11 有志竟成
アーサーはじっと待っていた。
いくつかの仕込みをした後、放置したままだったユーティリウム入りのワイヤーで大樹に自身の体を巻き付け、息を殺すようにただ敵が来るのを待っていた。
それからしばらく炎の熱に炙られるだけの時間が続いた。額から汗が頬を伝って地面に落ちる。その汗が熱によって吹き出たものなのか、それとも別の理由で噴き出しているものなのか判断がつかなかった。
そんな気分の悪い時間をしばらく味わっていると、アーサーの丁度前方の茂みが揺れ、そこから二メートルはある巨体が出てきた。
「よう、遅かったな」
アーサーは出てきた人影、グラヘルに向かって口を開く。
「……もう一人のガキはどうした?」
「ああ見えてあいつは小心者でな、とっとと逃げ出しちまったよ」
グラヘルはきょろきょろと首を回して辺りを見渡すが、アーサー以外に人の気配は感じられなかったのだろう。すぐに視線をアーサーへと戻した。
そして木に縛られている状態のアーサーを見て軽く笑うと、
「俺様の捕食が終わるまで耐えようって考えか? 残念だったな。俺様の捕食の限界時間は一時間を越える! 貴様ら人間ごときの浅知恵でどうこうなるようなチャチな代物じゃねえんだよ!!」
一歩ずつ、死の塊がアーサーに近づいて来る。今いる位置からでも十分に捕食の範囲内だろうに、わざわざ近づいてより大きな恐怖をアーサーに与えようとしているのだ。
時間を引き延ばしたような感覚がアーサーを襲う。
そんな時間の隙間にねじ込むように、
「……あんたに一つ聞きたい事がある」
呟くように口にした。
グラヘルはアーサーの言葉に足を止めた。
「聞きたい事? 命乞いじゃねえのか?」
馬鹿にしたように笑うグラヘルを無視して、アーサーは話を進める。
アーサーの疑問はひどく単純な事、
「なんで俺達の村を襲って人を殺した」
その質問にどんな意味があったのか。すでに過ぎ去ってしまった過去について言及したところで、一体どれだけの意味があるというのだろうか。
それでもアーサーは質問せずにはいられなかった。どこにでもいるごく普通の少年というのは、突然身に降りかかった理不尽に対して理由を求めてしまうものなのだ。
対してグラヘルは心底不思議そうな顔で、
「ああ? んな事に特別意味なんかねえよ」
本当に本当に、意味が分からないといった風に、
「別に襲う場所はどこでも良かった。俺は前回の大戦には直接の参加はしてねえからな、ただ暴れられさえすれば場所にこだわりなんかねえ。殺しにしたって、テメェは蚊を潰したりアリを踏みつける度に感傷に浸んのか?」
「そうか……」
下を向いて一度息を吐き、それから顔を上げて真っ直ぐグラヘルを見据えて告げる。
「だったら、やっぱりここで殺されても文句は無いな」
ゴバァッッッ!!!!!! とグラヘルの足元がいきなり爆破した。これはアーサーがあらかじめ地面に仕込んでおいた『モルデュール』だ。しかも粘土の周りに一か所だけ隙間を作り、それ以外をユーティリウム入りのワイヤーでグルグル巻きにして固定したものを使用しており、爆破の威力が全て上に向くようにした即興の特製品だ。
(さしずめ『地雷モルデュール』ってところか。これでやられてくれるような相手なら楽なんだけど……)
やがて爆発で舞い上がった砂埃が晴れてくると、そこにはグラヘルが変わらず立っていた。直接爆発の威力を受けた足はボロボロで、体にもいくつかの傷が付いていた。しかしグラヘルはふらつく様子もなく立っている。『地雷モルデュール』では致命傷にはならなかったようだ。
「……テメェ人間、地雷なんざ仕込むなんて舐めた真似してくれるじゃねえか」
「人間を舐めるなよ。絶対に諦めない」
グラヘルはアーサーから見ても明らかなくらいに切れていた。ただでさえ驚異的な魔力が跳ね上がり、その全てが殺意と共にアーサーに注がれる。
しかしアーサーはグラヘルのそんな様子にも臆する事なく、指を三本立てて言い放つ。
「お前には三つの弱点がある」
ピクリ、とグラヘルは反応した。どうやら頭に血が昇っていても話を聞くくらいの理性は残っていたらしい。
「弱点? この俺に? はははっ! 寝言は寝て言えよガキが。俺様には捕食っていう無敵の力があるんだぜ? どこに弱点なんかあるんだよ」
「まずは馬鹿って事だ。こちとら化け物みたいに強いじーさん相手に何度も戦って来たんだ。お前みたいな脳みそ単純細胞の猪野郎が取る行動くらい簡単に読めるんだよ」
