「胡」匈奴(1)
※小説本編 https://ncode.syosetu.com/n2273id/
小説のなかで「胡」とまとめて呼ばれる少数民族の代表的存在、匈奴について解説します。
匈奴は秦や漢といったいわゆる「中華王朝」から見て北に位置する北アジア地域、特にモンゴル高原を最初に支配した北方騎馬民族です。
モンゴル高原に馬を駆り遊牧をして暮らす人々、北方騎馬民族とされる人々は、中華王朝が誕生した頃から存在しました。
なぜ存在していたことがわかるかというと、最古の中華王朝(前一七世紀頃)である殷(商)で使用された甲骨文に記述が残っているからです。
この北方騎馬民族とされる人々はさまざまな部族にわかれ、さまざまな名前で呼ばれ、中華王朝の歴史書の中に現れては消えていくことをくり返しました。
そのなかで初めて諸部族をたばね北方騎馬民族国家をきずき、五〇〇年にわたり存続した人々、とされているのが匈奴です。
匈奴の名前が最初に中華王朝の歴史書に現れるのは戦国時代の前三一八年に起きた、秦と五カ国連合との戦いです。このとき匈奴は五カ国連合の側に立ちましたが、戦いは五カ国連合の惨敗に終わっています。
そしてこの頃から、匈奴は歴史書のところどころに記述されるようになります。
記述の多くは、中華王朝との戦いに関するものです。
たとえば前二一六年、匈奴は秦の阿房宮という宮殿を襲撃し、宮女や役人を拉致しました。
これに対して秦の始皇帝は翌年、『キングダム』でもおなじみの蒙恬をオルドス地方へおくり、匈奴を討伐させています。
始皇帝と蒙恬によって匈奴は一時勢力を削られました。
しかしその六年後、父である単于(匈奴の王)を殺して単于に即位した冒頓単于によって、匈奴は最盛期をむかえます。
冒頓単于は東胡、丁霊、月氏といったほかの北アジア諸部族を撃破。前二〇〇年、漢の高祖(劉邦)を包囲して苦しめます。
その三年後、匈奴は漢と和平を結びます。
和平の内容は単于(匈奴の王)に公主(皇帝のむすめ。いわゆる和蕃公主)を嫁がせること、また漢は匈奴に毎年米や絹などを送るといった、一方的なものでした。
この和平を恥辱と感じ、また和平を結んでも止まない匈奴の襲撃に対して、漢の武帝は匈奴との全面戦争を決断します。前一三三年前後のことです。
漢の武帝は対匈奴同盟をほかの諸部族と結ぼうと、大月氏(使者は張騫という人物で、途上で匈奴につかまり一〇年間捕虜になるなど辛酸を嘗めました)や烏孫に使者を派遣しています。
また李広、霍去病、衛青、李広利、李陵といった将軍たちが匈奴と激しい戦いをつづけました(中島敦の小説「李陵」はこの時代を舞台にしています。https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1737_14534.html)。
こうした漢の武帝による外圧、そして天災の連続と匈奴宮廷内での内紛によって、匈奴はしだいに弱体化していきます。
匈奴に従っていた諸部族も蜂起し、ついに匈奴は東西に分裂します。
東匈奴の呼韓邪単于は前五一年に漢へ臣従しました。
西匈奴の郅支単于は前三六年、シルクロードに位置した康居(現在のウズベキスタンの首都タシケントではないかと考えられています)で漢軍によって処刑されます。
こうして秦漢の中華王朝と匈奴との長い戦いは、中華王朝の勝利という形で一応の収束をむかえます。
特に前三三年に王昭君が呼韓邪単于のもとへ嫁いだ以降、匈奴と漢の関係は安定します。漢の公主が単于へ嫁ぐのとは反対に、単于は代替わりの度に息子たちを漢の宮廷へおくり、漢へ従うようになりました。
というのが匈奴五〇〇年の歴史の前半です。後半につづきます。
※小説本編 https://ncode.syosetu.com/n2273id/




