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才色兼備の多彩で最強のカッコイイ保科さんは、どうにも僕にだけは可愛い一面を見せてくれるらしい。  作者: 沢田美


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12/12

今のは禁止

 土曜日の朝、学校は平日とはまるで別の場所みたいに静かだった。


 いつもの通学路を歩いていても、制服姿の生徒はまばらで、校門をくぐったあとも、聞こえてくるのは遠くの運動部の声くらいしかない。そんな中で、十時半という約束の時間が近づくにつれて、僕の胸の内側だけがやけに落ち着かなかった。


 休日の学校で、翼と会う。


 それだけで、いつもより少しだけ特別なことをしている気がする。


 図書室の前まで来ると、準備室の扉が少しだけ開いていた。中では紙を捲る音と、誰かの小さな話し声がしている。覗くつもりはなかったのに、ふと視線を向けたその先で、僕は足を止めた。


 翼がいた。


 白いシャツの袖をきっちりと肘まで折り、机の上に広げられた掲示物のレイアウトを整えている。長い銀髪は後ろでひとつにまとめられていて、普段より少しだけ輪郭がはっきり見えた。その横顔は相変わらず整っていたけれど、今は教室で見る時よりも、どこか仕事の空気を纏っている。


「ここ、見出しはもう少し上で揃えたほうが見やすいですか?」


 緊張した声でそう尋ねたのは、一年の女子らしい。図書委員の後輩だろう。


 翼はその紙に目を落とし、数秒だけ考えてから静かに答える。


「うん、そのほうがいいと思う。あと、ここの余白を少しだけ広くすると窮屈に見えないから、貼る位置も一センチくらいずらしてみて」


「わ、わかりました」


 指示の出し方がすごく自然だった。上から押さえつけるわけでもなく、曖昧に丸投げするわけでもなく、相手がすぐ動ける言葉でちゃんと導いている。


 隣ではもう一人、一年の男子が脚立に乗って掲示板へ紙を貼ろうとしていたが、位置が少し曲がっている。翼はすぐにそれに気づいた。


「ごめん、少しだけ右。……そう。そこ」


「はいっ」


 男子が慌てて貼り直す。翼はそれを確認して、小さく頷いた。


「綺麗。ありがとう」


 たったそれだけで、相手の顔がぱっと明るくなる。


 すごいな、と思った。


 教室や廊下で見かける翼は、近寄りがたくて、凛としていて、どこか完成されすぎているように見えることが多い。けれど今の翼は、誰かをきちんと引っ張ることができる人の顔をしていた。


 強くて、冷静で、でもちゃんと周りを見ている。


 その姿が、どうしようもなく目を引いた。


 その時、不意に翼がこちらを見た。


 一瞬だけ目が合う。


 次の瞬間、彼女の表情にほんのわずかな驚きが走った。たぶん、僕がもう来ていたことに今気づいたのだろう。けれど、その動揺もほんの一拍で消して、翼は一年生たちに向き直る。


「ここまでで大丈夫。あとは私が貼るから、二人とも先に戻っていいわ」


「えっ、でも」


「もう終わりかけだし、今日は手伝ってくれて助かったから」


「……はい。ありがとうございました!」


 二人はぺこりと頭を下げ、準備室を出ていった。すれ違いざま、僕は軽く会釈を返す。扉が閉まって、ようやく室内が静かになった。


 翼は手元の紙を揃えながら言う。


「……いつから見てたの」


「少し前から」


「声をかければよかったのに」


「邪魔したくなかったから」


 そう答えると、翼は一瞬だけ言葉を止めた。それから、小さく息を吐く。


「別に、邪魔にはならないわ」


 その言い方が、思っていたより柔らかかった。


 僕が準備室の中へ入ると、机の上には色ごとに仕分けられた画用紙や、図書委員のおすすめ本紹介、来月の貸出ランキングなどが綺麗に並べられていた。几帳面すぎるくらい整っていて、見ているだけで翼らしさが伝わる。


