610 ボス踏んじゃった
ベンチにたおやかに腰を下ろした眼鏡の女性は、なんとも自然な動作で、前に屈む俺の太ももへと足を置いてきた。
靴磨きの仕事中だ。それ自体は別に構わない。今までの客も同じ体勢で作業をしてきたし、服が汚れないように脚にはハンカチも掛けているからね。
唯一に気になる点があるとすれば、彼女が顔見知りという事だろう。
この黄緑髪のエルフの名はエスデス。マルグリットの配下であり、混沌軍の一員でもあった。
てっきり盗賊狩りに同行したと思っていたのだけど、街中で出くわすとは予想外だ。一体どんな感情でボスを踏みつけているのかなと、チラリと上目遣いで表情を盗み見る。
だがエスデスは、既に俺のことなど興味無いかのように紙束へと視線を落としていた。
猛暑の中でもシャツのボタンを首元まで閉める所に生真面目さが見える。ガラスの奥には鋭い眼光が覗き。口元を引き締めた真剣な表情だった。
背筋の伸びた綺麗な姿勢は、道端の古ぼけた椅子を、さながらオフィスの一角と錯覚させる雰囲気で。勇者一行の雪女ことティアが委員長属性であるならば、この眼鏡エルフはさしずめ秘書属性とでも言った所か。
などと考えていると、手が止まっているのを不審に思ったらしい。書類を睨んでいた視線を外して首を傾げ。彼女は困り眉で申し訳なさそうな声を出す。
「ああ、湿地に行っていたので泥跳ねが酷いでしょう。ごめんなさいね、お代は弾みますから」
「これが仕事なので、お気になさらず」
「そうですか。真面目なのですね」
この反応。さては俺の正体に気付いていないね。
屈んでいると前髪が垂れて作業の邪魔だったので、今は靴磨きのワックスで固めている。普段と印象は少し変わるかも知れないけれど、なんてお間抜けさんも居たものだ。
いや。ただ極度の近視なだけなのだろうか。
文字が小さいとぶつくさ文句を言いながら紙を顔に近づけるのだが、眼鏡をズラして梅干しでも口に含んだかのような顔を披露していた。
「今日は市場でお買い物ですか?」
俺はブラシで彼女のブーツを擦りながら喋りかける。これはいわばジャブ。距離感を探りつつ、渾身のストレートを叩き込んでやるぜ。正体を明かした時の反応が楽しみだと、伏せた頭の影でほくそ笑む。
書類と格闘する眼鏡エルフだが、話かけられたら無視は出来ぬ性分なのだろう。仕事の最中でもハキハキとした答えが返ってくる。
「買い物ではあるのですが、私用ではありませんよ。旅の支度をしていましてね、大人数で動くと量も嵩張って手配だけで一苦労です」
「それはそれは。お疲れ様です……」
迂闊に手を出したら顔面にカウンターパンチを食らった気分だった。
俺たちは、これから大森林に踏み込もうと言うのだ。その準備を行うのは当然である。まして混沌軍は結成したばかりの寄せ集め。足りないものばかりで買い物も大変だよね。
少数精鋭の勇者一行だって、目的地へ到着するまでの日数をちゃんと計算して物資の補充をしていたものだ。これが50人を超える規模の集団となれば、リストを作るだけでも並々ならぬ労力だっただろう。
部下が働いているというのに、ボスが酒を飲んで昼まで寝ているなんて申し訳がない。
消え入りたい気持ちになりながら無心に靴を磨く。というか俺、人の上に立つ器じゃないよな。
そうだ、全てが片付いたら靴職人にでもなろう。女性の足を合法的に採寸出来て、足のことだけ考えて生きていけるなんて最高じゃないか。
「愚痴のついでに聞いて下さるかしら。昨日なんて大変下品な宴会に巻き込まれましてね。代表が率先して脱ぎ出すものだから、男たちは揃って半裸になるし。やれ力比べだと、騒いで暴れますのよ」
ガサツで嫌ねえ、と。エスデスは頬に手を当てて、ウンザリした声色で不満を溢した。現実逃避の最中に追撃とは恐れ入る。昨夜の醜態を目の前で嘆かれて、もはや乾いた笑いしか出でこない。
「酷い飲み会だったんですねぇ……」
「まったくですわ。どうしたら酒の席で流血沙汰になるのやら」
遠い目をして呟く眼鏡エルフ。
思い出すだけで頭が痛くなると言わんばかりだが、俺はその辺りを詳細には覚えていなかった。
相槌を打ちながら話の続きを促すと、愚痴を溢して口が軽くなったか。個人名を伏せながら状況だけ聞かせてくれる。現場に居た人間にはそれで十分で、脳裏に光景がまざまざと浮かぶようだった。
要約すると、こうだ。偉大なるボスが股間発光の妙技を皆にお披露目したところ、ばかうけする鬼共の傍らで、幼女が言ったらしい。
『なんでおにいちゃんは、おまたが光ってるの?』
素晴らしい着眼点である。子供らしい素朴な疑問に、彼はニコリと笑いながら返した。金玉はね大人になると光るのさ、と。
