1 死への覚悟
玖暁へ行くにしてもまずは馬が必要だということで、奏多の案内で一行は近くの村を訪れた。否、村と呼ぶのも憚られるような廃れた集落で、そこでは大量の馬が飼育されていた。
「青嵐騎士が騎乗する馬の半数以上は、ここで育った軍用馬なんですよ」
「前々から青嵐の軍用馬は質が高いと思っていたが、こんな場所で育てられていたのか」
「はい。都会っ子よりも田舎者のほうが体力馬鹿でやけに頑健、おまけに図体もでかければ態度もでかい、というのは人も馬も同じですねえ」
奏多にまったく悪気はないのだが、その言葉一つ一つが棘となって突き刺さったのは瑛士である。彼は見事に田舎者で異常にタフで身体も大きいのであった。
「兄さんに悪気ないからっ、瑛士さん怒らないで」
「はは……怒る気はないが、馬と同じというのがただ悲しいな」
瑛士は自嘲気味に笑みを浮かべた。真澄が話を戻した。
「そんなことより、ここの馬が軍用馬だというのなら、ここは国家施設ではないのか? 本当に馬を譲ってくれるのだろうか」
その問いに奏多は微笑んだ。
「お忘れですか? 俺の父は騎士団長だったんですよ。ここの馬を懇意にして軍用馬として取り入れたのは父でした。それ以来、俺も何かと交流がありまして」
集落に入って真っ先に出迎えたのは、大きな囲いの中で自由に放牧されている馬たちだった。教練を積む前の幼い馬たちである。職業柄馬に愛着のある真澄や瑛士は、馬の耳の裏を掻いてやったりしている。その間に奏多は経営主と話を付けに行った。
交渉はすんなり成立したらしく、好きな馬を譲り受けることとなった。ただし、蛍は騎乗経験がないそうなので、適宜誰かの馬に騎乗することになる。とりあえず最初はその役目を宙に任せた。王冠として騎乗経験もあるので心配はなかった。
「これほどの馬を無償で譲って下さるなんて、本当に良いのですか?」
知尋は少し後ろめたそうに尋ねた。経営主である老人がからからと笑う。
「いいんだ、いいんだ。他ならぬ奏多くんの頼みだからなあ」
「有難う。大切に扱わせてもらう」
真澄の言葉に老人が頷く。
「ところで、もう昼時だが少し休んで行かないかい? 豪華ではないが飯くらいは出せるぞ」
「――いや。そのお気遣いは有難いが、私たちは追われる身。そう長居はできないのだ」
真澄はそう言い、慣れた手つきで鞍や鐙を調整した。巴愛を先に鞍に乗せる。
「名乗ることもできない無礼を許してほしい。礼はいずれ必ず」
奏多が老人の傍に歩み寄る。
「俺たちを追ってここに人が来るかもしれません。その時は知らぬ存ぜぬを決め込んでください。そうでないと、名乗りもせず早々と立ち去る意味がありませんからね」
この老人に、できるだけ情報を残したくはなかったのだ。長居すれば誰かに見られ、名を名乗れば追っ手が来たとき老人の動揺を誘うことになる。行き先も告げない。理由も教えない。
それでも快く協力してくれる老人に感謝だ。
「……死ぬなよ、奏多くん」
老人の言葉に、奏多はにっこりと笑う。
「大丈夫ですよ。案外、運は良いほうですから」
真澄は老人に一礼し、ひらりと馬に跨った。そして馬腹を蹴り、集落を飛び出した。が、しょっぱなから大きく躰を跳ね上げた馬を、真澄が慌てて抑え込む。
「おっと」
「きゃっ……」
「大丈夫か、巴愛。すまん、慣れるまで少し時間をくれ」
真澄が巴愛を衝撃から守る。
「むう……良い馬なんだが、如何せん気性が荒いな」
瑛士も手綱を操るのに四苦八苦しているようだ。卓越した馬の乗り手である瑛士ですらそうなのだから、『乗馬』以上のことができない知尋や奈織はそれどころではない。
「玖暁は落ち着きがあって気品溢れる馬が多いですからね。でも言ったでしょう、青嵐の馬は体力馬鹿なんですって」
「……優美だろうが体力馬鹿だろうが、乗せてくれれば他は何でも構わないが」
体力馬鹿、という単語に瑛士が反応する寸前に、黎がそう言って遮った。
「議論するくらいなら、この暴れ馬の制御の仕方を少しは伝授してやったらどうだ。兄皇陛下おひとりでは大変そうだ」
真澄は主に知尋や奈織に手綱捌きを教えている。馬に慣れているはずの昴流や奏多も自分ひとりのことで精一杯なのである。おまけに宙など、蛍も一緒なので尚更である。
「……こりゃ、しばらくの間は敵が来ても全力で逃げるしかなさそうだな」
瑛士がそう溜息をついた。
日が暮れるころには一同なんとか馬の制御をすることができるようになった。なんとも疲れる一日だった。
瑛士が身を隠せそうな茂みを見つけ、そこを今晩の野営地とする。瑛士が馬から降りて、皆の馬を木に繋いでいく。
