10 激突
二人は中級魔族を目標に、今日何度目かになる森の中を走りながら言葉を交わす。議題はもちろん、どうやって中級魔族を足止めするかだ。
「で、走り出したのは良いがなんか策はあんのかよ」
「あるにはある。流石に無策で魔族に突っ込んでいくほど馬鹿じゃないよ」
「策があっても二人で魔族に突っ込もうとしてる時点で馬鹿だろうが」
アレックスの罵りは無視して、アーサーは言葉を続ける。
「さっき戦闘を見た人に聞いたんだけど、敵の能力は捕食らしい」
「捕食?」
「ものすごく強い吸引力でなんでもかんでも食べる悪食らしい。あの火災はじーさんの魔術の炎を食べて吐き出したものらしいよ」
「らしいらしいって、その情報は本当にアテになんのか?」
「パニック状態の中で少し見ただけだろうから信憑性については何とも言えない。ただ俺達には今これしか情報がない。正しいと仮定して敵に挑もう」
「くそ……。そんな不確定情報に命を賭けろってか? いつから俺の命の価値はそんなに低くなったんだ」
「つべこべ言うな。やるしかないんだよ」
言いながら、アーサーはウエストバッグの中の『モルデュール』の残数を確認して歯噛みする。残数は三つ。魔獣相手ならこの数でもなんとかなるだろうが、敵はおそらく中級魔族。たったの三つでは心もとない数だった。せめてこの十倍は欲しいところだ。
けれど無い物ねだりをしても仕方がないので、とりあえず中に詰める炸裂の魔石の数を増やす。
「敵の能力が捕食だっていうなら、それを利用しようと思う。俺の『モルデュール』を食わせて腹の中で起爆すればいい。内側から弾けるか、最低でもある程度のダメージは与えられるはずだ。それで動けなくなるようなら俺達の役目は終わりだ。あとは国に任せる」
「けどそんな都合良く食ってくれるもんなのか? 叩き落されるのがオチじゃねえか?」
「もちろん最初から丁寧に食って貰おうとは思ってないよ。まずアレックスが単独で敵に突っ込んで捕食行動を取らせる。俺はその線上に投げ込めばあとは勝手に食ってくれるって寸法だ」
「いやちょっと待てよ。今、大事な事をさらっと言わなかったか!? 俺が中級魔族相手に一人で戦う!? テメェは俺を殺す気か!!」
「大丈夫だ。敵の能力が捕食ならその効果範囲だってある程度は前方に絞られるはずだ。ならお前は『纏雷』を使って常に後ろか真横を位置取れ。そうすれば捕食はされない。逆に相手の顔の前には絶対に立つなよ? その瞬間に体ごと食われてもおかしくない」
「結局は命懸けって事かよ……」
アレックスはまだぶつぶつ言ってるが、敵との距離が近づいているのはアーサーにもなんとなく分かった。つまりそれほど強大な魔力なのだろう。
そしてついに、アーサーとアレックスは敵の姿を捉えた。人間離れした体躯に圧倒的な魔力が間違いないと確信させる。
「久々に人間を殺したが……やっぱ止められねえな。この世の他のなによりも快感を得られる! もっともっともっともっと殺しまくりてええええええええええええ!!」
二人の顔から表情が消えた。
そこにどんな思いがあってそんな事を言っているのかは分からない。
正直、言っている意味はまったく理解できない。
でもそれが二人にとって到底看過できない発言であったのは確かだった。
二人の中で何かが切れた。アーサーは手近な木の影に身を隠し、アレックスは雷を身を包むとすぐさまグラヘルの無防備な背中へと斬りかかる。
「ならテメェが殺されても文句はねえな?」
ズバッッッ!!!!!! とアレックスの剣がグラヘルの背中を斜めに斬る。アレックスには確かな手応えがあったし、木の影から見ていたアーサーからも言う事のない完璧な奇襲だった。鮮血が飛び散り、脳裏にこれで終わりなのではないか、という期待が過る。
しかし、そんな期待は即座に打ち砕かれる。
グラヘルは少しも怯まずに腕を無造作に振った。裏拳、なんて技術のあるものじゃない。例えるならいきなり目の前を虫が過った時に思わず手で払ってしまうような単純な行動。しかしそれをごく至近で目の当たりにしたアレックスからすればそんな単純なものではなかった。まるでハンマーを振り回したかのような錯覚が襲い掛かる。
アレックスはその場で即座にしゃがんで腕をやり過ごすと、当初の予定通り背後に回る。
「ちぃ……っ! ちょこまかと……ッ!!」
そしてグラヘルは口を大きく開いた。背中に張り付いているアレックスからは見えないだろうが、偶然ほぼ真正面でその光景を見る事になったアーサーは絶句していた。
人間では到底有り得ないほど大きく開いた口。それが体とほぼ同じ大きさになったところでアーサーがイメージしたのはカエルだった。
(魔族が使う魔術ってのは、ここまで人間離れしているのか!?)
