表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
才色兼備の多彩で最強のカッコイイ保科さんは、どうにも僕にだけは可愛い一面を見せてくれるらしい。  作者: 沢田美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/12

保科翼

「なぁ、保科! 俺と付き合ってくれよ」


 昼休みの喧騒がまだ廊下に残っている時間だった。

 そんな空気を乱暴に裂くような大声が、二年校舎の端まで響いた。


 声の主は、この学校で知らない者はいない不良――工藤だった。制服は着崩され、ネクタイは緩みきり、立っているだけで周囲の空気を濁らせるような威圧感がある。廊下を歩いていた生徒たちは何事かと足を止め、教室の中にいた生徒たちまで窓際や扉の近くへ視線を向けていた。


 その視線の中心に立っていたのは、銀髪の少女だった。


「な! いいだろ! お前は俺の横にいるのが一番性に合ってると思うぜ~。いいこともたくさんしてやるからよ」


 軽薄で下卑た響きを含んだ誘い文句。けれど、それを真正面から受けてもなお、彼女の表情は少しも揺れない。


 保科翼(ほしな・つばさ)

 校内でその名を知らぬ者はいない。


 艶のある銀髪に、目を奪うほど整った顔立ち。すらりと伸びた手足と、運動部のエースたちすら一目置くほどの運動神経。加えて、定期考査では常に上位、教師陣からの信頼も厚い。まさしく才色兼備という言葉を、そのまま人の形にしたような存在だった。


 だが、彼女が周囲から特別視される理由は、それだけではない。


 綺麗だから。頭がいいから。運動ができるから。

 そんな要素は、いわば表面にすぎない。


 保科翼という人間を本当に際立たせているのは、そこに一切の隙がないことだった。誰に媚びず、群れず、怯まず、自分の意思だけでまっすぐ立っている。その姿は同学年の女子というより、完成された何かのようで、だからこそ皆、半ば憧れ、半ば畏れながら彼女を見ていた。


 そんな保科は、目の前の工藤を静かに見据えたまま、淡々と口を開いた。


「ごめんなさい。私、これから職員室に用があるの。貴方に付き合えるほど暇じゃないわ」


 それだけでも十分に拒絶の意志は伝わる。

 だが、保科の言葉はそこで終わらなかった。


「そんなに時間が余っているのなら、自分の進路や生活態度について先生と相談したほうがいいと思う。そちらのほうが、よほど有意義でしょう?」


 言葉そのものは丁寧なのに、込められた温度は驚くほど低い。

 まるで薄く研がれた刃物を喉元へ静かに突きつけられたような、容赦のない一言だった。


 一瞬、周囲の空気が凍る。


 工藤のこめかみがぴくりと引きつり、口元が露骨に歪んだ。笑って流せるはずもない。周囲の視線が集まっているからこそ、引くに引けないのだろう。苛立ちを隠しきれないまま、彼は保科の肩を掴もうと手を伸ばした。


 その動きには、もはや告白の気配など欠片もなかった。

 見ているこちらにもはっきりわかるほど、剥き出しの悪意と敵意だけがそこにあった。


 教室の扉のそばからその様子を見ていた僕は、思わず息を呑む。

 やばい、と思った時には、もう手遅れだった。


 ――ただし、不利になるのは保科のほうではなかった。


 工藤の腕が届くより早く、保科はほんの半歩だけ身を引いた。

 たったそれだけの動きで、伸ばされた手は呆気なく空を切る。


 さらに体勢を崩しかけた工藤の腕を、保科は流れるような動作で受け流した。無駄のない、洗練された動きだった。力任せではなく、相手の勢いそのものを利用するような鮮やかさがある。


 次の瞬間、工藤の身体が横に流れ、そのまま壁へ激しくぶつかった。


「い、痛ェ……!」


 鈍い音が廊下に響き、工藤はその場に座り込む。鼻を打ったのか、顔をしかめながら鼻先を押さえていた。取り巻きですらすぐには声をかけられず、ただ唖然とその様子を見ている。


 対して保科は、呼吸ひとつ乱していなかった。


 制服の乱れを軽く直し、それからゆっくりと振り返る。

 その目は冷たかった。怒っているというより、ただ明確に線を引いている目だった。近づくことを許さない、絶対零度の拒絶。その視線だけで、人を一歩退かせてしまえるほどの強さがあった。


「私に軽々しく触らないでくれる?」


 静かな声だった。

 それなのに、先ほどの怒声よりもずっと強く、廊下に響いた気がした。


「私、自分が許した相手としか触れ合いたくないの」


 それだけ言い残すと、保科はもう工藤に一瞥もくれず、踵を返した。

 銀色の髪がふわりと揺れ、遠ざかっていく背中には、勝者の余裕すら滲んでいる。


 あとに残ったのは、しばしの静寂だった。


 誰もすぐには口を開けなかった。

 あまりにも一方的で、あまりにも鮮やかだったからだ。


 やがて、堰を切ったように周囲から声が漏れ始める。


「保科さん、やっぱりカッコよすぎる……」


「あの工藤相手に、あそこまで言えるの本当にすごいよな」


「可愛いし、強いし、頭いいし……もう最強じゃん」


 賞賛とも畏怖ともつかないざわめきが、廊下のあちこちで広がっていく。

 そのどれもが、保科翼という存在の特別さを改めて裏づけるものだった。


 そして、僕もまた、その場で彼女に目を奪われていた一人だった。


 あんなふうに、誰にも媚びず、誰にも屈しないでいられる人がいるのかと思った。

 相手が不良だろうと臆することなく、冷静に、堂々と、必要なら実力で黙らせる。綺麗で、強くて、頭まで切れる。まるで漫画やドラマの中からそのまま抜け出してきたみたいな、完成されたヒロイン。


 教室の隅で目立たないように生きている僕なんかとは、住む世界が違う。

 それでも、いや、だからこそ思ったのだ。


 ――カッコいい、と。


 ただ、そんなふうに憧れだけを抱いていられたのは、きっとあの瞬間までだった。


 保科翼は、誰に対しても完璧で、誰に対しても隙のない、絶対に崩れない最強の人間だと思っていた。


 ――あの時までは。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