「玖暁までは直線距離で五日ほどになるでしょう。ところで真澄さま、天狼砦はどこをどう突破して――」
馬から真澄が降りたところで瑛士が声をかける。その途端、真澄の身体ががくんと折れた。瑛士が仰天して駆け寄り、崩れ落ちた真澄の身体を抱き起こす。
「真澄さま!」
慌てて仲間たちも駆け寄ってきた。奈織が真澄の様子を一目見て顔を上げる。
「眠っているだけだよ」
「研究施設では神経張りつめていたし、疲れが溜まっていておかしくないよな」
宙の言葉に知尋は頷いたが、視線は真澄の右腕の紋章に落とされた。
「……決して疲労だけが原因では、ないでしょうけどね」
巴愛がすぐ平らな地面に毛布を敷き、瑛士がそこに真澄を横たえた。確かにその様子は、よく眠っているとしか言いようがない。
真澄を休ませ、他の者たちは夕食を摂った。真澄の分も用意してあったが、結局真澄は目を覚ますことがなかった。
夕食を終えると、片付けを済ませた巴愛が昴流のところへ歩み寄った。
「昴流、お願いがあるんだけど……」
「はい、なんでしょうか?」
「乗馬、教えて」
昴流が瞬きする。
今日入手した馬はどれも気性が荒く、初心者が乗りこなすには難しい馬ばかりだ。だがそれでも、それが巴愛の切なる願いなので、昴流は無下にしなかった。
「分かりました」
昴流が自分の馬を引いてきて、巴愛を鞍に乗せる。乗ることだけは自分でできるようになった巴愛に、鐙にかける足、姿勢、手綱の持ち方、足の使いかたを丁寧に教えていく。感心したことに、この暴れ馬は巴愛を乗せているいま暴れ出す気配がない。
「鐙に足は深く突っ込まないで、そう、踵を下げるんです。姿勢は正して……そっくり返るくらいでいいんですよ。はい、じゃあ僕が抑えていますから、蹴ってみてください」
昴流に言われ、巴愛は慎重に馬腹を蹴った。するとゆっくり馬が前進した。歩くよう指示したのは巴愛なのだが、それに驚いてしまって一気に姿勢が崩れる。昴流が手綱を引いてそれを止めた。
「ひゃあ、怖い……」
「馬に乗るというのは一朝一夕で身につけるものではありませんから、焦らずゆっくりやりましょう。でも巴愛さん、飲みこみ速いですよ。本当に運動神経が良いんですね」
「そうかな?」
巴愛はほっと息をつき、馬から降りた。
「昴流は幾つくらいから馬に乗ってたの?」
「立って走り出すころには、馬の上にいたと思いますよ」
「そんな早く!?」
昴流が微笑む。
「玖暁の人間の生活にとって、馬は切っても切れない存在なんです。騎士の国だからそうなのか、そういう気質だから騎士の国と呼ばれるのかは分かりませんけどね。乗馬は学校での必修科目でした」
「そっか……じゃあ、尚のこと頑張って覚えなきゃ。有難う昴流、また時間が空いたら教えて」
「はい、いつでも」
こうして巴愛と昴流の乗馬講座が始まったのである。
そのうち夜が更け、皆がうとうとと浅い眠りに入り始めた。瑛士は今日の見張りなので、小さくしてある焚火の火が消えないように、木切れを放り込んでいく。
その時、真澄がびくりと身体を震えさせた。瑛士が身を乗り出す。
「どうしましたか、真澄さま」
真澄ははっとして目を開いた。瑛士の顔を見つめ、それからゆっくり身体を起こす。
「……っ。瑛士か……私は、いつの間に眠ってしまったんだ?」
「ここに着いてすぐです。それより、具合が悪いのですか?」
「ああ、いや……大丈夫だ、問題はない。ただ少し……昔の夢を、見ていたみたいだ」
「夢?」
真澄は頷いた。ぼんやりと焚火を見つめている真澄の蒼い瞳の中で、炎が踊っている。
「そんなに長く離れていたわけではないというのに……なんだか、懐かしいものだな。これから玖暁へ向かうのだと思うと、気が高ぶっている」
瑛士は、真澄用にと作ってあったスープを火にかけ直し、それを真澄に渡した。真澄は礼を言い、しばらく無言で身体を温めていた。そのうち、ぽつりと口を開く。
「昔……玖暁は度重なる戦争と、政府が管理を怠ったため蔓延した疫病で疲弊しきっていた。同じ国の民同士が争い、略奪し、殺し合う。それが日常茶飯事だった……私と知尋が皇になったのは、丁度そんなころだったな」
「……そうですね」
「父が憎かった。民に苦しみを強いるあの男が大嫌いだった。だから私と知尋が玖暁を甦らせてみせる……矢須が語って聞かせてくれた、かつての美しい玖暁を取り戻すのだと、そう誓った。それから十年……瑛士、どう思う。玖暁は、以前より少しは良くなったか?」