「まだ少しかかる?」


「十分くらい」


 翼はそう言ってから、机の端に置いてあったペンを取る。


「待たせるのも悪いから、蓮が嫌じゃなければ少し手伝って」


「いいの?」


「いいわよ。ここ、マスキングテープ押さえてて」


 言われた通りに紙の端を押さえる。翼の指先がすぐ横を通るたび、どうにも落ち着かない。けれど当の本人は、作業に集中しているせいか、すごく自然だった。


「こういうの、慣れてるんだ」


「毎月あるもの」


「さっきの一年生とも、ちゃんと先輩してたね」


 僕がそう言うと、翼の手が一瞬だけ止まった。


「……何それ」


「そのままの意味。格好よかった」


 翼は貼りかけの紙を見たまま、ほんの少しだけ視線を逸らす。


「蓮、最近そればっかり」


「本当なんだから仕方ない」


「そういうところ」


「うん」


「……本当に困る」


 困ると言いながら、耳が少し赤い。作業中なのをいいことに誤魔化しているつもりらしいけれど、全然誤魔化せていなかった。


 十分と言った通り、作業はほどなく終わった。


 掲示板に貼られた紙はどれも綺麗に整っていて、遠目に見ても読みやすい。翼は最後に少しだけ全体の位置を確認してから、小さく頷いた。


「よし」


 その言い方に、仕事をきちんと終えた人の満足が滲んでいた。


「お疲れさま」


「ありがとう。待っててくれて」


 翼はそう言って机の上を片づけ始める。そこまでは普段の彼女らしかった。問題は、その次だった。


「あと、これ」


 準備室の隅に置いてあった小さなトートバッグから、翼が包みを一つ取り出す。


「え?」


「お昼前になるかもしれないと思って、一応」


 渡されたのは、ラップに包まれた小さなサンドイッチだった。卵とハムが挟まった、ごくシンプルなやつ。それでも見た瞬間にわかる。これ、たぶん買ったものじゃない。


「もしかして」


「……朝、作ったの」


 さらっと言うには破壊力が強すぎた。


 僕が固まっていると、翼は少しだけ眉を寄せる。


「何」


「いや……手作り?」


「そうだけど」


「それを僕に?」


「蓮、来るって言ったから」


 何でもないことみたいに言うから余計に困る。


「いらなかった?」


「いる。ものすごくいる」


 思わずそう返すと、翼は一拍遅れて視線を落とした。


「……ならよかった」


 声が少しだけ小さい。


 たぶん本当は、渡すまでにかなり迷ったんだろうなと思う。そういうのが顔に出にくいくせに、出る時は本当にわかりやすい。


 準備室を出て、二人で中庭へ向かう。


 休日の校舎は静かで、廊下を歩く足音まで少し響いた。平日の昼とは違って、人の気配が少ない。だからこそ、翼と並んで歩いていることがよりはっきり意識される。


 中庭へ出ると、三毛猫はいた。


 花壇の縁ではなく、今日はベンチの下にいた。日向と日陰の境目みたいな場所で丸くなっていて、僕らを見ると面倒そうに片目だけ開ける。


「今日はここなんだ」


 僕が言うと、翼はすぐにしゃがみ込んだ。


「休日だから静かな場所のほうがいいのかも」


 そう言って手を伸ばすと、三毛猫は嫌がるどころか、自分から翼の指先へ頬を寄せた。


 もう完全に懐いていた。


 翼の表情がゆるむ。その変化は昨日までよりずっと自然で、もう隠すつもりもないみたいだった。


「……この子、本当に気まぐれね」


「でも翼のことは好きそう」


「そうだといいけど」


「今のはだいぶ好きな反応だと思う」


「……そう?」


 報告を受けるみたいに訊いてくるのが少し可笑しい。


 翼は猫の背中を撫でながら、小さく息を吐く。


「蓮」


「うん」


「座って」


「ここ?」


「ええ。ずっと立ってるの、変でしょう」


 言われて、ベンチへ腰を下ろす。翼も少しだけ距離を空けて隣へ座った。膝の近くまで寄ってきた三毛猫が、そのまま僕らの足元を行ったり来たりしている。


 しばらくはそのまま、静かな時間が流れた。


 やがて翼が、さっき渡したサンドイッチの包みへ視線を向ける。


「……食べないの?」


「もったいなくて」


「食べ物をそういう理由で取っておくの、変」


「だって翼の手作りだし」


 その途端、翼はあからさまに視線を逸らした。


「……じゃあ、余計にちゃんと食べて」


「はい」


 僕は素直に包みを開く。


 卵の焼き加減も、パンの切り方も、妙にきれいだった。ひと口食べると、想像以上にちゃんとしていて驚く。


「美味しい」


 言うと、翼はすぐにはこっちを見なかった。


「そう」


「いや、本当に。すごい美味しい」


「……ならよかった」


 また同じ返事だったけれど、今度のほうが少しだけ嬉しそうだった。


 僕が二口目を食べた時、翼がぽつりと言う。


「朝、少しだけ失敗したの」


「え」


「卵。最初、火が強すぎて」


 その告白が妙に新鮮だった。翼がそんなふうに、自分の小さな失敗を誰かに話すこと自体、あまり想像できなかったからだ。


「でもちゃんとリカバーしたじゃん」


