2 手から離れた刀
翌日も早々に一行は玖暁へ向けて馬を走らせ始めた。馬上で真澄は、隣を行く瑛士を見やった。
「……遅くなったが、天狼砦の突破の方法だったな」
「え? あ、はい」
驚いた。昨日意識を失う寸前に瑛士が投げかけた質問を、真澄はきちんと理解して聞き取って、しかも覚えていたのだ。真澄の眠気は、本当に突然襲ってきたのだろう。
「端的に言うが……突破する場所など見つからない」
「そ、そうですか」
「玖暁は常に『守り』の戦いだ。『攻め』に転じたことなど殆どない。少なくとも私は、攻めの戦いを見たこともしたこともない。天狼砦が破られたこともない。どう要塞を攻めればいいのか、いまいち見当がつかん。迂回路も……あれだけの長城では、まずないな」
真澄は難しい顔をしている。
砦での現場指揮は瑛士が執っていることが多いが、瑛士にしてみても突破口は思いつかない。
「李生がいればなあ。城塞の戦いについては、あいつが一番詳しいはずなんだが」
と、ついぼやきが出る。真澄は頷きつつ、後方を振り返った。
「ともすれば頼みの綱は、青嵐軍として天狼砦を攻めていた奏多と宙か、我々でも知らない城塞の利点欠点を知っているかもしれない黎……しかないな」
奏多と宙は顔を見合わせた。奏多が苦笑する。
「青嵐側も毎回、天狼砦は難所としていますからね。どこにいようと城壁から狙撃され、近づくことすらできません」
「戦法なんて言っても、玖暁騎士団を砦から引き離して平野戦に持ち込む、としか考えられないしな。ま、それですら青嵐は敵わないんだけど」
宙もそう言って肩をすくめる。
「平野戦に持ち込む、か……いくらなんでも、この人数では到底敵わないだろうな」
「人数が物言うなら、天狼砦に捕まっている玖暁の騎士を助け出しちゃえば? 一斉に蜂起するんじゃない?」
奈織があっけらかんと提案する。瑛士が溜息をついた。
「助けるにしても、どうやって中に入るって言うんだ。あの鉄壁の守りじゃ、猫の子一匹……」
「大した情報ではないかもしれないが」
黎が急に口を挟んだ。
「何だ時宮、些細なことでも良いから教えてくれ」
「実は、城壁の一部に穴が開いている、という報告があってな」
「なにぃっ!?」
瑛士がのけぞり、真澄や知尋は拍子抜けしている。
「そんなはずはない! 城壁に不備があれば、誰かが絶対に見つけている!」
瑛士がむきになって反論するが、黎は涼しげな顔をしている。
「砦詰めの若い新人騎士が訓練中に振るっていた刀が、運悪く城壁にぶつかって穴が開いてしまった。元々何度も敵の砲撃を受けて脆くなっていた壁だったから、大人一人通れるくらいの大穴が開いたそうだ。慌てた新人騎士は崩してしまった石を元通りの場所に嵌めこみ、まんまと先輩たちの目を欺いた――つまりそういう次第だ」
「ぐっ……恐るべし彩鈴諜報員……」
瑛士がついに項垂れた。
「ああ、ちなみにその新人騎士というのが彩鈴の諜報員だ」
「なにっ……修理費出しやがれ! 諜報員がそんな失態犯してどうする!」
「だから『慌てて嵌め直した』んだろうが。とはいえ申し訳ありません陛下、いずれ修理費は出しますので」
本当は「申し訳ありません」で済む話ではないのだが、真澄は特に気にしなかった。
「それは別に気にしなくてもいい。だがもしそれが本当なら、奈織の言った通りのことができるかもしれない……」
「そうは言っても、近隣諸国では堅牢さで並ぶもののない天狼砦ですよ? 穴ひとつでその砦を制圧できるのでしょうか」
奏多の懸念は尤もである。