しかし、嘘を見抜く力を持つマリーちゃん。いいや何かタネがあるはずだと、あろう事か、玉を鷲掴みしてもぎ取ろうとしたそうな。
掴まないでゴールデンボール。たとえ非力な5歳児の力でもそこは重大な急所。ボスは股間を光らせながら、ほげぇ~と鶏のように鳴いた。親の仇を取るように執拗に玉を引っ張る幼女に、発光しながら叫ぶ不審者。もう股間だけでなく全身に自主規制を入れるべき光景だろう。
止めはエルマが自分のズボンの中を覗き込みながらこう呟く。
『ねえお姉ちゃん。僕の玉も大人になったら光るのかな?』と。ブラコンの姉が、お前は悪影響だなとブチギレた。そして暴行事件へ。
「どちらにせよ、子供の教育には良くないですねぇ……」
「まったくです。しかし、これが悪いばかりでもなくてですね」
眼鏡エルフは一瞬だけ堅苦しい表情をふと緩めて、主があんなに楽しそうに笑うのを初めて見たという。
鬼族たちと一線を引いていた抱天軍団だが、マルグリットがお目付け役として宴会に参加した事で、なし崩しに全員を巻き込む大宴会になり。
ああ、思い出してきた。両陣営から飲まされるもので、俺は完全に泥酔をしてしまったのだ。そして、ほんのりと記憶が蘇る事で、その後に自分が晒した本当の醜態を自覚してしまう。
「私は、人の上に立つ人間というものは特別な者なのだとばかり思っていましたが。彼はそう。あまりに普通で……けれど人を動かす力を持っていた」
何を隠そう、酒が入った俺は涙腺が緩み、ふと泣き出してしまったのである。
大切な人を失い、仲間と逸れ。見知らぬ土地で戦いの連続。少しばかり気が弱っていたのだろうか。
種族を問わずに騒ぐ、賑やかな飲み会に懐かしさを感じ。エルマとマリーを抱きしめながら、早く平和になればいいねと。故郷を守れなくてごめんと。涙を零しながら無様を晒した。
「そうか。時間が空いたのは、偶然じゃ無かったのかも」
ブーツを蝋でピカピカに拭きあげながら考える。
キトやマルグリットが、俺を起こさずに仕事を処理してくれたのは、あれで気を使ってくれたのかも知れない。
情けない所を見せたなと、本格的に靴屋の開業を目指したくなった。いや、足ツボマッサージ屋なんかもいいな。
「あっ居た居たエスデスさ……ま!?」
泥で汚れていた皮靴がキラリと輝きを取り戻す頃に、小太りのオークがベンチの横へと駆けつけて、はぁはぁと息を荒げる。
彼は眼鏡エルフに用があったか。椅子に座る女性えへと声を掛けるも、俺の脚を踏みつけながら靴を磨かせる様を見て、ピシリと固まった。
俺も狼少女がキトを顎で使っていたら、なんて恐れ知らずな奴だと、あんな表情をするかも知れない。
「あら、ドエムですか。そっちの買い出しは終わりましたか?」
「はい。明日に馬車へと届けて貰う手筈になっています。じゃなくって!」
ここでオークからネタばらし。あんたボスに何をやらせているのだと叫ばれて、エスデスは何を馬鹿な事をと言わんばかりに眼鏡を光らせた。
硝子の奥の細められた瞳と目が合う。俺はニコリと微笑んで「教育に悪い男でごめんね」と謝った。「んんっ!?」と驚きの声が上がるが、彼女はよほど現実を信じたくないらしい。
これは何かの間違いと願うように、ハンカチで眼鏡のレンズを拭いて、恐る恐るにもう一度覗き込む。まぁ変わるわけが無いのだが、そこにはやはり自分たちの大将がいるわけで。
ひぃと上がる短い悲鳴に、この反応が見たかったのだと俺は満面の笑みになってしまう。
「な。ななな、何をしているのですかツカサ様!」
「見ての通り、靴磨きだよ。少しお小遣いが欲しくてさ」
個人のお金が無いのよね。肩を竦めて見せると、エスデスは額へ手を当てながら、欲しい額を聞いてきた。
それはもう、ほんの少しだ。子供たちにお菓子を買ってあげられればそれでいい。
伝えると、金貨が一枚手渡され。金輪際このような真似はやめてくれと釘を刺される。
「私たちは、これでも貴方を尊敬しているのです。暴力による支配ではなく、泣き落としで【抱天】と【赤鬼】を動かせるのはただ一人でしょう」
「どうせ普通の男ですよ」
「謝りますから、忘れて下さい!」
冗談はさておき、彼らは本当に俺の為を思って動いてくれているようだった。ならば戦いの前に少しばかり骨休めをさせて貰おう。ちょうどお小遣いも手に入ったしね。
硬貨をピンと指で弾きながら、二人にお勧めの食べ物を聞いて。両手一杯のお土産を持って俺は子供たちの待つ家へと戻り。
「遅くなったな。私も裏切り者という点ではオッパーニと変わらん。だからコレでケジメとさせ欲しい」
単身で動いていたマルグリットが帰って来たのは5日後。
100を超える大量の生首を持参して、俺どころかキトすらもドン引きさせた。
生きてます。書いてます。頑張ります。




