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和装の皇さま  作者: 狼花
肆部
87/94

13 決戦の地へ

 一夜明けて、玖暁の国民を眠りから叩き起こしたのは、巨大な揺れだった。


 ずどん、と下から突き上げるような揺れで、巴愛は飛び起きた。時刻は朝の六時。昨日深夜まで騒いだのだから、みなが起きているはずがない。


「じ、地震……!?」


 巴愛はベッドの下に隠れた。ばさばさと本が机の上から落ちる音がする。強い縦揺れはそのうち横揺れに変わり、その揺れはだいぶ長い間続いた。それが収まってから巴愛は恐る恐るベッドの下から顔を出した。


 と、扉がノックされている音が聞こえた。


「巴愛さん、大丈夫ですか?」


 突き当たりの部屋に常に控えている昴流が、真っ先に声をかけてくれた。声に焦った様子はないので、きっと地震は慣れたものなのだろう。ここが未来の日本なら、地震大国であるという特徴も引き継いでいておかしくない。揺れは収まっているのだがまだ足元が動いている気がして、巴愛の足取りは不安定だ。それでもなんとか寝室から出て、部屋の入口の扉を開ける。廊下に立っていた昴流の恰好は、言ってしまえば寝間着である。身なりに気を遣う昴流でも、さすがにこのときそれを気にする余裕はない。


「ああ良かった、怪我していませんか?」

「うん、平気。すごい地震だったね」

「ええ、元々地震の多い国ですけど、稀に見る大地震でした」


 震度六くらいはあったかもなあ、と巴愛が考えた瞬間、緊迫した声が響いてきた。


「……知尋ッ! おい、しっかりしろ、知尋ッ」


 廊下の向こうから、小さい声ではあるが確かに真澄の声が聞こえた。昴流と巴愛は顔を見合わせ、どちらともなく駆けだした。渡り廊下を渡った先が真澄と知尋の部屋だ。知尋の部屋の扉は開けられたままになっている。昴流が入口から部屋の中を見ると、部屋の中央に真澄が膝をついていた。その真澄が支えているのは、今にも気を失いそうになっている知尋だ。呼気は荒く、手足にも力が入っていない。


「医師を呼んできます!」


 昴流が迅速な判断で身を翻えした。巴愛は知尋の傍に駆け寄り、その傍に膝をつく。


「どこかに怪我を!?」

「いや……怪我はない。さっきの地震のあと、知尋の悲鳴みたいな声が聞こえてな。様子を見に来たら、ここで倒れていた」


 真澄の表情は険しい。


「知尋、病気の発作か? 薬はどこだ、いつも持ち歩いていただろう?」


 巴愛は咄嗟に部屋の中を見渡した。常備していた薬なら、ベッドの傍やテーブルの上に置いていないとおかしい。すると、それらしいピルケースがベッドの脇にあるサイドテーブルの上に置いてあった。巴愛がそれを真澄に渡す。真澄が片手で器用にケースを開けて一粒の錠剤を取り出したのだが、知尋の手がゆっくりと上がった。何をするのかと思えば、薬を持つ真澄の手を押しとどめたのだ。


「おい、どうして……」

「……発作じゃ、ない」


 知尋は苦しそうに告げた。落ちかける手を、巴愛が掴む。


「東……和泉、から……強い魔力が、放出されています……」

「和泉から……」

「今の揺れも、地震じゃない……真澄、急いで……矢吹はもう、破壊を始め、て……」


 そこまで言って、知尋は意識を失った。真澄は「成程な……」と呟き、知尋を抱き上げてベッドに寝かせた。それから真澄は、部屋の中にあった棚を開けた。その中には、大量の神核が収められている。巴愛が驚いて言葉をなくすほどである。ざっと三百個はあるだろう。


 その中から真澄はひとつの神核を取り上げ、部屋の中央で【集中】した。青い光が神核から放たれ、その光が室内を照らす。それが結界壁であると巴愛は悟った。しかし巴愛では真似できないほど強力な結界だ。