しかしそんな感想を抱けたのは束の間だった。
口が完全に開き、グラヘルの捕食が始まった。
木の根っ子ごと地面を掘り返し、全てがグラヘルに吸い込まれていく。少しの間唖然としていたアーサーだったが、すぐに立ち直るとその惨事の隙に『モルデュール』を投げ込む。コントロールも何もあったものではないが、グラヘル自身の吸引力が手助けして無事に口の中へと吸い込まれていく。
アーサー自身も吸い込まれる危機だった訳だが、今回グラヘルは背後に居るアレックスを捕食するため首を回したのでアーサーが隠れる木が捕食される事はなかった。もし狙いを付けられて長時間あの吸引力に身をさらしたらと思うとゾッとする。
(でもこれでやつを吹き飛ばせる。俺達の勝ちだ!!)
だからといってすぐに起爆はしない。グラヘルの捕食が終わり、アレックスが距離を取るのをじっと待つ。
そしてグラヘルが体を一周させたところでようやく捕食が止まった。時間にすれば数秒だったのだろうが、アーサーとアレックスにはもっと長い時間だったように感じられた。
何にしても勝機は勝機だった。アレックスが素早く後ろに飛んでグラヘルとの距離を取り、状況が整った。
(今だ!!)
アーサーの『魔石の遠隔起動』には明確な限界距離というのは存在しない。アーサー自身がその場所に在ると認識していれば、たとえ百枚の鉄壁の向こう側にあろうが正確に起動するし、距離が離れていても地図を見て場所を正確に確認しながらなら起動できる。だから喰われた程度では『モルデュール』は効果を失わない。アーサーはその前提条件のもと、グラヘルの体内にあるであろう『モルデュール』を躊躇わずに起爆する。
……起爆した、はずだった。
「な、ん……っ!?」
予想された爆破は起きなかった。
グラヘルは距離を取ったアレックスに肉薄する。アレックスも爆破が起きなかった事に驚いていたが、すぐに気を引き締め直して再びグラヘルの背後に回る。グラヘルは今もなおアレックスの動きに翻弄されながらも、少しずつ動きに対応していた。
時間が無い事と『モルデュール』が起爆しなかった事でアーサーは焦っていた。アレックスが距離を取るよりも先に、もう一度爆破を試みる。しかし、この場合は幸いだったと言うべきか『モルデュール』は起爆しなかった。そこでアーサーは一つの仮説に辿り着く。
「……まさか、捕食といっても腹に溜まる訳じゃなくて、どこか別の空間に飛ばしてるのか……?」
考えてみれば思い当たる節はいくつもあった。大量の木々を喰らい続けるなど、いくら人間離れした巨体だろうと本体の質量を完全に越えている。
だとするとマズい。アレックス一人では決定打となる一撃は入れられないし、仮に剣が入っても先程と同じように致命傷にすらならないかもしれない。アーサーが加勢しようにも剣が効かない相手に殴る蹴るなどの攻撃が効く訳がないし、そもそも広範囲を捕食するグラヘルは多対一に強い。
数の有利はない。決定打もない。そもそもじーさんでさえ適わない相手を倒すビジョンが浮かばない。だが選択肢に逃げるはない。ここで逃げてしまえば『ジェミニ公国』の人々だけではなく、危険を知らせに行ったアンナの命までもが危ぶまれる。結局、ここでグラヘルを倒すか足止めするしか選択肢がないのだ。
「くそ……っ! アレックス、一度引くぞ!」
しかし今のままではジリ貧なのは確かだった。アーサーは苦渋を舐める思いで一時撤退を決めた。
アレックスはアーサーの声を受けて雷を使った発光をフラッシュ代わりにしてグラヘルの視界を少しの間だけ塞ぐ。その少しの間にアーサーを担ぎ、森の中を全力で駆けていく。
まさに脱兎のごとくだった。撤退を言い出したのはアーサーだったが、アレックスの手際の良さに少なからず驚く。
(ここまでの手を予想してたのか……? やっぱりじーさんの指導の賜物なのか……?)
