表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/26

「胡」匈奴(2)

※小説本編 https://ncode.syosetu.com/n2273id/


 前回は北方騎馬民族である匈奴(きょうど)(しん)前漢(ぜんかん)といった中華王朝と激戦をくりかえし、ついに戦いに敗れ従属するまでを解説しました。今回はそのつづきです。


 匈奴(きょうど)前漢(ぜんかん)に従うかたちで成立した平和は六〇年程度で終わりをむかえます。


 その原因は、前漢(ぜんかん)王莽(おうもう)によって倒され(しん)が建国されたためでした。


 西暦八年に(しん)を建国した王莽(おうもう)は、匈奴(きょうど)をはじめとした「異民族」に対して非常に強硬的な政策を実施しました。匈奴(きょうど)はそれまで与えられていた特権を一方的に奪われていきます。


 そしてついに人質として(しん)の都にいた単于(ぜんう)匈奴(きょうど)の王)の息子たちが処刑されたのをきっかけに、平和は完全に崩壊しました。


 匈奴(きょうど)は何度も(しん)の北の国境を襲撃するようになります。その激しさは(きょう)()との全面戦争をおこなった前漢(ぜんかん)武帝(ぶてい)の時代と変わらないほどでした。


 また王莽(おうもう)による「異民族」強硬政策は(きょう)()以外の少数民族にもおよんでいたため、彼らは(しん)ではなく(きょう)()に服属するようになります。


 (きょう)()はほかの少数民族をたばね、勢力を著しく拡大させました。


 このころが歴代の中華王朝を苦しめ続けた「北方騎馬民族国家」(きょう)()の最後の時代にあたります。


 (きょう)()単于(ぜんう)輿()は、(しん)があまりに強硬的・急進的な政策のために崩壊していく混乱のなか、中華王朝に従属する前の(きょう)()を再興しようとします。


 単于(ぜんう)輿()盧芳(ろほう)という群雄を支援し、(しん)の国内(=伝統的に中華王朝の勢力圏とされている地域)に(きょう)()傀儡(かいらい)政権をたてることに成功します。


 しかし(きょう)()傀儡(かいらい)政権は中華統一を目指す後漢(ごかん)光武帝(こうぶてい)によって撃破されます。単于(ぜんう)輿()(きょう)()自立の夢はこうして阻まれました。


 そして単于(ぜんう)輿()の死によって後継者争いがおこると、(きょう)()は衰退の道をたどり始めます。


 単于(ぜんう)輿()の死の前後、(きょう)()が支配するモンゴル高原を干ばつと蝗害(こうがい)(イナゴなどによって農作物が食い荒らされること)が襲いました。


 そして単于(ぜんう)輿()の死後、だれが新しい単于(ぜんう)となるかで激しい後継者争いがおこりました。


 これをきっかけに(きょう)()にたいして反旗を翻したのが、烏桓(うがん)です。


 烏桓(うがん)もまた(きょう)()と同じく、北方遊牧民です。


 彼ら烏桓(うがん)は前二世紀、(きょう)()の最盛期を築いた冒頓単于(ぼくとつぜんう)に滅ぼされた、東胡(とうこ)という民族の末裔でした。東胡(とうこ)が滅ぼされて以降、烏桓(うがん)(きょう)()の厳しい支配下にはいります。


 また烏桓(うがん)(きょう)()だけでなく、前漢(ぜんかん)によっても支配されていました。


 前漢(ぜんかん)烏桓(うがん)を通じて(きょう)()の情報を手に入れており、特権を与えた(きょう)()とは反対に、烏桓(うがん)を苛烈に支配します。ときには(きょう)()前漢(ぜんかん)侵入を防ぐために、烏桓(うがん)を利用することもありました。


 烏桓(うがん)(きょう)()前漢(ぜんかん)という二大勢力のあいだで長年苦しめられていました。


 そのため前漢(ぜんかん)(しん)王莽(おうもう)によって滅び、(きょう)()が天災と単于(ぜんう)輿()の後継者争いで弱体化したこのとき、烏桓(うがん)は復讐と独立のために蜂起したのです。


 (きょう)()は天災、後継者争い、そして長年支配していた烏桓(うがん)の蜂起に対処することができず、四八年に南匈奴(みなみきょうど)北匈奴(きたきょうど)に分裂します。


 この分裂は現在までつづいている、と考えられています。


 南匈奴(みなみきょうど)は現在の中華人民共和国のなかの内モンゴル自治区や華北地域の一部におおく居住する、中国国内のモンゴル族の人々の直接の祖先だと考えられています。


 その一方で北匈奴(きたきょうど)は、チンギス・カーンらモンゴル帝国、そしてフビライ・カーンらの(げん)をへて、現在のモンゴル国に暮らすモンゴル族の人々の祖先だと考えられています。


 話を歴史にもどします。


 南匈奴(みなみきょうど)単于(ぜんう)となった南単于比(みなみぜんうひ)は五〇年に息子を後漢(ごかん)の宮廷へ送り、後漢(ごかん)に服属しました。


 形式上は前漢(ぜんかん)のころと変わらない待遇に見えましたが、後漢(ごかん)(きょう)()に対してずっと支配的な態度をとるようになります。


 また(みなみ)(きょう)()も、後漢(ごかん)の支配的な態度に対して抵抗できるほどの力をすでに失っていました。


 後漢(ごかん)光武帝(こうぶてい)が中華を統一したのをきっかけに、(きょう)()だけではなく烏桓(うがん)をはじめとした、ほかの少数民族たちも後漢(ごかん)に服属するようになります。


 こうして新しく服属した複数の少数民族に対して、後漢(ごかん)は大量の物資を与える一方で、反乱にはきわめて厳しく対処しました。


 また後漢(ごかん)は少数民族を分轄して統治し、少数民族の蜂起に対してはほかの少数民族の兵を鎮圧に派遣しました。このようにして少数民族同士を互いに競わせ、結託して後漢(ごかん)に対抗することがないよう注意しながら統治しました。


 こうした統治政策をうけて、後漢(ごかん)に服属した(みなみ)(きょう)()は北方騎馬民族としての独自性を徐々に失っていくことになります。


 その一方で(きた)(きょう)()は……という話を次回でしたいと思います。後編へつづきます。


※小説本編 https://ncode.syosetu.com/n2273id/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