 結界を張ると、強張っていた知尋の表情が若干穏やかになった。真澄の処置は的確だったわけである。


「真澄さま、知尋さまは……?」

「この部屋に結界を張った。室内にいる限りは大丈夫だろう」


 真澄はそう言って巴愛を振り返った。


「さっきの揺れは、矢吹が神核を暴走させたことによるものだ。彩鈴での一件と同じだな。大山脈の一部が吹き飛んだ時も、その周辺では強い揺れがあったというし」

「でも、それじゃ知尋さまはどうして?」

「……知尋は魔力が放出されていると言った。強い魔力に当てられて知尋が意識を失うということに、ひとつだけ思い当たる」


 巴愛は黙っていた。


「私が雷の恩恵を受けているように、知尋の属性は光だ。そしてその正反対、闇の力には全く耐性がない」

「闇……」

「闇と言っても色々ある。怨念、憎悪、嫉妬、殺意……知尋はそういった魔力的な悪意に弱いんだ」


 真澄は腕を組み、目を閉じた。


「元々知尋の部屋には強い結界が張ってあった。ただでさえ身体の弱い知尋に毒気を当てたらひとたまりもないからな。だが、どうも青嵐騎士によって結界が破壊されていたらしい。知尋も昨日寝たのが遅かったはずだから、張り直す元気もなかったんだろう」


 一日くらい大丈夫だろう、と思った結果がこれである。念入りな知尋でも気が回らなかったらしい。


「……少しくらい、休ませてくれてもいいものをな」


 真澄は溜息交じりに呟いた。昨日戦いが終わって、すぐに今度は佳寿の問題が待っている。きっと見計らっていたのだろう、と真澄は確信している。


 それからしばらくして、医者が駆けつけてきた。しかし昴流の姿はなく、どうしたのだろうと思っていると、それから五分ほどして戻ってきた。昴流のほかに、瑛士や黎、奏多ら全員の姿がある。年長者たちはきちんと服装を整えており、短時間でよく着替えられるなあと巴愛は感心する。


 医師の見解も真澄と同様のものだった。彼は専属医として二十年以上知尋を診続けてきているので、真澄と同じくらい彼の身体や性質を知っている。


 安静にしていれば大丈夫、すぐ目を覚ますだろう、と言い残して医師は部屋を出た。それを見送ってすぐ、奈織が口を開いた。


「さっきの地震、神核の爆発だよね?」

「ああ、おそらく」


 さすがに奈織は最初から地震ではないと気付いていたらしい。瑛士が腕を組む。


「矢吹か……急いだほうがいいんでしょうね」

「――みな、慌ただしくして済まない。今日中には皇都を出発する。何があるか分からない以上、部隊を連れて大勢の人間に犠牲を出すわけにはいかない。私たちだけで、矢吹佳寿を討ち果たすぞ」


 瑛士が真っ先に頷き、踵を返した。仲間たちも次々と自分の準備のために駆け出していく。そこに、丁度入れ替わりになって部屋に入ってきた人物がいる。李生だった。


「李生。もう起きていいのか?」


 真澄が驚いたように声をかけると、李生は軽く真澄に一礼してから答えた。


「はい、医師にも承諾はいただきました」

「……それは、立ち歩く承諾であって戦う承諾ではないと私は思うぞ?」

「いいんです、俺は都合よく解釈しますから」


 李生の言葉に真澄は呆れたように肩をすくめた。


「俺も行かせてください、真澄さま」

「……いいだろう。駄目と言って無理をされては困るからな」

「有難う御座います」


 李生は嬉しそうに微笑み、部屋を後にした。巴愛がそれを見送って首を捻る。


「どうして部隊を連れていけないんですか? 大砲一発かなんかで終わりそうな気もするんですけど」

「奴は、私と知尋個人に因縁を持っているように思える。自分の故郷を滅ぼした男の息子だからなのだろうが……直接私と剣を交える気でいるのだろう。だとしたら、大勢の部下を引き連れていたらみなは一瞬で奴に邪魔者として殺される。相手は神核を意図的に暴走させることができて、しかも爆発の中心にいて何ら影響を受けない人間だからな」


