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(うーん……)
浮かばない顔色で、ミーナは一つ息を吐く。
緑夏の月、6日。
オルトが行う基礎魔法学?の真っ最中、ミーナは一人悩んでいた。
手には教科書、ではなく、図書室で借りてきた内の一冊。
教科書を隠れ蓑にして彼女が読むそれは、百年ほど前に書かれた「実録・貴方も3日で魔道具!」という、他の本に比べて物凄くゆるいタイトルのものだった。
しかし、タイトルに反してかなり真面目な内容で、魔道具に適した素材選びから、紋章の組み合わせ方、魔法の込め方まで、製作の手順が丁寧にわかりやすく纏められている。
そして、ミーナが何より驚いたのは、その作者名だ。
「ジャポニカ・ノート」という、あまりにもふざけた名前に気付いた時には、さすがにミーナも椅子から転げ落ちそうになった。「学習帳……いや確かにそうだけど」なんてぶつぶつ呟く彼女に、アリアが不思議がったのは昨晩の話である。
(“黒の天使”って、レグルスの作った設定みたいなものだと思ってたけど……そうじゃないのかも)
レグルスがこの世界を作ったと聞いた時、ミーナは黒の天使について、「そういう設定」なのだと思った。ゲームのように、主人公に語るためだけに作られた、ただの舞台装置なのだと。この世界は、ミーナのために作られたと、彼は言っていたから。
それに対して、思うところがないわけではないが、あまりミーナは考えないようにしていた。一度考えてしまえば、深みに嵌ることを彼女は本能的に理解していたからだ。
しかし、この本を見つけて、ミーナの考えは変わった。
「ジャポニカ・ノート」だなんて、あのレグルスがこんなお茶目なものを残すとは思えない。つまりは、黒の天使も、そしてこの「ジャポニカ・ノート」さん(仮名)も、実際にこの世界に迷い込んだ、もしくはミーナと同じように転生して来た日本人なのではないだろうか。何でそんなふざけた名前を使ったのかとかは、ともかくとして。
だから、最初はミーナのために作られた世界だとしても、そこにあるのは舞台装置などではなく、きっとそれぞれに営みがあったのだと。
五百年ほど前に“黒の天使”が実際に魔法を伝え、そして百年ほど前に「ジャポニカ・ノート」さん(仮名)がこの本を実際に書き残したのだと。
ミーナは、そう思うことにした。
実際にレグルスに聞けば早いのだろうが、そこまでの勇気は、まだ彼女には持てなかった。だけどいつか、聞いてみようとは思ってはいる。
閑話休題。
さて、前述した通り、ミーナは悩んでいた。
昨日、誕生日会のための研究室の貸借について快諾を貰ったミーナは、早速魔道具の具体的な作り方について調べていた。
しかし、いざ何の魔法を込めるかと考えたときに、固まってしまったのだった。
(……ミサンガってさ、よくよく考えると切れることが前提のものだよね)
ミサンガは、手首や足首に巻き、自然に切れたときに願いごとが叶うと言われている、いわば願掛けのためのものだ。
いずれ使えなくなる物に、先日考えたような性別を隠すための魔法を込めるのは、あまり賢い選択とは言えないだろう。
(じゃあ何にしようかなあ……『防御』『回復』『強力』……うーん、結局使えなくなることを考えると、どれもこれもパッとしないなあ……)
魔法を込める媒体としてミサンガを選んだのは間違いだっただろうか。そう思いかけたとき、ミーナはハッと思いつく。
(あ! ミサンガらしく『成就』とかどうだろう? ミサンガが切れたときに発動するようにして……うん、ちょっと面白いかも!)
