?


「マジかよ……」


 笑いが込み上げてきた。


 いや、笑うしかない。


 俺は帰ってきた。


 ようやく帰ってきたのだ。


 だが。


「……待てよ」


 ふと、嫌なことに気づいた。


 俺は異世界に飛ばされたとき、何歳だった?


 確か二十一歳。


 そして今の俺は三十三歳。


 異世界で過ごした時間は、少なくとも十二年。


 つまり。


「……十二年?」


 俺は近くにあった街頭モニターを見た。


 ニュースが流れている。


 画面の右上に表示された日付。


 西暦二〇三六年。


「…………は?」


 俺が異世界に飛ばされたのは二〇二四年だった。


 十二年。


 本当に十二年が経過していた。


「いやいやいや……」


 頭を抱えた。


 十二年だぞ。


 十二年も経っている。


 実家は?


 親は?


 友人は?


 会社は?


 いや、会社はもうないだろう。


 そもそも、俺は失踪扱いなのか?


 それとも死亡扱い?


 考えれば考えるほど頭が痛くなる。


 とりあえず、スマホを探した。


 当然ない。


 異世界に飛ばされたとき、持っていたスマホは壊れていた。


 財布もない。


 身分証明書


 あるのは、異世界で使っていた服と、アイテムBOXだけ。


「……終わった」


 俺はその場に座り込んだ。


 帰ってきた。


 確かに帰ってきた。


 だが、俺はこの世界でどうやって生きればいい?


 住所がない。


 身分証明書もない。


 銀行口座はあったはずだが、十二年も経っている。


 金は?


 異世界の金貨なら大量に持っているが、日本円は一円もない。


「……あれ?」


 俺はアイテムBOXを開いた。


 中には金貨や銀貨が入っている。


 異世界の通貨だ。


 日本で使えるわけがない。


「換金できるのか、これ?」


 いや、無理だろう。


 そもそも、どうやって換金するんだ。


 警察に持っていったら、どこから盗んできたのかと疑われるに決まっている。


「…………」


 俺は空を見上げた。


 十二年ぶりの日本。


 懐かしい故郷。


 そして、帰ってきた初日から無一文。


「どうしろってんだよ……」


 腹が鳴った。


 そういえば、最後に飯を食べてから結構な時間が経っている。


 俺はアイテムBOXから保存食を取り出した。


 硬いパンと干し肉。


「……日本に帰ってきてまでこれかよ」


 泣きたくなった。


     ◇


 とりあえず、俺は街を歩いた。


 十二年ぶりの日本は、思った以上に変わっていた。


 見たことのない建物。


 見慣れない広告。


 そして、街頭モニターには奇妙な映像が流れていた。


『本日、東京都内の第二十七号ダンジョンにて、新種の魔物が確認されました』


「……ダンジョン?」


 思わず足を止める。


『探索者の皆様は、十分な装備と安全対策を徹底してください』


 画面には、剣を持った若者が映っていた。


 その若者が剣を振るうと、炎が飛び出す。


「…………」


 俺はしばらく画面を見つめた。


 魔法。


 あれは間違いなく魔法だ。


「なんだよ……」


 まさか。


 この世界にも魔物がいるのか?


 ダンジョンがあるのか?


 俺は少しだけ興味を持った。


 だが、それよりも重要な問題がある。


「まずは飯だな」


 腹が減っている。


 それに、風呂にも入りたい。


 何より、今夜寝る場所がない。


 俺はスマートフォンを操作する人々を横目に、途方に暮れた。


 十二年ぶりに帰ってきた故郷。


 しかし、俺には帰る家がなかった。


 住所もない。


 金もない。


 身分証明書もない。


「……とりあえず、交番に行くか」


 異世界帰りのおっさん、田中健太。

 三十三歳。

 体重百十五キロ。

 所持金ゼロ円。

 住所不定。

 職業不明。


 そんな俺の第二の人生は、交番探しから始まった。


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