「それはそうだが、王冠たちにとっては今まで攻め落としたことのない砦だ。かなり複雑な構造をしているから、砦の機能に四苦八苦していることだろう。知尋に術で相手を攪乱してもらえば、近づくことは可能だと思う。あわよくば、そのまま天狼砦を奪還できる。そうすれば、皇都の王冠の退路を断てるな」
知尋はその言葉に頷く。
「はい。で、問題は誰が中に入るか、ですよね。あまり大人数で侵入する訳にはいきませんし」
すると、不意に蛍が声を上げた。
「私、行こうか」
「蛍……」
巴愛が目を見張る。蛍は宙の馬の後ろに乗ったまま、事もなげにそう言う。
「研究施設では不覚を取ったけど、元々隠密行動は得意。少しくらい、私も戦いで役に立ちたい」
真澄は少し考え込み、それから顔をあげた。
「……君の実力は、研究施設で私がじかに体験した。分かった、蛍に頼もう。蛍には砦へ潜入したのち、捕えられている玖暁騎士の解放をしてもらう。その間私たちは、正面から囮だ」
その言葉に異論を唱えたのは、蛍本人だ。
「それじゃ、私が一人で忍び込む意味がない……」
「あの砦の中を誰にも見咎められずに進むことは、まず不可能だ。それは私がよく分かっている。だとすれば、少しでも相手の戦力を分散しなければならない。どうせ砦を制圧するのなら、一か所に集まっていたほうが、都合が良かろう?」
知尋が微笑んで後を引き継ぐ。
「蛍も仲間ですから、貴方ひとりだけ危険な目に遭わせるわけにはいきませんね」
「大丈夫だ、城壁に設置されている砲撃台は砦の内側を向かないようになっている。私たちが相手をするのは、あくまで王冠のみだ」
蛍は真澄と知尋の顔を交互に見詰め、それから頷いた。
「経路の確認は後でするとして――」
言いかけた真澄は、急に気配を鋭くした。ちらりと後方を振り返る。最後尾の黎が頷いた。馬の速度を上げる。
「後方から追っ手が迫ってきました」
「もう追いつかれたのか」
瑛士が舌打ちし、刀を抜き放った。そうしている間に、後方では濛々と土煙が上がり、馬蹄の音が近づいてきている。かなりの数だ。
「真澄さま、先へ行ってください! 殿は俺が務める」
瑛士が馬首を返し、迫る青嵐騎士たちと相対した。真澄は頷いて馬腹を蹴った。黎もすぐその後を追う。
瑛士は軽く片手で馬の首元を叩く。
「頼むぞ、ちゃんと動いてくれよ」
暴れ馬にそう頼み、瑛士は馬腹を蹴った。突っ込んでくる追っ手の騎士たちを真っ向から迎え撃ち、刀を一閃させる。馬上から放たれた斬撃に、騎士たちはなすすべなく落馬する。
追っ手の数はゆうに二桁を越えている。だが、この程度ならば瑛士ひとりでも軽い。王冠ならともかく、騎士なら百人が束になろうと瑛士には敵わないのである。今のところ馬も言うことを聞いてくれている。存外悪い馬じゃない、やはり乗り手次第だな――と、瑛士は満足げに笑みを浮かべた。それは騎士から見れば、死に神の笑いに見えたかもしれない。
先を行く真澄はひたすら馬を駆けさせたが、はっとして前方を見やる。進行方向から多数の騎馬がこちらへ向かってくるのだ。言わずと知れたこと、騎士である。
「挟撃か……!」
「この先に検問所があります。そこからやってきたのでしょう」
奏多がそう推測する。真澄が頷く。
「仕方がないな。頼むから私を振り落とすような真似はしないでくれよ」
真澄も瑛士と同じように馬に頼み込んでから、刀の柄に手をかけた。
速度は落とさない。この勢いを維持したまま突っ込み、攪乱させるしか手はない。
刀を抜き放つ。馬上で構えた瞬間、右腕に痛みが奔った。その痛みは、呪いの症状によるものではなかった。
剣の重みに対する痛みだ。
「……!」
