12 星空の宴
玖暁の皇都照日乃、そこにそびえたつ皇城。
いまそこは、歓喜の嵐に包まれていた。
騎士たちによる戦後処理も終了し、城内は一応の落ち着きを取り戻している。が、逆に落ち着きがないのは人間たちだ。久々に帰ってきたこの場所で、みなテンションが上がっている。いつも騎士たちと反目し合っている貴族や文官たちとも、手を取り合って大喜びだ。真澄と知尋も矢須と再会し、あの宰相の目に光るものがあるということに誰もが驚いたものだ。
いまこの皇城の厨房では、祝宴に向けて大量の料理が作られていることだろう。文官たちは青嵐騎士にむちゃくちゃに荒らされた資料整理に追われ、騎士たちも騎士団宿舎などの片付けに大忙しである。夜の祝宴でたっぷり騒ぐ分、仕事は早めに終わらせようということだ。皇都に入った巴愛たちも喜ぶ暇はあまりなく、治療に専念していた。
皇都の城下でも同じようなものだ。皇の帰還に大人も子供も喜んでいる。そしてきっと、皇都奪還の報が届いた天狼砦、彩鈴でも、同じような状況だろうと思われる。
「終わったのか……やっと……」
李生がその様子を見ながらポツリとつぶやく。隣にいた奏多がゆっくりと頷いた。ふたりはいま城の大ホールの隅に佇んでいる。
長かった。それが李生の感想だ。四か月近く、李生は捕らわれの身だったのだ。それで脱獄してすぐあれだけ派手に立ち回れば、さすがに疲れる。
「青嵐は沈んでいるだろうね、今頃」
「……いいのか、奏多……お前、こんなところにいて」
「ん? ……李生の隣にいれば、誰も怪しまないからね」
「そうじゃなくて……疲れただろう。休めばいいのに……」
「……あのねえ。それ、鏡で見てから言ってごらんよ」
「何をだよ。俺の顔をか……?」
喋っている自分の声が、どんどん遠くなっていく。奏多の声は聞こえるのに、脳が認識してくれない。
駄目だ、意識が遠のく――。
「李生!」
名を呼ばれて、李生はうっすらと目を開いた。――自分が目を閉じていたということに、そのとき気付いた。足からは完全に力が抜け、前のめりに倒れかかったところを奏多が支えてくれていた。といっても、咄嗟に右腕を掴んでくれただけで、李生には自分で立つ力がない。奏多は李生の身体を支えながら床にしゃがんだ。
「さっき言ったじゃないか、もう」
「だから……何のことだ。相変わらず、主語がない……手紙でまで主語を抜かして。分かりにくいったらありゃしない……」
今言う必要もないことを、李生は譫言のように呟いた。それが李生の最後の記憶で、そこで意識はぷっつりと途切れた。
★☆
ショリショリ、ショリショリ。
機械的に耳元でそのリズムが繰り返され、李生の意識は浮上した。
「あ、起きた?」
目を開けるより早く、李生が目覚めたという気配を察したらしく声がかけられる。李生はやっとのことで重い瞼を持ち上げた。
真っ先に見えたのは点滴の袋だ。その管を目で追うと、自分の右腕に針が刺さっていた。ベッドの上に寝かされ、点滴を受けているらしい。
奏多がベッドの傍の椅子に座り、器用に林檎を剥いていた。既に棚の上に置かれた皿の上には、定番のウサギ型に切られた林檎がいくつも置かれている。相変わらずこういう手先は器用な男だ。
「ここ……どこだ」
「賓館の部屋のひとつだよ。あんまり荒らされてなかったから、ちょっと使わせてもらった」
「なんで、俺……?」
「ぶっ倒れたんだよ、俺の目の前で。あれから大変だったんだからな? 心配した大勢の騎士が駆け寄ってきてね。昴流が機転を利かせて、ここに連れてきてくれたんだけど。ほら、あーん」
「!?」
ずいっと口元に林檎を突きつけられ、思わず口を開けて林檎をかじってしまう。横になったままそんなことをしないでほしい、やっぱりこいつはマイペースすぎる。
李生は痛む身体をゆっくり動かし、ベッドの上に起き上がった。
「この点滴はなんだ?」
「栄養剤」
「栄養剤って、俺は植物か何かか」
「正式名称なんて知らないもん。言っておくけどお前、かなりやつれて不健康そうに見えるよ。ろくなもの、食べてなかったんだろ。軍医の人がこりゃ酷いって点滴打ったんだ」