問いかけると瑛士は、心外だとばかりに身を乗り出した。
「何を仰いますか! 即位されて十年、真澄さまと知尋さまがどれだけ民のために心を砕き、親身に接してきたか! お二人の心は、きちんと民たちに伝わっています。それは、この十年最もお傍に仕えさせて頂いた俺が、知っていますよ」
今までの平穏は、真澄と知尋が十年をかけて作り上げた努力の結晶だった。勿論即位したばかりの頃は、それまでの政治体制から皇家に不審不満を抱く者が多く、そうでなくともたった十三歳の少年でしかなかった真澄と知尋に期待する者など皆無に等しかった。真澄も知尋もそれは百も承知で、かなりの覚悟を持っていた。地方の街を回って、その街の治安を正していく中で、石を投げつけられたことも少なくない。剣を向けられることもあった。それでも真澄は護衛の騎士に剣を抜くことは許さず、争うことを禁じた。すべての民の言葉に耳を傾け、不満でも不平でも受け入れる。受け入れたうえで国を立て直す。それが、真澄と知尋に課せられた責任であり使命だった。
今はもう、真澄も知尋も皇として歓迎され、認められている。若く優秀な皇の許で、玖暁の民は概ね平和に暮らしていた。その平和は、一朝一夕に作り出されたものではないのだ。
「俺も、先皇陛下以前の玖暁はこの目で見ていません。それでも俺は、真澄さまと知尋さまが作り出した玖暁の姿が、最も輝いていると思っています」
瑛士の熱弁に、真澄は微笑んだ。スープの器を地面に置き、再び視線を焚火に戻す。
「逆境の中で活力を取り戻した玖暁の国の民は、世界に誇れる強さを持っていると私は信じている。今青嵐に支配されていても、必ずまた再起するだろう」
「はい」
「――それが例え、私の存在なくしても、だ」
瑛士が目を見開く。兄皇の真澄という旗印なくして玖暁が復興する。――そんな未来は、瑛士には想像できなかった。
「残念だが私の呪いは刻一刻と命を削っている。もしかしたら、私は玖暁を取り戻す前に死ぬかもしれない」
「いいえっ! そんなこと、俺が決して――っ」
「運命だの宿命だの、そんなものを私は信じない。もし存在していたとしても、私はそれに抗う。――だが、強い心ひとつで死が避けられるとまでは思っていない。これはもう、病は気から、などという次元の話ではないんだ。避けたくとも、どうしようもないことがあるということは私も分かっている」
お前も分かっているだろう、と真澄に問われても、瑛士は答えられなかった。
「生きることを諦めない……それは前も言った通りだ。私は最後の瞬間まで、全力で生きる」
「真澄さま……」
「……私にもしものことがあった時には、知尋を守ってくれ。何に代えても、あいつのことを信じてやってくれ……」
黎とも話した通り、知尋は何かしでかすかもしれないと感じている。そうだとしたら、知尋に必要なのは自分を信じてくれる人間の存在だ。仲間の誰もが知尋に愛想を尽かしても、一人で良いから知尋を信じてやってほしい。それが真澄の願いだ。
真澄はおもむろに、先ほど地面に置いた器を手に取った。その途端、器はするりと真澄の手から落ち、乾いた音を立てて地面に転がってしまった。瑛士が驚いて真澄の手先を見る。そして目を見開いた。
「ああ、またやってしまったな……」
「ま……真澄さま……」
真澄の指は小刻みに震えていた。寒さや恐怖ではない。指先に力が入っていないのだ。
「……見ての通り、私にはもう戦う力が残っていない。衰えを防ぐよう、毎日刀を握ってきたが……手が痺れてしまってな。もう稽古すらできなくなったようだ」
「ずっと……痺れを隠して来たんですか」
「ああ。研究施設の中でまともに戦えたのが唯一の救いだな」
そう言って、真澄はひっくり返った器をゆっくり表に戻す。
「お前は長いこと私たちの傍にいてくれた。だから瑛士に頼みたいんだ。これから先何があっても……知尋を、守ってほしい」
真澄を救う手立てを信じ続ける瑛士には、酷な話だっただろう。だがそれでも瑛士に頼むしかない。
勿論、死を回避するために真澄はできることをする。それでも限界が訪れたときは、後悔などしない。だから瑛士も後悔してほしくない。真澄の死に、主君を守れなかったと自分を責めないでほしい。
瑛士はしばらく目を瞑って黙っていた。それから、絞り出すように声を出した。
「……はい」
それは苦渋の承知だった。真澄は微笑んだ。
「有難う。色々吹っ掛けて、ごめんな……」
感謝の気持ちも謝罪の気持ちも、瑛士にはどれだけ言葉にしても足りない。だがそれでも、真澄は精一杯そう呟いた。