 神核を暴走させれば、街ひとつ吹き飛ばすことができる。数千、数万の人間が一瞬で殺されるのだ。それは和泉での実験が証明している。


「少数精鋭で突っ込んだほうが、まだ犠牲が少なくて済む。いや……誰も、死なせない」


 真澄らが佳寿と戦っている間に、皇都を襲撃するという可能性もある。部隊は皇都にこそ残しておくべきだ。真澄と知尋、瑛士らが城を空けてしまえば、何事かとみな不安がる。それを少しでも軽減したかった。


 本来なら、真澄はいくべきではない。だがそれでも、これが真澄の責任なのだ。


「知尋はきっと、行くと言う。巴愛、君はどうする……?」


 そんな風に聞かれたのは初めてなので、巴愛は瞬きを繰り返した。いつもなら「ここに残れ」か「一緒に行こう」か、どちらかを必ず言われた。巴愛の意思で決めろと言われたのは初めてだ。


「本音を言えば、君を危険なところに連れて行きたくない。だがこの皇都が完全に安全なのかどうか、私にも分からない……というか、きっと今の玖暁に本当の意味で安全な場所などないのかもしれない」

「……じゃ、じゃあ、あたし真澄さまと一緒に行きます!」


 巴愛がはっきりと宣言した。


「みんなと一緒なら、あたしは大丈夫です」

「……ああ、分かった。一緒に行こう」


 真澄は頷いて微笑んだ。


 そのあと真澄は矢須の元に行き、皇の代理を彼に任せた。矢須はもうこうなることを予想していたようである。


「お引き受けします。しかし、本当に部隊をお連れにならないのですか?」

「ああ。これはもはや国同士の抗争ではなく……矢吹佳寿から私たちに対する、決闘のようなものだ。それに元はといえば、元凶を作ったのは私の父だ。この戦いに終止符を打つのは、私の役目だよ」

「真澄さま……こんなことを言ってもどうしようもないでしょうが、いざという時はご自分の命を最優先にしてください。折角取り戻したこの国には、貴方と知尋さまが必要なのです」

「……ああ、分かっている」


 分かってはいるが、理解したくはないということだ。仲間が窮地に陥れば、身体を張って助けようとする。真澄はそう言う人間だ。だからこそ矢須も「こんなことを言ってもどうしようもない」と前置きしたのである。


「すまないな。いつもいつも苦労を押し付けて」


 皇の代理を任せるとともに、できるだけ真澄と知尋の不在を内密のことにしておきたいのだ。その苦労は並々ならぬものである。真澄と知尋のような人柄の人間が、長いこと民衆に姿を見せなければみな不審に思うのは当たり前だ。


「その、無理はするなよ。身体は大切にしてくれ」

「ほっほっほ。ついに私めも真澄さまに心配されるような歳になりましたか」


 矢須はからからと笑う。この場に誰もいないので、真澄は溜息をついて頭を掻いた。


「まるで今まで心配していなかったみたいに言わないでくれ。物心ついたときから、矢須は私と知尋の『爺や』だったんだ。心配くらい、する」

「有難う御座います。……真澄さまも知尋さまも、本当にお優しい方ですね。不敬に当たりますが、聞き逃してください。前皇陛下に似なくて心からほっとしています」

「それもこれも矢須のおかげだ。私たちに勉強だけではなく、人の心まで教えてくれた。……どうだろうか、矢須? 私たちは、矢須が思い描いたような人間に成長できたんだろうか」


 真澄の問いに、矢須は目を細めて頷いた。


「私の予想以上に、立派に成長してくださいました。玖暁が全盛を誇った、貴方のお祖父さまを見ているようです。教育係の爺やとしては、もう思い残すことはないほどに」

「! おい、矢須……」

「『教育係の爺やとしては』、です。私が宰相の任を下りるのは、真澄さまと知尋さまが亡くなられたときですよ」


 真澄はふっと微笑む。


「……私たちが死ぬまで? 何歳まで生きるつもりだ?」

「ほほ、化け物と呼ばれるまででしょうかねえ。……まあ現実にそうはいかなくとも、私は現役宰相として息絶えるつもりでいます。世間では後任に職務を譲って隠居でもしろと囁かれていても、こればかりは譲れません」