「やり直したから」


「真面目だなあ」


「中途半端は嫌なの」


 きっぱり言ったあとで、翼は自分でも何か気づいたみたいに少しだけ黙る。


「……蓮に渡すなら、なおさら」


 その一言で、今度は僕が黙る番だった。


 春のやわらかい風が吹いて、花壇の葉を揺らす。三毛猫は僕らの足元で丸くなり、そのままうとうとし始めていた。


 翼はしばらく前を向いたまま、やがて小さく続ける。


「陽菜たちにはたぶん、こういうことしない」


「サンドイッチ?」


「うん」


「どうして」


 翼はすぐには答えなかった。


 少しだけ間を置いてから、猫の背中を撫でるみたいな仕草で、視線を落としたまま言う。


「蓮には、ちゃんとして渡したかったから」


 たぶん彼女の中では、かなり勇気を出した言葉だったんだと思う。


 声は小さいし、目も合わないし、最後のほうなんて聞こえるかどうかぎりぎりだった。でも、それで十分すぎるくらい伝わるものがあった。


「……嬉しい」


 僕がやっとそれだけ言うと、翼は少しだけ肩の力を抜いた。


「なら、作った甲斐があった」


 その言い方はまだ落ち着いていた。でも、頬に差す色だけは隠せていない。


 僕が最後のひと切れまで食べ終えるのを、翼は隣で静かに待っていた。途中、三毛猫がベンチへ前足をかけると、翼はすぐにそちらへ気を取られる。猫を撫でる時だけ、彼女の目元は驚くほどやわらかい。


 けれどその直後、不意に僕のほうを見た。


「……どうして笑うの」


「笑ってた?」


「少し」


「いや、嬉しそうだなって思って」


「嬉しいもの」


「それ、もう隠さないんだ」


「蓮の前で隠しても、たぶん意味ないから」


 その言い方は、どこか諦めに似ていた。


 でも嫌そうではなかった。むしろ、その諦めごと受け入れているみたいだった。


 その時、校舎のほうから誰かの足音が聞こえた。


 僕らがそちらを見る前に、明るい声が飛んでくる。


「うわ、本当にいた」


 加瀬陽菜だった。


 その少し後ろに、篠宮千歳もいる。二人とも私服ではなく制服姿だ。どうやら補習か部活の手伝いか、何かで学校へ来ていたらしい。


 加瀬は僕と翼、それからベンチの下で丸くなる三毛猫を見て、なんとも言えない顔をした。


「……なんかもう、思った以上に自然なんだけど」


 翼は一瞬だけ固まったあと、すぐにいつもの顔へ戻ろうとした。けれど、膝の上に置いた手が少しだけ落ち着かないせいで、完全には戻りきれていない。


「陽菜」


「はいはい、騒がない騒がない」


 加瀬は笑いながら両手を上げる。


「でも翼、土曜に学校来て、掲示物終わったあとに男子と中庭で猫見ながら座ってるの、かなりレアだよ?」


「……知ってる」


 翼の返事が思っていたより素直だったせいで、加瀬のほうが一瞬詰まる。


 篠宮はベンチの近くまで来ると、僕の手元のラップの包みを見た。


「それ、翼が作った?」


 鋭すぎる。


 僕が返事に困るより早く、翼が小さく息を呑んだ。加瀬の目が一気に丸くなる。


「え、まって、ほんとに!?」


「千歳、どうしてわかるの」


「ラップの畳み方が翼っぽい」


 そんなところで見抜かれるのか。


 翼はもう何も言い返せなかった。頬をわずかに染めたまま、三毛猫の背中を撫でる手だけが少し速くなる。


 加瀬は僕を見て、それから翼を見て、最後にまた僕を見た。


「……へえ」


 その一言に、妙な含みがありすぎて困る。


 けれど、篠宮はそれ以上踏み込まなかった。むしろ、静かに笑って言う。


「邪魔してごめん。私たち、もう行くから」


「え、いいの? 私まだちょっと見たいんだけど」


「陽菜」


「はいはい」


 加瀬は不満そうにしながらも、今日は素直だった。去り際、僕のほうを見てにやっとする。


「篠原くん、土曜の朝から頑張ってるね」


「……どう返せばいいの、それ」


「そのままでいいよ」


 そして二人は本当にそのまま去っていった。


 残された中庭には、また静かな空気が戻る。


 翼はしばらく無言だったが、やがてぽつりと漏らす。


「……見られた」


「うん」


「かなり、見られた」


「うん」


「蓮」


「何」


「なんでちょっと楽しそうなの」


「少しだけ可愛かったから」


 翼がゆっくりこちらを向く。


「……今の、禁止」


「また?」


「また」


 でも、その声にはもう前ほどの切れ味がなかった。たぶん怒っているというより、照れて困っているだけなのだろう。


 三毛猫がベンチへ飛び乗り、そのまま翼の太腿のあたりへ頭を押しつける。翼は反射的に両手で受け止め、また表情をゆるめた。


「……もう」


 誰に向けた言葉なのかわからない。


 猫か。僕か。あるいは自分自身か。


 でも、その曖昧さごと、今の時間には似合っている気がした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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