つけている時に発動ではなく、使えなくなったときに魔法が発動する魔道具。発想の転換と言えるほどのものではないが、中々いい案だとミーナは自賛する。
(よし、それじゃあその方向でやってみよう)
二日前にして、ようやく作るものを定めたミーナは、更に本にのめり込んでいく。
授業など、もはや蚊帳の外であった。
***
緑夏の月、8日。
そしてやってきた、シオンの誕生日、当日。
本日最後の授業が終わったあと、隣同士に座っていたミーナとアリアはお互いに顔を合わせ、頷き合う。アリアの後ろに座っていたレグルスも、微妙に緊張した面持ちで、口を一文字に引き結んでいた。
「……? 三人とも、帰らないの?」
どこか不審な動きを見せる三人に、ミーナの後ろに座っていたシオンは不思議そうな顔で首を傾げ、そうやって問いかける。
するとアリアはその言葉に反応するように勢い良く立ち上がり、そしてシオンの手を取った。唐突に両手を取られ、シオンは驚きに目を丸くする。
「シオンちゃん!」
「どうしたのよ、アリア? そんなに硬い顔しちゃって」
「あっ、え、えっと……シオンちゃん、誕生日おめでとう!」
「えっ!? ちょ、アリアちゃんここで言うの!?」
「……あ、間違った」
しまった、という顔で口元を押さえるアリア。
本来の予定であれば、理由を付けて研究室に誘導してから、先生と一緒に祝福の言葉を言うつもりだったのだが。思いっきり誤爆したアリアに、ミーナとレグルスから冷たい視線が降り注ぐ。シオンは一人、ぽかーんとしていた。
「わーっ、わーっ、間違ったー! 違うんだってー! 誤解だよシオンちゃんー! いや誤解じゃないんだけどー! ああ、だからー、あー、うわーん、ごめーんっ、二人ともーっ!」
涙目でパニックに陥りながら、アリアは謝罪を続ける。もはや言っていることが支離滅裂で、ミーナは苦笑いを浮かべることしか出来ない。レグルスも、どこか呆れた様子で小さく息を吐いていた。
「ごめんねー! うううー、私のばかー!」
「……うん、まあそういうことなんだ。ってことで、シオン、誕生日おめでとう!」
ミーナは未だ謝罪を続ける彼女の声をBGMとして、シオンに告げる。
主役本人は、ようやく事態を飲み込めたのか、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ、ありがとう三人とも!」
「よ、喜んで貰えたなら、良かったよー! あははは!」
アリアが誤魔化すように、全く楽しげでない笑い声を上げる。
調子の良い彼女に、ミーナはつられたように薄く笑いながら、肩を竦めるのだった。
「研究室行かないか? 視線、すごいぞ……」
ミーナたちに聞こえるくらいのレグルスの呟きで、ようやく周囲からの視線が集まっていることに三人は気付く。どう頑張っても擁護できないくらいには、騒ぎすぎである。
「い、行こっか」
「そうだね」
四人は集中する視線から逃げるように、こそこそと教室を後にするのだった。
***
アリアが初っ端から暴露したせいで、サプライズだったはずの誕生日会は、とても和やかに、しかしメリハリなく始まっていた。
本来であれば、全員で祝福した後、誕生日プレゼントを渡すという流れだったはずだった。しかし出鼻が挫かれてしまい、あらかじめ用意していたお菓子を、なんとなく食べるだけの会合になってしまっている。
「それにしても、アリアちゃんってば……ビックリしちゃったよ、もうっ」
からかうような口調で、ミーナが言う。アリアは気まずさと照れが半々のような表情で頭を掻いた。
「ごめんごめん……緊張してたら、ついぽろっと」
「でも、アリアの気持ちは良く伝わったわ」
「で、でしょ!?」
当人の擁護に、アリアがぱっと顔を明るくする。だがシオンが肩を揺らしてくすくすと笑うのを見て、アリアは少し不貞腐れたように口をすぼめた。
「あ、これ、とっても美味しいわ!」
あれこれとテーブル上のものを抓んでいたシオンが、一口サイズのバームクーヘンのようなお菓子を口にして言う。
その言葉に嬉しそうに眉尻を落としたのは、この部屋の主である「お爺ちゃん先生」だった。