 矢須は真澄らの祖父の時代から玖暁皇家に仕えてきた。真澄の祖父、父、そしていま。そんなにも長く玖暁を見てきた矢須は当然もう老齢だし、時代の荒波に揉まれてきた矢須を、もう解任してやったらどうだ。真澄にそう進言する者も少なくはない。そのたびに真澄は考えるのだが、矢須がこういっているのだ。「誰にも宰相の座は譲らない」と。


 真澄の心は決まった。真澄が矢須の任を解くことは、ない。


「城のことは私と副宰相にお任せを。ですからどうか真澄さまも、お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 副宰相も優秀な人物だ。矢須が亡くなれば、副宰相が新たな宰相になるだろう。矢須もそのつもりで、副宰相を指導している。


「年寄りより先に死んではなりませんよ。きちんと順番を守ってくださいね」


 少し怖い顔で付け加える矢須は、子供のころに自分を叱った爺やの顔だ。


「……有難う、矢須。必ず生きて帰ってくる」


 にっこりと微笑んだ矢須は、信頼のこもった眼差しで真澄を見上げた後、ゆっくり頷いたのだった。






★☆






 瑛士は騎士団を狭川に預け、黎も彩鈴軍を治安警備の支援をするという名目で留まらせた。そして昼を過ぎ、皇都の裏城門に仲間たちが集まった。そこには知尋の姿もある。


「弟皇さま、大丈夫なのか?」


 宙が心配そうに尋ねる。知尋は微笑んだ。


「さっきは少し油断していただけです。結界壁で身を守っていますから、平気ですよ」


 目には見えないが、知尋は自分の身体を神核術で守っている。こんな高度なことは巴愛にはできない。


「……しかし、結界壁があってもびりびりと伝わってきますよ、強力な魔力が……」


 知尋の視線は東の方角を見やる。知尋の目には魔力の流れが黒い煙のようになって見えているらしく、先程からしきりに空を見ていた。


「弟皇さまほどじゃないけど、俺もなんか感じるよ。嫌な感じって言うか、そういうの」

「あたしも。やっぱ神核エネルギーに触れたのが原因だろうね。真澄と李生もそうじゃない?」


 奈織に聞かれた李生は、驚いたような顔をした。話を振られるとは思っていなかったのと、初対面の相手に名を呼び捨てにされたことに驚いたのだ。考えてみれば、仲間内では李生のことを結構話題にしたものだが、紹介はしていなかった。といっても李生が知らないのは、奈織と蛍だけである。


「あ、ああ……そうだな、俺も少し分かる気がする」


 本当に感じているのか微妙な答えだ。


「だよねえ、やっぱり……あ、そういえば自己紹介してなかったっけ。あたしは時宮奈織。彩鈴の神核研究者で、この騎士団長の妹。よろしくね、李生!」

「! 妹……」


 さすがにそれは知らなかったらしい。黎を見ると、彼は頷いた。


「李生さん、こっちは蛍だよ。すごい格闘術の使い手なんだ」


 宙が蛍のことを紹介する。李生は頷いた。


「そうか。しばらくの間、よろしく頼む」


 自己紹介を微笑ましく見守っていた真澄に、瑛士が問いかける。


「それで、真澄さまはどうなんですか? やっぱり何か感じますか?」

「漠然とではあるがな。今のところ身体に影響はないが、近づけばもっと酷くなっていくだろう。和泉の傍に住む人々が心配だが、まだ被害情報は入ってきていないな……」

「そのことですが」


 黎が口を開いた。


「和泉方面の諜報員から報告がありました。和泉周辺は強い濃度の神核エネルギーが充満しており、近づくことができないそうです。しかし一番近い街ともだいぶ距離があるため、人的被害はまだありません」

「そうか……有難う。すまないな、本来ならそういった報告は玖暁騎士に義務があるのに」

「玖暁騎士も国を取り戻したばかりでばたばたしているでしょう。このときのために諜報員を派遣しておいたので、気にしないでください」


 真澄は頷き、乗馬した。


「和泉に到着するころには、周囲のエネルギー濃度も下がっているだろう。……みんな、これが本当に最後だ。よろしく頼むな」


 その言葉に皆頷き、馬に乗った。真澄が馬首を東に向ける。


「……行こう」

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