戦闘に関してはアーサーはアレックスよりも教えられていない。……まあ、教えられていないというかその時間は抜け出して本を読み漁っていただけなのだが。だからこそアレックスの手際の良さに関心していたのだが、
「死ぬ! マジで死ぬ!! あんなのといつまでもやり合ってられるか!!」
……どうやらそういう訳ではなかったらしい。
臆病さは生き延びるために必要という話があるが、それを今まさに目の前にしているアーサーは複雑な顔をする。
(やっぱり生存能力と格好良さってのは相いれないのか……。まあ生き残れるなら泥臭くても良いとは思うけど)
変な方向に思考が逸れていくのを止めたのはアレックスだった。足を止めて今まで脇に抱えられる格好で運んでいたアーサーを地面に落としたのだ。
「いきなり何するんだよ」
抗議の声を上げるアーサーにアレックスは心底不機嫌そうな顔で、
「うるせえ自分で走りやがれ。野郎を担いで走るなんて気持ち悪い事いつまでもやらせんな」
「ならそう言ってから優しく下ろせ」
アーサーは立ち上がってズボンに付いた適当に土を落とすと、今度は二人並んで走り出す。
しばらく並走すると、アレックスの方が先に口を開く。
「それでどうすんだよアーサー。テメェの作戦は通用しなかったじゃねえか」
その一言で最悪な現実へと引き戻される。
「……まったくもって予想外だ。あいつの腹はブラッホールか何かなのか? 口に入ったそばから別の空間に吹き飛ばすとか完全に狂ってる。捕食限界とか身体的な弱点とかを模索しないとマジで勝てない」
アーサーの言葉にアレックスは正気を疑うような顔で、
「お前、あれを見てまだ勝つ気なのか? じーさんがやられて頭おかしくなったんじゃねえか!? 今からでも遅くねえ。アンナと合流して『キャンサー帝国』に逃げようぜ!」
「それだけはできない。俺達がここで諦めたら『ジェミニ公国』の人達はどうなると思う? さっきは曖昧に答えたけど今度は断言してやるよ、全員ヤツに殺される」
「それが分かってんならなおさらだろうが! 国中の人達全員でも勝てないような化け物に、俺達二人で何が出来るってんだよ!!」
「まだあるはずだ。俺達にだってできる何かが……」
必死に頭を回していた時に、見覚えのあるものが視界の端を過ぎった。余裕は全くないのに何か引っかかるものがあり、その言いようのない引力がアーサーの足を止めた。
(ここは俺達が縛られてた大樹……いつの間にか戻って来てたのか)
そこにはまだ消えない妙な炎と、その中でも悠然と立ち異様な存在感を放つ大樹。そして……。
「……アレックス、一つ思いついた事がある。手伝ってくれ」
「お前、なにを……」
急に足を止めたアーサーにつられて足を止めたアレックスは怪訝な顔を向ける。それもそのはずだ。今は少しでも逃げて時間を稼ぐのが最善だというのに、アーサーは足を止めて何かを手伝えと言っているのだから。
それでもアーサーは構わず言葉を続ける。
希望というにはあまりにも小さく、それでも淡い期待を乗せて。
「上手くいけばここで終わらせられる。あいつを倒せるかもしれない」