「若い人の口に合うものは何かと娘に聞いたら、お勧めされたのじゃが、気に召したのなら結構結構、ふぉっふぉ!」
「あっ、ありがとうございますっ……!」
まさか彼が用意したものだとは思わなかったのか、シオンが動揺しながら礼を言う。
「いやいや、喜んで貰えたのなら良かったの。……誕生日おめでとう、シオンさん。シオンさんが来てから、この研究室はとても華やかになったわい」
「あ……ありがとうございます」
更に畳み掛けられる先生の言葉に、シオンが照れくさそうにはにかむ。仮所属の研究室とはいえ、シオンも一応、十日に一度ほどは顔を出しているため、二人の仲は良好だった。
まるでお爺ちゃんと孫のように見える二人の会話に、ミーナはとても和やかなものを感じる。シオンは貴族の血筋で、しかも実家とは殆ど交流がないと言う。だったら、尚更こんなやり取りはしたことがないに違いない。それを思うと、ますます微笑ましく感じるのだった。
「よーし、じゃあこの雰囲気に乗って、シオンちゃんをもっと喜ばそう! ってことでこれっ、贈り物だよっ!」
「あら、ありがとう! 何かしら? アリア、開けていい?」
「うんっ、是非開けて!」
アリアが研究室に隠していたプレゼントを引っ張り出す。手渡したのは、両掌に乗るくらいの小さなカゴだった。木の皮で編まれたカゴの中には、ピンク色の包みが入っている。
シオンが包みを開けると、中には小さな黒猫のマスコットが入っていた。黒の天使の愛猫をモチーフとして作られたというマスコットの首元には、青色のリボンが結ばれており、とても可愛らしい出来栄えだ。
「ど、どうかな?」
「とっても可愛いわ! ありがとう、アリア!」
満面の笑みでお礼を言った後、猫の頭から伸びた紐の部分を、ひょいっと持ち上げる。青くて丸い石の目と視線を合わせて、笑顔でよろしくね、と呟くのだった。
「俺からは、これだ」
レグルスが手渡したのは、ラッピングという概念がなかったのか、茶けたわら半紙のような紙で包まれた、あまり見栄えの良くないものだった。
しかしそれを、シオンは嬉しそうに微笑みながら受け取る。
中に入っていたのは、非常にシンプルな皮手袋だった。お洒落のためというわけでも無さそうだし、と首を傾げかけたシオンに、レグルスが言う。
「剣は、手が荒れる」
その短く、簡素な言葉に、シオンは思わず笑ってしまった。
「そうね、ありがとうレグルス!」
「……喜んでもらえたなら、いい」
シオンの謝礼に、レグルスはどことなく落ち着かない様子で応える。
それを見ていたミーナも、その初々しい様子に、何となく全身がくすぐったくなった。思わず、背中や腕をかりかりと掻いてしまう。赤くなったので、すぐにやめたが。
「最後は、私からだね。手作りだから二人のに比べると見劣りしちゃうけど……これは、ミサンガって言ってね、手首や足首につけて、自然に切れた時に願い事が叶うって言われているものなの」
そう言ってミーナが見せたミサンガは、濃さの違う四色の緑が綺麗に編み込まれたものだった。それはシオンの瞳の色に合わせて作られ、そして『成就』の魔法が込められた、完全オーダーメイドである。
「ミサンガ……初めて聞いたわ」
「んー、古い風習だから、しょうがないのかも。ねえシオン、手首に付けていいかな?」
「ええ、お願い!」
シオンが彼女に向かって手を伸ばし、ミーナはその手をそっと取る。そして、手首周りにミサンガを固結びで取り付けた。ミーナはよしと小さく頷いて、相手を上目で伺い見る。
「どうかな?」
「ありがとう、ミーナ! とっても素敵!」
「ううん、少しでも喜んでもらえたなら良かった!」
微笑んで、お互いに顔を見合わせる二人。途端、桃色の幸せオーラがぶわわっと舞い上がる。
その二人が織り成した空間は、何人たりとも寄せ付けない、ある意味で一種の結界のようだと、アリアとレグルスは思った。お爺ちゃん先生に関しては、いつものように「ふぉっふぉ」と笑い声と共に見守っているだけだったが。
その後、誕生日プレゼントのやり取りを終えた四人は、机に並ぶお菓子を全て平らげた。
そのせいで夕食が殆ど入らなくなったのは、幸せな苦悩というものだろう。