顔をゆがめる。真澄の手から、するりと刀が落ちた。持ち主の手から離れた刀は、真っ直ぐ地面に落ちる。
「真澄さま!」
巴愛が叫ぶ。真澄は手綱を引き、速度を落とした。その横を、奏多が神速で追い抜いた。そのまま突進し、敵を薙ぎ払う。
速度を落としたとはいえ、敵の狙いは真澄だ。真っ直ぐ騎士が突っ込んできて、素手の真澄に襲いかかる。真澄が巴愛を片手で抱きかかえる。
閃光が奔った。知尋の神核術だ。後ろから奈織の銃声も響き、宙と昴流も真澄の傍で、真澄を守るように剣を振るっている。
「兄皇陛下、刀を!」
後ろから黎の声が聞こえ、真澄ははっとして振り返った。黎は長大な槍を地面に向け、一気に振り上げた。砂塵とともに宙を舞ったのは、先ほど真澄が落とした刀だ。いちいち馬から降りて刀を拾うような真似は、このような場所では命取りになる。
真澄は飛来した刀を受け止め、右手の感触を確かめた後、ふっと息をついて刀を下ろした。そして、逆に左手を顔の前まで持ち上げる。その腕が光った。
強烈な稲妻が迸り、騎士たちが馬ごと横転した。常に前線に立ち、左腕に埋め込まれた雷の神核は非常用としてしか使わなかった真澄だったが、この時真澄は完全に後衛に立っていた。黎も真澄の横を駆け抜け、乱闘に身を投じる。
すぐに騎士たちは伸された。真澄はゆっくりと刀を収める。宙が駆け戻ってきた。
「兄皇さま、大丈夫かっ。怪我はない?」
「ああ……怪我はしていない。心配をかけてすまないな」
真澄はそう言って、疲れたように微笑んだ。昴流が問う。
「兄皇陛下、腕は……?」
「刀はもう……持てない。少し前から、いつかこうなるだろうと思っていたが、今ので確信した」
「そんな……」
昴流が俯く。武勇に優れた皇として、そして騎士として、誰よりも勇敢だった真澄が刀を持てないなど、知尋にも昴流にも信じられなかった。
「先ほどのような醜態を晒して、みなに迷惑をかけるわけにはいかないからな。これからは、後衛として援護に徹しさせてもらうよ」
「――そうされたほうがいいです。これ以上陛下の命を削るわけにはいきません。貴方の命は、貴方だけのものではないのですからね」
黎が手厳しくそう言ったが、口調はむしろ穏やかだ。真澄もまた微笑んで頷いた。
そこへやっと瑛士が追いついてきた。瑛士には傷どころか返り血ひとつなく、実に鮮やかな戦いぶりだったのだろう。一行はさらなる追っ手が来る前に、急いでその場を離れた。
「……そういえば僕たち、行きに検問所の橋を落としたんじゃなかったでしたっけ? どうやってあの川を越えるんですか?」
昴流が唐突にそう言い、みながはっとなった。瑛士と奈織がじとっとした目を黎に向ける。橋を落としたのは黎なのだ。黎が肩をすくめる。
「帰りのことなんて考えていたわけないだろう」
「時宮、お前って案外大雑把だな」
「料理見ても分かったでしょ、兄貴って適当だから、強火で一気に焼いて塩少々以外に料理できないんだよ」
思わぬことを暴露された黎がわざとらしく槍を掴んで音を立てると、瑛士と奈織がするすると引き下がる。
「浅瀬を探してそこを渡ればいいでしょ。もし駄目でも私が術で足場を作りますから、大丈夫ですよ」
知尋が振り返ってそう言ったのだが、さて検問所に着いたところで意外な展開が待っていた。検問所の騎士たちが総動員で橋をかけ直す作業をしていたのだ。もうだいぶ橋らしくなっていた。
ところで、真澄たちから見た検問所と橋の位置は勿論行きと逆で手前から、橋、検問所、という順番になっていた。橋を渡る手前で馬を止めた真澄たちに気付いた検問所の騎士が、金槌や木の板を放り出して橋を渡って突進してきた。