「……言葉には気をつけろよ人間。テメェごとき今すぐにでも食い殺せるんだ。テメェは俺に生かされてるって事を認識しろ」
グラヘルの威嚇をものともせずアーサーは続ける。
「二つ目の弱点は技の入りの遅さ。確かに捕食は脅威的だし、一度発動すれば一時間って話が本当ならほとんど成す術はない。でも技の入りのモーションが長いなら発動前に打てる手はいくらでもある」
そこまで言って、グラヘルの顔から表情が消えた。
「……そこまで言うならもういい。テメェは弄り殺すつもりだったが予定変更だ。すぐに食い殺してやる!」
先刻と同じようにグラヘルの口が開く。
とてつもない吸引力がアーサーに襲い掛かる……前に動きがあった。アーサーが体を預ける大樹の裏から人影が正面へと躍り出る。その人影が黄色い光を身に纏うと、目にも止まらぬ速度でグラヘルの胸の中心に何かを突き刺して背後へと駆け抜けた。
「が……アッ……! テ、メェは……ッ!!」
グラヘルは突然の攻撃に補食を中断してその場に倒れた。
その胸の中心に深々と突き刺さっていたのは、アーサーがアンナから預かったユーティリウム製の短剣だった。
「ナイスタイミングだアレックス」
「本当は出番が無い事を祈ってたんだがな」
アレックスは剣を肩に担ぐように持ちながら吐き捨てる。その様子にふっと笑みを浮かべると、アーサーは最後の弱点を告げる。
「そして三つ目の弱点は肉体強度の低さだ。そもそもアレックスの剣で普通に傷つけられた時から妙だと思ってた。アレックスの剣はユーティリティ製じゃなくてただの鉄製で、お世辞にも良い剣とは言い難い。魔族は体中に魔力を巡らせて防御力を上げてるっていうじーさんの話じゃ、ただの鉄製の剣で魔族に傷は付けられないって事だった。……だから思ったんだ。防御を全て捕食に任せているお前は、他の魔族に比べて体に回してる魔力量が少ないんじゃないか? そしてもしその通りなら、それは普通の魔族には効かない攻撃でも効く事を意味している」
アーサーの言葉を適当に聞き流しながら、グラヘルは傷口を抑えて立ち上がろうとする。
「この……程度の傷で俺様が……ッ!!」
「だろうな。だからまだだ」
バヂィ!! と突如アーサーが背中をくっつけている大樹の一部が黄色く発光し、小さな放電が起きる。それと呼応するようにグラヘルの背後にいるアレックスの持つ剣も同じように黄色い発光と小さな放電が起きる。
「魔族の人体構造は人間とほぼ同じだから体の約六○パーセントは水分って事になる。そしてよく勘違いされがちなんだけど、水分量ってのは血液や脂肪なんかよりも筋肉の方が断然多いんだ。だから本当、お前が大食らいらしく太ってなくて良かったよ。お前の全身が脂肪に覆われてたらここまで上手くはいかなかっただろうからさ」
「貴様ら……まさか!」
グラヘルはこれから起きる事を理解したようだった。その顔にはアーサー達は初めて見る恐怖があった。そんなグラヘルに向かってアーサーはあくまで冷酷に言い放つ。
「みんなの仇だ」
その一言が合図だった。
あらかじめ大樹に蓄積させていたアレックスの魔力が雷となって、グラヘルの背後にいるアレックスの持つ剣へと移動する。その雷は本物の雷と同じ速度だ。さらに胸に突き刺さった短剣が、その雷を正確に心臓を打ち抜ける場所へと誘導する。
これがアレックスの奥の手、『雷伝』。威力が高すぎて長老にさえ使えなかった禁じ手。足と胸を負傷して移動すらままならないグラヘルには回避する手立てはない、必中不可避のアーサーとアレックスの最後の手段だ。
「人間ごときがァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
怨嗟の声を叫ぶグラヘルの体を、一条の雷が無慈悲に貫いた。
それで、終。
一瞬前まで叫んでいたグラヘルは、その体を黒く焦がして動かなくなった。
そんな動かなくなったグラヘルに向けてアーサーは皮肉げに言い放つ。
「良かったな。感電死なら痛みは長く続かないから楽に逝けて」
そしてアーサーは自身を縛っていたワイヤーを解き、動かなくなったグラヘルに近付く。
熱くなった短剣に水をかけて冷やし、グラヘルの胸から引き抜いて回収する。
通常、感電してからも蘇生のチャンスはあるが、グラヘルの場合は全身が黒焦げになるほどの威力の電撃を浴びせた。間近で見て確実に事切れていることを確認して、アーサーとアレックスは腹の底から大きく息を吐く。
それが特殊な訓練もしていないただの村人が中級魔族討伐するという、不可能と言われた偉業を成し遂げた瞬間だった。