「囚人に食事が出されただけ、マシだったと思っているよ」
李生は手を伸ばして林檎を口に放り込む。奏多も自分で剥いた林檎を食べる。
「……奏多、有難う。真澄さまと知尋さまのことを、助けてくれて」
「俺一人だけじゃないよ。それに俺と宙のほうが、逆に助けられたことのほうが多い」
「それでも、礼を言いたいんだ。……有難う」
奏多は微笑んだ。
「……なんか李生を見ていると思うよ。俺と李生は、もう全く別の場所に立っているんだって」
「なんだ、急に?」
「住んでいる場所は違っても、目指していることは同じ。……そんな風に思っていたけど、それは俺の思い違いだった。李生は玖暁の騎士だ。李生は玖暁のために戦い、俺は青嵐のために戦う……そんな、当たり前のことに気付かなかったよ」
確かに李生は玖暁の勝利のために戦っている。青嵐のために勝とうとは思っていなかった。李生は髪の毛を掻き回す。
「この戦いで玖暁が勝ち、青嵐が負けた。きっと真澄さまは青嵐との和解を目指す……いや、青嵐にはもうその道しかない。軍国の時代は終わったんだ。民衆が戦いの日々から解放される……それは俺たち共通の目的の達成にはならないか?」
「そうだね……」
「これまで奏多にはずっと世話になってきた。感謝してもしきれない。だから今度は、俺が力を貸す番だ。青嵐の民衆を救うためにできることはなんでも……今度こそ、生まれ故郷のために尽力するよ。青嵐がもっとよくなるように」
李生はもうひとつ林檎をつまむ。
「だからそう、悩むなんて似合わないことはするな。もうこそこそ手紙をやり取りすることもない。会おうと思えば、いつでも会える。……ああそうだ、夜の祝宴で酒を酌み交わそう。いずれお前と飲みたいと思っていたんだ」
「……ははっ、そいつはいいね。悪かったね、お前と会えて気が緩んだみたいだよ。変わらないね、李生は」
「お互い様だ」
と、急に扉がノックされた。李生が驚いて林檎を飲みこみ、奏多が立ち上がって扉を開ける。そこには瑛士、巴愛、昴流、そして黎が居心地悪そうに佇んでいた。
「おや、みなさん御揃いで」
「よう、奏多。李生はどうだ?」
「起きてますよ。ほら」
奏多が道を開けると、巴愛が瞳を輝かせた。
「李生さん!」
巴愛が李生の傍に駆け寄った。李生は目を見張ったが、すぐに笑みを浮かべた。
「お久しぶりです。お元気そうですね、巴愛さん」
「あたしは大丈夫だけど、李生さんすごく痩せちゃって……! 倒れたって聞いたから、すごく心配したんですよ!」
「すみません。もう大丈夫ですよ、だいぶ気分も良くなりました」
巴愛がほっとしたように微笑む。他の仲間たちも室内に入ってきた。
「……あんな別れかた、嫌ですからね」
「え?」
「生きててくれて、本当に良かった……」
ぽろぽろと涙をこぼす巴愛に驚いた李生だったが、そっと零れる涙を拭ってやる。
「これで、貴方との約束を果たせます」
「え……?」
「青嵐の話をすると約束したでしょう。ちゃんとその約束、果たしますからね」
「はい……!」
昴流も傍に歩み寄った。
「天崎部隊長……ご無事で、良かったです」
「小瀧。……なんだか顔つきが変わったな」
「そうですか?」
「そうだよ。……強くなったんだな」
李生の賛辞に、昴流は照れたように微笑む。瑛士が李生の肩を叩く。
「李生! 任務ご苦労だった!」
「はい」
瑛士の短い労いの言葉に、李生は冷静に答えた。簡単に李生の大変な四か月を一言で終わらせてくれたが、瑛士に褒められるのは李生としても嬉しい。その李生の目は、黎に移動した。ふたりは初対面だ。瑛士が代わりに紹介する。
「こいつは彩鈴の騎士団長、時宮黎だ」
「ああ、貴方が……初めまして、天崎李生と申します」
李生が丁寧に礼をする。瑛士が驚いたように李生を見る。
「李生、なんだってこいつのことを知っているんだ? 彩鈴の騎士団長なんて、俺は今まで見たことも聞いたこともなかったって言うのに」
彩鈴は軍部の力が弱いため、その騎士団長である黎の権威も弱い。だから他国の者に存在を知られていなくて当然で、これは瑛士に限ったことではない。黎が首を振った。
「何か私のことで調べることでもあったのか?」