真澄が神核術を発動させる。一発の落雷が橋を直撃し、修理途中だった橋は呆気なく壊れた。大勢の騎士が橋もろとも下の川に転落し、行きとまったく同じ光景が生まれてしまった。
「あーあ、騎士たちの苦労が水の泡だ」
「頑張って架け直してたのにねえ」
宙と奈織が騎士たちに同情する。苦笑した真澄は知尋に合図し、知尋が魔力で生み出した半透明な足場の上を、悠々と越えていったのだった。
巴愛は真澄に頼み、宙の馬に寄せてもらった。だが、巴愛の用があるのは後ろに乗る蛍である。
「ねえ蛍。蛍は神核を作り出した古代人の末裔で、世界の滅びの前を知っているのよね?」
「うん」
「じゃあ、教えて。世界が滅びたのは、西暦の何年?」
そう尋ねると、蛍が大きく目を見張った。表情を変えない蛍には珍しい。
「西暦……よく知ってるね」
「あ、うん……まあね」
「私が聞いた話だと、世界が滅んだのは西暦の六〇〇〇年代らしいけど」
「六〇〇〇年……!?」
唖然とした巴愛に、真澄がそっと問いかける。
「巴愛は、いつ生まれたんだ?」
「生まれは一九九三年なんですけど……」
「……つまりそれから、四〇〇〇年は文明が続いたのか。そして世界が滅び、再生して五〇〇〇年あまり……九〇〇〇年前、なのだな。巴愛が生きた世界は」
「た、単位が大きすぎて実感湧かない……」
宇宙が誕生して一三七億年、地球が出来て四六億年というし、そう考えればたいしたことがないのかもしれない。が、よくもまあ人類は滅びも進化もせず存続したものだ。
「あ、それとね、さっき『普段話しているのは異国の言葉だ』って言ってたじゃない? その言葉は神核を作った人が使っていた言語ってことよね。『私の名前は蛍です』って言ってみてくれる?」
巴愛の頼みに、蛍は快く応じた。
「My name is Hotaru」
「おおっ、発音完璧……」
巴愛が感動する横で、真澄と宙が目を丸くしている。
「い、いまほんとに名乗ったのか?」
「うん」
宙が頭を掻く。と、巴愛が言った。
「Nice to meet you,Hotaru」
そう言って手を差し出すと、ぱっと蛍が表情を明るくした。言葉が通じたことを心から喜ぶ表情だ。蛍は巴愛の手を握る。
「……Nice to meet you,too」
「ふふ、まさかこんなところで役に立つなんてなあ……」
巴愛が笑った。中学一年生の英会話みたいなことしか言えないが、それでも意思疎通ができるのは嬉しかった。
「神核を生み出した古代人が英語使ってたってことか……」
「私の先祖、この言葉は母国語じゃなかったらしいよ。でも、周りの人に合わせて喋ってたんだって」
「そうなの? じゃ、やっぱり蛍のご先祖様は日本人なんだ。日本人が英語圏の研究者たちと一緒に神核を作ったってことだ」
宙が怪訝そうな目を真澄に向けると、真澄が苦笑して肩をすくめた。蛍が呟く。
「……なんか、不思議。巴愛って、懐かしい」
「そう?」
「うん。里の人たちみたいで、落ち着く」
そりゃ、巴愛は蛍たちの遠い遠いご先祖さまなのだ。百億分の一くらい、里の人とやらにも巴愛の血が混じっているかもしれない。
「蛍の言葉、あたしちょっとなら分かるし喋れるから。あたしたちの言葉で表現できないことがあったら、無理しないでいいからね」
「Thanks」
「You're welcome」
ここまで蛍が無口だったのは、自分の言葉が怪しいと思っていたからだろう。自分の慣れ親しんだ言語でないと気持ちを表すのは難しいはずだ。その意味で巴愛は、蛍の心に触れることができたようだった。