「いえ、情報収集の際に少し貴方の名を聞いただけです。なんでも一国の君主に対し、刃を向けることに抵抗を持たない冷徹な人だとか――」
ぎょっとしたのは当人たち以外である。明らかに李生は、黎の狼雅暗殺未遂のことを言っている。瑛士はその事情を知っていたが、巴愛と昴流と奏多は初耳である。それにしても、初対面の相手にぶつける言葉ではない。
「お、おい李生……」
「いやいい、瑛士。……御堂騎士団長の懐刀、想像以上だな。いつか会ってみたいと思っていた」
「俺もです」
黎と李生が笑みを浮かべる。それを見て巴愛は「このふたり怖い」と思ったのだった。李生の騎士としての顔を見たことはあまりなかったが、本当に抜け目がなくて敵に回すと一番厄介なタイプだ。
「安心しろ。兄皇陛下と弟皇陛下には、誓って槍を向けない」
「――すみません」
李生は強気な態度を一転させ、黎に頭を下げる。黎はちらりと瑛士を見る。
「気にしなくてもいい。初対面の、しかも他国の人間をまず疑ってかかるのは当然のことだ。瑛士のように、真っ向から信じる者よりよほど現実的だ」
「悪かったな、俺は信じるしか取り柄がないんだよ」
瑛士がふんと腕を組んでそっぽを向く。李生が首を振った。
「御堂団長が性格を改めたら、俺の仕事がなくなります。いいんですよ、そのままで」
瑛士は肩をすくめた。
「……まあ、それはいい。それよりも、李生」
「はい?」
「奏多と飲む気満々だったみたいだが、さっき医者が『今日1日は大人しく寝ていろ、急な飲酒や食事は禁止する』と言っていたぞ」
「え!?」
李生は心底驚いたようである。が、考えてみれば当たり前だ。
「夜までちゃんと寝ていたら、一杯だけ持ってきてやるよ。勿論内緒で」
瑛士はそう耳打ちし、「あとでな」と言って部屋を出て行った。巴愛と昴流、黎が口々に「お大事に」と声をかけてそれに続く。奏多が果物ナイフを片付けて立ち上がる。
「残念だけど、飲み交わすのはまた今度だね」
「だな……ああ、心配するな。ちゃんと寝るよ」
李生は溜息とともにベッドに横になった。
「玖暁奪還の戦いは終わったが……真澄さまたちの戦いは、まだ終わっていないんだろう?」
その問いに、奏多は静かに頷く。李生は微笑んだ。
「俺も戦う。そのために、体調はしっかり整えておかないとな」
「……ああ」
李生は奏多の声を聞き、ゆっくり目を閉じた。
★☆
巴愛は皇城内の自分の部屋に入った。荒らされてしまったかと思ったが、人が入った形跡はない。ほっとして、長いこと締め切られていた部屋に新しい空気を入れるために窓を開く。
やっと帰ってきた。今更になってその実感が湧いてきた。
特に何をするでもなく、巴愛は部屋でぼんやりしていた。戦争の直後は皆忙しいので、巴愛は部屋で大人しくしているしかない。気付けば外は薄暗くなっており、開けっ放しだった窓からは冷たい風が吹き込んできている。
窓を閉めて明かりをつけると同時に、扉がノックされた。返事をすると、昴流が顔を出した。
「巴愛さん! ちょっと早いですけど、お食事にしませんか?」
「うん、いいけど……あたし、祝宴とかはちょっと遠慮したいな……」
「あんなに人が多いホールに巴愛さんを連れてなんていきませんよ。外のバルコニーに食事を運んであります。もうみなさん集まっていますよ」
要するに、内輪だけの宴会ということだ。さすがに真澄たちはいないだろうが、それでも気が楽である。
「隙を見て、陛下や御堂団長もこっちに来るそうです」
駄目押しとばかりに昴流が付け加え、巴愛は笑みを浮かべて立ち上がった。
皇族の寝所として使っているこの棟の裏にあるバルコニーには、真澄と知尋、瑛士、李生を除く仲間が集まっていた。巴愛の姿を見た奈織が大きく手を振る。木のテーブルの上には所狭しと料理が並んでいて、気分的にはバーベキューだ。夜の風は寒いとさっきまで思っていたが、不思議と外に出てしまうと気にならない。
昴流がワインの瓶を手に取り、順番に酒を注いでいった。玖暁は十八歳で飲酒解禁なので、宙と蛍以外は問題ない。だが昴流は宙の前まで来てぴたりと止まり、問いかけるように宙を見る。
「どうする、宙は」
「あー、俺、下戸なんだ。だから遠慮しとく」
「そうなんだ……って、おい! 君はまだ十七歳なのになんでそんな慣れた風に言うんだ!?」
「お、怒るなよぉ。昴流だっていま俺が『飲みたい』って言ったら注いでくれる気だったんだろ!?」
既にグラスを持っている奏多が苦笑いを浮かべた。
「宙が自分から飲んだわけじゃないんだよ。いつだったか、夏に学校から帰ってきた宙が『暑いー』って言いながら、うっかりコップに入れてあった料理酒を水と間違えて一口飲んで、泥酔したことがあるんだ」
「……口にする前に気付かないか?」
黎が心底不思議そうな顔になる。と、宙が憤然となって身を乗り出した。
「俺が悪いみたいになってるけどさ、兄さんのせいでもあるんだぜ!? 兄さんが『お帰り宙、喉かわいただろ?』って言いながら差し出してきたのが酒だったんだ! 水と間違えたのは兄さんだよ!」
その言葉に一同大いに笑わせてもらった。当事者である奏多まで笑っているのだからどうしようもない。蛍はどうするか、と昴流が問うと、蛍は笑みを浮かべたまま首を振った。そのふたりには巴愛がオレンジジュースを注いでやり、みなはグラスを手に取った。自然と視線は昴流に集まり、昴流は空咳をした。
「えー、では……皆さん、お疲れ様でした! 乾杯!」
「乾杯!」
グラス同士がぶつかり合う音が、星空の下で響いた。和気あいあいとした雰囲気でみな食事を進め、ワインを一口飲んで『こりゃ駄目だ』と思った巴愛はみなの取り皿に料理を分けている。
「そういえば良かったんですか、黎さん。彩鈴騎士はホールのほうで飲んでいると思いますけど、こっちに来てもらっちゃって」
昴流の問いに、黎は頷いた。
「あまり宴会でわいわいやるのは好きではなくてな」
「ひとりでちびちび飲むタイプ?」
宙がサラダボールから取った野菜をフォークで突き刺しながら尋ねる。ちゃんと野菜から食べるんだ、と昴流はおかしく思う。
「そうだな。まあ……最近は誰かと飲むというのもいいかもしれない、と思うようになったが」
「前に瑛士と飲んだからでしょ。あたしの差し入れはやっぱり的確だったんだよ」
奈織が得意げに言う。彼女はさすが黎の妹なのか、十八歳ながら酒には強いらしい。黎は溜息をつき、昴流を見やった。
「そんなことより、そっちこそ良かったのか? 彩鈴軍まで宴会の席に入れて」
「お決めになったのは兄皇陛下ですから。彩鈴軍だけじゃなく自警団の方たちも加わっていますし、気にすることはないですよ」
「……感謝する。我が軍にとっては初めての戦争で、初めての勝利だ。最初くらい、良い目を見させてやりたかった」
黎はそう言いながらワインを口に運んだ。
それから三十分ほどして、バルコニーに真澄と知尋、瑛士がやってきた。予想より早い登場に、思わず巴愛が驚いた声を上げる。
「よくこんな早く抜け出せましたね」
「ああ、矢須が諸侯の気を引いてくれてな。少しの間だけ」
グラスにワインを注いだ昴流が彼らにそれを手渡す。奏多が瑛士に尋ねた。
「御堂さん、李生はどうしてました?」
「ああ、ちゃんと大人しくしていたよ。申し訳程度の酒だったが、美味いといって飲んでいたしな。ま、あのあと医者が来られたら一発で終わりだが、心配はないだろ」
知尋はそうしている間にも早々にワインのグラスを空にしている。呆れたようにそれを真澄が見やった。
「……何杯目だ、知尋?」
「さあ? まだ大丈夫ですよ、素面と変わりませんし」
「飲むばかりじゃなくて、ちゃんと食事もとれよ」
「分かっていますよ。でも彩鈴のお酒は美味しいですね。有難う、黎」
知尋の言葉に黎は苦笑する。この祝宴で使用されている酒の大部分は、彩鈴が勝利の祝いにとくれたものだった。
「喜んでいただけて光栄です。が、これは王が勝手に送りつけてきたものですから、あまりお気になさらず」
祝い事が好きな狼雅らしい差し入れだ。
真澄は仲間たちを見やった。
「みんな、ここまで有難う。私が今ここに立っていられるのは、みなのおかげだ。あともう少し……力を貸してほしい」
その言葉に、みなは大きく頷いたのだった。




